22才の時に、私は申請商業孝行を卒業し近くの金融機関に、レンガ職人からサラリーマンに転職した話を前回に書いた。
職人の生活での休日は、一日と十五日の月に二回の休みだったが、金融機関は日曜日と祭日が休みだったので、休日の関係は楽になった。
《当時の金融機関の休日》
当時の金融機関の休日を少し整理して書いて置くと次のとおりである。
昭和27年(1952)当時の金融機関の休日である。
1.日曜日
2.祭日(当時の祭日は年間4~5日と記憶している、現在よりかなり少ない)
3.年始の3日間(大晦日は営業があり出勤)
4.土曜日の午後が休み
少し説明しておくと、
3.の12月31日の年末も店舗は営業しており、それも夜の午後10頃に店舗近くの商店を廻って集金して回るので、業務が終わるのは、除夜の鐘が鳴ってからの正月一日の午前3時近くでした。
勤め仲間とそれから、初参りをしてから家に帰るから、家に帰って寝るのがいつも、午前6時過ぎ。
当然に、一日は寝正月。
結局、正月といっても、賞味二日間。
休み明けの4日は、暮の仕事の整理が相当溜まっているので、普段の日より業務が多くて、
正月早々遅くまで残業と言うのが相場だった。
4.土曜日の、午前中は店を開いて営業しているから、12時に店を閉めても、
結局仕事が終わるのは、午後3時近くである。
《普段の私の生活》
中小金融機関に勤めて、家から勤め先まで30分ぐらい。
弁当持参で、交代で昼食(店舗は昼時も開けている)し、仕事が終わるのは、午後7時近く。
私は、支店長に夜間大學通学の許可を貰っているので、午後5時に先に帰らせてもらい。
大學に付くのが、午後6時前後、一時間目の講義が既にはじまっていて、何時も遅刻。
夜間大學が終わるのが、午後9時近く、それから真っ直ぐ家に帰ってくる。
自宅での、夜食を食べて寝るのが、何時も11時前後だ。
それでも、自分が選んだ道だ。文句も言わず、もくもくと一日も仕事も、学校も休まずに通った。
夜間大學を卒業したのは、
職人の生活での休日は、一日と十五日の月に二回の休みだったが、金融機関は日曜日と祭日が休みだったので、休日の関係は楽になった。
《当時の金融機関の休日》
当時の金融機関の休日を少し整理して書いて置くと次のとおりである。
昭和27年(1952)当時の金融機関の休日である。
1.日曜日
2.祭日(当時の祭日は年間4~5日と記憶している、現在よりかなり少ない)
3.年始の3日間(大晦日は営業があり出勤)
4.土曜日の午後が休み
少し説明しておくと、
3.の12月31日の年末も店舗は営業しており、それも夜の午後10頃に店舗近くの商店を廻って集金して回るので、業務が終わるのは、除夜の鐘が鳴ってからの正月一日の午前3時近くでした。
勤め仲間とそれから、初参りをしてから家に帰るから、家に帰って寝るのがいつも、午前6時過ぎ。
当然に、一日は寝正月。
結局、正月といっても、賞味二日間。
休み明けの4日は、暮の仕事の整理が相当溜まっているので、普段の日より業務が多くて、
正月早々遅くまで残業と言うのが相場だった。
4.土曜日の、午前中は店を開いて営業しているから、12時に店を閉めても、
結局仕事が終わるのは、午後3時近くである。
《普段の私の生活》
中小金融機関に勤めて、家から勤め先まで30分ぐらい。
弁当持参で、交代で昼食(店舗は昼時も開けている)し、仕事が終わるのは、午後7時近く。
私は、支店長に夜間大學通学の許可を貰っているので、午後5時に先に帰らせてもらい。
大學に付くのが、午後6時前後、一時間目の講義が既にはじまっていて、何時も遅刻。
夜間大學が終わるのが、午後9時近く、それから真っ直ぐ家に帰ってくる。
自宅での、夜食を食べて寝るのが、何時も11時前後だ。
それでも、自分が選んだ道だ。文句も言わず、もくもくと一日も仕事も、学校も休まずに通った。
夜間大學を卒業したのは、