
2025年3月10日の夕刻。鳥の嘶くような鳴き声を聞き、空を見上げると白鳥が編隊を組んで飛んでいた。14年前の震災の時を思い返してみる。そういえばあの時、白鳥を見た記憶がない。それどころではなくて目に入らなかったのか。それとも白鳥が何処かに逃げてしまったのか。もう今となっては分からない。どうであれ白鳥はまたこうして東北の空を飛んでいる。
震災以来、毎年3月11日になると、被災前の沿岸の町の写真を掲載していた。もうストックは残っていない。十数年の間、僕は毎週毎週、飽きもせず東北の町を歩き廻り写真を撮ってきた。震災前の写真のストックよりも、そちらの方が意味のあることかもしれない。これからも撮り続けていこうと思う。
X-T5 / XF16-80mmF4 R OIS WR
私は仕事で外出先から
職場に戻る車の中で
地震のことをラジオで知りました。
職場に戻ってテレビ画面を見た時の衝撃は
今も忘れられません。
自分が生きている間に
阪神淡路大地震を上回る震災が起こるとは
夢にも思いませんでした。
応援ぽち
喉元過ぎればなんとやらで、被災地の方々の中には(いやほとんどの方々)はあの時で時間が止まっているやもしれません
地震列島である日本。いつどこで起きてもおかしくないと言うことだけでも、こう言う日に考え直したいものです
突っ立ったまま画面を凝視し、只々涙が止まらなかったのを覚えています。
備えることへの強い気持ちが薄れていることを実感してもいます。そして町並みへの敬意を忘れることなく写真を撮っていこうと思います。
揺れは全くなかったので、テレビをつけたら高速道路の倒壊した画像が写っていて動揺しました。
東日本は東北にいましたが、当初はあれだけ大きな被害になるとは想像しませんでした。
「喉元過ぎれば〜」。本当のその通りですね。改めて考え直そうと思います。
色々な状況の方が、色々な場所にいて、それでもあの衝撃は誰にも襲いかかり・・・。
その場に立ち会った人間として、覚えておくことは意味があると思います。
話はさかのぼって、義母と法要の日取りを相談した時のことです。田んぼが始まる前に済ませればいいから、3月の1週目か2週目のどっちにしようかね、と。どっちでもいいけど、お互い少しでも雪が少なくなっていたほうが楽だから、2週目でいいんじゃない?となんとなく返事をして決めたのですが、そこで運命が分かれたとは、微塵も思いませんでした。もし1週目だったら、前述のとおりの旅程でしたから、11日午後には間違いなく仙台港周辺にいたはずなのです。夕刻の出航まで、松島あたりを見物していたことでしょう。もしそうしていたら、おそらく助からなかっただろうと思います。
結果的に私は何も失っていませんから、大きなことは何一つ言えません。でも、毎年この時期には、あぁ生きてるなぁ、と思うのです。奇跡はあの時だけではない、毎日毎日、一瞬一瞬に起きているのだとも。
長くなりました。6×6様も、お元気で歩き続けてください。あれからまだ訪れる機会のない東北の町々を、写真で拝見できるのがとてもうれしいのです。
逆に偶然の重なりで被災地にいることになった方もいるかもしれません。言われていることはよく分かります。
僕自信も日本海側に居住いしているので、停電を除けば大きな被害はありませんでした。でも心のどころかで、これは紙一重で、たまたま僕は助かっただけだ。そういう思いを持ち続けています。
そして今この時点でも小さな奇跡が起きているし、運命に翻弄される時もあるかもしれない。まさにぼんやりと考えていることを明確な言葉でお聞きすることが出来て有り難いです。感謝します。
とにかく今後も町を歩きます。