子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

小育て・私流 14 進学か就職かその2

2007年01月09日 | 60年前の戦争体験
 長女が高校を卒業してからの進路を「就職する。」という方向になりました。
    (前回の 小育て・私流 12 にその経緯を書きましたので参考に)
一方 次女は高校へ進学です。

長男 21才 大学3年生 卒業まであと1年ある。
長女 18才 私立高校3年生 今年卒業。  
次女 15才 区立中学3年生 今年卒業。高校受験だ。

私も 50才台になる。(現在76才)

さて、長女の就職の準備がはじまりました。希望の職種は、金融機関。
私が長女に、一口に金融機関と言っても、いろいろな業態があるんだぞ。

長女の希望は、都心でなく自宅から近い所が希望。学校には就職募集の案内が沢山来ているが、どこを選択して応募していいか考えが纏まらない。

お父さん、(どこの金融機関を選べばいいの。)と就職先の選定に迷っている様子。

私 娘に「そうだな、都市銀行と信用金庫の二つに絞って就職活動したらどうかな。」

    「都市銀行はな、関東系の○○銀行や、関西系の□□銀行。それに地方銀行の東京支店というのもあるな。」
    「信用金庫は、都内に立地しているものと、県単位で店舗網があるものとがあるよ。」

      《私の腹の中》 

一つ目 (娘は、あまり遠くに行かせたくない。)
二つ目 (娘が結婚年齢になれば、必然的に自分の一番近い男性群からお付き合いが選択され。こちら娘からも選択されるであろう。)
三つ目 (都市銀行系だと、地方への転勤も避けられず、転勤を拒否すれば出世が阻まれる。)
四つ目 (まだ、娘には何んとも言っていないが、もしも社内結婚して旦那が転勤というこになると、まずいぞ。)
五つ目 (長女は、ソロバンは商工会議所の一級だし、たぶん都市銀行でも就職出来るだろう。)

以上、こんなことを考えながら、私は娘の自主性を尊重しながら、信用金庫に誘導するつもりになっていた。

数日過ぎて、娘が高校から帰ってきた。

お父さん、(関東系の都市銀行に内定をもらったょ。)

私、「それはおめでとう。まずは一安心だな。」「信用金庫のほうはどうだ」

娘    (来週に、就職試験を受けることになっている、と言う。)

私 「信用金庫、多分こちらも大丈夫であろう。と思いつつ。頑張れよと言う。」

また、数日が過ぎた。

お父さん、(北区に本店がある、信用金庫からも内定を貰ったょ。)

私 「早く就職の返事をしないとまずいんだろ。」

娘    (就職するとしたら、都市銀行のほうが、建物や内部設備が優れているし、給料もやや高い。保養施設も沢山あってよさそう。)

私 「お世話になった学校の先生にお礼を言って、よく相談してきなさい。」
  「だがなと、私は上記の五つの内容を、娘に説明する。」
  「最後は、自分の考えで決めなさい。と言ってやる。」
  
  「いずれしても、子供自身の運命、どちらを選んでも後悔しないことが肝心だ。」「どちらにしろなど、親でも決められないぞ。この決定が娘の長い人生を左右すると思うから。」

 私もここ数日、娘の返事を待ちながら、内心いらいらして待った。

娘   (お父さん、信用金庫に就職をきめたよ。の返事。)

私 「そうか、よかったな。仕事に就いたらな、真面目に、休まず、笑顔で、こつこつとな。」
  「まず、長女のことは、これで当面一件落着。」

「さて、まだ次女の高校進学の問題がかたずいていない。」

  「公立高校か、私立高校を選択するのかが問題」



だいぶ、永くなったので、ここで《私の穴場》五月の連休
   《熊祭り》を書くことにする。

この《熊祭り》に私が米沢の友人誘われたのは、(1981)昭和56年の話だから、この《熊祭り》がそのまま続いているのかどうか、定かてはない。
かりに、《熊祭り》にお出かけの際は、しかるところで確認することをお願いしておく。

07/1/7日の読売新聞の記事に「独自の狩猟文化を持つ「またぎ」としての記事があった。」ので紹介しておくと。
この記事によると「熊の今年の捕獲数、全国で4,251頭、山形県の捕獲数は、全国一の676頭とある。」ので、まだまだ、山形県の「またぎ」の活躍が続いていると見たが。

さて、《熊祭り》の本文に入る。

5月4日 前日の米沢市内の《上杉祭り》の余韻を残して、今日は、「山形県の西端、新潟県との県境に近い、飯豊山麓の小国町に向かって車を走らせる。
私は、友人の車に乗せてもらい、途中友人の仲間二人の車と落ち合い、一路《熊祭り》の会場に向かう。
「小国町」から左折、飯豊山に向かって二台の車が山道を進む。
今日は、《熊祭り》の会場の傍の「民宿」泊まりである。
   
5月5日 いよいよ、《熊祭り》が見られるときがきた。
朝食もそこそこに、会場に向かい場所取りする。

午前11時すぎ、《熊祭り》の始まりだ。

来賓の紹介があり、「○○小学校校長、××農林所長、小国町町長など」地元の小学生も大勢参加している。

この会場にいる人数は、300人ぐらいか。

来賓のご挨拶で、立ち上がって挨拶したのは、小学校の校長。何んと20才台の女性校長だ。
東京では、考えられない。

このあと、神主さんがお払いをして、いよいよ《熊祭り》が始まる様子。
神主さんの前に、12人ほどの「またぎ」が並びお払いを受ける。

いよいよだ。「ピー」と笛が響き、「またぎ」が二人一組になって、会場の向かいにある崖を登り始める。

こちら会場から、山に登って行く様子がよくわかる。

山の中央に「またぎ」の親方と思う者が鉄砲を構えて手を挙げると、その左右に二人づつ一組の「またぎ」四組が、鉄砲を肩に捧げて崖を登っていき配置に着く。

「ピー」と二番目の笛が鳴る。

会場に、緊張が走る。下の川原に《熊》か現れて、残っていた「またぎ」二人が山に向かって《熊》を追いあげていく。

《熊》が、かなり上に登つたとき、「ドーン」と鉄砲が山を響かせて唸る。そのとき、登っていた《熊》が、がらがらと、すごい勢いでやまをころがり落ちる。
30Mも落ちたのだろうか。下から追い上げていた「またぎ」が近くによって様子を見る。「またぎの親方」も近寄よつてくる。

そのとき、《熊》が急に動きだし「またぎ」に襲いかかる。親方の鉄砲が再度唸り、《熊》に当たる。
《熊》は、その場からさらに20Mほどころがり落ちて静かになる。

これで、《熊祭り》の行事は終わる。もちろん《熊》は人が入った縫いぐるみだ。
よくも、あれたけ、ころげ落ちて怪我をしないものだと感心する。
会場では、「熊汁が有料で振舞われている。」

私は、翌年に家族に見せるため「家族一同」で同じルートで出かけていったことは間違いない。

次回は、次女の高校進学の話だ。