子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

新支店長のやり方  後始末 その2 9

2007年08月30日 | 職人からサラリーマンに
昭和28年(1953)現在の私は24才になりました。
職人から転身してサラリーマンになって4年経過した。
石の上も3年のつもりも超えました。

私は、定時制高校を戦争のため普通より2年遅れ、通常は18才ですが私は、20才で卒業し就職したのです、
(夜間の高校は4年で卒業です。ここで1年遅れています。)
当時、昼間は親父の仕事「レンガ職人」の手伝い「土方仕事」をしながら、夜間に定時制の商業高校に通学していました。

高校の同級生が「地元の信用金庫」の求人募集に30人のクラスから、10人程信用金庫に応募して入庫していきました。
私も、この機会を逃さずに「職人からサラリーマン」に転身したのです。
石の上にも3年の覚悟で「職人生活からサラリーマン」になったのです。
(この経緯は、前文!の 勤めながら夜間大学に行きたい)に書きましたのでお読み下さい。

《新支店長の仕事振り 2》
1か月に一回の支店職員の全体会議は休まずに、新支店長になってから開かれています。

 ① 新支店長の人柄も大分わかってきました。
   こわもて、と当初思われていましたが、それほどでもないと言うことが少しずつ職員に解るようになってきました。
   
   これは、「金融機関の仕事が殆どわからない。」ことから。
   「貸し出しの焦げ付きを作ってはいけない。」
   「職員の不詳事件が発生してはいけない。」
   「職場のモラルの低下してはいけない。」

   こんなことに気を使っている様子だ。

   普段の「こわもて」怖い顔に、この心配事が加わり普段は「ブス」とした態度のようです。

 ② 月一回の会議の準備と後片付け。
   会議は、土曜日の12時閉店後、昼食事が終わったころからはじまります。
   新支店長は、役所出ということか、毎月一回の全員会議はかかしません。

   毎月一回とはいえ、会議の準備は大変です。
   当時の支店には、会議室がありませんでしたから、会議の都度真ん中の事務席に4個の机を移動してきてつなげ。
   35人前後の職員が全員顔が揃うようにしてから始まります。

   この4個の事務机を移動するわけですが、いつも若い男子職員が呼ばれてやるのですが。
   要領のいい若手は、この時間になると、何時も何処かに消えて姿が見えません。
   毎回、この仕事をする若手の男子は決まって、同じ人で4個の事務机の移動です。

   職人から転身した私としては、「サラリーマンとは、なんと要領のいい集団なのか」という思いがします。

   違うよ、長老が言いました。
   「要領が悪くて、いいのだよ。サラリーマンは、要領が悪いぐらいがいい。とくに若い内はな。」
   「まあ、なにごとにも、真面目に、蔭・日なたなくやる者は、ちゃんと人は見ているものだからな。」
   「要領を旨とする若者は、結局先にいってバカを見ると言うのが、世間の常識だからな。貴方がたは真面目にやりな。」

 3 《会議の後始末》
   翌週の月曜日の朝、出勤してきた女子職員が騒いでいます。
   「私の机ではない。」「引き出しの文房具類が違う。」と言うのです。

   とっさに、「昨日の全体会議の際の机の後始末が上手くないのだな。」
   と私は思いましたので、騒いでいる女子職員の傍に行って調べました。

   土曜日の会議終了後に机を移動したのは、何時も準備や後片付けをしない。
   若手の男子職員が、新支店長に捕まって命令されて、後かたずけをしたことが判りました。
 
   《私の解決作》
   そこで、今度は間違いなく、4個の机の移動の後始末が誰でも上手く出来るように、こんな風にしました。

   移動する事務机、4個の足元に「A・B・C・D」と書いた小さな紙を貼りました。
   さらに、事務机の「足元の床に」も「A・B・C・D」の印をつけておきます。
   次回の会議の時にでも、逃げ回る若手男子職員に、この用にしてあるからと言う説明をしました。
   結果、この後には事務机の移動についての問題が発生しなくなりました。

   職人生活を6年も経験してきた私としては、このようなことは、さして難しいことではありません。    

 ④ 《朝の挨拶・新支店長の狙い》
   毎朝、職員が出勤してくると必ず、「新支店長の机の上にある出勤簿に印鑑を押します。」
   当然に「職員から、おはようございます。」の朝の挨拶をするわけですが。
   この職員の挨拶には、小さい声で「おはよう」の返事があります。

   しかし、中には印鑑を黙って押して「支店長に挨拶をしない若い職員もいます。」
   先にも、書きましたが、職員から挨拶の無いものには支店長から「おはよう」の挨拶を返しません。
   
   「偉そうに」「変な人」と言う職員の評価が出ていましたが。

   新任してきて、6か月立ちましたが、この「おはよう」の挨拶の仕方・やり方は変わりません。
   何か支店長としては、考えがありそうです。

   この件については、次回に。
   

   

新支店長のやり方 1 会議と上下関係 8

2007年08月27日 | 職人からサラリーマンに
昭和28年の2月のことです。
前任の支店長が帰宅の際に交通事故に遭遇しました。
直ちに病院に入院しましたが、「足の骨折」でもあり職場復帰は当分出来ないという。

そこで、本店で総務部長の人が、急遽後任の支店長として赴任して来ました。
この人(支店長)は、55才の定年で区役所の助役を退職して来た人です。
(当時の勤め人の定年は55才です。)

就任時の挨拶では
「私は金融機関の仕事については、正直に言って殆ど知りません。」
「ただ、人間・人として真面目に、後ろ指を刺されずに役所を勤め上げてまいりました。」

「今後は諸君・君等と一緒にこの店舗を守り成長させて立派な支店にしていきたいと考えています。」
と挨拶された。

(新支店長の仕事振り)
 ① 支店長は出勤時間が早い。
   店舗の開店時間は午前9時です。
   多くの職員が出勤して来る時間帯は8時30分前後ですが。
  
   新支店長は、7時45分には自分の机に座っています。

   この時間に出勤している職員は、まだ2人位です。
   「出勤簿」は、支店長の机の上にあり。
   職員が朝出勤すると一番先に支店長席の机の上にある「出勤簿」に自分で印鑑を押します。

   新支店長は、「出勤簿」に判を押す人の名前を見ながら「職員の顔」をそれとなくみています。
   さらに、その職員が何処の席に座るのかを、眼で追っています。
   早く、職員の名前を覚え、何の係りなのかを覚えている様子です。

 ② 新支店長は、職員が「出勤簿」に印鑑を押す時に
  、「おはようございます。」と職員側から朝の挨拶をすれば「小さい声で・おはよう」の返事をしますが。
   職員が挨拶しなければ、そのまま「黙っています」
   「変な人」「偉そうに」と言う職員の評判です。

 3 お役所上がりの人は、普段から上から人を見て来たからな。
   というのが、年配職員の新支店長の評価になりつつあります。

 ④ (毎月一回は、必ず全体会議を開く)
   新支店長になってから。
   土曜日・午前12時の閉店後に毎月必ず全員での会議を開きます。
   
   当時の店舗は平屋建てで、会議室というものがありませんでした。
   事務室の中央付近にある「事務机」と「他から4個の事務机」を寄せて、全員の顔が見えるようにします。

 ⑤ (席次の決め方)
   役所上がりの新支店長は、この席次が五月蝿い人です。

   或る時、就職間もない若い職員が会議の時間にやや遅れて、慌てて席につきました。
   その席は、本来なら支店長の次席の人が座る席です。
   新支店長は黙って会議を始めます。
   今日の会議の議題を一通り話しをした、その直後に「こう言いました。」

   「今日の会議で残念な事が起りました。」
   「残念と言うことより、礼儀を知らない、社会人としてやってはならないことでをやった人が居ます。」
   「なんのことだか、解りますか。」「皆さんに考えてもらいましょう。」

   と、言ったまま、支店長は言葉を切りました。
   5分が過ぎても、何か言う気配がありません。

   10分が過ぎました。

   古参の職員が「何のことか判りませんので教えてください。」と発言しました。
   
 ⑥ (おもむろに、支店長が口をひらきます。)
   私が問題にしているのは、「席次のこと」です。

   会議のように、多くの人が集まり「会議・相談」をする場合には。
   その人の社会的地位や立場というものがあるのです。
   必然的に座る場所に「席の序列」と言う決まりがあるのです。

   「仮に、お客様をお呼びした会議などで、私共の職員が手前の上席に座ったとしたら」
   「お客様は、ここの職員は常識が無いといって、こんな支店とは取引しないという事になります。」
   「勿論、このお客様は黙って当店との取引を引き上げるでしょう。」
   「幸い今日は、支店の全体会議ですから、お客様を怒らせることもありませんが。」
   「今後は、心して取り組んでください。」

 ⑦ (支店長の長い話)
   新支店長の長い話が、延々と15分ほど続いた。
   
   役所勤めの長い支店長としては、「いい機会だ」と思ったに違いありません。
   これ以後は、全員が席次を考え、気にするようになりました。

 ⑧ (私の感想)
   この話を聞いて。
   「そうだな」と思う人。
   「なんだ、くだらない話だ」と思う人。

   貴方は、どちらですか。

  A.この種の話は、仕事で相手の事務所に上司と同行して伺って席に着くときにも使います。
    社内の会議の時にも席次に気をつけましょう。
  B.また、上司とタクシーに同乗するときにも使います。

  C.結婚相手のお宅に挨拶に伺ったときにも同じです。
    私は、これで、結婚がダメになった人を知っています。

 ⑨ 新支店長の話は、支店職員のレベルを少しでも引き上げたいと言う、気力を私は感じましたが。

   
   
   
   
   

信用金庫に就職して3年目 年末年始 7

2007年08月23日 | 職人からサラリーマンに
昭和28年(1953)の正月を迎えました。私は今年24才になります。

定時制高校を卒業した、4年前の20才の時に「石の上にも3年」の覚悟で「職人からサラリーマン」に信用金庫の職員に転身しました。
どうやら、現在のサラリーマン生活にも何とか慣れてきまして、サラリーマンも続きそうです。
勤めながらの夜間大学4年間も科目単位が取れるメドがつき、この年末に「卒業論文」を出せば卒業できそうな状況になりました。

   《諺・石の上にも三年》
 (冷たい石の上でも三年座っていれば暖かくなるように、辛いことでも辛抱して努力すれば必ず報われるという教え。)

  《信用金庫のサラリーマン4年生になりました》

 ① 当時の勤務状態は、「月・火・水・木・金・土」の6日制でした。
   だだし、「土曜日」だけ、半ドンと言って、勤務時間は午前中で終わる制度でした。

 ② 営業の長老が「今度の土曜日に昼飯を食べに家に来い。」と声がかかりました。
   営業担当者の6台の自転車の掃除や空気・油指しをしていたお返しのようです。
   「一人では、来ずらいだろうから、もう二人の仲間も一緒にな」
   二人の仲間というのは、一人は夜間大學に行っている就職時が一緒の者。
   もう一人も定時制高校の仲間で、私と仲の良い職員。

   店舗の近くに住む家に行ってみると、奥さんと二人住まいだ。
   台所で奥さんが「てんぷら」を揚げている様子。玄関を入る前から「ご馳走」は天麩羅ということが分かる。
   
   長老の話では、「君達3人はな、高校も夜間、さらに二人は大學も夜間に通い苦労しているからな。」
   まあ、「仕事も一生懸命にやってくれている。身体を壊さないようにな。」   
   こんなことを契機に、毎月一回は土曜日に食事に呼んでくれるようになった。
   
   (私の感想)「何事も、良く見ていてくれる。」
       「仕事も真面目に、一生懸命にやっていれば・報われるものだ。」
   
 3 お正月休みも終わり4日に出勤した。早速「ロビーのインコ」の様子を見るために、 ロビーに一番先に見にいった。
   昨年末に、「餌さ・水・野菜」をたっぷり「インコの篭」に入れておきましたので。
   「ぴいぴい」と元気な泣き声で迎えてくれるものと思っていまた。
   あれあれ「インコの篭」が静かです。
   どこにも、インコの姿が見当たりません。
   他の職員が可愛がっているのかと、店舗の奥の事務室を見てもインコを見ることはありません。 
   これは不味いぞ。私は「インコの篭」の中の野菜屑を片し始めると、野菜の陰にニ羽が死んでいました。
   
   インコの食べ物や水はまだ十分残っているのです。
   しかし、二羽を死なしてしまったことには間違いない。

   もう一つ、考えられることは、正月3日間の寒さのためとしか思えない。

   (私の反省)
   生き物は、動物でも植物でも、毎日毎日手間隙かけて面倒を見る覚悟でやらなければいけない。
   中途半端なことではダメだそ゛
   
 ④ 店内会議・支店長が変わる
   3月に入り、支店長がかわりました。
   今度の支店長は(区役所で助役)役所を55才の定年で信用金庫に再就職された人です。

   注(この時代の定年は55才が普通です。)
     本店で総務部長を務めていて、私が就職する時に面接してもった人です。

   就任時の挨拶では
   「私は金融機関の仕事については、正直に言って殆ど知らない。」
   「ただ、人間・人として真面目に、後ろ指をさされずに役所を勤めあげた。」
   「諸君・君等と一緒にこの店舗を守り成長させていきたい。」と挨拶された。
   (新支店長)
   さすが、新支店長に代わってからの変化は、土曜日の事務終了後の全員会議だ。 

   





信用金庫の3年目 最初の仕事 6

2007年08月20日 | 職人からサラリーマンに
昭和27年(1952)私は23才になり、職人から信用金庫に就職して3年目です。勤めながらの夜間大学も真面目に休まずに通っています。

話を少し戻しますが、中学生の時代が、長い人生を形成すくるの中で一番大切な時ですよ。私も就職してみて、この時代の生活・勉強が身体から滲みだすのを感じますから。

「焦土の東京で 30 私の人生の岐路」に書きましたが、中学2年生の半ば14才の時に「学徒動員され軍需工場に無給で派遣」されていたとき。
東京の城北地区荒川で、3月10日東京大空襲に遭遇し、我が家も学校も派遣先の軍需工場もすべて戦火のために無くなりなりました。

その年の、「8月に終戦」を東京・荒川で家族5人で迎えます。一面の焼け野原に立ち呆然とするばかり。

3月には、中学3年生のはずですが、学校も戦火でなくなってしまいましたので、学校に行きたくても行かれません。
こんな、虚しいことはありませんよ。
親父と二人で、我が家を含めて近所の焼け跡整理を進めるしかやる事がありませんでした。

14才の中学生時代に「勉強を殆どしていない」というハンデがどうしても私の心の中で消えて無くなりません。
実際問題として、20才を超えて就職して、数学・国語・英語などの基礎的な勉強が身に付いていないことが、私として大変に負担になっています。

ぜひ、「新時代の若者諸君よ、少年時代の基礎勉強をおろそかしないように祈ります。」

《就職して3年目》
 ① 3年前に一緒に就職した。私より2才年下の男子が退職してしまいました。
   聞くところによると、現在で言う「ノイローゼ」で朝になっても起きられず。
   勤めが辛くて食事も喉を通らない状態だという。
   数年後、「自殺」したという噂が入る。
 ② こんな、ことを聞くと自分は鈍感なのかとも思うが。
   職人の時代に先輩に散々「嫌味とも悪ふざけ」とも付かない罵声を浴びてきたことが「免責」になっているのかな。
   多少、悪口を言われても「これが仕事・仕事」だと思うだけ。

 3 新店舗のロビーに、お客様から寄贈された「インコ」の篭が吊るされている。
   或る日、私に上司から、二匹の「インコに野菜を食べさせないと死んでしまう。」
   「裏の商店街の八百屋で野菜屑を一切れ貰ってきて、鳥篭に入れてやってくれ」の依頼。
   やだ、とも言えず、毎朝八百屋に行くことになった。
 ④ 「鳥篭の中に」餌さと水もな、頼むよ。
   なんの事はない。「インコの係り」にさせられてしまった。
   我が家で、ねことニワトリを飼ったことはあるが、インコは初めてだ。

 ⑤ 毎朝ロビーでインコの世話をするために、必ず朝ロピーにいることになった。
   ついでと言っては不味いが、ロビーに置いてある「週刊誌」「書記台の伝票類」が乱雑になっていたり。
   伝票が不足していたりしたら、気になり頼まれてもいないが補足するなど整理することになった。

 ⑥ 秋口になり、寒さが来たので客待ちロビーに、石炭炊きの「ダルマ・ストーブ」が据えられた。
   上司から「大変だが、ダルマ・ストーブ」の面倒も見てくれないか。と言う。
   ダルマ・ストーブは、前日の燃えカスをストーブから綺麗に書き出し。
   その後に焚き木を入れて火をつけて十分に燃え出してから。
   石炭を入れないと石炭が上手く燃えつかない。

   これこそ、結構手間隙と時間がかかる仕事だ。

 ⑦ 私に言わせれば、私の他にも同年代の数人の男女職員が何人もいるのに、分担してと心の底でもやもやする。
   文句も言わずに「頼まれた仕事・仕事」と思いつつも、内部の事務も早く覚ええたい。
   この辺が、「優柔不断」な親から引き継いだ職人気質か。
   だが、「頼まれた仕事は最後までやるぞ」の気概も職人気質だ。

 ⑧ 朝の「自転車掃除」は、後輩に廻したので、この部分は手が空いている。
   本店との連絡仕事は、まだ後輩が十分でないので。
   ここの部分はまだ責任があるので、後輩と二人で毎日本店まで自転車で出掛ける。

 ⑨ 金融機関の一番忙しい、「年末・年始」を迎えた。
   当時は、12月31日まで営業していて、「貸付業務」は早く始末が付いているが。

   預金類の受け入れは、午後10時まで受け入れて「業績を伸ばす」事に勢力を注ぐ。
   我々も、3組に割り振りされ動員が係り、二人一組で「商店街」を廻って「売り上げ金」の回収作業だ。

   商店の人は、ねこの手も借りたい忙しさで、「売上金」の勘定などしていない。
   店先の吊るされた金篭の中にお札も小銭も放り込んである。
   「いや、いいところに来た。その篭の金を数えてくれ」と言い金篭毎私達にわたす。

   これが、一苦労。魚屋さんなどは、魚を捌いた手で「金銭勘定」しているから。
   渡された金篭の中のお札は、水で「ぐしゃクチャ」で魚くさい。
   小銭(貨幣)も同じ。
   この小銭には、篭に入れて水洗いしてから、金額別に集めて数える。

   始末の悪いのは、「お札」だ。
   お札も洗ってから数えたいが、水に入れたら余計に始末が悪い。
   仕方なく、一枚一枚伸ばしながら、魚臭いお札を整理する。
   
 ⑩ 集金した金銭は、「出納係り」を通り「預金係り」で記帳されて「計算係り」で伝票集計される。
   もう、午後11時を過ぎている。
   女子職員は、一時間程前に、一足先に帰宅させていて居ない。
   
   男子職員が5~6人と役席者1人り残り「最後の仕事」を終する。
   順調に行っても、12時過ぎてしまうだろう。
   やっと、ソロバンが合い終わりになる。毎年、こんな風な年末だ。

   もう、この時期は都電もバスも動いていない。
   誰が言うともなく、浅草観音まで歩くか、と言うことになる。

   20才台の若者ばかりだ。
   朝から寝ずに仕事して、その後に歩いて「初参り」だ。

   お参りを終えてから、現地で解散して、私が家に着いたのが午前5時頃。

   上着とズボンを取ったまま、寝床に入る。
   やっと、寝てから12時過ぎてからてに起き出す。

   正月の元日は、毎年何時も「寝正月」だよ。
   仕事始めは、4日からだから、休みは実質2日と3日の2日間しか休めない。

   でも、充実感があり、身体は疲れているが気持ちは高揚している。
   信用金庫に勤めた、独身男子の年末年始の正月はこんなものだったよ。
   
   昭和27年の話ですからね。



    



信用金庫の業容拡大し新店舗に 5

2007年08月15日 | 職人からサラリーマンに
昭和26年(1951)私は22才になりました。

信用金庫での私の仕事も3年目に入り仕事にも大分馴れてきましたが、偶に前の職人気質が出てきてしまいます。

他の仕事をやっている最中に、「上司からこちらの仕事を先にやって下さい。」
の指示が出ても、「もう少しで今の仕事が終わりますので、それからにして下さい。」と言ってしまうことだ。
自分の考えでは、今やっている仕事を中断したまま、別の仕事に手を出すしてしまうと、前の仕事を再開した場合に、その手順が順調に進むまでに可なり時間と手間暇かかかってしまうと私は思うことだ。
このまま、現在の仕事を進めれば間もなく終わりになる予定になるのにとの思いが強い。

どうしても、指示された仕事が優先とも思えないということもある、

14才から20才までの6年間の職人生活で、仕事の途中に中断して別の仕事に手を出して上手くいったためしが無いから。
 ① と言う、思いが強い。
 ② 中断後、元の仕事に戻るのに時間が無駄になる。
 3 このままの形で今の仕事を終わらせるほうが、出来上がりも時間も少なくて順調に出来ると思うこと。

   《新店舗が出来上がる》
待望の新しい支店が平屋建てですが出来上がりました。

40人規模の店舗ということもあって、本店や他支店から職員が転勤移動で配属されて来ました。
今までこの店に居た、現地採用の姉妹の内から三人ほど他店舗に出されて、若い職員の顔振れも変わりました。

 ① 「男女関係はご法度」のことも、支店長が変わり、職員の顔ブレが変わったことで、近代化しました。
   結局、そう五月蝿いことを言わなくなりましたが、男女交際は節度をもち自分自身で責任が持てることとのお達しです。
 ② 新支店長は、理事長の姻戚関係者という事もあつてか、仕事自体それほど熱心という風に見えません。
   写真が趣味ということで、いいカメラを持っていて。
   お客様も早やそのことを察知し「旅行」などに誘いだします。
 3 こういう風なことが誰からともなく、内部の職員の耳に入るようになると。
   同時に、前の支店長が心がけて居た「モラル」も低下する気配がでて来ました。

 ④ 私も新しい机を貰いどうやら一人前になりましたが、なんとなく落ち着きません。
   一応「当座預金」係りという事で、内部事務に入り、今までの本店との連絡係りと二股となりました。
   また、夜間大學への通学が続いていますので、実際の仕事は見習いという立場でいいよ。
   ということで、午後5時には仕事を止めて学校に直ぐにいかれるようになりました。
 ⑤ 本店との連絡係りは、後任者を一人付けてもらいましたので、早く引き継ぐようにとの事です。

   【朝の仕事の準備と始末が大切】
 ① 後輩へ仕事の引継ぎ。
   朝出勤すると、一番先にすることは、本店との連絡に使う「自転車」の掃除と出動の準備です。
   まず、タイヤの空気圧を調べます。手先でタイヤを押して見ますと、タイヤの空気が不足しているかどうかが解ります。
   空気ポンプを持ってきて、自分用の自転車に空気を入れます。
 ② ついでに、と言っては何ですが。
   営業担当者の自転車の空気圧も調べて、不足していると思われる自転車にも空気を入れます。
   営業担当者も6人に増えましたので、自分の自転車の空気を入れると7人分で、朝一番の仕事としては疲れます。
 ③ 自転車の空気の具合がいい時は、7台の自転車の掃除をします。
   また、この準備作業で一番喜ばれるのは。自転車の「油差し」です。
   どうしても、手に油が付いてしまい「いやな仕事」だからと思います。

 ④ これらの仕事は、「頼まれたからしているのではなく」自分の自転車の準備ともにやっていると言うことです。
   営業担当者もうすうす掃除・準備に気がついているようですがね。
   何事も「黙ってやること」だと思います。
 ⑤ こんなことも、14才から20才までの間、親父の「煉瓦職人」の手伝いの中でやらされ、また見て来ましたから。
   職人の仕事振りが身についてしまっているのでしょうか。
 
   【良い職人の仕事振りと後始末】15才で見たこと。

 この、「職人生活の中で、見た大工さんの準備と始末」で、なるほど「いい仕事の出来る職人とは」の一説を書いて参考に。
   たまたま、私たちの職人と同じ現場で「大工さん」の仕事現場と隣り合わせになりました。
   何にでも、興味のある私がある日の夕方「大工さん」の仕事場をのぞきました。
   大工さん「おい、坊主面白いか。」
   私「なにをしているの」と聞く。

   大工さんは「カンナの刃」を砥石で磨いています。
   私「明日の朝来てからやれば」と言うと。

   大工さん、これは「仕事が終わってから、出来るだけ早くやらないと、だめなのだよ」と言う。
   私「なぜなの」と言う。
   大工さん「どうしてか、知りたい」
   私「うん」

   大工さん「ちょっと待ってな」と言って柱を一本持ってきました。
       「いま磨いでいた、カンナの刃をカンナの台に戻して、金槌でカンナの刃の出具合を調整しています。」
   大工さん「見てなさいと言って、柱の表面にカンナを当てて、強く手前に引きます。
        カンナの上から薄い柱の削られた紙状のものがするすると出て来ました。」
       「坊主みてごらん、この柱から削り出したものを見せてくれました」

      私「すごい、紙みたいな削りくずですね」
   大工さん「これでは、だめなのだよ。」と言う。
       「削り屑の表面が平らでないだろ」
       「カンナの屑を手でなぜてみな、なぜダメなのか解るかな。」
       「今度は柱の表面をなぜてみな」
       「柱もカンナ屑も表面が平らでない部分があるだろ」

   大工さん「このカンナの刃の減り具合は、今日のうちにやっておかないと、ダメなんだ。」
       「明日になると削り具合が感触として上手く頭の中に出てこないのでな。」
       「今日の仕事の始末は今日の内にやるのが原則なんだよ。」
       「こういうことを、怠けているいると、良い仕事は出来ないのだ」

     私 「最後に大工さんの道具箱を見せてもらいましたら、ノミやカンナ・のこぎり」がきれいに整理されています。
   大工さん「坊主最後にいっておくがな、今日の仕事が終わった後には、持参した道具類を数えながら。
        カンナ屑に混じってしまわないように、掃除と後始末を厄介なものと思わないで必ず毎日やることだぞ。」

 《私の感想》

 良い仕事をやる人は、① 「その仕事振り、準備や後始末を見れば一目瞭然だ。」
           ② 「仕事に対する基本にある考え方。お客様に喜ばれる仕事をすること。」
            
            
 
              


   


   

 

就職して2年目 戦後復興期 4

2007年08月09日 | 職人からサラリーマンに
昭和25年(1950)私も21才になりました。

信用金庫に職人生活から転身しサラリーマンになって2年目です。
昼間の仕事と夜間大學に通う生活にも慣れてきて、勤めも大学も休まずに欠席なしです。

   《今年の新人は配属》
当0支店にも、今年の新入社員が3人本店から配属されてきた。
男子大学卒と男子と女子高校卒の3人です。

支店長が奥の食堂で盛んに説明している声が事務室まで聞こえてきます。
「来てもらいたいが、事務室が満杯で現在いる職員も一部の人は椅子のみの状態なので、受け入れたいが受け入れられない、」
「本店に帰ってよく説明して下さいよ。」

まあ、「事務室の状態を見て帰ってください。」と、3人を事務室に案内し内部を見せた。
椅子だけの職員と言う説明はどうやら「私のこと」を言っている様子。
結局今年の職員の増員は無かった、と言うより机も椅子も無いので受け入れられなかった。

   《信用金庫は、この年代仕事量がものすごく増える》
この時期の下町の中小・零細企業は「資金や材料」が上手く調達でき廻せれば、仕事はやり切れない程山ほどあり、人手は付近からいくらでも集められる状況だ。
まず、お客様は資金が欲しいと言う。
だが、物的担保などが無い。人的担保だけではそうは大きな資金は借りられない。

当然に、「信用金庫」の仕事も急膨張の時代に入った。

支店長は、「もう暫らく我慢してくれよ。」と私達職員に言う。
現在この支店の5倍程度の広さの店舗計画が進んでいるので、あと1年後には完成する予定だから。

今度の支店には、電話交換室も出来て電話の数も増えるし。
事務机も40席は据えられる予定だからな。
今度の金庫室は、本格的なもので可なり大きいものになり、当然に書類も金銭も十分に格納できる。

勿論、食堂も大きくなり15席位かな。
さらに、「宿直室」と「女子更衣室」も計画している。
男子は「更衣ロッカー」が入るから、そこへ着替を仕舞って。

まずまず、事務所の建物のメド(先)が見えてきた。

     《支店長・交通事故に遭う。》
こんな最中の或る日、支店長が帰宅するために私鉄の駅向かっていた時に。
駅手前の横断歩道で自動車に当てられて怪我をし緊急入院した。

この事件は翌朝の朝礼で、我々職員に知らされる。
一番年長の職印から「このような状況であるが、早期の回復を祈りねり全員で支店長の留守を守り貫きましょう。」の訓示。



戦後の勤め先での初仕事 3

2007年08月07日 | 職人からサラリーマンに
昭和24年に地元の信用金庫に勤め始めました。
高校卒業生として0支店に3人配属され、男子二人と女子一人です。

内部の事務係りになるものと思っていたが、20才の私は外部に出て行く仕事が割り当てられた。

具体的に言うと。

 ① 本店との連絡係り。
   本店から支店に渡す、文書や稟議書を引き取ってくる。
 ② 支店から本店
   ①の仕事と逆の文書や稟議書を本店に運搬し、当該係り別に引き渡す。
 3 手形交換係り
   小切手や手形が東京手形交換所から、当金庫宛の全店分が午前中に本店に一括して届く。
   これを支店別に振り分けて、自分の支店分の「枚数と金額」をソロバンで計算し。
   本店の担当者の再計算を受け確認してもらって、支店に持ち帰る。
   
   難しいのは、当時はお客様の手書きで、小切手・手形の金額記載が総べて漢字で書かれていることだ。
   お客さまの書くものには、相当な癖字もあり一瞥して金額を読み取るには、相当の経験を要する。
   現在では、チエックライターで「¥123、456*」などと書かれているが。
   漢字で書かれた金額数字を読みながらソロバンで計算するのは大変なことですよ。

 ④ 支店に帰って、「小切手・手形」は当座預金の係りに渡し。
   「稟議書などの書類」は、貸付係りに引き渡す。

   これで、ここまでで午前中の私の仕事が一段落し少し私の時間が空く。
   
   昼食が終わった頃、「KO君、ここに行って督促して来て」と言う声。
   何んと20才の私に命令して来たのは15才の中卒の女子職員だ。

   小娘が「君(くん)漬けは無いだろう。」と、ガツンと来たが。
   新入職員の私、これが仕事のルールか、と思い直して「どんな風にやるのですか。」と聞く。
   
   当座に小切手が廻ってきたのだが、「残高不足」なので、即不渡りと言うことも出来ない。
   この顧客様の店三軒が不足なので、自宅に行って「督促し至急に入金してもらって。」と言う。

   「お客様の名前と住所と催促金額が書かれたメモ用紙。」が渡される。
   このお客様の家の場所と職業を聞いて、自転車で私が走り出す。

   当時は、仕事をしている家の殆どが「電話」が無い。
   「電話」があるのは、中小企業で従業員数十人もいるようなところだけだ。


 ⑤ こんどは、午後3時の営業弊店後に支店に入金になった、小切手・手形を本店に搬送する仕事だ。
   当然に本店の係りが、枚数と金額をソロバンで確認する。
   すんなりと合計が合えば、そのまま早く帰れるが金額が合致しないときには大変だ。

   実は、私はソロバンが上手でない。
   3級の免状は持っているが、今まで親父の仕事「レンガ職人」を昼間やっていたので実務でソロバンをやるのは。
   今度が初めてだから。

   「合いません。」の一言がズシンと私を打ちのめす。

   私なりに、一生懸命にソロバンを弾くが計算が纏まりません。
   本店も幾つかの支店を確認して、全体の合計を早く纏めないと締め切り時間に間に合いません。

   東京手形交換所に午後の指定された時間までに、手形・小切手を持込ま無ければならないのだ。
   仕方なく、本店の担当者が貸してみなさいと助け舟を出してくれる。
  
   本店の担当者二人は、ソロバンの腕は一級だ。
   何んと、早い・早い。ソロバンの計算だよ。
   「解かったよ。」「この小切手の、ここの金額をこの様に読み違えているのではないか。」と言う。
   「支店に電話を入れて確認してください。」の指示。
   支店の返事は、本店の言う金額で納入してくださいの返事だ。

   一件落着した。

 ⑥ 当時の職場環境(昭和24年のこと)職員数15~17人。
   A。服装
     1.私達高校卒業生の男子は、「職場は学生服でよい。」と言われ学生服で過ごす。
     2.女子職員は上服が支給されており、新人も同じ扱いだ。
     3.年配の男の人は、私服であるが、背広・ブレザーなどまちまち。
     4.夏は、開襟シャツで過ごす。
   B。事務室
     1.食堂は、5人程度しか座るテーブル席しかなく。  
     2.ガス・水道があるが、冷蔵庫は無い。
     3.冷・暖房の設備は勿論無い。
     4.テレビ・ラジオも無い。
     5.事務室に夏場には、扇風機が一台廻っている。
     6.会議をする時には、事務室の机を並べ直してする。半分の人は椅子だけ。
   C。新入職員歓迎会
     1.今年の新人3人の歓迎会を開いて貰った。

     2。その席に大口取引先であるお客様が一人出席されている。
       おやおや、と私が驚いていると、営業の長老が私に耳打ちして、こう言った。

       君達3人を除いて、若い職員は皆現地採用者ばかりだ。
       今までは、人が足りないと、今見えている取引先の旦那が集めてきてくれた人ばかりなのだ。
       なるほどと思うが、何か割り切れない。
       言うなら、あのお客様が若い職員の親代わりなのだよと言う。
     3.20才である、私が始めて「お酒」を飲んだ。
       家では、毎晩親父がちびちびと酒を飲んでいるのを見てたが。
       この年まで私は「酒」を口にしたことが一度もなかったのだ。

       おそるおそる、ちびちび「酒」を口にするが特別に美味しいものとも覚えず。
       それでも、先輩に「酒」を注がれると、結局全部飲んでしまう。
       
       自分でも思った、俺も親父の子飲めるじゃないか。
       周りの先輩達も「こいつは、飲めるぞ。」ということで、この宴席で一変に有名になってしまった。

   

戦後の職場環境とモラル 2

2007年08月05日 | 職人からサラリーマンに
戦後、昭和24年のことです。
夜間高校を4年かけて卒業した、私は6年やった親父の仕事(レンガ職)を離れて自立し、夜間大學に通うと同時に、昼間はサラリーマンへと転身することにした。
(この経緯は、前文「勤めながら夜間大学に行きたい」に書きましたのでご覧下さい)

就職した職場は、地元の信用金庫のO支店です。
同時に配属された高校卒の18才の男子と女子と私20才の3人でした。

    《就職先での注意事項》
 ① 男女関係は、ご法度。
   これは、支店長から一番先に注意された事項だ。
   「交際してもいけない。まして隠れての付き合いも勿論ダメだぞ。」のキツイ一言。

   現在なら考えられないでしょうがね。支店長としては自分の部下に不祥事でもあれば責任問題だからだし。
   前文にも書いたとおり、店舗の近くの人を自分の裁量で雇ってきた経緯があるから。
   そして、最後の一言「もし守らないときには、男女両成敗で二人とも退職してもらうからな。」

 ② 金銭の扱いと金銭感覚。
   この話は営業の長老から言われた。

   金融機関の扱う商品は、お札(お金)だ。

   お札には、自分の財布(懐)に有るときには自分の財産だが。

   しかし、信用金庫の中(勤務中)に扱うお札は、商品として扱え。
   でないと、自分自身が破滅するぞ。
   札束を数えて、何百万円の束になっても、これは「商品」として、数えていただけ。
   これだけ、「自分の手元にあったらな。」などの妄想を抱くなよ。
  
   もう一つ、お札というのは、使った人から人えと渡っていくものだ。
   お札はかなり、汚れていて汚いものと思えよ。
   食事の前には、うがいして、良く手を洗えってから食事しろよ。

   「風邪も病気も一番先にかかるぞ。」と長老に言って貰った。

 3 無断欠勤はダメだぞ。
   この事は、内勤の年配者から言われた。
   このような、無断欠勤の時には、「解雇」される覚悟がいるぞ。

   職場での仕事は、各自が任されている仕事の範囲が決まっているものだ。
   連絡もなく、急に休まれては、仕事の歯車の回転や流れが止まり、他の人に迷惑がかかる。
   
   熱があっても、一度職場に来て「その状況説明をしなさい。」と内部の年配者がら言われた。

   現在ては、電話も各家庭にあるので職場への連絡は電話で済むが。
   戦後間もなくでは、こんな事でモラルを保つしかなかったのだ。

   現在の若者の中には、携帯電話を持っていながら、連絡も入れずに「欠勤」するものもいると聞く。

 ④ お客様との付き合い方。
   これは、営業の長老から言われた。

   心して聞け。「お前が偉いのではないのだ。」ぞ。「背後にあるお金が偉いのだ。」ぞ。
   お客様の中には、「お前に愛想よく。」「おせいじ、たらたら。」言う人がいるが。
   相手の本心を見抜いて、心してお話をしろ。

   まして、どこかで「食事の接待などの話を自分ひとりで受けてはダメだぞ。」
   どうしても、断りきれない時には、自分の上司に同席して貰え。
  
   この事は、「食事」「ゴルフ」「旅行」「酒席」など、すべて同じだ、心して仕事しろ。
   
 ⑤ ごまかし。
   内部の年配者から言われた。

   一番始末がわるいのは、「ごまかす」事だ。
   仕事上で間違いが出る事もたまにあることだ。

    しかし、この不始末を隠くしたままでいると。
   後で判って修復するのに何十倍もの、手間暇がかかるものだ。
   
   悪かった時にこそ。「ごめんなさい。」を言ってしまおう。
   自分の不始末を言うことで、逆に仲間からの信頼も増すというものだ。

 ⑥ 使い込み。窃盗。
   こんなことは、だれも注意してくれないよ、

   人間として、一番ヤッテハいけないことだからな。

   まあ、「人間失格」だからね。
   こんなことをしたら、一生世間から見放され、自身は浮かばれないことになるぞ。
      
 《世間は見ている》
或る日、仕事が終わって通用門の木戸から裏通りにでた。
此処から私の帰りの都電の停留場まで約5分だ。今日は夜間大學の講義も無いので真っ直ぐに家に向かう。

木戸から表通りに出たところで、同じ職場の女子職員が一人後から追いついてきた。
表通りを歩きながら5分の道のりを、夏のハイキングの予定などの話を都電の停留場までしながら歩き、停留場で彼女はこの近くなのでバイバイした。

翌日の職場で、一番で「支店長に呼ばれた。」
「何の用事だろうる」と思いながら、支店長室にいくと、「男女交際はご法度と言ったはずだぞ。」

おやおや、何のことだろう。心当たりが無いので戸惑っていると。
支店長「昨日の夕方、女子職員と親しくしていただろう。」と言う。

「はい、帰り道で同じ方向になったので都電の停留所まで話ながら行きました。」
 
支店長「そういう事をしてはいけないと最初に言ったはずだ。」
   「今朝一番で、お客様から通報があったのだ。」と言う。

「はい解りました。以後気をつけます。」と言って、私は引き下がるしかなかった。

戦後間もない当時の男女関係の話ですからね。
今なら、ばかばかしい話ですが、地域の中にある金融機関という職場柄。
近所の人、世間の人がよく見ているからね、金融機関の職員として心してね。

私の経験から。
 ① 店舗の近くの「居酒屋」で酒を飲むなよ。
 ② 店舗の近くの「パチンコ屋」は止めろよ。
 3 男女関係は、何も無くても注意おこたり無くな。

 店の中で仕事をしている「金融機関」の職員の宿命か、常に周りの人に見られているぞ??。