子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

清く・正しく・美しく 3

2008年11月29日 | 私が歩んできた道を振り返って
22才の時に、私は申請商業孝行を卒業し近くの金融機関に、レンガ職人からサラリーマンに転職した話を前回に書いた。

職人の生活での休日は、一日と十五日の月に二回の休みだったが、金融機関は日曜日と祭日が休みだったので、休日の関係は楽になった。

《当時の金融機関の休日》
当時の金融機関の休日を少し整理して書いて置くと次のとおりである。

  昭和27年(1952)当時の金融機関の休日である。
 1.日曜日
 2.祭日(当時の祭日は年間4~5日と記憶している、現在よりかなり少ない)
 3.年始の3日間(大晦日は営業があり出勤)
 4.土曜日の午後が休み

少し説明しておくと、
 3.の12月31日の年末も店舗は営業しており、それも夜の午後10頃に店舗近くの商店を廻って集金して回るので、業務が終わるのは、除夜の鐘が鳴ってからの正月一日の午前3時近くでした。
   勤め仲間とそれから、初参りをしてから家に帰るから、家に帰って寝るのがいつも、午前6時過ぎ。
   当然に、一日は寝正月。
   結局、正月といっても、賞味二日間。
   休み明けの4日は、暮の仕事の整理が相当溜まっているので、普段の日より業務が多くて、
   正月早々遅くまで残業と言うのが相場だった。

 4.土曜日の、午前中は店を開いて営業しているから、12時に店を閉めても、
   結局仕事が終わるのは、午後3時近くである。

《普段の私の生活》

 中小金融機関に勤めて、家から勤め先まで30分ぐらい。
 弁当持参で、交代で昼食(店舗は昼時も開けている)し、仕事が終わるのは、午後7時近く。
 私は、支店長に夜間大學通学の許可を貰っているので、午後5時に先に帰らせてもらい。
 大學に付くのが、午後6時前後、一時間目の講義が既にはじまっていて、何時も遅刻。
 夜間大學が終わるのが、午後9時近く、それから真っ直ぐ家に帰ってくる。
 自宅での、夜食を食べて寝るのが、何時も11時前後だ。
 それでも、自分が選んだ道だ。文句も言わず、もくもくと一日も仕事も、学校も休まずに通った。
 夜間大學を卒業したのは、
 


2 お金の運用

2008年11月25日 | 私が歩んできた道を振り返って
前回はお金のため方の方法について、その一部分を紹介しました。
このやり方は、あくまで私流の考え方ですから。
また、このような方法の外にもっと良い方法もあろうかと思いますが、若い内は着実にこつこつと貯めていくということを進めます。

現在はアメリカから発した「サブプライム・ローン」の証券化商品で全世界がなやんでいます。
うまい話には「毒がある」と心に決めて、まず「安全と安心」な貯蓄を若い内には心掛けましょう。

《私の貯蓄資金の運用方法》
私の時代の老人や先輩から言われた「貯蓄資金の運用方法」を書きますとつぎのような考え方でした。
   「資金の運用は3分割とする。」
 1.流動性の貯金に1/3
 2.定期預金等の多少長期の貯金に1/3
 3.株式や有価証券に1/3

 1.の流動性預金に1/3を保つておく。
   ここには給料振込み口座の残鷹を常ににらんで、いつでも使えるようにしておく。
 2.賞与・給料の「当面は使わない資金」は、
   定期預金などの安全だが「利回りのよいものにして運用」する。
 3.2の資金の中から、
   5年から10年、当面資金を使わない残高の内50%程度を「株式や有価証券」で運用する。
   この資金運用は、預金より利回りがよい。「が」と言う言葉が付随していて、
   常にリスク(損失)が付きまとうので「元金割れ」も発生する商品だ。

《私の場合の資金3分割法》
私は、この資金3分割法を現在まで守って生活してきた実践者である。
78才になる現在まで、借金をせずに今まで生きて来た。
現在、勤め人の傍ら子供を3人育て、全員所帯を持ち、孫の数は5人になった。

サラリーマンである私が生まれた家庭の親は職人で、貧しい生活であった。
昭和20年、東京の大空襲に私は15才の時に遭遇し、疎開する田舎もなく焼け野原の片隅で生き延びてきた。
当然に我が家も戦火で喪失してしまうが、焼けどまりの残存家屋に移り住み東京に家族は留まった。
と言うより、落ち延びる知り合いや親戚の居る田舎が無かったのが本当のことであった。
それからは、20才まで職人の親父の仕事を手伝わされて、我が家も喪失した東京で生き延びてきた。
20才の時に、軍人の長兄と軍事工場に徴用されていた次兄がもどってきて、親父の仕事にはいったので、家族労働者で仕事も賄われるようになり、一番下の私は使い走りしかやらせてもらえなかった。
職人の家庭では、金銭は親父が全部管理しており、家族労働者は小遣いもを貰う程度でした。
職人の休日は、当時は(一日と十五日)の月二回のみである。

《20才の時独立サラリーマンに》

職人の家庭で親父の仕事を、親父、長男、次男、私と4人の家族労働者で賄うほどの仕事が常時あるわけでもない。他に日雇いの職人が二人もいるのだ。
将来を見据えると、職人の親父の仕事が子供3人に分割される規模でもない。
私は「夜間高校」を卒業した20才の時に自分の判断で、自宅の近くの中小金融機関(信用金庫)に転職することにした。

《此処から自立の生活がはじまった》

   「職人から、サラリーマンになった理由は幾つかあった。」
 1.先に書いた、職人の家庭での家族労働4人は多すぎだ。
 2.高校の先生のアドバイスは、日本の将来を支え伸びるのは、金融と証券だという。
   この時機、近場の信用金庫での募集があり、商業高校卒業ということで、
   私は職人生活からの転職が成功した。
 3.親父が仕事の金銭も家計の金銭も総て管理しており、
   これがドンブリ勘定で、何時も家には金が無い情況だった。
   また、家族4人で働いているのに、家に何時も金が無いことに私は不満があった。
   当時の職人は、小学校にも行っていないので、お金の計算が不得手なのだろうが。
   それにしでも、私には画点が行かなかった。
 4.勤め人になって、夜間大學に進学したいという希望を私が持っており、
   親父の仕事と決別し自立することにしたのだ。
 5.当然に、勤めながらの夜間大学生活であるが、
   大学の月謝、書籍代、交通費など総て自分個人の給料で賄って過ごした。
 6.住まいと食事は、親父に頼ったが。
 7.こんなことで、私の金銭感覚の下地が育てられていったのだと思う。
 8.20才代の、考え方の基本に、頼れるのは、自分のみである。
   親に金銭の負担をさせないと言うことを肝に銘じて、明日へ進むことにした。
 9.独立したからには、親に迷惑を掛けない生涯を送ることが、親孝行と思いながら。

   最後にかっこいいことを書いてしまったが。次回は、私の金銭管理術へ進む。


私が歩んできた道を振り返って 1 お金を貯める

2008年11月21日 | 老後のお金と家庭・健康
「先憂・後楽」と言う言葉がありますが、誰でもその場、その場を楽しく過ごしたいと考えているものです。

しかし、働いていていれば「給料が毎月入り、年に何回かの賞与がもらえます」
この「お金」は足が生えていて、うっかりしていると何処かに逃げていって、なくなってしまいます。
どうしてもお金が足りなくなれば、「クレジット」もあるし「消費者金融」もあるわ。
これでは、「先楽・後憂」で老後に困ことになるのが眼に見えています。

現在を楽しんではいけないといっているわけではありませんが、自分自身の「老後を見据えて」、お金の使い方と貯め方を考えて見ることを勧めます。

《お金の貯め方》
毎月の給料の中から、少しづつ貯めていくというのは、どうでしょうか。
確実に貯めるためには、毎月3万円、給料の中から3年間ためていくと、3年目には約利息を含めて約102万円貯まります。
まず最初に100万円の目標を立てて確実に実行する。

20万円、30万円貯めたのでは、宝石がほしかったとか、海外旅行で行きたかったで、使ってしまってなくなってまいます。
3年契約にして、給料口座からの振り替えにしておくことがお勧めです。
このような契約にしておけば、途中で使うのには「中途解約」と言う手続きが要るので、満期まで降ろしづらいものなのです。

もう一つ、満期金が100万円という事で手元に入ったとなれば、折角我慢して貯めたお金です。
同じ金融機関に満期継続型定期預金にして置くことをすすめます。自動的に満期時に利息を含めて継続していきます。
勿論、お金が必要になったときには、解約利息をつけて手元に戻ってきます。

やすやすとは、使いにくい金額ですから。
さらに、満期になったら、再度新規で契約して、同じ100万円を3年間で貯めます。
6年目には、前の100万円と合わせて、200万円です。

こんな方法で、500万円を目標に溜めていけば、「先憂・後楽」の権利が見えてきます。

200万円となれば、もう少し貯めるという意欲も湧いてくるというものです。
結婚式の費用も間近いし、マンションの頭金と言う考えも浮かぶというものだ。

しかし、「何もかも我慢」では長続きしません、新品の洋服や時計もほしいし、指輪もほしい、
私の場合には、賞与「ボーナスの中の 何%と決めて」旅行などに使います。

溜まったお金の運用については次回に。


私は介護保険2 その16

2008年11月14日 | 老後のお金と家庭・健康
私は介護保険2である。
前項でしたい「障害者手帳 下肢4級 2種」の手続きを「下肢3級にする手続」をしている話をかきました。
「介護保険」の手続きも「身体障害者」の手続きと殆ど同じような手続きをすることになっています。

 1.福祉事務課で「身体障害者手帳」を貰うと「障害者に対する、援助・助成」が無料で受けられますが。
 2.同じ役所の介護課では「介護保険」は年金から保険料を40才から差し引かれて賄われています。
   
 3.「福祉」と「介護」では成り立ちが相当違うことになります。
 4.さて、前項の 「その15」で「福祉」の事を書いてきましたので、ここでは、「介護」の話を進めて行きたいと思います。

《介護保険のこと》
 介護保険の手続は下記のようになっています。
 1.申請
 2.調査
 3.審査
 4.認定
 5.介護サービス計画の作成

 福祉事務所による申請「障害者手帳の認定」とほぼ同じですね。

 1.申請は、介護保険課、または福祉事務所に申請書と介護保険の被保険証を沿えて申請しますとなっている。
 (私の場合は、身体障害者として福祉事務所から手帳を貰っていましたから、申請手続きは簡単でした。)
 2.調査は、ケアーマネージャー(以降ケア・マネという)が自宅訪問されて行われました。
 (私の場合は、介護課で「既に担当しているケア・マネがいますか。」と聞かれ。居ないと答えたら、ではこちらの介護課で「紹介しますか」と言うので、お願いします。こんなやり取りの後に、自宅にケア・マネが見えて、聞き取り調査が行われました。)

 3.認定は、ケア・マネの聞き取り調査で申請書が作られて。
 4.審査結果は、当初「介護1}の認定となりました。
 5.介護サービスの計画の作成は、その後ケア・マネと自宅で打ち合わせし、私の要望を述べて、ケア・マネか申請書をつくってくれたわけです。
 
《私の介護保険によるサービス》
我が家での介護サービスが始じまりました。

 A.最初に要望したのは、家庭内でも「転倒する。」ので、装身具とて「歩行補助杖」のリースです。
  ア・ 借りたのは、「4点保持杖」です。
  イ・リース料は、一ヶ月70円です。

 B.その後、ケア・マネと相談し、家庭内に「手すり」を回す工事をすることにしました。
  ウ・この「手すり」は、寝室、玄関廊下、便所、居間に行く廊下、洗面所、風呂場内と全部で、六場所の13箇所本、家庭内で歩く場合に掴まれる場所に全部取り付けました。
  エ・費用は、区役所が20万円の補助で、残りは自己負担です。
  オ・私の自己負担は、6万円弱と覚えています。
  カ・工事は区内在住の業者をケア・マネが選定し行われ一日で終りました。

 C.その後、外で使う用具
  キ・「車椅子」を借りる。
  ク・家族の自家用車に積み込んでもらえるので、遠出も可能になった。
    最近は、タクシーに乗るときも車椅子を積んでらって利用しています。

 D.最近のリース
  ケ・最近は、「電動車椅子」もレンタルしてもらった。
  コ・この「電動車椅子」で行動範囲が広がった。
    金融機関でのATM、床屋、コンビにでの買い物、近所の飲食店などにも一人で行けるようになりました。

 E.リース費用、自己負担10%(一か月)、90%は介護保険で負担してくれる。

  サ・車椅子    560円
  シ・電動車いす 2300円 
  セ・4点保持杖   70円
  ソ・車椅子付属品  40円
     合計   2970円

 F.上記の「介護用品」は他にもいろいろあり、ケア・マネに相談すれば世話して貰えるので「障害者」としては大変便利な制度です。
 G.介護ケアセンターなどから、定期的に発行されている「在宅介護便利カタログ」などの手引きも無料でもらえる。
   この本の中に「車椅子」だけでも20種類もの見本がでているので、自分に合ったものを選べます。

 G.昨年の審査で、私は「介護2}になりました。原則一割負担で利用できますから相当便利です。
   介護2になると、「在宅サービスの一か月のサービス支給限度額が19万4,800円」になります。

 H.介護保険のサービスを利用した時の限度額
   介護保険での私の介護2の利用限度額を上記に書きましたが、全体が判るように並べてみます。
   「要介護度」「1か月の支給限度額」
    要支援1   4万9,700円
    要支援2  10万4,000円
    要介護1  16万5,800円
    要介護2  19万4,800円
    要介護3  26万7,500円
    要介護4  30万6,000円
    要介護5  35万8,300円

 I.介護保険で利用できるサービス
   「要介護1と5」
  ア・訪問介護
  イ・訪問介護入浴
  エ・訪問リハビリテーシヨン
  オ・訪問介護
  カ・居宅療養管理指導

   「要支援1と2」
  ア・介護予防訪問介護
  イ・介護予防訪問入浴介護
  イ・介護訪問介護入浴
  エ・介護訪問リハビリテーシヨン
  オ・介護訪問介護
  カ・介護居宅療養管理指導
 
 「要介護」と「要支援」の、内容で何が誓うのか、頭に介護の文字が増えただけでは門外漢の私にはその区別はわかりません。
  費用かやり方なのか、なぜ「介護と支援」に分離されたのでしょうかね。

  私が申請中の福祉の「身体障害者手帳」結果が出たら、また追加記入したいと思っています。
  手帳の「級が上がったら」何が違ってくるのかが楽しみで待っててください。