2日、珍しく雪です。大晦日から近年にない雪が舞い散り正月気分は満天ですが・・・・?
出かけるときは雪なしがよいです。
午前中、滝谷・妙成寺に行き「寒水荒行」を見てきましたが、午後は酒井町・永光寺で「新春座禅会」があると聞いたので、おせち料理を食べて永光寺に向かいました。
曹洞宗の教えの根幹は坐禅にあります。それはお釈迦さまが坐禅の修行に精進され、悟りを開かれたことに由来するものです。禅とは物事の真実の姿、あり方を見極めて、これに正しく対応していく心のはたらきを調えることを指します。そして坐ることによって身体を安定させ、心を集中させることで身・息・心の調和をはかります。
永光寺は羽咋市酒井町に所在する洞谷山(とうこくざん)永光寺と言います。地元有力者の寄進をうけた曹洞宗の第四祖瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)により、正和元(1312)年に創建されました。朝廷や室町幕府、在地守護などの庇護を受け、隆盛時には30余の堂塔と20余の支院を擁すると伝える有力寺院でしたが、応仁・天正の2度の戦火により焼失し、天正10(1582)年に前田利家により再興された後は、総持寺の末寺とされました。現在の伽藍は、寛永以後に再建されたもので、門前の総持寺、鶴見(神奈川県)の総持寺とつながります。
どっしりとした山門
山門の両側には仁王さまがにらみをきかしております。
境内は雪化粧大晦日の除夜の鐘を撮りに来た時と違いお正月ですが静かな境内です。
座禅には欠かせない「座蒲(ざふ)」、坐る際には坐禅用のクッションである坐蒲(ざふ)を用いるが、座布団を二つ折りにしても代用することもある。坐蒲に腰を下ろし、膝を床につける程度に浅く、足を組む。
座禅を経験した方は身に覚えがあることですが、眠くなります。睡気が出た場合は「身を揺らし、或いは目を張るべし。未だ醒めざる時は、手を引いて目を拭い、或いは身を摩すべし」(坐禅用心記)。また一炷ごとに畳から降り、作法に則り僧堂周囲の廊下をしばらく歩行して体の凝りを取り、眠気を払う。これを経行(きんひん)と呼ぶ。などと難しい説明がありますが、警策で打打たれた経験もあるでしょう。
一回の坐禅は「一炷」(線香一本が燃焼する時間。約45分 - 1時間)を一単位として行う。集中が乱れてくると姿勢が前屈みになるという。寺院においては坐禅を行う者の背後に直堂と呼ばれる監督者が巡回し、姿勢の崩れた者の肩を警策で打ち警告を与える。
常用漢字に「坐」の字がないため便宜上「座禅」と表記しております。正式には「坐禅」である。(文字の意味は「坐」は坐る行為を表し、「座」は坐る場所を表します。
写真は、開始後しばらくでしか撮れません。座禅堂の照明が落とされると撮影禁止。
40分後、再び道場へ。
曹洞宗では面壁し、臨済宗では壁を背にして座るとされています。
座禅が終わると、全員でお経を上げる
イタリアから修行に来日、永光寺で修行中の留学生
座禅が終わり道場から控え室に向かう参加者
今日の参加もご縁です。また「円」=○ 始めと終わりの無い「えん」です。と屋敷和尚さんの法話を聞き、
控え室で抹茶のおもてなしを受ける皆さん
夜はのんびりTVでも楽しみます。
出かけるときは雪なしがよいです。
午前中、滝谷・妙成寺に行き「寒水荒行」を見てきましたが、午後は酒井町・永光寺で「新春座禅会」があると聞いたので、おせち料理を食べて永光寺に向かいました。
曹洞宗の教えの根幹は坐禅にあります。それはお釈迦さまが坐禅の修行に精進され、悟りを開かれたことに由来するものです。禅とは物事の真実の姿、あり方を見極めて、これに正しく対応していく心のはたらきを調えることを指します。そして坐ることによって身体を安定させ、心を集中させることで身・息・心の調和をはかります。
永光寺は羽咋市酒井町に所在する洞谷山(とうこくざん)永光寺と言います。地元有力者の寄進をうけた曹洞宗の第四祖瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)により、正和元(1312)年に創建されました。朝廷や室町幕府、在地守護などの庇護を受け、隆盛時には30余の堂塔と20余の支院を擁すると伝える有力寺院でしたが、応仁・天正の2度の戦火により焼失し、天正10(1582)年に前田利家により再興された後は、総持寺の末寺とされました。現在の伽藍は、寛永以後に再建されたもので、門前の総持寺、鶴見(神奈川県)の総持寺とつながります。
どっしりとした山門
山門の両側には仁王さまがにらみをきかしております。
境内は雪化粧大晦日の除夜の鐘を撮りに来た時と違いお正月ですが静かな境内です。
座禅には欠かせない「座蒲(ざふ)」、坐る際には坐禅用のクッションである坐蒲(ざふ)を用いるが、座布団を二つ折りにしても代用することもある。坐蒲に腰を下ろし、膝を床につける程度に浅く、足を組む。
座禅を経験した方は身に覚えがあることですが、眠くなります。睡気が出た場合は「身を揺らし、或いは目を張るべし。未だ醒めざる時は、手を引いて目を拭い、或いは身を摩すべし」(坐禅用心記)。また一炷ごとに畳から降り、作法に則り僧堂周囲の廊下をしばらく歩行して体の凝りを取り、眠気を払う。これを経行(きんひん)と呼ぶ。などと難しい説明がありますが、警策で打打たれた経験もあるでしょう。
一回の坐禅は「一炷」(線香一本が燃焼する時間。約45分 - 1時間)を一単位として行う。集中が乱れてくると姿勢が前屈みになるという。寺院においては坐禅を行う者の背後に直堂と呼ばれる監督者が巡回し、姿勢の崩れた者の肩を警策で打ち警告を与える。
常用漢字に「坐」の字がないため便宜上「座禅」と表記しております。正式には「坐禅」である。(文字の意味は「坐」は坐る行為を表し、「座」は坐る場所を表します。
写真は、開始後しばらくでしか撮れません。座禅堂の照明が落とされると撮影禁止。
40分後、再び道場へ。
曹洞宗では面壁し、臨済宗では壁を背にして座るとされています。
座禅が終わると、全員でお経を上げる
イタリアから修行に来日、永光寺で修行中の留学生
座禅が終わり道場から控え室に向かう参加者
今日の参加もご縁です。また「円」=○ 始めと終わりの無い「えん」です。と屋敷和尚さんの法話を聞き、
控え室で抹茶のおもてなしを受ける皆さん
夜はのんびりTVでも楽しみます。
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