子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

子育て・私流 34 長男の結婚話 11

2007年03月20日 | 60年前の戦争体験
長男が結婚相手の彼女を私と家内に紹介した。

「今までは、長男に早く結婚しろよ。」「賞味期限切れになってしまうぞ。」「30才までに結婚しなければ家を出て独立しろ。」などと、長男の尻を盛んに突っいていたが。

いざ、結婚の話が決まってくると、また我が家としては大変だ。

特に、男親の私がまごまごしてしまう。今まで娘を二人嫁がせた時とは違う。
今度は、嫁を迎える立場だ。

嫁を迎える立場。


男の側としては、嫁を迎える場合には「住居を用意する。」と言うのが世間のしきたりだ。

① 一番先に、相手の家族へのご挨拶をしなければ。

② そして、結納の準備だ。「結納金はどの位か。」「結納の品物(道具)を揃えるが、何処で揃えられるのか。」「両家が結納をする場所は何処にするか。」など、など。

③ 住まいは何処にするのか。

④ 結婚式場は、「何処にするのか。」「何日」「招待者の数は」

⑤ これらの準備の内、新婚の当事者が何処まで担当してやるれのか。
  男親のやる仕事は、何処までなのか。

  はっきり、話合って取り決めていかないと不味いぞ。

《男親の立場》

娘を嫁がせる時には、相手婿さん側の話を聞いて、その準備や、結婚式のやり方を聞いていて、納得できれば、それについて同意をしていればよかったが。

今度は、嫁さんを迎える側だ。取りこぼしのないように準備を進めていかなければと思うが、何しろ初めての段取りで、まごまごするばかり。

こんな時に、知恵を貸してもらえる人は「兄姉妹の親戚だ。」早速、伺って色々と話を聞いて廻る。

《案ずるより産むが易し》

結婚話しがだいぶ進んできた或る日、長男から話があった。

長男「親父、お袋と今度の休みの日に、結婚式場を決めたいので一緒に行って貰えない。??」 
私 「うん、私はいいよ。母さんの都合はを聞いてみて。」

長男「母さんにもOK貰ったから、頼むね。」
私 「支払の都合もあって両親を引っ張り出すのだな。」と「私は思ったが、ただ黙ってうなずいた。」

長男「あのね、結婚式場は両家が集まりやすい、皇居のお堀場の近くでと考えているが、どうだろう。」
私 「我が家は足立区、彼女の住まいは東京都の西外れの M市、だめだと断る理由も無い。解ったよ。」
  「さすが、長男も29才になっているのだから、よく調べてきているなと感心する。」

《結婚式場の応対》

いままで私が心配していた事柄は、結婚式場に行って世話をして頂ける担当者との話を聞いて、そのほとんどが解凍した。

実に手慣れているとおもわれるほど「すらすらと、話の順序もよく、こちらの心配を察知していた如くに」話を進めてくれた。

その模様は次のようだ。
① 結婚の形式「神前形式か洋式形式」どちらを希望しているか。

② 招待者の人数は「男子側の人数と女性側の人数」おおよそどの程度を見込んでいるのか。
③ 招待者に出す「招待状の形式・文章内容」の見本を見せる。

④ この内容での「予算案」を口頭で示す。
  「費用の分担案を示す。通常のとりきめで多いのは、新郎側の人数と新婦側の人数割りが多いとの話をされる。」「折半という方法もあるとも言う。」

⑤ 新婚旅行の準備はお済みですか「なんなら、こちらの結婚式場でも準備できますが。」と言う。

⑥ 結婚式の後の「二次会の準備はお済ですか・」ときかれる。

⑦ 新婚旅行から帰ってきての「新居の手当ては」とも聞かれる。

何のことはない。「親父が一人心配していたことが、馬鹿みたいだ。」
  「結婚式場」の若いお姉さんが何もかも、相談に乗ってやってくれそう。

私が、二人の娘を嫁がせた時代とは、何もかも変わっていて、さながら「結婚式場」は「システム産業」に成っていた。

後日談。若い二人は花嫁の実家の駅に近い場所に新居を構えた。

    数年経ち、足立の当家を増築し新婚夫婦を向かえいれることになる。機会があればこの経緯も書いて見たいと思っています。

 「子育て・私流」も34編を数え、我が家の三人の子供をやっと結婚させる事が出来た。
 長いことずるずると、まとまりの無い話に付き合っていだいて有難うございました。

 ① なんによらず、金銭が掛かるが「私の実家は貧乏」で金銭について心配して貰った事は一度もない。
 ② どんな風に家計の管理をして来たか「我が家の金銭管理・私流」も書いて見たい。
 ③ 子供を結婚させるまでの間、私も仕事をしていたのだから、「仕事のやり方・私流」もある。こんなことも記録に残してみたいと思っている。
 ④ 60才の定年後に、第二の人生を請われて中小企業に再就職し、70才まで勤めた、こんな話も書いて見たい。
 ⑤ 趣味の旅行「日本全国ほとんどいった。」
 ⑥ 趣味の「へら鮒釣」は30才前半から76才になる今でも続いていて40年間無欠席だ。
 ⑦ 現在、我が家の孫も5人になった。「孫育て・私流」も書いてみたい。

有難うまたお会いしましょう。      終わり。

 

 

子育て・私流 33  長男の進路 10

2007年03月12日 | 60年前の戦争体験
長女も次女も嫁いで我が家は、家は独身貴族の長男一人になった。

長女と次女の二人の婿さんには、我が家に一か月に一度は二人揃って、我が家に食事(酒飲み)に来るようにいってある。

打ち合わせて、四人揃ってくることが多いが、日程が合わない時には二人づつべつ別に来ることもあるので、家内は忙しい。

特に、次女の婿さんは、高校・大学の野球での独身時代の長い間「寮」生活だったので、我が家での食事を喜んで貰えていると思う。

《長男のその後の話》

最近、長男の生活に変化の兆しが少し出てきた。

① 今までは、休みの日は朝の10時か11時くらいまで寝ていて起きてこなかったのに。

② ここに来て、朝9時頃起きだして「テニスのラケット」を持って出かけるようになってきた。

③ 着る物も、多少派手目なもと思われる。

④ 出かける、前日は勤め先から早くかえることが多くなって来たと感じると家内が言う。

  どうも、親父と家内は探偵ごっこをしている訳ではないが、気にしていて、長男の動向を観察してしまう。
或る日のこと。

長男「親父、話があるのだが、少し時間をくれる。」
私 「なんの話。」彼女が出来た話だろうと思うが、そ知らぬふりをする。

長男「ちょっと、会ってもらいたい人が居るのだが。」「何時なら大丈夫かな。」
私 「時間を作るのは、昼間?。 それとも、夜???。」ははん、いよいよ来たな。

長男「そうだな。」少し考えていてから「仕事を終えた夜が間違いないな。」
  「午後7時30分位にどうだろう。」
私 「場所は、何処。」

長男「浅草の雷門の前で待ち合わせると言うのはどう。」「ここが、一番親父が出てくるのに便利で解りやすいだろ。」
  「浅草なら、飲食店も数あるし選択しやすいと思うが。」
私 「いいよ。」「所で話の内容は何。」

長男「内容は会った時に話をするよ。」
私 「家内も連れて行くが、いいな。」これは、絶対彼女を紹介するという流れだなと直感する。
   家内も同席させて置かないと、後で家内に怒られるし、後日に家での接待時などで上手くいかないからと、早くも配慮する。

《長男が彼女を紹介》

後日、日時を再確認して、浅草雷り門の前に出向いた。雷門の前は、人出も多く混み合っている。

長男「親父ここで少し待っていてくれる。」といって、雷門から少し離れた場所で彼女を探している様子。
   暫らくして、もどってくる。

   ほら、彼女と二人連れだ。

長男「親父、紹介するね。」
私 「こんな、込み合っている道路の端での紹介は後廻しにして、まずは、どこかの飲食店に入ろう。」
  「挨拶は、それからと言うことで、いいですか。」と、私が彼女に問いかける。
   彼女は、私からいきなり言われたことに戸惑い、まごまごしていたが、小さく頷いたので。四人揃ってそろそろと歩き出す。

私 「長男に向かって、食べる場所は何処がいい。」(飲んべいの私は飲めるところを予め探してあるが。)
あえて言わずに<浅草は、いろいろな飲食店が揃っている所ですから、お好きなところを選んで下さいと彼女に言う。
   寿司屋・てんぷら屋・すき焼き屋・蕎麦屋・煮込み屋・おでん屋・お好み焼屋、知ったかぶって、知っている飲食店を全部並べる。

私 「どうぞお好きなものを選んで下さい。」と彼女にさらに話しかける。
彼女「私は何処手も結構です。」の返事。

私 「お目出度い話になりそうなので、アルコールが入る場所でも良いですか。」
彼女「はい。」     

《私と長男の選んだ飲食店は寿司屋》

私 「長男に向かって、あそこの寿司屋にしようか。」「彼女は、魚の生ものは大丈夫かな。」と長男に聞く。
   (実は、事前に長男から、彼女は多少なら飲めるし、寿司は好物と聞いているが、それは内緒。口には出さない。)

 この、寿司屋は珍しい、やり方の食べ物の出し方をする寿司屋なのだ。
   少し内容を紹介して置くと、こんな風だ。

   まず、寿司だけ注文するお客はお断りの店なのだ。

   そんなシステムだとも知らずに。
   始めて「寿司の暖簾」だけを見て入って来ていきなり「寿司」を注文するお客様に向かって「家は寿司をやっていません。」
と言って断ってしまうのだ。

   やり方は、寿司種(たね)だけを盛り合わせで、飯台から落ちる位に寿司の種だけ12種類出して、先ずビールか酒を飲んでもらう。
   寿司は、一杯飲んだ後でないと、注文に応じないという寿司屋。
   席は、予約時間制で、夜間は、2交代で予約時間に遅れると入れて貰えない。
   また、子供連れは入れてくれない。 

   20センチ位の飯台に盛った「寿司種だけの盛り」、一つの盛りで3-4人分あり、大人が充分食べられる分量。
   後で頼む「寿司」も、一人分で大人二人が満足して食べられる分量がある。

   東京の下町には、こんなやり方でも、何時も満員と言う店がある。
   なんと、無茶なやり方な寿司屋だとおもうが、寿司種をたっぶり食べられ、料金もそう高くないので、常連客は贔屓にしている人が多い。

   浅草地区には、下町特有のやり方で商売している店も多いので、ご注意を。

《彼女の話をすなくてはいけないのに、横に逸れた。》

① 彼女の家は、東京の西外れm市に両親と住んでいて一人娘だという。
  我が家は、東京の東外れの足立区だ。(東京で東西の外れ同士か。)

② 大學は「英文科」卒業という。

③ 長男と同じ会社で、コンピューターのseだと言う。職場結婚だ。

④ 長男より4才下だ。

⑤ 彼女は、背も結構あり長男と並んで歩くと同じくらい。
  (実は、長男の背が男子としては、あまり瀬が高くない。)

今回は、この位いにして次回に。

子育て・私流 32 長男と次女の進路 9

2007年03月09日 | 60年前の戦争体験
次女の結婚話がとんとん調子でまとまり、結婚式も終わった。

 どうも、この次女の結婚がスムースに、ここまで運んで、ここに至るまでには、後日談があるとを後で知った。

《知らぬは親父ばかりだ。》

  長女と次女の連携。

① 次女が長女に、結婚前に自分の結婚の話を、二人の婿さんと一緒に四人で何回も相談していたこと。

② 二人の住まいが、たまたま埼玉県同士で比較的家が近い距離にあることが判り。何回か我が家に挨拶に来る前に相談かたがた顔を合わせていたこと。

③ 長女の婿さんから、親父は相当五月蝿いぞと。我が家に挨拶に来る前の長女の婿さんから吹き込まれていたこと。
  それに、いろいろな事を矢つぎ早に、親父さんに聞かれるぞと言われていて、それなりの準備をしていたこと。

④ こんな話をしている中で、長女の婿さんの卒業した大学と、次女の婿さんの卒業した大學が、同じK大學であること、四年先輩だと言うことが解り、一気に二人の婿さん同士がとても打ち解けたといこと。

⑤ なんのことはない。《知らぬは親父ばかり》と言うことが後でわかった。
  まあ、こんな内輪話はどうでもいい、親父の立場で言えばこうだ。

  次女の婿さんが、ノンプロの野球の選手であるという事に、戸惑いを感じ。その相手の生活内容が私の中で理解・消化されず、質問もままならずであったのだ。
  
  私たちの生活の中に、プロに近い野球の人がいきなり入り込んで来たのたぞ。仕方ないだろ。

《長男の話》

長男の話をしなくては、と思いつつもなかなか長男の話にならない。

長男 28才 独身貴族の生活を謳歌。年頃になっても結婚する様子もなく親の手元から会社勤めでは、親はたまらないぞ。 
長女 25才 21才で職場結婚し、相手の家の二階を増築して貰い、いきなり同居生活だ、大丈夫かよ。
       親の私としてはびっくり。何んといきなり同居とは度胸のある行動力に、こんな子供だったとは思いのほか。
次女 23才 我が家の末子で、一番甘え子とおもっていたのに、結婚すると言い出した。     
       ノンプロの野球選手だと言う。職業に貴賎の差はないというが、その生活が、どんなふうなことに成るのか、私には想像が出来ない。

  当時の私は  59才 =定年間近= (現在76才だ。) 

さて、我が家にいる子供は、長男一人になった。

私 「長男を呼んで言った。」
  「おい、28才にも成って、彼女の匂いもないのかよ。」
長男「なんでだよ。悪いのかよ。」

私 「おいおい、逆切れかよ。」「そろそろ、結婚の準備をしろよ。」
長男「わかってるよ。」

 男同士の話は、何時もこんなことで終わりになる。すこし、時間を置いてまた話をするか ?????。

 もう少し、親としては作戦を立てて望まなくては、話は先に行かないだろうと考える。

一か月程たって、長男をまた呼んだ。

私 「おい、この間のはなしだが、少しは進んだかよ。」
長男「なんの話しだよ。」

私 「結婚の話だよ。」
長男「相手が居なければ結婚出来ないだろ。」

私 「相手が見つからないなら、結婚相談所という方法もあるぞ。」
長男「よけいな、お世話だよ。」

  「相手が居なければ結婚できないだろ。」の返事に、それはそうだと危なく返事するところだった。
  「よけいな、お世話だよ。」には、腹の中で、半分怒ったが、ここで怒っては何も進展しない。言葉をぐっと飲み込むだけにする。


さらに、数ヶ月経ってまた長男を呼んだ。

私 「おい、結婚の話だか。結婚も出来ないで何時までも我が家に居られると思っていたら、大間違いだぞ。」
長男「どうしろと言うのだよ。」

私 「30才過ぎの男を家に置いておくことは出来ないぞ。」「現在28才だろ。もうすぐ賞味期限切れになってしまうぞ。」
  「はっきり言うが。30才になったら。家を出て独立してもらうぞ。」
長男「わかったよ。」

  この手は、次女が勤務を辞めたいと言ってきた時に使った手だ。

  どのようになるか、わからないが、30才になったら家を追い出すは、こちら側の私は本心だ。
  このまま、少し時間を懸けて様子をみることにする。

  次回には、長男の進路です。 

子育て・私流 31 長男と次女の進路 8

2007年03月08日 | 60年前の戦争体験
独身貴族の長男28才になっても女性の影が映らない。
 炊事・洗濯・風呂の心配から逃れて、勤務も長くなり金銭的にも困ると言うことも無い模様。
何事も親係りでは住み心地が良すぎてだめだよ。

一つ、長男のため「秘策」を出すか。
 
次女は、23才になった。最近結婚の話を持ってきて纏まりそうでよかったと思う。
また、金が懸かるぞ、の思いが頭を掠める。

結婚の支度は、長女の時と同じ程度にしてやらなければと思う。
だが、次女の住まいはマンションだと言う。との程度の家具や什器が入るのか。

また、相手男性との顔合わせも済んでいなのに、私の頭の中は先走り。


長女(姉)の結婚は21才だったが。次女は23での結婚。
まだ、年が早いと言ってみても、姉の時の経験から無理だし、この話を親が止めて次女が将来これで幸せになると言う保障もない。

まずは、結婚相手の人柄・性格・生活態度・将来性がよければ良いのではないだろうか、と考えるのみ。

長男 28才 コンピーター関連の企業に勤めて7年。 
次女 23才 地元の信用金庫に勤め、3年で辞めたいと言うのを引き留めて4年目になる。

  当時の私は、  59才  (現在76才だ。)

《次女の結婚話・その2》

次女「お父さん、今度の日曜日家にいる。」
私 「こんどの日曜日?。何の用事。」「あはー、結婚相手の男性を連れてくるのだな。」と思うが、とぼける。

次女「この間だ話した、結婚相手の人と会って欲しいの。」
私 「そうだよな。早くに会ってご挨拶しておかなければね。」

次女「では、相手に連絡するので、日曜日の何時ごろが良い・」
私 「そうだな、お目出度い話だから、午前中が良いだろう。」

次女「では、午前中ということで連絡するからお願いね。」「家で良いのね。」
私 「相手にも我が家の様子を見てもらうため、家が良いだろう。」

《相手の男性の来訪》

相手「始めまして、このたびは娘さんとご縁がありまして、お付き合いさせて頂いております○○でごさいます。」
私 「大変娘がお世話さまになりまして、有難うございます。」

相手「娘さんから、お聞きになっておると思いますが。」
  「ご縁があって、娘さんとの結婚をお許し頂きたく伺いました。」
私 「結婚したいという話は、私も過日娘から伺っております。」
  「我が家では、三人の子供の一番下の子供で、甘ったれて育っているので。」
  「家事の炊事・洗濯は母親任せで。何も出来ませんですよ。」「そんなのでも、良いのですか、結婚しても苦労しますよ。」

相手「私は、子供の時から野球漬けで、高校では合宿が多く、東京で大學に入学してからも、寮生活が永くやってきましたので、炊事・洗濯は
   お手のもので苦になりません。」
私 「ところで、ノンプロ野球の選手という話ですが。」「野球のポジションは何処を守っているのですか。」

相手「ポジションは、捕手です。」「高校の時から捕手が永いのです。」
私 「所で、いきなり失礼ですが、現在のお年は何歳ですか。」

相手「現在28才になりました。」
私 「娘と5才違いですね。」「選手生活と言うのは、何歳ぐらいまでやっていけるのですか。」
  「田舎のご両親には、この結婚の話をされて、お許しを得ているのですか。」
  「もう一つ、聞いて良いですか。選手が出来なくなった後の仕事はどんな風になるのですか。」

相手「選手としては、あと2-3年ぐらいはと思っていますが。」「現在コーチ兼任と言う話が来ていますので、30才半ば位までと思います
   が。」「その後コーチ専任になれば、さらに2-3年野球漬けかも知れません。」
  「選手を辞めた後は、先輩を見ますと、事務所に入る人と工場に入る人、関連会社に出向する人などいろいろですね。」
  「こんどの、結婚のお話は、両親に話してありまして、両親も大変喜んでおります。」「ぜひ、話を纏めて返事してと言われてます。」
  「結婚のお許しが出れば、早速にでも東京に伺い、ご挨拶をしたいと言ってきてます。」
私 「ところで、貴方は一人子だと聞きましたが、野球を辞めたら両親のいる山口県の両親の元に帰るのですか。」

相手「いや、両親も健在だし、勤め人なので親元に戻る気は現在有りません。」
  「当分、東京です。」

《私の腹の中》

私 「いや、確りしているょ。スポーツの選手といのは、人間関係での上下関係が厳しく、礼儀深い。」「好感がもてるね。」
  「ただ、選手を辞めてからの仕事と言うことになると、同期の仲間より10年も仕事の馴れが遅れているので苦労するだろうなあ。」


  「その後早速、両親が結納の品じなを抱えて、山口から新幹線で東京の我が家を訪ねて来る。これで、一つの儀式はおわる。」
  「こちらも、娘を連れて私と家内3人で山口に出向いた。」

  「まもなく、東京のホテルでの結婚式となる。」
  「マジョンに据える、家具調度、電気製品の買い物となにかと忙しい日をすごし。」
  「我が家の家族を引き合わせる為に、長男・長女・次女と母親と私の5人で山口にご挨拶に出向く。」
  「こういう際に、私が心懸けていることがある。」

  「それは、相手の家の墓参りをさせて頂いていることだ。」
  「娘を相手の家族・親戚に引き合わせてお願いすると同時に、ご先祖にもお願いしておくことだ。」
  「この行為は、相手の両親も大変喜んでもらえるし、私も安心できる。」


長男の話もするつもりだったが、長くなったので次回に。


子育て・私流 30 長男と次女の進路 7

2007年03月07日 | 60年前の戦争体験
次女が3年間も勤めた、勤め先を辞めたいと言い出した。

    長男は、独身貴族を謳歌しており結婚するような匂いもない。


長男 28才 サラリーマン生活7年目
次女 23才 姉とは別の信用金庫に就職し、今度4年目に入る。
      
当時の私は、  59歳  (現在76才だ。)

《次女の話》

① 次女はやや動きが今までと違ってきて、《我が家の田舎探しのドライブ旅行》に、最近たまにであるが、参加しなくなった。

② 運転免許を取りたいと言って、運転免許の練習を始めた。
  (我が家では、運転免許の取得費用を三人の子供それぞれに相当の資金を出してやっている。)

③ 友達と数人で海外旅行に行くと言って、勤め先から休暇を取り3泊4日で出かけるようらなった。

④ 免許を取ってから数ヶ月後に、私と「中央高速で、高遠の桜を観に行った。」
  この時に、高遠に向かう一般道路を運転させたが運転は新米の割りに上手に車を走らせた。
  帰りには、中央高速の小淵沢から甲府に向かう長い下り坂の高速道もまかせたがまずまずの運転振りだ。

⑤ 以上の通り、次女の行動を観察していると(普段気が小さいと思っていたが。)そうでもないようだ。

《次女の結婚話》

或る日、次女が来て「お父さん話があるの。ちょっといい。」と言ってきた。

私 「どうぞ。」
次女「私ね、結婚したいの。」と言う。

私 「なんだい、急うに。」
次女「あのね、結婚したい人がいるの。」

私 「職場の男性との話だな。」と直感的に想像する。「姉のケースと同じか。」
  「どんな男性?。」
次女「あのね、なかなか言いずらいわ。」

私 「職場の人?。」
次女「ちがうの、あのね、ノンプロの野球の選手なの。」

私 「おいおい、信用金庫に勤めていて、どのように相手の野球選手との出会いができたの。」
次女「私の職場の上役の人が、大學時代から野球をやっていて、その親しい学友が、私を紹介してくれて、お付き合いが始まり、気に入ってもらえて結婚したいと言うの。」

私 「永久就職の道を、(勤めを辞めたいと言っていた裏返しに。)選んだのかな。」と思うがこんなことは口に出して言えない。
  「それで、相手の人の事をもう少し詳しく話してごらん。」
次女「相手は、山口県岩国出の人で、野球で高校時代に地元から甲子園に出て。」
  「後に、東京の大學でも野球に打ち込み、大學卒業後ノンプロにスカウトされて。」
  「ずーと大學から今でも寮生活で女性との付き合いが無かった。」と言うの。

私 「家族は今でも山口に?。」「姉妹は何人いるの。」「結婚したら住まいはどういう風になるの。」と矢つぎ早に質問する。
次女「両親は、今でも山口の住まい、」「兄姉妹は、いないで一人子。」
  「結婚してからの住まいは、相手の会社からマンションの賃貸の補助があるので、マンション住まいの予定。」

私 「相手の会社の名前は。そして、結婚してからの相手の仕事はどのようになるの、」「給与はどのくらい貰っているの。」
次女「相手の会社は、大手の自動車会社で現在は埼玉県の本社勤務と言うことになっているの。」
  「仕事の内容は、現在のノンプロ野球の選手として、当分そのままやっていくことになると思うの。」
  「給与の話は、まだ聞いていないからそのうち聞いてみる。」
  「一流企業だからそんなに所得は低いし思えないが。」


私 「ほぼ解ったよ。おめでとう。」「逢うから一度我が家に連れて来なさい。」
次女「有難とう。出きるだけ早く来てもらうね。」

私 「務めを辞めたい。との経緯から(石の上にも三年)の話で、多少ごたごたしたが先ずは、目出度い話になってよかった。」と思う。


長男の話もしなくてはならないが、永くなってきたので次回に。

子育て・私流 29 長男と次女の進路 6

2007年03月02日 | 60年前の戦争体験
長女は21才で結婚し我が家を出て相手方の家族と同居した。

我が家に残っているのは、長男と次女の二人になった。

長女は婿さんと月に一回は我が家に来る約束を真面目に果たしており、当分は二人で友稼ぎをすると言う。

長男 28才 大學を卒業後サラリーマン生活6年目。
      もうそろそろ結婚してもらわなければ、婚期を逃がすぞ。
次女 22才 次女は、就職してこの3月で満3年経過した。
      ここに来て、3年間勤めたから、勤め先を辞めたいと言い出した。

次女の話

① 18才、私立高校を卒業する時に、何処に就職するのと私が聞いたら。
     「何処にも就職したくないのと言う。では、稽古事をするのでもなく、短大にも進学したくないと言う。」
     「では、どうしたいのと言うと、当分家にいる。」と言う。
     「これでは、いまで言う、ニートでひきこねりでは無いか。」当時はニートなどと言う言葉は無かったよ。

② 私と、次女の二人でいろいろ離したが、「どうしても辞めたい。」の一点張り。前文の(次女の話参照)
     「私が(石の上にも三年と言って、無理やり勤めに出した。)事を持ち出して来て、勤めを辞めたいと言って、言うことを聞かない。」

③ 私の思惑は、三年間素直に勤め、友達も出来て、仕事も面白くなる頃だ。このまま、勤めが続くものとばかり思っていたのに。
  此処までくれば、よもや3年前の諺(ことわざ)を覚えていて、持ち出すなど考えてね居なかった。
  何をする予定(当てもなく)家でごろごろされていたのでは、堪らない。

④ 次女に私が言う。「どうしても、仕事をやめたいと言うなら、こうしよう。」  
  「22才にも成った子供を我が家で養っている理由が無い。
   親としての義務は充分果たしたから、どうしても仕事を辞めたいと言うなら、家を出て一人立ちしなさい。」
  「アパートでも借りて、食事・洗濯も全部自分一人でする覚悟でな。」
  「それなら、明日にでも辞めていいよ。」

⑤ 次女の顔色が変わった。「ちょっと考えさせて。」
  
  今日の次女との話は、此処まで。「何んと言ってくるか。二・三日待つ事にしした。」


⑥ 一週間くらいして、次女がきて言った。「お父さんは、ずるいよ。勤める時、3年間勤めれば辞めてもいいと言ったじゃない。」

 私 「辞めても言いとはいっていないよ。(石の上にも3年)何事も、一生懸命に3年間やることで、仕事も覚え、人間も成長し、
    考え方も大人になるものなのだ。」
   「職場でも、貴重な戦力となり。当然に尊重され、給与も上がる。」      
   「どうしても、自分として、さらに勉強したいことがある。」
   「と言うなら、また、私も考えるが、さしたる方向も・考えもなく家に居てもらいたくないね。」 

⑦ 次女「暫らく黙って考えていたが。」
    「解ったよ。もう少し暫らく仕事をするよ。」

⑧ 家を出て一人立ちするほどの決意をもっている訳でもない。
    「まだ、爆弾を抱えたままの様子だが、これで、まず少し落ち着くか。」

⑨ あれから以後どうも、次女の動きが少し様子が怪しい。

それは、こうだ。

① 毎度《私の田舎探し・ドライブ旅行》

 今まで、ドライブに我が家で出かける場合には、必ず、長男と次女に声をかけて参加を求めてきた。(長女は結婚して。今は我が家に居ない。)
 何時も、長男は不参加と言い、参加することは稀れで、私もあまり期待していなかった。

 だだ、次女は小さな子供のときから、高校の時代も、務めてからも、私の田舎探しのドライブには休まずに参加してきた。

 次女が参加し易いように、高校の時からは友人を必ず一緒にさそってきたことも不参加にならない理由かもと思うが。
 (友人の参加費用は我が家では貰ったことが無い。)

 このことは、次女が勤めだしてからも変わらずに、職場の友人を誘い、泊まりの旅行でも続いている。
 (職場の友人を誘うことは、次女が勤めて、今までの三年間ずーと続いてきた。)

② ここにきて、次女がドライブの不参加を言い出してきた。(もう二十年間も続いて参加して来たドライブだぞ。)

 旅行は、次女が参加しなくても、家内と二人で計画どおり出かけてしまうから、構わないが。
 
 先の「次女が勤めを辞めたい。」の後だけに、「何かあるな。」の感覚を私は感じ始めている。 
 
  長男のことと、次女の話はさらに次回に続く。
  

子育て・私流 28 長女と次女の進路 5

2007年03月01日 | 60年前の戦争体験
長女の結婚式も終わり、二人は新婚生活。
次女の信用金庫務めも、安定していて真面目に休まずに墨田区の支店に通勤している。また、職場内での友達も出来て楽しそうだ。

長男 27才 大手のコンピューター会社に就職し5年目、ここの所帰宅が毎日遅くなった。
      仕事で遅いのか、遊び事で遅いのか、私が聞いても、ろくな返事が返ってこない。独身貴族を謳歌している。 
長女 23才 長女は結婚して我が家にいる子供は二人となった。
      毎月一回は婿さんと一緒に我が家に顔を出しなさいという約束も守っていて、その後の様子がよく判る。
次女 21才 次女は上記したとおりで元気でお勤めだ。

当時の私は、  57才  (現在76才だ。)

まず、長女の結婚話のその後を少し話しておく。

結婚式前後の私が家の財政。
① 結婚費用 親が出す。新婚旅行は相手が出した模様。
② 住居は、相手が親の家の二階を増築し、二所帯住宅にした。
  家具・電化製品・タンス・布団・茶碗と箸・布団(お客用布団も含む)は、嫁側が揃えるのが普通だということで、我が家持ち。
  いちいち、これ等の買い物の選定に付き合っていられないので、大物の買出しに一日だけ付き合う。
  親が支払うとなると、例えば、冷蔵庫一つとっても一番値段が高いものを選んでいる。これらの費用は親の我が家持ちだからだ。
  まあ、仕方がないか。
  娘に買物のリストを作らせ、品物名と値段を書かせる。このリストに基づいて貯金を下して費用を準備し、娘に渡す。
③ 娘が勤めていたときに、我が家に食費として入れていて我が家で積み立てていた貯金は、結婚式や新婚の家財に使うつもりだったが、家内に相談すると「可哀想だよ。出してやれるものならお父さん出してやってよ。」と言うことで押し切られて、私の負け。(そっくり娘に渡す。)
  このことは、後に控えている長男と次女の「二人の子供にも同じようにする。」必要があるので、何事も慎重に考えているが。
  また、娘自身で勤めていた時の給料も蓄えていたであろうから、当面婚家での金銭の心配はないであろうと思う。
④ 婿さんが転勤しても遠くに転勤するということがない。信用金庫内での職場結婚だから。ここは、私の読みどおりだよ。

長男の話

① 長男も27才に成った。文字通り独身貴族の生活振りだ。
  決まった食費は、毎月きちっと家に入れているが、給料の残りをどのようにしているのか知る由もない。
  相当毎月使える金額が手元にあると踏んでいる。

② もうそろそろ嫁さんを貰う年代だ。
  しかし、どうもそのような気配が何も無い。遊び事の道具も、卓球のラケットだったり、テニスの道具だったり、たまにギターだ。
  どうも、女性との連絡をとっている様子もない。
  私も晩熟(おくて)だったので、同じ道かと思うが、私の時代は貧しくそれどころでなかったが。
  いまの、倅のこの時代に結婚して生活できない状況にないと思うが。

③ 文字どおり、独身貴族の生活は止められない。
  炊事・洗濯は家任せ。風呂も何時でも入れる状態になっている。
  遅くなって帰ってきても、誰も文句言う人が居ない。
  給料も食費を入れたら、それ以外は自分のもの。(ちょつと言いすぎかな)
  郵便物や新聞も毎日自分の部屋に届いている。
  日曜日などは、何時までも寝ていられる。

④ 私があるときに言った。「そろそろ、嫁さんを貰う準備をしたら。」
  倅「うん、そうだなー」で、返事は終わりだ。
  こまったものだ。

⑤ 車の問題だが。私の家では、我が家の車は「貸さないよ。」と言ってある。
  だだし、私しが助手席に同乗している場合には、私の車を運転させる。
  この方針は、次女も同じだ。

次女の話

① 次女も2Ⅰ才、信用金庫に勤めて早や、3年経過した。

② 翌年の3月になつて、次女が相談に来た。
    「お父さん、ちょっといい。」
  私 「どうぞ。」
  次女「信用金庫に就職して、この3月で3年勤めてたので、今年は、後輩も入るので退職したいの。」
  私 「おいおい、どうして辞めるの。」
  次女「だって、お勤めする時に3年は勤めろ、と言ったではないの。」
  私 「辞めて、何か稽古事でもするの。」
  次女「いや、特別になにもする予定はないの。」
  私 「どうして、やっと仕事にも馴れて、職場の友達もできて。」
  次女「私が勤めをするときに、(石の上にも三年といって)3年は頑張れとお父さんが言ったので約束どおり勤めたからね。」

なんで、こんな話になるのだろう。

  話はもう少し続くので、この件は次回にします。