子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

子育て・私流 23 長女と次女の進路 

2007年01月30日 | 60年前の戦争体験
次女が就職を決断したので、《引きこもり》の問題が解決しそうだ。

しかし、まだ就職先が確定したわけでなく、信用金庫え履歴書を出す仕事がまだのこっている。
その前に、地元の何処の信用金庫にするのかを決めなくては、話にならない。どうも姉さんのすることと同じ道(高校進学と今度の就職先)を選択する、安易な方向に行くようだ。

まあ、しかし《引きこもり》になるよりはいいか。

長男 25才 大学を卒業後、コンピュター会社に就職しSE(システム・エンジニア)としてはや3年経過した。 
長女 22才 高校卒業し地元の信用金庫に勤めて4年目に入った。
次女 19才 高校を卒業したら、お姉さんと同じような信用金庫に就職すると言い出して、就職準備中。だが、姉とまったく同じ信用金庫に就職と言うのはダメなので、他の地元信用金庫を探すことにした。

当時の私は、 55才  (現在76才だ。)


  《私の腹の中を二つ。娘は出来るだけ親の近くに置いておきたい。もう一つ、大切なことは、職場結婚ともなれば信用金庫なら旦那に転勤があっても、娘の家族がそう遠くに移るということはないということ。》

次女の就職
私は知り合いを頼り、次女の信用金庫就職をお願いしたところ。「履歴書を出してみてください。」との返事をいだいたので、次女に夕方帰宅してすぐに伝えた。

次女の顔が、この話を聞いて喜びにほころんだ。(おいおい、まだ就職が決定した訳ではないぞ。)

後日、次女が簡単なテストと面接を受けて、信用金庫の就職が決った。

まずは、一件落着。 
ことわざに《諺・いつも柳の下に泥鰌はおらぬ》の例えあり。
(一度柳の下で泥鰌を捕ったからといって、いつもその下に泥鰌がいるものではない。一度うまくいったといって、また同じ方法で何かを得ようと、そううまくいくものではない。)一層心した用心が肝心と私は思う。

長女の動向がおかしいぞ。

長女は最近、《私の田舎探し。のドライブにはほとんど、何か用事があると言っては、参加しなくなった。》

しかし、仕事からの帰宅はとくに遅くなるということもない。

長女 どうやら、同じ職場にお付き合いしている男性がいる様子。

私 「長女は今年の誕生日には、23才になるが、まだ、まだ結婚するという年令ではない。」「まずは、早くても24~25才ぐらいには結婚ということも有りうると考えておくか。」とのんびり私は構えている、今日このごろ。

次回に、長女のその後の様子を書きます。


《私の田舎探し・千葉勝浦方面》鵜原海岸の海水浴

毎年、7月の第三土曜日から日曜日にかけて、私の務め先が借上げている「海の家」が、千葉県勝浦の隣町鵜原海岸にあり、私と家内と娘・娘の学友の4人で車で欠かさずにでかけてきた。

7月の第三土日にというのは、この時期の海岸はまだ比較的空いていて、海もおだやかであること。
もう一つの理由は、道路事情がある。千葉の道路は7月後半から8月に出かけては「渋滞」が激しく、これに嵌まると時間通りに行きたくとも目的場所に到着しない。

もう一つの訳は、私の都合。毎月第三日曜日しか私の身体かに空きがないこと。(この訳は、またの機会に書きます。)

《道路事情と穴場》千葉県勝浦海岸方面のメイン道路は、市原から297号線の一般国道で向かうのが普通だが。夏休みのこの時期には、この道路は渋滞が激しい。
私も何回も通ったがいやになる道路だ。そこで、わき道を研究した。市原から297線を暫らく走って、牛久の先で右折し、養老渓谷に向かう81号線「市原天津小港線」を走るのだ、

穴場の見所は、「高滝湖」の脇を通って。「養老渓谷」とその先にある「栗又の滝」さらに進んでいって「麻綿原高原のアジサイ」ここは栽培でなく自生のものです、道路が狭いので最近は車でいけるかどうかはわかりません。

すこし戻って、その先に「勝浦ダム」がある。もうここまでくると勝浦海岸は、目の前。

海水浴の帰りには、「勝浦の朝市」など見学して帰るのも楽しいよ。

更に時間と暇があれば、市原の途中まで戻ってから「笠森観音」が見所。小高い山の上にお堂か建てられていて、階段を登っていくと一番上からの眺めがいいところだ。なぜ、このような建て方をしたのか興味がつきない寺だ。




子育て・私流 22 次女の就職 2

2007年01月29日 | 60年前の戦争体験
前回の21で、次女の就職問題を書いてきました。
結局は、高校を卒業しても、その後は「短期大学にも行きたくない、家にいてお稽古事に専念するでもない。では、就職するのと聞くが就職したくない。」と言う。

《今で言う。引きこもりだ。》

長男 24才 長男は、大学を卒業し、大学で専攻した学部を生かすでもなく、コンピューター会社に就職し1年たった。  
長女 21才 長女は、地元の信用金庫に就職3年経過した。
次女 18才 問題は、次女の就職問題。卒業しても就職したくないと言う。

当時の私は、 54才  (現在76才だ。)


これでは、どうにもならない。どうすれば、いいのだろう。次女の行方に手がやける。
こんな子供に育てたつもりは一つもないがと思いつつも、私が短気を出して叱っても、解決しそうにない。優しく、心静かに、話し合いでと思うが、時にキツイ言葉が飛び出してしまう。

一方、私との(田舎探しと称する)ドライブには、次女は学友を誘って、毎回欠かさず付いて来る。(この際に、学友に、就職のこともそれとなく聞いてみるが、就職するのでは程度の返事で程度定かにはわからない。また、学校でいじめにあっいないかも、聞くが、これも、そんなことはないですよ。)と言う。

若い女性の考え方や行動は、父親の私でも考え及ばないところが多い。下手をするとわが子を不幸のドン底に落とし込んでしまうかもしれない。
であっても、このまま家にいてもらったのでは、本人(次女)の為になるとは考えにくい。

さて、次女と3回目の話し合いをすることにした。

私 「どうだい。卒業してからの、やりたいことが固まったかい。」
次女「どうも、何をして良いのか、解らないの。」

私 「学校の友達の多くの人は、どんな風にする人が多いの。」
次女「ほとんどの人は、就職らしいの。進学する人は、ほんの数人らしいよ。」

こんどは、私との話し合いにも、そこそこに返事してくる。

私 「前にも言ったが、就職してもらいたいのだが。とうする。」「何事も我慢して働いていれば、よいことにめぐりるものだよ。」
  「石の上にもあ年と言って、人間はそういう環境で成長していく者だよ。」
  「3年は勤めてもらって、3年たったら、また相談しよう。」
次女「私が就職しないときには、お父さんはどうするつもりなの。」

いよいよ、次女が核心のところに踏み込んできた。

私 「お父さんの考えはね。お前を18才まで育ててきて、高校も無事卒業させたから、親としての義務は果たしたと考えている。」
次女「もし、私が就職しないで家にいるままだった場合は、どうするの。」

いよいよ、最後の決断時だ。

私 「大きな子供を家でぶらぶらさせたまま、養っていくて義務もないし、考えもないよ。」
  「即ちに、家を出て独立してもらう。」
次女「そんなの、ずるいよ。」

私 「おいおい、ずるいのはお前の方じゃないか。」
  「最後まで、次女の気持ちが解らない。」
  「甘えで、言っているのか。我がままで言っているのか。」「充分自分の将来を考えて返事しているのか。」

翌日の夕方、次女が「お父さん、ちょっといい。」と言う。

私 「どうぞ。」
次女「私ね、就職する。」と言う。
  「就職先は、長女と同じ信用金庫がいい。」

やっと、その気になったかとちょっと安心する。

私 「おい、同じ勤め先は、まずいよ。」
  「信用金庫ということで、別の信用金庫を地元を探そう。」

今回は、次女の就職すると言う目途がついたので良かった。

    



子育て・私流 21 次女の就職

2007年01月26日 | 60年前の戦争体験
「三人の子持ちは笑って暮らす」というが、我が家ではそうも行かず。ばたばた、おたおたと、その日・その日を追いかけてきた。

長男 24才 長男は自分で選んできたコンピュータ会社に就職し1年経った。
長女 21才 長女は信用金庫に勤めて3年経過した。もう、この年代になると化粧もそこそこ上手くなり、女っぽくなってきた。
次女 18才 次女は今年卒業で就職先探し。長女にも言った短期大学を薦めたが進学する気持ちはまったくない様子。

当時の私は 54歳  (現在76才だ。)

そうだ、長男の就職に伴う我が家への「食費」を入れさせることを書き忘れてきたので、このことを先に一言。

長女の就職の時には、「食費」として、35,000円家庭に毎月入れろ。と私が要求したが、ていよく値切られて30.000円に減らされた。

《私の考えの基本》月給の三分割。 ①家庭に1/3。 ②1/3は自分のために貯蓄。 ③1/3は自分が使う分。

それでもまだ、月給の1/3以外に、自分で使える部分のボーナスが丸々残っているので、洋服や遊びごとに使っても十分あり余る金額のはずだ。
今度長男に要求した「食費」の金額は、45,000円。

どんな風に「食費」の金額を決めるのか、内緒で言うが、こうだ。「新聞などをよく見ていると、今年の初任給の水準などが記事として載ってくる。」これを、私はメモして置く。月給は、其処から(税金・社会保険・社内積み立て金など)が差し引かれるから。大卒の初任給が、仮に17万円だとしたら、25%程度を差し引きた、残り金額に30%(17万×25%=4.25万=約13万円。

13万円×30%=約4万円(45,000円を要求した根拠)私がややサバを読んで多めにしてある。結局は、長男との話し合いで「4万円」に値切られてしまった。

言っておくが、子供から「食費」として入れさせた金銭は、私名義で積み立てておくことにしていている。我が家の家計には一銭も使わない。ここが、「肝心なところだ。」「ゆくゆくは、結婚の費用にと考えている。」

長女の積み立てと、今度は長男の積み立てで、二口の積み立てとなった。
この積み立ての管理は、家内の担当にした。


次女の就職

次女の就職を準備しなくてはいけない時期がきた。

私 「次女に、ちょっと来て就職の話をしようか。」と次女を呼び寄せた。
   冒頭にも記したが、次女に短期大学のへの進学を勧めたが、断ってきたので、次女は就職の線で進むつもりとみていた。

私 「次女に向かって、そろそろ就職だな。どんな会社を希望しているの。」と聞く。
次女「うーん。???? しばらくの間なんの反応もない。」

私 「おい、どうしたんだよ。どういう業種を狙っているの。」と聞くが返事がない。
  「いってみな、多少お父さんもお前の就職の世話をするから。」と私が言うが、返事がない。
  「返事がないと、どうにも先にすすまないよ。」
次女 やっと、言葉が帰ってきた。
  「私ね、就職したくないの。」

私 「おいおい、就職もしない、短期大学にも行かない。」
  「では、どうするというの。」
次女「また、無言が続く。??????」

私 「今日は、このくらいにしておこう。」
  「2~3日したらまた聞くから、そのときに返事して。」ということで、この場を終わりにした。

どうも、次女の話しの中に、芯がないと感じた。

翌日、次女がまだ帰ってきていないので、長女に「先の次女との話合いの事の話をした。」

私 「どうも、次女の気持ちが解らない。何か聞いていることある。」
長女「私が思うのに、次女は就職もしないで家にいるつねりらしいよ。」

私 「では、何か稽古や習い事でもするつもりなの。」
長女「どうも、とくに何かやりたいということでもないらしい。」

私 「次女を呼んで再度の話をすることにした。」「就職先に目安が付いたたかね。」
次女「私はね、就職したくないの。」

私 「では、何か習い事をしたいの。」「それとも、短期大学に行く気になったの。」
次女「ちがう。家に居たいの。」

私 「それは、我が家では、許されないよ。」
次女「うーん、こまったな。でまた無言?????」

これは、大変だぞ。どうすればいいのだ。大部永くなたので、この「結末」は次回にする。

次回は、次女の就職 2 とする。



子育て・私流 20 長男の就職 2

2007年01月24日 | 60年前の戦争体験
前回は、長男の就職の話しを書くつもりで居ましたが、話が逸れて次女との話で終わってしまいました。大変申し訳ありませんでした。

長男 22才 現在大学4年生。今年教育学部・心理学科卒業予定で就職活動中。
長女 19才 長女は女子短期大学の通学を私がすすめたが、自分から就職を選択し、今年地元の信用金庫に就職し元気に通勤している。
次女 16才 次女は区立中学から公立高校の推薦を受けたが。調べてみると、この学校のレベルが低く、さらに校内が荒れていて、校内暴力や飲酒・タバコが取り締まれないという。そこで姉(長女)の通学し卒業した私立女子高校を受験し合格して、姉の卒業した私立高校に通学中だ。

当時の私は、52才   (現在76才だ。)

長男が、1か月のアメリカのホームステイを終えて帰ってきた。

さあ、今度は就職活動に専念して貰うと同時に、まず大学を卒業してもらわなくてはならない。

学友の中には、アルバイトに一生懸命で卒業単位が足りず、留年になりそうな奴もいる言う。
私 「おい、お前は卆業大丈夫だろうな。」
長男「大丈夫だよ。まかしておけよ。」という返事。

私 「おい、大丈夫と言いながら、後で御免というなよ。」と笑いながら念を押す。

私 「就職活動では、どのような業種を狙っているの。」と長男に聞く。
長男「うーん、どこもいま一つピーンとこないのだよ。」との答え。

   《私の腹の中。学部は教育学部・心理学科卒業だから一部上場企業の人事部にでもと考えているのだが??。》

長男「いま、教授から推薦されている話しがあるのだが。隣県の県警でね。どうも、これも自分の性格に合わないと思うのだ。」と言う。

長男が集めた、企業の求人募集案内がダンボールに入れられて、二階の階段の踊り場に2個ぎっしり詰めて置いてある。まだ、集めていて何通か郵便で送られてくる。

私 「だいたい、何時ごろまでに就職先を決めればいいの。」

長男「そうだな。まず就職先企業2~3社に絞り、そこの中から内定をもらってから、応募期限まてに就職先を決めるよ。」

私 「そんな、悠長なことしていて大丈夫なの。」
長男「まあ、任せてよ。」

もう、22才の年令になると、親の知識も不足しており及ばず助言もできず、長男に任せておくしかない。


数日たった或る日。

長男「親父ちょっといい。」
私 「どうぞ。」

長男「あのね。就職先はここに決めようと思うのだけど。ここで、いいよね。」
私 「もう、そこに決めたの。」「何をしている会社・何処にあるの。」

長男「この会社はね、渋谷区にあって、アメリカ系の東京第一部上場企業で。」「従業員数もそれほど多くなく、これから伸びると思われるので。」

私 「それで、なにを商品にしている会社。」
長男「コンビユターと、それを動かすシステムを作って売っている会社だよ。」

私 「おいおい、お前は教育学部・心理学科を卒業するのではないの。全然畑違いじゃないのかよ。」

もう、此処までくると、親が言うべき言葉がない。いずれにしても、自分自身でこの世の中を切り開いて生きていくしかないのだから。

長男の話の始めから、「これで、いいよね。」の言葉は自分としてはこれで行こうと決めてきている。親父が反対と言っても、もう遅い。
まして、親父にそれに盾つく内容も・知識も持っていない。

長男が親より成長した証しだ。「気持ちよく、長男を送り出してやろう。」と決めた。

次回は、次女の就職です。 

子育て・私流 19 長男の就職

2007年01月22日 | 60年前の戦争体験
私の子育ても、三人の子供がそれぞれ大きくなり、家庭生活もやや安定期に入ってきた。

長男 22才 現在Y大学の大学4年生 今年卒業で就職だ。現在で言えば「ハンカチ王子の入った大学」の教育学部・心理学科を卒業する。
長女 19才 娘の希望する自宅近くの信用金庫に就職し1年経った。娘の顔色もよく上手く職場に馴染んでいる様子である。
次女 16才 次女は、荒れていると言われていた公立高校を蹴って、姉と同じ私立女子高校に受かり、高校1年生。学友の友達もできて元気に通学している。

当時の私は、52才   (現在76才だ。)

長男が大学4年、最後のこの夏「アメリカにホームステイ」をするということで、1か月ほど家族は、家内・長女・次女と私の4人の生活になった。

「可愛い子には旅をさせよ。」との思いで。元気で帰国するように言って快く細かいことも聞かずに(聞いても男の子はろくに返事をしないぞ。)長男をアメリカに送りだした。

《私の田舎探し》のドライブもまだ続いている。

長男は、大学に入学してからは友人(男友達)との遊び事が面白らしく、ほとんど参加しなくなった。
長女は、この《田舎探し》に最近は2回に1回は「仕事の都合」「職場の旅行・行事」などの理由で参加しなくなってきた。
次女は、相変わらず私の《田舎探し》には毎回付いて来る。

たとえば、7月の第3土曜日に毎年「千葉県鵜原海岸」の漁業民家の借上げ施設に海水浴に一泊でいっているが、次女は間違いなく一緒に就いてくる。
どうも、16才の娘が親父や母親と海水浴をしていても、楽しくないらしく「早く帰ろうょ。」ということになる。
私が次女に言った。次回は「海水浴も一人じやつまらないだろうから、学校の友達を連れて行っていいよ。」「友達に聞いてきなさい。」

この夏もう一度、伊東温泉の保養施設に温泉と海水浴を兼ねて一泊で出かけることにした。
次女に私が「友達も誘う、」と聞く、「同じ通学経路の電車が一緒で同じ区で同方向に帰る学友がいて、聞いたら行ってみたいと言っていたよ。」

私 「そうか、よかったな。」と返事をしたが、友達の親御さんと私は面識がない。だまって、一緒に連れ出すのは不味い。
私 「じあ、こうしょう、友達の自宅に旅行の前に一度ご挨拶に行くから、案内してくれる。」

ということで、私は娘を車に乗せて二人で娘の学友宅にご挨拶に出向いた。
学友の自宅に着いて、驚いた。住宅地の真ん中に、広い家屋敷で鉄筋建ての住まいだ。
相手のご両親が表に出て見えて、ご挨拶をすます。「どうぞ、お上がり下さい。」と言われたが私の足が竦む。
「これから車で行くところがありますので。」と言い訳して。今度の休みにお宅の子供さんをお預かりしますと言って早々に引き下がる。

帰りの車の中で娘に聞くと。「あそこのお宅は、昔からの地主で、あの付近の土地を沢山所有している。」という。

こんなことから、来年からも海水浴には、学友を誘い私と家内を入れて四人で遊んだ。
言っておくが。私は「学友の費用は一切貰っていないよ。」娘が一人増えて、我が家の次女と仲良くしてもらえればそれで結構。

この年代、16~17才は難しい年代だからね、「清く、正しく、美しく」育っていってもらえれば、私は言うことなしだよ。

現在問題となっている「いじめや自殺」を心配しないで過ごしたいという思いが強い。
過保護に過ぎないように、親として多少は娘の面倒をみると言うのはやり過ぎですかね。

長男の「就職」の話をする予定でしたが、はなしが逸れてごめんなさい。

次回は、長男の就職の話です。



子育て・私流 18 長女の就職と金銭

2007年01月21日 | 60年前の戦争体験
ここのころ、お金の出話ばかりで我が家の財政は逼迫するばかり。

しかし、今度は違うぞ。少しはお金が入ることになる。

それは、長女の就職に伴う給料の行方だ。

長男 21才 現在大学3年生 来年は卒業で就職だ。この夏アメリカにホームステイに行く準備と、卒業試験と就職のことで毎日忙しい。
長女 18才 私立女子高校を今年卒業 就職も信用金庫に決まった。長女は就職も決まり比較的余裕の様子。
次女 15才 次女は、姉の通っていたと同じ私立女子高校の試験に受かり、そこに行くことになった。姉からいろいろ教えられ安心している。

当時の私は、51才  (現在76才だ)

諺では「三人の子持ちは笑って暮らす。」と言われているが、ここまでの我が家は、どたばた続きで休まる暇もなかった様な気がする。


しかし、今、やっと何とか我が家にも平穏な時間がおとづれるということになった。

おいおい、ここで手を拱いていては、「まずいぞ」という声が私の胸の奥から聞こえてきた。


《長女の就職に伴う「給料」のことだ。》

このまま、私が黙っていれば、長女が貰ってくる「給料」は全部長女が私のもので自由に使えるとなるぞ。これでいいのか。
これでは、まずいぞ。あとに控える、長男も来年には就職。まごまごしていれば、次女だって3年経てば就職するぞ。

長女の給料の配分を、ここできちっと決めておかないと拙いことになるよ。

勿論、給料を自己管理して、自分自身で将来設計を確り決めて蓄え、自分の使う金銭を分離して使っていくようならば問題ないが。
初めての、給料だ。まして女の子「洋服や化粧品」など給料の使い道は沢山あり、逆に給料だけでは足りないなどと言い出しかねないぞ。

   《私の腹の中》

翌日、長女を呼んで次のことを言い渡した。
① 給料は、長女の使っていい分は 1/3にする。
② ただし、4月分は「母親に感謝の気持ちを表す」だけでいい。(洋服や化粧品)など通勤するための用度品を買う費用に残りを使え。
③ 家に食費として、1/3 入れる。金額にして35、000円か。

④ これは、長女には言わないが、「我が家が食費で貰ったお金は、長女名義で私が積み立てておくことにする。」(まあ、長女の嫁入り道具の蓄えと思って。)
⑤ この話は、あとの二人の子供も見ているので、あとの二人も当然に同じ様にする考えだ。

さて、これで子供達も納得し、承知してくれるか。2~3日様子をみることにした。

数日後、長女が私のところえきて、「お父さん、食費を入れろと言うが、友達の家では誰も家にお金を入れるという人はいないよ。」「家も外と同じにしてよ。」

私  なに「家に一銭もいれないって言うの。」「それは、ないだろ。」
長女 「勘弁してよ。」
私  どうしてもだめなのか。「何でお金がそんなに要るのか。説明してくれ。」

暫らく無言が二人の間で続く。

長女 「勘弁してよ。」の一点ばり。
私  「じゃ、こうしよう。今まで家で生活の面倒を見てきた。」「お前も一人前になったのだから、外に部屋でも借りて一人で独立しろ。」


更に数日経った。「家を出ろ。」のアッーパアカットが利きすぎたかな。

また、数日経つ。

長女が来た。「お父さん、ちょっといい。」
私 「どうぞ。」

長女 「あのね、家に入れるお金だけど、35,000円と言われたのだけど、30,000円にしてくれる。」 

私 「まあ、仕方がないな。」ということで、この話は長女から和解を持ち込む。

  「私は、家にいれるお金はゼロでもかまわないと思っているが、若いうちの浪費は、のちのち、子供の成長にに良いことをもたらさない。」と考えているからだ。
どうしても「困ったら、親だ、黙って見ていることなどできないんだぞ。」「それも、このお金は、お前のために別途積み立てていって、親が一銭も使おうとは考えていないのだ。」

諺(ことわざ)「金の力は阿弥陀ほど」(金の威力は、仏のご利益にも負けないほどの力があるということ)

次回は、長男の就職  

子育て・私流 17 次女の進学と長男のホームステイ

2007年01月12日 | 60年前の戦争体験
次女が、長女の通っていた私立女子高校の受験に成功し、無事入学したことは前々回の(15と16)に書きました。

今回は、この時の、私の考え方や、悩んだことなどを書いて置きたいし思います。

もう一つ、私と家内とで、長女の学校に長女卒業のお礼に行った折、私と先生とのお話の終わり近くに、3分ほど、ちょつと待ってくださいといって「先生が席をたつ」ことがありました。

このときに、私がなにを思ったか。三つあると書きました。

時間を掛けて、ズート考えていました。これは、あくまで自分の推測の範囲ですが。

一つ目は、先生が席を外した理由の推測。「①長女の通学状況を調べる。②卒業までの支払状況(入学金・授業料)などを調べにいったのか。???」
     (当然に3年間、長女の授業料など金銭上の不払いや遅延などはない。)(長女は欠席・遅刻は一度もない。)
二つ目は、受験してみなさいの推測。「そして、長女の通学内容を調べた結果の、先生の笑顔。で長女を褒めたこと。」「長女の妹さんなら、大抵の学
              校は受かるのではないですか。」との受け答え。
三つ目は、(受験してみなさい)と言った、先生の最後の言葉。ここに、大きなヒントが隠されていると私は思った。 

これらの、状況を総合判断し、私は第一番に長女の卒業するこの私立女子高校に次女の進学校としての的を絞った。

この前後の私の考え方。

① 私と家内が学校訪問したことは、最後まで一切三人の子供に知らせないで置く。
② 次女に負い目を感じさせないように、今度の高校受験については、常に配慮する。
③ 次女自身の力で乗り越えたのであって、この受験を親の手柄にしない。
④ まず、娘が自立していくことが好ましいことで、家中全員で応援し、アドバイスする。
⑤ かっこいい、言い方なら「親は子を守るもの」であることだから。

さあ、次女の「入学金と年間授業料など」のお金の準備だ。

何んとここのところ、子供の進学が追いかけるように「私の財布(貯金)」を狙い撃ち。

もう、いい加減にしてくれ。「私の財布には金目のものはもう無いよ」と思うが。

しかし、私がここで借金して都合をつけたのでは、今までの私のプライドにキズがつく。何んとしても「入学金と年間授業料など」は、何とかしなければと。古い預金通帳や定期預金を全部集めて計算したら何とか間に合いそう。
先に書いた、かっこいい言葉が救われるぞ。「親は子を守るもの」だから。
 「次女の高校進学」問題は何とか、私立女子高校ということで収束した。

 「今度は長男のホームステイ」の話がもちあがる。

この年の、長男が大学4年生の夏休みに入るというすこし前、「親父この夏休みに語学勉強のためアメリカの家庭でホームステイをしたい。」と言出だした。

長男は、最近盛んに家庭教師や夜間の工事現場の交通整理などのアルバイトに盛んに精だしていた。
はあ、これか。長男がアルバイトしてまでして金を稼いでいたのは、「ホームステイ」かと思った。

私が長男に尋ねた。 ① アメリカの何処の都市で。
          ② 何時から何時まで何日間か。
          ③ 主たる目的は。
          ④ 費用は、幾らかかるのか。
          ⑤ 相手の家庭の様子は。
長男は、(ぐだぐだ)言うなよと言う態度でわずらわしそう。
    (だいたい、男の子が大きくなると、親父に向かう態度や言葉使いはこんなものになる。)

私 「ある程度の説明がなければ、返事の仕様がないよ。」
長男「わかったよ。」

結局。解ったことは、大学の生協などが募集していて、毎年学生を送りだしているシステムで有るということ、外国の家庭に寄宿して生活してくる。
大学の4年生のこの時期の夏休みを有効に過ごすことは将来の人生に大きな力になる。

なるほど、最近の若いものはいいなあ。(俺も若かったら行きたいよ)

聞いてみて、悪い話しではないということが良く解ったので賛同した。
私 「ところで、親父はなにをすればいいの。」
長男「費用を少しだしてほしいのだが。」
私 「どのくらい。」
長男「50くらい。」(50万円ということだなと直感。)

私 「後で、返事する。」親子の男同士の話方はこんなものだ。

翌日に長男に「わかったよ。」と言う。男同士の話合い、返事は早くしてやることが必要だと私は思うからだ。
 
 しかし、話をもう少し詳しく聞くと、50万円だけではどうも不足している様子。

私 長男に聞く。「おい、これだけり計画では、50の不足分はどうするのだ。」

長男 「あとは、アルバイトで貯めたお金と、お年玉で小さい時から貯金してきたものがかなり貯まっているから、それで十分間に合うよ。」という返事。

私 そうだな、幼いときから「お年玉」を貯金させてきたのが、ここで生きて使われる。
長男も来年は大学を卒業して就職だ。この際、そと(外国)に飛び出して広く世界を見てみる事は良いこいだ。

ここのところの数回の文章は、「お金」のことが「キーワード」ばかりだった。

しかし、我が家の金銭感覚が、子供の成長にどう係わってきたか、お分かりいただけるでしょうか。

諺を一つ 「先立つ物は金」(なにをするにも、最初に先ず必要なものは金であり、資金がなければどんな事もてきない。)

私の今度の資金繰りは、「この夏のボーナスを充てる。」ことで何とか切り抜けるとしよう。また少しの辛抱(貧乏)だ。

次回は、子供の就職と金銭。まだお金の話から離れなれない。
  


子育て・私流 16 次女の進学と長男のホームステイ

2007年01月11日 | 60年前の戦争体験
19年1月11日の読売新聞朝刊に次の記事があったので紹介する。
(理想の子供の数は、3人が〔49,3%〕2人が〔36,2%〕)これでいくと我が家は理想な家族の数だが??。

長男 21才 大学3年生 卒業までふと1年。今年は来年の就職の準備期間。
長女 18才 私立高校3年生 今年卒業。短期大学か就職か迷っていた。 
次女 15才 区立中学3年生 今年卒業。 高校受験だ。

当時の私は、51才 (現在76才だ)

まず、次女の高校進学の受験をどうするかが、決まらなければ、我が家の中は収まりがつかない。

私 「次女と長女を呼んで、前回に言った①から④までの方法の話だが、どのような方向にしたら一番いいと思うかな。」(この時も、私と家内が長女
   の高校にお礼に行ったた話はしないでいる。)

私 「次女に、(中学で推薦された高校には行きたくないと言うが)自分の問題だから真剣に考えたのだろう。どのようにするのだね。」

次女 (わかんい????)  暫らく間をおいて  (私は、定時制高校でもいいと思ってる。)
長女 二人の話に割り込んで(私はね、ダメかも知れないけれど、私立高校を受験すべきだと思うな。)


私 ようし、このようにしょう。「先ず、私立の高校で受かりそうな高校を選択して受験する。」
  「私立の受験に失敗したら、定時制高校に通いながら、進学塾に通う。さらに、家庭教師も考えておく。」
  「一年間は、これで勉強し、二年目に私立高校に転入試験を受けて転入学する。」

私 「推薦してもらった公立高校を受験しないという以上、先ず私立高校に絶対受かってくれよ。」
  「次女に、少しの時間を惜しんで、いまからでも受験の勉強をしなさい。」

私 「長女に、私立高校で次女が試験に合格しそうな学校を二つほど選んでみてくれないか。たのむよ。」と頼む。


これから、次女の詰め込み勉強が数日続く。受験日までに何とか少しでも前進しろ、一日でもいい、いや数時間でもいいぞ、前え進め。この体験が大切なのだ。頑張れと心の中で叫ぶ。

親は、子供が少しでも悪い方向に進まないように。真面目で・素直な・心やさしい娘に育ってくれれば、この際進学の事は大目に見よう。
今回は、大分私も弱気になっている。


長女 (お父さん、次女の高校受験校は、こういう風にしたらと思うのだけど、どえかな)
私 「どれどれ、うーん、これなら良さそうだな。母さんと次女も呼んで相談しよう。呼んでくれ。」
私 「四人揃ったので言うが。次女の高校進学の事での相談だが、受験日と入学金の払込み日が重ならない高校で、通学もまずまずの所を2校選んできてくれた、私は、これでいいと思うがどうかね。」「この中に、長女が通っていた私立高校の名前もあったので、私は真っ先に賛成した。」
「感触的には、長女のいた高校のほうが受かる確立が高いと見ていたので。」「なんで、受かるのといわれても確たる返事は出来ないが。」


次女 高校受験の結論。

私立女子高校に、合格した。(私も望んでいた長女が通った高校だ)

私 「ありがとう。これで今夜もゆっくり寝られるよ。」
  「ただね、また、入学金と年間授業料の心配をしなければならない。気が思い。」


こんなことの、数か月あと、大学に通っている長男から相談が寄せられた。

長男 「お父さん、実はこの夏休を利用してアメリカにホームステイしたいと考えているのだけれど。」

私 「おいおい、やっと次女の高校入学が終わったばかりなのに、と思ったが口に出してはいえない。」「ほう、そうかいどんな内容なのかな。今日はダメたから明日にでも説明してくれ。」ということにした。

「一難去って、また一難」だ。
「頼むと頼まれては犬も木へ登る」か。

この話は、次回にする。

子育て・私流 15 進学か就職かその3

2007年01月10日 | 60年前の戦争体験
この話は、(1981)昭和56年当時のことです。現在から26年前で大分古い時代です。
この時の歌でヒットしていたのは、たしか「ルビーの指輪」寺尾 聡さんがレコード大賞を受賞した頃と記憶しています。

前回は、長女の高校卒業で、進学か就職につてい書きました。おかげさまで、短期大学での花嫁修行でなく、長女自身が就職の道を選択し、金融機関にするということで、「信用金庫に就職」でまとまりました。

ありがとうございます。

 今度は、次女の高校進学のことです。

先にも書きましたが、次女は「偏差値」というのが、やや低くらしくて、区立中学校から推薦された公立高校のレベルが、我が家では気に入りません。

その、推薦高校というのをいろいろと調べ・研究して見ると、

① 我が家の通学範囲の公立高校の中では「志望倍率が低く100%未満」校である。
② 学校の中が荒んでいて、「いじめや暴力事件が多い」という噂でした。
③ 当然に、「先生のレベルが低く、あまり教育熱心でない」という。
④ 通学するにしても「我が家からは乗り物も不便で時間がかかり過ぎる」

なんとかなるかと、我が家では母親を学校に行かせ、区立中学の担任の先生に「我が家からは、通学するのに不便で時間もかかり過ぎるので、別の高校を推薦してもらえないでしょうか。」という理由で相談かたがた、お願いに行かせました。

この場合、①②③のことは、こちらからは言い出せません。

中学の担任の先生の返事は「お宅の娘さんの学力では、こちらで推薦した高校以外の高校では進学試験が通りませんよ。」
他はまず「無理ですから、こちらの推薦高校を受験してください。」というつれない返事で取り付く隙がありません。

私 「次女を呼んで、今までの経緯を話して、お前はどうすればいいと思う。」と聞く。
次女(わかんなーい。)
私 「おいおい、自分のことだよ。ワカンナーイで済まされる話じゃないだろ。」
  「姉さん(長女)とも、よく相談して、早めに返事しなさい。」

どえも、困ったものだ。

余談だが、「最近の新聞・テレビでは、受験や進学の話を(両親)親から酷く怒られて、(自殺やら、親を殺す)など、とんでもない事件が報道されている。」

両親がいっせいに、子供に向かって「怒こり・ダメ呼ばでは」子供の立つ瀬がない。
少なくとも、男親というものは静かに・そして冷静に振舞わなくては、と思うが私もイライラする。

数日後、長女と次女が一緒に話にきた。

お父さん、ちょつといい。「はい、とうぞ」
長女 (実はね、中学で推薦をされた公立高校はね、お父さんの調べたとおりで、内容があまり良くない。私はねその学校は辞めたほうがいいと思うよ。)
次女 (私も学校で友達に聞いたが、悪ガキが多くて、いじめられてしまうと聞いた。その高校えは行きたくない。)
私 「では、どうするのだよ」「二人でよく考えて返事しなさい。」

まあ、こうは言ったもの、「子供達に結論を求めるのは無理があるか。」

次女の進学の事は、もうあまり時間がない。

《私の腹の中》

① 推薦された公立高校は、私も子供二人共に反対だから、受験しない。
② では、どうするのか。
  一つは  「定時制高校」に通わせ、「家庭教師」を付けて勉強させ、2学年のときに私立高校に転入させる。
  二つ目は、「私立高校」を受験させる。
③ この二つの方法でやってみる。二つ目の私立は、試験が通るのはまず無理と思うが、
  だめでもともと。また出た諺「蛙の子はカエル」だから。
④ 進める順番が問題。一つ目が咲きか。二つ目が先か。  

或る日、長女の学校の担任に卒業のお礼に出向いた。(この学校に出向いたことは、長女にも次女にも知らせていない。)

担任の授業の休み時間を借りて「菓子折り」を携え、私と母親が長女の高校に卒業のお礼をしに行った。
私 「三年間娘が大変お世話様になりました。お蔭様で、私から見ても良い娘に育てていただきました。ありがとうございました。」
  「ところで、この近くの公立高校の噂を少しお聞きしたいのですが。」と切り出すと、担任の先生は、(同業の高校のお話はかんべんして下さい。)とやんわりと断られた。
先生から、(どうしてお調べになっているのですか。)という問いかけに。
私 「実は、我が家にもう一人娘がいまして、今年高校受験なんですよ。偏差値からだと思うのですが、区立中学から、この近くの公立高校を推薦されましたが。どうも、学校内容の評判が芳しくないものですから。」
私 「長女も次女も娘二人が、推薦の公立高校は辞めたほうがいい。というので(定時制高校)にでもと思っているのですが。」

先生 (長女の方はなかなか確りしていて、勉強もクラブ活動も積極的でいい娘さんですよ。その妹さんなら、大抵の学校は受かるのではなですか。)と言う。
私 「実は、定時制高校を受験する前に、こちらの学校を受験させていただけたらと思うのですが。ムリですかね、」

先生 (ちょっと、待つて下さい。)と言って3分ほど席を外した。
先生 (受験してみなさい。)の一言。

私 「ありがとうございます。」

ここまでで、私と家内は長女の通っていた学校を辞した。

あの時、先生が席を外したのはなにか????。

もう一つ、私が帰るために席を立ったときに「先生が小さな声で私の耳元で何か言った。」その言葉が、良く聞こえなかった。

この二つの謎が解ければ、次女の高校進学も解決しそうだが。いまは解らない。

 こたえは、次回に。

次回は、次女の進学と長男のアメリカホームステイ





小育て・私流 14 進学か就職かその2

2007年01月09日 | 60年前の戦争体験
 長女が高校を卒業してからの進路を「就職する。」という方向になりました。
    (前回の 小育て・私流 12 にその経緯を書きましたので参考に)
一方 次女は高校へ進学です。

長男 21才 大学3年生 卒業まであと1年ある。
長女 18才 私立高校3年生 今年卒業。  
次女 15才 区立中学3年生 今年卒業。高校受験だ。

私も 50才台になる。(現在76才)

さて、長女の就職の準備がはじまりました。希望の職種は、金融機関。
私が長女に、一口に金融機関と言っても、いろいろな業態があるんだぞ。

長女の希望は、都心でなく自宅から近い所が希望。学校には就職募集の案内が沢山来ているが、どこを選択して応募していいか考えが纏まらない。

お父さん、(どこの金融機関を選べばいいの。)と就職先の選定に迷っている様子。

私 娘に「そうだな、都市銀行と信用金庫の二つに絞って就職活動したらどうかな。」

    「都市銀行はな、関東系の○○銀行や、関西系の□□銀行。それに地方銀行の東京支店というのもあるな。」
    「信用金庫は、都内に立地しているものと、県単位で店舗網があるものとがあるよ。」

      《私の腹の中》 

一つ目 (娘は、あまり遠くに行かせたくない。)
二つ目 (娘が結婚年齢になれば、必然的に自分の一番近い男性群からお付き合いが選択され。こちら娘からも選択されるであろう。)
三つ目 (都市銀行系だと、地方への転勤も避けられず、転勤を拒否すれば出世が阻まれる。)
四つ目 (まだ、娘には何んとも言っていないが、もしも社内結婚して旦那が転勤というこになると、まずいぞ。)
五つ目 (長女は、ソロバンは商工会議所の一級だし、たぶん都市銀行でも就職出来るだろう。)

以上、こんなことを考えながら、私は娘の自主性を尊重しながら、信用金庫に誘導するつもりになっていた。

数日過ぎて、娘が高校から帰ってきた。

お父さん、(関東系の都市銀行に内定をもらったょ。)

私、「それはおめでとう。まずは一安心だな。」「信用金庫のほうはどうだ」

娘    (来週に、就職試験を受けることになっている、と言う。)

私 「信用金庫、多分こちらも大丈夫であろう。と思いつつ。頑張れよと言う。」

また、数日が過ぎた。

お父さん、(北区に本店がある、信用金庫からも内定を貰ったょ。)

私 「早く就職の返事をしないとまずいんだろ。」

娘    (就職するとしたら、都市銀行のほうが、建物や内部設備が優れているし、給料もやや高い。保養施設も沢山あってよさそう。)

私 「お世話になった学校の先生にお礼を言って、よく相談してきなさい。」
  「だがなと、私は上記の五つの内容を、娘に説明する。」
  「最後は、自分の考えで決めなさい。と言ってやる。」
  
  「いずれしても、子供自身の運命、どちらを選んでも後悔しないことが肝心だ。」「どちらにしろなど、親でも決められないぞ。この決定が娘の長い人生を左右すると思うから。」

 私もここ数日、娘の返事を待ちながら、内心いらいらして待った。

娘   (お父さん、信用金庫に就職をきめたよ。の返事。)

私 「そうか、よかったな。仕事に就いたらな、真面目に、休まず、笑顔で、こつこつとな。」
  「まず、長女のことは、これで当面一件落着。」

「さて、まだ次女の高校進学の問題がかたずいていない。」

  「公立高校か、私立高校を選択するのかが問題」



だいぶ、永くなったので、ここで《私の穴場》五月の連休
   《熊祭り》を書くことにする。

この《熊祭り》に私が米沢の友人誘われたのは、(1981)昭和56年の話だから、この《熊祭り》がそのまま続いているのかどうか、定かてはない。
かりに、《熊祭り》にお出かけの際は、しかるところで確認することをお願いしておく。

07/1/7日の読売新聞の記事に「独自の狩猟文化を持つ「またぎ」としての記事があった。」ので紹介しておくと。
この記事によると「熊の今年の捕獲数、全国で4,251頭、山形県の捕獲数は、全国一の676頭とある。」ので、まだまだ、山形県の「またぎ」の活躍が続いていると見たが。

さて、《熊祭り》の本文に入る。

5月4日 前日の米沢市内の《上杉祭り》の余韻を残して、今日は、「山形県の西端、新潟県との県境に近い、飯豊山麓の小国町に向かって車を走らせる。
私は、友人の車に乗せてもらい、途中友人の仲間二人の車と落ち合い、一路《熊祭り》の会場に向かう。
「小国町」から左折、飯豊山に向かって二台の車が山道を進む。
今日は、《熊祭り》の会場の傍の「民宿」泊まりである。
   
5月5日 いよいよ、《熊祭り》が見られるときがきた。
朝食もそこそこに、会場に向かい場所取りする。

午前11時すぎ、《熊祭り》の始まりだ。

来賓の紹介があり、「○○小学校校長、××農林所長、小国町町長など」地元の小学生も大勢参加している。

この会場にいる人数は、300人ぐらいか。

来賓のご挨拶で、立ち上がって挨拶したのは、小学校の校長。何んと20才台の女性校長だ。
東京では、考えられない。

このあと、神主さんがお払いをして、いよいよ《熊祭り》が始まる様子。
神主さんの前に、12人ほどの「またぎ」が並びお払いを受ける。

いよいよだ。「ピー」と笛が響き、「またぎ」が二人一組になって、会場の向かいにある崖を登り始める。

こちら会場から、山に登って行く様子がよくわかる。

山の中央に「またぎ」の親方と思う者が鉄砲を構えて手を挙げると、その左右に二人づつ一組の「またぎ」四組が、鉄砲を肩に捧げて崖を登っていき配置に着く。

「ピー」と二番目の笛が鳴る。

会場に、緊張が走る。下の川原に《熊》か現れて、残っていた「またぎ」二人が山に向かって《熊》を追いあげていく。

《熊》が、かなり上に登つたとき、「ドーン」と鉄砲が山を響かせて唸る。そのとき、登っていた《熊》が、がらがらと、すごい勢いでやまをころがり落ちる。
30Mも落ちたのだろうか。下から追い上げていた「またぎ」が近くによって様子を見る。「またぎの親方」も近寄よつてくる。

そのとき、《熊》が急に動きだし「またぎ」に襲いかかる。親方の鉄砲が再度唸り、《熊》に当たる。
《熊》は、その場からさらに20Mほどころがり落ちて静かになる。

これで、《熊祭り》の行事は終わる。もちろん《熊》は人が入った縫いぐるみだ。
よくも、あれたけ、ころげ落ちて怪我をしないものだと感心する。
会場では、「熊汁が有料で振舞われている。」

私は、翌年に家族に見せるため「家族一同」で同じルートで出かけていったことは間違いない。

次回は、次女の高校進学の話だ。


     

子育て・私流 13 進学か就職かその1

2007年01月07日 | 60年前の戦争体験
前回は、長男と長女・次女 3人が同時に進学した話を書いた。

それから、3年経った。

子供達の状況はこうだ。

長男 21才 大学3年生  大学は4年制だから、卒業まてはあと1年ある。
長女 18才 私立女子高校 今年卒業だ。進学するのか就職するのか、本人の考えが、まだ纏まらない。
次女 15才 区立中学卒業し、高校へ進学の予定だが、偏差値とかというのがあって、選択肢が少ない様子。
       進学予定高校に迷うということは偏差値がそう高くないのだ。

さて、今回は、長女と次女の問題が中心だ。

まず、長女だ。夕飯が終わって。
私 長女に向かって「おい、高校を卒業したらどのようにするのだ??」
  長女の返事  (うーん、どうしょうかな。まだ、迷っているんだ。)
私 長女に言う  「女子短期大学に進学して、あと2年勉強したら。就職するにしてもそのほうが有利じゃないの。」       
  長女の返事  (まだ勉強するの。やだな、もう沢山だょ。)
私 長女に言う  「じあ、就職するとしたら、どういう仕事(業種)がいいの??」
  長女の返事  (友達は、証券会社が良いと言うんだ。)
私 長女に言う  「就職というのはな、友達と何時までも一緒にと言う訳にはいかないのた゜ょ。自分が一人で生きるという「独り立ち」するつもり
いなと、 だめなんだよ。 まあ、よく考えておけよ。」
      
          ということで、今日は、この程度でお終いにする。         
     
 この当時は、女子が短期大学に進むということは、「お嬢様学校に2年間遊びに行く。」という風潮が強く、世間では娘に花を持たすようなところがあった。

私の腹の中 一つ目は 「どちらかと言うと、就職してくれて(一般社会に早く揉まれる)社会勉強をして、両親から(巣離れ)独立し、立派な成人に
            なって貰ったほうがよい。」
      二つ目は、「散々我が家の財政を傷めつけられたので、(金銭)の回復期間がほしい、また、(次女が今年高校に進学だぞ。)と思ってい
            ること。」
      三つ目は、「我が家でのこのこされて(お嬢さん学校で)この先また2年間も遊ばれたのでは叶わない。」
      四つ目は、「まあしかし、娘自身が希望して(花嫁学校)女子短期大学に進みたいと強く言うなら、その希望をかなえてやってもいいかな
            とも思う。」  

さあ、娘がどんな答えを私に持ってくるか、興味しんしんだ。


数日経って、娘が「お父さん、ちょっといい。と話しかけてきた。」

      私 「さあ、来たぞ。どんな結論を持ち出すのかと、身構える。」

      娘 「私はねえ、早く社会に出たいの。それで、いい。」

      私 「なるほど、それも一つの選択だね。だとしたら、どんな職業を狙うの。」

      娘 「友達は証券会社に行くと言うから、私は金融機関がいいと思っているの。これでどう。」

      私 「ところで、金融機関と言ってもいろいろ沢山ある種類があるよ。どんなところを狙うの。」

      娘 「実はね、学校に人事採用の募集案内が沢山きているの。狙いはねえ、通勤に時間がかからず便利で近いところ。それと都心でなく、
        あまり服装に気を使わないですむ勤務先。もう一つは、同じ学校から数人入社しそうなところ。」

      私 「よく研究しているな、と感心する。母さんちょつと来て、娘が金融機関に就職すると言ってきたのだが、どうかね。」
        「まあ、この娘なら(商工会議所のソロバン一級・暗算も一級)だから、まず就職するに際して有利なこと間違えないと思ってい
         る。」
        「それでは、その線で学校ともよく連絡を取り合い、金融機関で就職活動をして見なさい。」と就職を承諾した。


    《私の穴場 五月》

前回の原稿「子育て・私流 12 長女の進学」の末尾で《上杉祭り》の記事が中途でしたので、ここに追記します。

さらに、《熊祭り》についても、一つも書き進んでいませんので書いてみます。

     《上杉祭り》の続き

友人と「おにぎりとワンカップでの、昼食」で、祭りの始まりを待つ。
土手上の観客席に向かって「大きなスピーカーが、合戦の擬音を響かせていて、友人との会話もよく聞こえない。」

市長の挨拶が始まる。

左手から、70~80人の武将姿の「上杉勢」が姿を現す。中に乗馬姿の大将と思われる、立派な兜をかぶった武士が五人ほどいる。

右手から、50~60人の「武田勢」と思われる武将が姿を現す。

「左右の大型スピーカーから、(馬のいなき、多勢な武士の足音、武将のときの声)が一段と大きく響き、会場の雰囲気を盛り上げる。」

「映画のロケ場面を見ているような錯覚に陥る。」

左手の、上杉勢の「総大将の軍扇がサさあーと揚がった。」合戦の始まりである。

40~50分、やや小一時間の合戦で、戦いの終末がくる。「武田勢の大将が10人ほどの怪我を負った武士とともに、よろよろと自陣地にひきあげる。」

戦いは、上杉勢の勝ったときのこえ「エイエイオー・エイエイオー」で終わる。

私の感想「双方の武将しも素人の集団なので、合戦に迫力がなくいまいちだ。」

もう一つ、友人の後日談「武田勢の武士団の人集めが大変で、負けると判っているので武田武士をやってくれる人がいない。仕方なく最近は、公的機関・役所・金融機関などに割当てでお願いしている。」と裏話をしてくれた。

当日は、雄心宅に泊めてもらい、米沢馬の「すき焼き」をご馳走になる。

なぜ、「すき焼き」のことを書いたかのか、というと鍋に入れる手順が東京と違うのだ。
東京での「すき焼き」やり方は、鍋にまず下味を造り、ついで「肉」をいれる、その上に野菜などを入れて行く。
米沢では、「肉」を入れる場面が最後で、下汁の上に野菜を入れ、最後ら「肉」を入れて造るのだ。

「所変われば品変わる」の諺がここでも生きるのか。
「なぜ、肉を入れる手順が前後するのか、ご馳走になって食べている時に聞くのもまずいと考えて聞きずまい。」誰か教えて???。

次回は、《熊祭り》もまだ書いていないので、これを含めて。

就職か進学か その2 です。