長男が結婚相手の彼女を私と家内に紹介した。
「今までは、長男に早く結婚しろよ。」「賞味期限切れになってしまうぞ。」「30才までに結婚しなければ家を出て独立しろ。」などと、長男の尻を盛んに突っいていたが。
いざ、結婚の話が決まってくると、また我が家としては大変だ。
特に、男親の私がまごまごしてしまう。今まで娘を二人嫁がせた時とは違う。
今度は、嫁を迎える立場だ。
嫁を迎える立場。
男の側としては、嫁を迎える場合には「住居を用意する。」と言うのが世間のしきたりだ。
① 一番先に、相手の家族へのご挨拶をしなければ。
② そして、結納の準備だ。「結納金はどの位か。」「結納の品物(道具)を揃えるが、何処で揃えられるのか。」「両家が結納をする場所は何処にするか。」など、など。
③ 住まいは何処にするのか。
④ 結婚式場は、「何処にするのか。」「何日」「招待者の数は」
⑤ これらの準備の内、新婚の当事者が何処まで担当してやるれのか。
男親のやる仕事は、何処までなのか。
はっきり、話合って取り決めていかないと不味いぞ。
《男親の立場》
娘を嫁がせる時には、相手婿さん側の話を聞いて、その準備や、結婚式のやり方を聞いていて、納得できれば、それについて同意をしていればよかったが。
今度は、嫁さんを迎える側だ。取りこぼしのないように準備を進めていかなければと思うが、何しろ初めての段取りで、まごまごするばかり。
こんな時に、知恵を貸してもらえる人は「兄姉妹の親戚だ。」早速、伺って色々と話を聞いて廻る。
《案ずるより産むが易し》
結婚話しがだいぶ進んできた或る日、長男から話があった。
長男「親父、お袋と今度の休みの日に、結婚式場を決めたいので一緒に行って貰えない。??」
私 「うん、私はいいよ。母さんの都合はを聞いてみて。」
長男「母さんにもOK貰ったから、頼むね。」
私 「支払の都合もあって両親を引っ張り出すのだな。」と「私は思ったが、ただ黙ってうなずいた。」
長男「あのね、結婚式場は両家が集まりやすい、皇居のお堀場の近くでと考えているが、どうだろう。」
私 「我が家は足立区、彼女の住まいは東京都の西外れの M市、だめだと断る理由も無い。解ったよ。」
「さすが、長男も29才になっているのだから、よく調べてきているなと感心する。」
《結婚式場の応対》
いままで私が心配していた事柄は、結婚式場に行って世話をして頂ける担当者との話を聞いて、そのほとんどが解凍した。
実に手慣れているとおもわれるほど「すらすらと、話の順序もよく、こちらの心配を察知していた如くに」話を進めてくれた。
その模様は次のようだ。
① 結婚の形式「神前形式か洋式形式」どちらを希望しているか。
② 招待者の人数は「男子側の人数と女性側の人数」おおよそどの程度を見込んでいるのか。
③ 招待者に出す「招待状の形式・文章内容」の見本を見せる。
④ この内容での「予算案」を口頭で示す。
「費用の分担案を示す。通常のとりきめで多いのは、新郎側の人数と新婦側の人数割りが多いとの話をされる。」「折半という方法もあるとも言う。」
⑤ 新婚旅行の準備はお済みですか「なんなら、こちらの結婚式場でも準備できますが。」と言う。
⑥ 結婚式の後の「二次会の準備はお済ですか・」ときかれる。
⑦ 新婚旅行から帰ってきての「新居の手当ては」とも聞かれる。
何のことはない。「親父が一人心配していたことが、馬鹿みたいだ。」
「結婚式場」の若いお姉さんが何もかも、相談に乗ってやってくれそう。
私が、二人の娘を嫁がせた時代とは、何もかも変わっていて、さながら「結婚式場」は「システム産業」に成っていた。
後日談。若い二人は花嫁の実家の駅に近い場所に新居を構えた。
数年経ち、足立の当家を増築し新婚夫婦を向かえいれることになる。機会があればこの経緯も書いて見たいと思っています。
「子育て・私流」も34編を数え、我が家の三人の子供をやっと結婚させる事が出来た。
長いことずるずると、まとまりの無い話に付き合っていだいて有難うございました。
① なんによらず、金銭が掛かるが「私の実家は貧乏」で金銭について心配して貰った事は一度もない。
② どんな風に家計の管理をして来たか「我が家の金銭管理・私流」も書いて見たい。
③ 子供を結婚させるまでの間、私も仕事をしていたのだから、「仕事のやり方・私流」もある。こんなことも記録に残してみたいと思っている。
④ 60才の定年後に、第二の人生を請われて中小企業に再就職し、70才まで勤めた、こんな話も書いて見たい。
⑤ 趣味の旅行「日本全国ほとんどいった。」
⑥ 趣味の「へら鮒釣」は30才前半から76才になる今でも続いていて40年間無欠席だ。
⑦ 現在、我が家の孫も5人になった。「孫育て・私流」も書いてみたい。
有難うまたお会いしましょう。 終わり。
「今までは、長男に早く結婚しろよ。」「賞味期限切れになってしまうぞ。」「30才までに結婚しなければ家を出て独立しろ。」などと、長男の尻を盛んに突っいていたが。
いざ、結婚の話が決まってくると、また我が家としては大変だ。
特に、男親の私がまごまごしてしまう。今まで娘を二人嫁がせた時とは違う。
今度は、嫁を迎える立場だ。
嫁を迎える立場。
男の側としては、嫁を迎える場合には「住居を用意する。」と言うのが世間のしきたりだ。
① 一番先に、相手の家族へのご挨拶をしなければ。
② そして、結納の準備だ。「結納金はどの位か。」「結納の品物(道具)を揃えるが、何処で揃えられるのか。」「両家が結納をする場所は何処にするか。」など、など。
③ 住まいは何処にするのか。
④ 結婚式場は、「何処にするのか。」「何日」「招待者の数は」
⑤ これらの準備の内、新婚の当事者が何処まで担当してやるれのか。
男親のやる仕事は、何処までなのか。
はっきり、話合って取り決めていかないと不味いぞ。
《男親の立場》
娘を嫁がせる時には、相手婿さん側の話を聞いて、その準備や、結婚式のやり方を聞いていて、納得できれば、それについて同意をしていればよかったが。
今度は、嫁さんを迎える側だ。取りこぼしのないように準備を進めていかなければと思うが、何しろ初めての段取りで、まごまごするばかり。
こんな時に、知恵を貸してもらえる人は「兄姉妹の親戚だ。」早速、伺って色々と話を聞いて廻る。
《案ずるより産むが易し》
結婚話しがだいぶ進んできた或る日、長男から話があった。
長男「親父、お袋と今度の休みの日に、結婚式場を決めたいので一緒に行って貰えない。??」
私 「うん、私はいいよ。母さんの都合はを聞いてみて。」
長男「母さんにもOK貰ったから、頼むね。」
私 「支払の都合もあって両親を引っ張り出すのだな。」と「私は思ったが、ただ黙ってうなずいた。」
長男「あのね、結婚式場は両家が集まりやすい、皇居のお堀場の近くでと考えているが、どうだろう。」
私 「我が家は足立区、彼女の住まいは東京都の西外れの M市、だめだと断る理由も無い。解ったよ。」
「さすが、長男も29才になっているのだから、よく調べてきているなと感心する。」
《結婚式場の応対》
いままで私が心配していた事柄は、結婚式場に行って世話をして頂ける担当者との話を聞いて、そのほとんどが解凍した。
実に手慣れているとおもわれるほど「すらすらと、話の順序もよく、こちらの心配を察知していた如くに」話を進めてくれた。
その模様は次のようだ。
① 結婚の形式「神前形式か洋式形式」どちらを希望しているか。
② 招待者の人数は「男子側の人数と女性側の人数」おおよそどの程度を見込んでいるのか。
③ 招待者に出す「招待状の形式・文章内容」の見本を見せる。
④ この内容での「予算案」を口頭で示す。
「費用の分担案を示す。通常のとりきめで多いのは、新郎側の人数と新婦側の人数割りが多いとの話をされる。」「折半という方法もあるとも言う。」
⑤ 新婚旅行の準備はお済みですか「なんなら、こちらの結婚式場でも準備できますが。」と言う。
⑥ 結婚式の後の「二次会の準備はお済ですか・」ときかれる。
⑦ 新婚旅行から帰ってきての「新居の手当ては」とも聞かれる。
何のことはない。「親父が一人心配していたことが、馬鹿みたいだ。」
「結婚式場」の若いお姉さんが何もかも、相談に乗ってやってくれそう。
私が、二人の娘を嫁がせた時代とは、何もかも変わっていて、さながら「結婚式場」は「システム産業」に成っていた。
後日談。若い二人は花嫁の実家の駅に近い場所に新居を構えた。
数年経ち、足立の当家を増築し新婚夫婦を向かえいれることになる。機会があればこの経緯も書いて見たいと思っています。
「子育て・私流」も34編を数え、我が家の三人の子供をやっと結婚させる事が出来た。
長いことずるずると、まとまりの無い話に付き合っていだいて有難うございました。
① なんによらず、金銭が掛かるが「私の実家は貧乏」で金銭について心配して貰った事は一度もない。
② どんな風に家計の管理をして来たか「我が家の金銭管理・私流」も書いて見たい。
③ 子供を結婚させるまでの間、私も仕事をしていたのだから、「仕事のやり方・私流」もある。こんなことも記録に残してみたいと思っている。
④ 60才の定年後に、第二の人生を請われて中小企業に再就職し、70才まで勤めた、こんな話も書いて見たい。
⑤ 趣味の旅行「日本全国ほとんどいった。」
⑥ 趣味の「へら鮒釣」は30才前半から76才になる今でも続いていて40年間無欠席だ。
⑦ 現在、我が家の孫も5人になった。「孫育て・私流」も書いてみたい。
有難うまたお会いしましょう。 終わり。