子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

老人とパソコン 13 気になっている話三題

2008年03月31日 | 老人とパソコン 1
平成3年(1991)当時61才の私が定年退職して一年が経過した頃の話である。

A.一つ目は、在職中の「仲間」(以下Bと言う)が定年となり、取引先の中小企業に再就職したが。
B.二つ目は、「新聞の投稿欄」を読んでいたら、いい話だなと思ったが。
C.三つ目は、江戸時代の「出女と入り鉄砲」の話と「忍者寺」の話は結びつくのか。

以上、3っの話が最近気になってきたのである。それぞれの話には繋がりはないが、記事にしますのでお知恵をいただきたい。
《A.在職時の「仲間」Bが定年退職となり、取引先の中小企業に再就職したが。》

実は再就職した先の職場の仕事に馴染めずに、一年半ほど勤めた「仲間」Bが再就職先を辞めたいという話が飛び込んできた。
4年前に、私がトップを勤めていた7人の監査チーム在職中に居た時、彼れはNO3の立場にいて仕事はとても真面目で任せておいて間違いのない男だった。
どうしたことか、一年半勤めた再就職先を辞めたいと言う、その理由を聞きたくて、或る日当時の仲間をもう一人誘い、3人で近くの居酒屋で相談に乗ることにした。
《再就職先を辞めたいと言う彼の言い分》
彼の再就職先は、従業員30人規模の鋼材の卸会社で、鋼材を使った部品の製造にも関わっていた。
彼れBは、その会社に再就職し「総務と経理の責任者」として働いていた。
その仕事内容を聞くと、「仕入と売上」はホストコンピュウターて管理されていて、営業部長の下に二人の女子職員が担当している。
彼の担当部門は、上記の部分以外は全部Bがやっていると言う。
具体的には、どんな仕事と聞くと、人事部門で言うと。
 ア・採用のための「ハローワーク」の手続き。
 イ・採用面接
 ウ・採用後の「ハローワーク」手続き。
 エ・健康保険の新規手続き。
 オ・全従業員の給与計算。
 カ。給与の銀行振り込み事務。
 キ・年末調整。
 ク・タイムレコーダーの管理
 コ・残業管理と残業計算
 サ・厚生年金の加入・脱退手続き。
人事関連の仕事は、このほかにもまだこまごまとしたことが多くあり大変でやり切れないという。

さらに、「経理の事務」があると言う。
 ア・現金出納事務。
 イ・銀行の出納事務の記帳と管理。
 ウ・新規借り入れの交渉。
 エ・毎月の返済の資金準備とその資金調達の金融機関交渉。
 オ・受取手形帳の記帳と月末手形有り高在庫管理。
 カ・支払手形帳の記帳と月次毎の月末残高管理。
 キ・全部の帳簿の月末の残高合わせ。

-------「総務の仕事」
 ア・会議の主催と会議録の作成。
 イ・就業規則の改変と、その文書を作成し「労働基準監督署」への届出事務。
 エ・会計事務所に決算伝票の集計依頼事務。

「おいおい、まだ仕事が有るのかよ、」と聞くと、Bは助成金の申請事務や福利厚生手続き。商工会議所などから来る報告書の作成もあるな。さらに、「昼食の弁当屋さんえの、当日配達人数の連絡がある。」と言う。
何人で、やっているのと聞くと、自分と若手の女子職員の二人だけだと言う。

どうしても辞めたいと言う、「本当の理由」は。
会議録の作成作業だという。
毎月一回やる会議録を作成するのだが、社長が約一時間ほど話すその内容を会議録に「手書き」で纏めて、2~3日のうちに社長に出すのだが、
 ア・内容が違う・
 イ・相手の会社名が違う。
と言って、返される。
「手書き」だから、会社名や内容を直すためには、土曜日と日曜日を潰して、自宅で最初の部分から書き直す作業をするのだ。
間違った自分が悪いのだか。毎月休みの日には自宅で「書き直し作業に追われ」ノイローゼなのだ。

《在職中にワープロが導入され、研修もあったのにやらなかった罰だ》
在職中に「ワープロもパソコン」も操作せずに、退職し際就職した付けが今来たと言うのだ。
もう、これ以上勤まらないと言う。
再就職会社に、「事務機械類はないの」と聞くと「ワープロが一台」あると言う。
それなら、今からでもすこしづづ練習すれば「会議録の再整理など楽に出来るようになるよ。」と私が言うが、仲間はとても自分には「機械の操作はとても出来ない」と言う。
「ただ、もう辞めたい」の言葉のみ。
このままでは、次の世代に繋げる再就職先が無くなってしまう。
就職を斡旋した、元の職場にも顔立てができなくなる。
貴方ならどのように解決するか教えて。

《B 二つ目は、「新聞の投稿欄」を読んでいたら、いい話しだなおもったが。》
読売新聞08-3-15日(14)気流欄に「夫婦の良い関係忍耐と努力が必要」と言うタイトルで、(鹿児島市の病院職員の方が)本で読んだとして投稿されていた文章を読んだ。

「夫婦を支える言葉」(本で読んだという話)
 A.20才代は愛情
 B.30才代は努力
 C.40才代は忍耐
 D.50才代はあきらめ
 E.60才を過ぎれば、感謝だ
   と書いてある本を読んだとあった。
私もなるほど、その通りだなと感じ、その本を私も読んでみたいと思ったが、本の題名も、著者名も、出版社名書いてなかった。

どなたか、教えてもらえますか。

《C.三つ目は、江戸時代の「出女と入り鉄砲」の話と「忍者寺」の話は結びつくのか。》
江戸時代には、各地の殿様は自分の領地に「鉄砲が入ることを常に警戒していたと言う。」
「鉄砲が領内に入りことで、治安が悪くなるのを防ぐためだと言う、表の理由。」「武力を幕府に内緒で強化すると、幕府に反対勢力となるので、場合によっては領地を召上げられてしまう恐れがある。」

その反対側で「女が領地の外に出ることを極端に警戒してた。」と言う。
地方の城下で縁組による姻戚関係の強化を幕府が警戒しているのだと言う・
日本国内の安定は、各地の武力の強化と、姻戚関係の強化を防ぐことで長い間の安定が保たれてきたのだと。
徳川幕府は、日本各地の殿様が嫁を娶るときには、幕府が斡旋し許可したものしか認めなかったと言う。
各地の殿様が「嫁とりを勝手にさせると姻戚関係を強めて行く」そこで「嫁は幕府が認めた者を世話し許可するのだという。」

私の知人で、東北地方青森の「城代家老の子孫と言う人と酒を飲んだことがある。」その時の話で、「城下町には寺が多いがなぜか。」と言う質問をしたら。
その返事は次の様なものだった。
「私の城では、徳川時代に一人は四国の鍋島藩から、もう一人は九州熊本から「殿様の嫁が来ている。」と言う。
例えば、四国から嫁が来るにつけては、四国の藩から従者が約10人程付いてくるのだと言う。
この嫁と従者が自分らの先祖を祭るために、四国の殿様が嫁入り先に寺を新規に建てるのだという。逸れは嫁に行った娘のためだという。
当然に宗教でいう宗派も違うので「坊主も四国から」と言うことになる。

嫁入りした娘とその従者は、地元に寺が出来て安心できる。月に一度の寺参りと言うことで、嫁入りした娘も城下の寺に出かけられるのだというのだ。
自然に自分の両親の消息や地元の同行を知りたいと言うことになるのだが。
やたらと、外部との接触は禁止されているので、寺の建物の中に細工して「寺の中に隠れ部屋」を作り内緒で情報を貰うようになったのだと言う。

定かでない話を書いたが、私が見てきた特に金沢の「忍者寺」の構造を見るとこの話も否定できないなと言う思いがある。
金沢の城外に寺が20以上も並んで建っているいる場所があるが、この話の裏打ちとして考えられるかな。

どなたか、面白い話だと言ってくれますか。

ではまた。





 

老人とパソコン 12 自宅で作ったパソコンソフト

2008年03月19日 | 老人とパソコン 1
平成3年(1991)私61才定年退職して1年が経過した。
毎日が日曜日で、時間はたっぷりある。
このもてあましている時間をなにに使うかが、まず問題である。

私の趣味は「へら鮒釣り」ですが、これとて釣り場は近場にないので、毎日でかけて行くというわけにも行かない。
近場で手軽に出来る「パチンコ」という手もあるが、前回書いたが深みに嵌まってしまう恐れがありだ。
それより、資金が続かないことが目に見えている。
年金生活者として自覚して懸からないと大変なことになるぞ。

「蓄えが多少はあるから大丈夫だよ。」「馬鹿言うな、少しばかりの貯金や株式など、手を付けたら忽ち無くなってしまうぞ。」
「蓄えた金目のものは、手をつけないでおくような、定年後の年金生活設計でないと拙いと私は思うがね。」
今まで、真面目に40年間勤めてきて「ギャンブル」には一切手を染めてこなかった、「宝くじ」も「競馬・競輪」もやった事がない私だ。

自宅で、有り余る時間を自分と家庭のために使うのは「パソコン」が間違がまずいない。
夫婦での、温泉旅行の合間を縫って、家にいるような時の一日のスケジュールは、次の様な形に固まってきた。
      《定年退職後の私の一日》
 1.朝6時に起きる。起きて直ぐにコップ一杯の水を飲む。そしてヨーグルト。(これが健康に良いと言われているから。)
 2.朝食は、7時30分~8時の間に始まる。(納豆・ご飯一膳・薄味の味噌汁で毎日同じ)
 3.新聞は一面から、最後まで全部読む。(朝6時から午前中に。)(77才の今でも近眼で眼鏡なしで読めるのだ。)
 4.12時に昼食。(カッブ麺か野菜うどん・食パン一枚と牛乳・カレーなど、いずれか一つ)
   最後にサツマイモの小さいのを一つ。(繊維質のものを食べると言う意味。)
 5.午後の時間は、専ら「パソコン」に向かう。インターネットに接続し(ブログ文書作成・将棋・ゲーム・釣り情報の検索などをしている。)
             (夕刊を風呂に入るまでに読む。)
 7.午後6時30分から風呂。(毎日必ず入る。)
 8.夕飯は午後7時に始まる。風呂から出てすくに夕食。(コップ二杯のビール・後に酒一合・おかず相手で飲む・夜にはご飯は食べない。)
 9.TVは、内孫小学3年に午後8時まで独占されていて、午後8時以降10時までの間のみ。(TVはまだ他にも2台あるのだが??)
10.10時までには必ず寝る。(10時以降のTVは見たことない。)
   (ただし、どうしても見たい私のTV番組はDVD440時間に入れて置いて、翌日の昼間に見る。)

こんな一日で、定年退職後は毎日、時間は少しもずれずに生活している。
夫婦二人暮らしである。家内は、専業主婦。

住まいは、長男夫婦との二世帯住宅で、二階は夫婦共稼ぎ。殆ど夜の帰りが二人とも遅い。
二階の住まいは、風呂・台所・便所・物干場など全部揃っている。ただし、玄関だけは一階と共有になっている。
学校から帰ってきた、小学3年生の夕食は、おばあちゃんが準備し、二人の老人と孫の三人で、夕食を囲む。(この関係から、居間のTVは孫に占拠されてしまう。)

定年後の私の生活を書いたが。 ばかばかしい???。ムダな生活時間???。だだ生きているのみ???。

だだね。「へら鮒釣り」に出かける時には、「バス」で行くのが多いのだが、この場合には、夜中の午前1時集合で出かけるのだよ。
釣り場に着いてから、少し休み「釣りの開始時間は、夜明けの午前6時から始まるのだぞ。」(夏場は、午前5時開始)
「終了時間は、午後3時。」(この間釣りをしながら、食事や飲み物を取る。)
「バスでの自宅帰宅は午後8時位になる。」

このためにも、普段毎日の生活は正しくしていないと、身体が持たないのだよ。
お陰様で、病気や風邪で寝たことなく、40年間の「職場も釣りも」休んだことがない。

《自宅のパソコン・エクセルで作ったソフト》
   さて、遠回りしていますが、定年後に私が作って、自宅で利用している「表計算ソフト」三つ説明してみます。

 1.緊急連絡網の住所録
 2.健康診断一覧表
 3.確定申告

「表計算ソフト・エクセル」で作った。上記の3つについて、もう少し詳しく書いて置くことらする。
だだし、文章で説明することは、大変です。
上手く、その内容が伝わるのか心配しています。
前提は、定年退職して「毎日が日曜日の年寄り向けにかいている。」のですからね。
専門家の人にとっては「何だ馬鹿バカしい。」と感じるでしょうが、ご勘弁を。

《 1. 緊急連絡網の住所録の最後の ○○部分の説明・年令計算》
  行  A    B     C    D    E(年)  F(才) G(月 桁
1    〒番号  氏  名 住   所 電  話 (現在月日)   
2
3      名前を入る 東京都下町 o3-0011-0022    (1930)    77    6
4     と出でれば正解です。
(現在月日)としてある場所に命令を入れる。ここの場所は(E-1)ですが解かりますか。
最初の命令は、 =TODAY( ) で「現在の日付」です。
この場所に、2008/0月/0日 とその日現在の 年/月/日  が表示されれば正解です。

今日の画面を見ている日付が、何時でも出てきます。ここの命令はいじらないでそのままにしておきます。
印刷などした場合、作成日が常に分かり便利です。
二番目は、  =DATEDIF(G3).(G!).”Y”) で。満年齢 77 (才)が出れば正解です。
三つ目は、  =DATEDIF(G3).(G!).”YM”)で。数か月 を現しています。
結果は、貴方の万年令は「 77才 6か月 」ですとなります。このようにと出てくれば正解です。
      《一人の人が上手くいったら、その命令を次の人にコピーする。》
満年齢の表示が上手くいったら、他の人の名前の行の(G)の欄( )と桁をあわせて、コピーして = に入れる。その人の「満年令と経過月数」が表示されます。
  
   《 2. 健康診断一覧表》
ここの、表は「毎月一回病院に通って血圧を測定し、さらに採血して健康状態を調べています。」
通常普段の採血結果は、お医者さんが自分だけがコンピュウターの画面を見て、「A.血糖値と B.コレステロール」がやや高いので、注意してください。
と言うだけです。
私としては、前回・前々回と比較して、さらに数値が「悪くなった」のか「良くなったのか」一つもわかりません。
ここの、病院には20年間も通っているのに、「何時も一時間待ちの三分診療です。」
そこで、或る日担当のお医者さんに言いました。「検査結果のコピーを私にも頂戴できますか。」と言うと、
お医者さん「ああいいですよ」と言って、コンピュウターの端末から「印刷して渡してもらえたのは。」次のようなものでした。

 《採血の検査結果の幾つかを記す》
WBC 3.6
RBC 4.27
HGB 13.8
HCT 40.4

MPV 6.7 L
AST8GOT) 27
ALT(GPT) 19
ケットウ 127 H
  HbA 6.4 H
こんな数値表でした。(実際は25項目もありました。)
これを「パソコンの表計算エクセル」に入れて「時系列に並べることにしました」
「一時間待ちの3分診療のお医者さん」に、その場で「この記号と数値が何を意味しているのかを」聞くには、流石の私でも出来ません。

時間を賭けて自分自身で調べることにしたのです。

気になる検査結果の ケットウ 127 H   基準値  60-110 血糖    HBALC 6.4 H   基準値 3.3-5.8 尿糖
と言うことが解かりました。
その後少しづつパソコンに記録しながら、調べていきましたので現在は 25 項目の基準値と数値は全部解かるようになりました。
パソコンが無ければこんなことは面倒で出来ませんですよね。

 《 3. 確定申告の数値を自分のパソコンに記録させて置く》
この話は、過去10年間近く「時系列で毎年の数値を入れて保存しているので、申告がスムースに行っているので、貴方もどうぞやってみてください。
細かい内容は、またの機会に譲ります。

ではまた。
 

老人とパソコン 11 自宅のパソコン

2008年03月13日 | 老人とパソコン 1
平成3年(1991)私61才のときのことである。
自宅に「デスク・パソコン」を退職に合わせて買い込み設置した話は前回に書いた。

この「デスクパソコン」が本格的に働く場面が来る。この話は少し先にして、原稿で積み残した部分の話を前にしておくことにする。
《パソコン研修の総括・その後の私の人生など》の項で、下記の項目を順に書いてきた。
再確認をして置くと次の通りである。
 A.パソコンの研修で誰が一番得をした。
 B.60才で退職後の話(生活費をどう賄ったか)
 C.20才で「職人からサラリーマン」になっての40年間の積もる話つれづれ。
 D.退職後の再就職の話が入る。
 E.夫婦で行きそこねたドライブ旅行をゆっくりしたい。
    ここまでの話は、「老人とパソコン 8と9 }に書きましたのでご覧下さい。
 F.教えてしまうという事。
 G.職人気質とサラリーマン。
 H.定年後はパチンコでなく、パソコンが間違いないよ。
    この項目は、F.G.を飛ばして先に「老人とパソコン 10 定年退職後の話」の二枚目の後段に書きました。

《F.職人気質とサラリーマン》
私が、サラリーマンになったのは20才のときでした。
職人の家庭で生まれ・育った、20年間の生活でした。

当時の生活の主導権は、世間一般に稼いでくる親父が持っていて、母親に渡す生活費から、学童の月謝、家賃など全て親父の「腹掛け」の中から渡されるものです。
二人いた私の妹の嫁ぎ先も、親父が承諾なしには決められないというのが当時の実態でした。
私には、3人の兄貴が居ましたが、子供は10才を超える年令になると、「食い扶持減らし」のために「住み込み小僧」として外部の家に3人共我が家から出されました。

私は、中学2年生の半ばから「軍需工場に無給で学徒動員され」その翌年の3月に「東京大空襲」に東京の住まいで出合い、家も学校も隣近所丸焼けになりました。

その後、親父「レンガ職人」の仕事を手伝って、夜間学校に通いながら生活を支えることになるのですが。
職人の仕事は、「厳しくもあり、面白くもありました。」この幼年期の5年間が私の人格構成に大きく関わってきたのでした。

《職人仕事をする中で、言われたこと》
○ 仕事は親方、職人さんの背中を見て覚えろ。
○ 返事はすぐしろ。口応え、言い訳をするな。
○ 一度始まった仕事は最後まで責任を持ってやれ。
○ 工事日程をキチンと守れ。急に休んではいけない。
○ 先輩職人のいう事に盾つくな。言われたとおりに仕事しろ。お前は手伝いの身分だ。
○ 道具類は、その日のうちにきれいにして格納しろ。それがお前の大切な仕事だ。
○ 道具類の紛失はお前の責任だぞ。
○ 昼飯は、親方、職人が食べ始めてからがお前の番だ。
○ その間に、親方、職人さんのお茶をいれろ。
○ 先に帰るようなときには、親方、職人さん、それぞれに挨拶してから帰れ。(夜間学校に行くために先に帰ることが多かったので。)
○ 親方が父親であっても、仕事の現場ては親子関係はないものと思え。甘えるな。

《自宅のパソコンでなにをしたのか》
自宅に据えつけた、パソコンでなにをしたのかを少し具体的に書いて参考にしたい。
あくまで、老人の初めてのパソコン遊びである。
専門家やベテランにすれば「なあーんだ。こんな内容か。」という事になろうと思う。
私の真意は、定年退職した後と「なにをするでもなく、毎日すごしていては、もったいない。」「自分自身にパソコンを買って投資してみてはと言うのだ。」
「パチンコにのめり込んでいかないように。」と思うのが真意だ。

実は、私はこのパソコンが出来ると言うこで、勇退ご2年近く経ってから「ぜひと言う誘いがあり、再就職することになる。」のだ。
それも、こちらの示した待遇を満足させての再就職だ。
まあ、この話は別の機会に譲って、今回は自宅に据えたパソコンでやっている、ソフトないように触れることにする。

《表計算ソフト・エクセルで作って利用しているもの》
              ここのエクセルの話は後でもう少し詳しく書くつもりだ。

 1.緊急連絡網の住所録
    自 宅「郵便番号・氏  名・電話番号・自宅メール記号・携帯電話番号・eメール記号」 
    勤務先「郵便番号・法人 名・電話番号・メール記号・携帯電話番号・eメール記号」
    個 人「生年月日・○○歳・○月」ここが、表計算エクセルでやっているところ。後でもう少し詳しく書く。
    娘の嫁ぎ先の記録。外孫の携帯番号・eメール番号・学校名・学年など。

 2.健康診断一覧表(病院での血液検査結果のコピーを貰い、その数値を基準値と検査結果を並べたもの)10年以上の記録あり。

 3.確定申告をするときの、過去の結果と申告時の精査を自分でするためのもの。
   (還付申告を毎年している。このパソコンの記録があるので申告書の作成は自宅で一日か二日で終わる。)
 4.自宅での血圧測定値記録。
   (10年以上記録をのこしている。担当の医者が変わる時には、印刷して提示する。)
 5.自分の年令表(0歳から99歳までの一覧表・このブログを書くのによくつかっている。)

《漢字文字ソフト・ワードで作って利用しているもの》
 
 1.年賀状の住所録(私は、年賀状を170枚ほど毎年出していますので、年賀所用の整理にパソコンを使っています。)
          (最近は、500円程度の値段で年賀状の作成ソフトが売られているので便利になりました。)
 2.友人が定年退職するとの、連絡が来ますが、(その記載事例を保存していて)必ず、長いお勤めご苦労さまのハガキをだします。
   (今までの事例が保存されていますから、その中から相手との関係をみて返事を作ります。)            
 3.訃報を受け取った時も、上記と同じにハガキで返信を作ります。

 4.現在書いている「60年前の戦争体験」もフロッピーに保存しています。
 5.自宅測定の「血圧測定値」を10数年間パソコンに記録しています。
   (自己管理のためが一つ)
   (病院の循環器科に毎月一回出かけていますが、自宅で計測した血圧の記録を持参するようにと言われて記録しています。)
   (お医者さんは、少し血圧が高いと、すぐに薬を変えたがります。夏と冬ても微妙に変化する血圧値です、自分も知識を蓄えておくべき。)
   (また、お医者さんが、替わるとまた、薬を変えようなどと言います。)
   (こんな時に、この血圧記録が効果を発揮します。)
   (黙っていると、お医者さんは薬の種類を増やしたり、薬の内容を替えようとします。過去の私の経験からそう思います。)
   (こんなやり取りを、お医者さんとするときには、パソコンから印刷してお医者さんに提示し渡します。)
 

老人とパソコン 10 定年退職後の話

2008年03月09日 | 老人とパソコン 1
定年退職して家でごろごろしている時間が永くなってきた。
こうなると、問題なのは専業主婦の家内との摩擦だ。

勤めていた時には、土曜日と日曜日は家にいるのは仕方がないが。定年後毎日家に居ての「朝・昼・晩の食事の世話」は大変らしい。
口では言わないが、態度が変わる。

私が朝起きて部屋に座ると、まず「お茶・新聞・テレビ」持ってこい、TVを付けろと言うことになる。
そのうちに、朝食になるが、終わって新聞の続きを読み始めると、電気掃除機を持ってきて、新聞を読んでいるのにも関わらず、私の周りを掃除機の騒音をまきちらかしながら、やけに永く私の周りを掃除する。これは、完全に嫌味の行動だ。

勤めていた時には、土曜日と日曜日に「お茶・新聞・TV」では、掃除機などは私の周りで唸り声を上げて動き廻るということなど無かったのにだ。
毎日が日曜日になって、家内のストレスがたまるのみである。

夕方のスーパーでの買い物に必ず自家用車で同行して、送り迎えをして買い物荷物を運んでやっているのにと思うが、この程度では満足しないようだ。
では、私も用事を作って自家用車で出掛けてしまえばいいのだろうが、外に出れば「金」もかかるのでなかなか懐が許さない。
簡単な遊び事なら「パチンコ」が或る程度遊べそうだが、迂闊には手を出せない。

私の釣り仲間で何人か「パチンコ」に出かけている者がいるが、何時も「儲けた話ばかりする。」
ある時、釣りの座席が隣あわせになったので、何時も「パチンコ」で儲かっているようだが、「どのようすれば儲かるの」と聞いた。
そうだな、5万円持って「パチンコ店」に出かけても、3時間(午前中)も持たない時が多いのだよ。これが実際だよ。
だがな、1万円でものすごく玉が出て出て止まらないときもあるので辞められないのだよな。と言う返事。

言っておくがな、君の性分での「パチンコ」はやらないほうが正解だぞ。
3万円使ってもダメな時には潔く今日は辞めるという覚悟が大切でな。ここんところの踏ん切りが出来ない者(とくに主婦)がサラ金などの深みに嵌まってしまうのだ。
まあ、君の性格ではムリだな。「パチンコ」をはじめたら君も「サラ金組」だろうな。と言う。

おいおい、驚かすなよ。本当だよ。まあ君は「へら鮒釣り」が適当ですよ。

今日の新聞を読んでいたらこんな記事がでていた。
平成20年3月10日 読売新聞(20)面「医療ルネサンス」依存症1 「パチンコ店に心地よさ」の最後の方の記事に、最初は楽しみだったのに、男性は十数年、女性は10年前後で歯止めがきかなくなるという。次第に自制できずに歯止めがきかなくなるのだ。と書いてある。

《H.定年後はパチンコでなくパソコンが間違いないよ》
               《F.教えてしまうということ》と
               《G.職人気質とサラリーマン》この項目はづきにまわして書きます。

最近は、ノートパソコンも10万円前後で、ソフトが組み込まれているのが買える値段になったし。
プリンターとセットになった製品も15万円もしないである。
定年後の時間の余る人なら、「暇潰し」に最適だよ。まあ、ボケ防止にも最適だからな。

パソコンのセットが揃ったら、書籍で勉強だ。
「新社会人のパソコン教室」と題して、一冊 1,500円前後の本が20冊程紹介されていて売り出されている。
5冊買っても、1万円にならない。自分の本ならアンダーラインを引いても、誰にも怒られない。

だだし、じっくり、諦めずに、時間はあるのだ、少しずつ本を教師に前に進もう。
何か出来た時の感動がものすごく嬉しいものだから。

初歩の本を2=3紹介するとつぎのようなものだ。
 ア・これからはじめるワード 2007の本(これは、日本語文を作るテキスト)
 イ・これからはじめるエクセル2007の本(これは、表計算で作るテキスト)
 ウ・まだ沢山あるが、カタログを取り寄せて選択してください。

問い合わせは、〒126-0846 新宿区谷左内町21-13
       株・技術評論社 電脳会議事務局 FAX 03-3513-6154 電話はご遠慮下さいとある。
ホームベージ  http://www.gihyo.co.jp

他にも沢山のパソコンの本があるので問い合わせしてみて下さい。

私も、ここの出版社のパソコンの本で殆ど勉強してきました、パソコンの初心者にはまず間違いがない本だと思いますので。

私は、平成2年当時、定年退職してすぐに、旧職場の担当者に頼んで、自宅に「デスクトップ・パソコン」を買いました。
当時は、まだ「ノートパソコン」は高価なものでした。在職中に担当常務の部屋で「ノートパソコン」を見せてもらったことがありますが、まだ使い勝ってが悪く、その上200万円を超える値段と言われた記憶があります。

パソコンのデスクと共に「デスク・パソコンのセット」が自宅に届きました。
当時の「パソコン」は、小型自動車と同じくらいの値段したのです。
思いきって、退職金の一部を割いて買ったのです。

この「パソコン」で、「家庭で何をしたの」と聞かれそうだが。
理屈を言えば、
   ア・まだ在職中の「パソコン」の勉強が十分でない。
   イ・「パソコン」に触っていないと、折角勉強した部分まで忘れてしまう。
   ウ・家庭内のデーターを作りたいと思っていた。
     a.年賀状の整理に使う。氏名・住所・電話番号・郵便番号などを、ランダムに入力して、最後に並べ替える。
     b.家族(嫁いだ娘家族を含め)の、氏名・生年月日・住所・電話番号などを入れて。「現在の年令一覧表」を作る。
     c.これらの、パソコン・ソフトは「エクセル」によってつくられている。
     d.後ほどの機会に、どんな風なものか、その概容を書いてみます。
   エ・自宅のパソコンには、定年前に研修に使った「ソフト」を入れありますので、退職後も職場の仲間からの問い合わせに応えられるようにする配慮でもありました。
実は、この自宅の「パソコン」が、のちに大きな力を発揮する事になります。
この話は、項目を改め後日に書きたいと思います。

書きますと言っていた、項目がまだ2っ残っていますので、これが終わってからにします。

○ 追記・「老人とパソコン 9 }で書いている、夫婦の家族旅行で金沢地区の「忍者寺が穴場」と書いて、寺の名前をインターネットで調べましたが残念ですが解かりませんでした。観光のガイドブックには乗っていることと思います。

こんな作業をしている中で「忍者寺・忍者屋敷」なるものがまだあと2っあるという記憶が甦りましたので、記載しておきます。
 1.一つは「金沢城外」(此処はぜひご覧下さい。ここは凄いよ。)有料
 2.二つ目は「京都の本願寺」の南の民家街路にある。(ここは、豪商が御忍びで使用した??と聞く)有料
 3.伊賀上野(いがこうずけ)にある「忍者屋敷」観光用。有料
私の知っていて、実際に見学したのは、以上の3っでしたが、古い城下町にはまだあると聞いています。

《定年退職前後の話》
        定年前後の話を A.からE.まで書いてきました。
           あと二つ、F.G.の記載が残っています。

この話は次回に。

老人とパソコン 9 定年退職と再就職

2008年03月06日 | 老人とパソコン 1
60才になり、窓際族としての2年間を終えていよいよ勇退する時期がせまってきた。平成2年(1990)のことである。
私の20才から、60才まで、40年間のサラリーマン生活の終末である。
 前回からの続き 《C.私がサラリーマンになった経緯》
終戦を迎えて二人の兄(長兄が軍隊から復員・次兄が住み込みの軍需工場が閉鎖された。)が家に戻ってきたが仕事がない。
東京の復興が始まり、親父の仕事が忙しくなってきた時でもあり、親父の仕事を3人が手伝うことになった。
親父と私を入れて家族4人の働き手である。このほかに外部の職人が3人いたので合計7人が動いていたのだ。

小さな職人仕事に親父以下4人は要らない。私がこんな情況から脱するために別の道を選んだのが、定年を迎えることになった今の勤め先だった。

この辺の話は、「土方からサラリーマンに」2007-7-23日の原稿「勤めながら夜間大学に行きたい。」以降に書いてあるのでご覧下さい。

《D.退職後の再就職の話し》

退職が迫るなか、3箇所ほどの再就職の話が舞い込んできた。
一つは、担当常務からだ。

地元の取引先でパソコンで在庫管理をフランスの本社から求められているので、パソコンが扱える君に「手伝ってもらいたい。」と言われているがどうか。という打診だった。
数日して、担当常務から「先方もぜひと言っているので、相手会社の社長と面接だけでもしてくれないか。」といわれ、担当常務の話でもあり断りもできず、一度面接することにした。

工場もかなり広く大きい会社だ。
洗剤製品を輸入しており、一部分は日本で機械と技術を外国から入れて製造している、フランスの日本の総代理店なのだそうだ。

社長と面談していろいろはなしているうちに。社長は北陸地区の出身で、社内の人材の殆どが北陸の地元だという。
社長の外に、70才代の常務(この人は東京の金融機関出)と、40台の会計責任者が同席していて、会社内容の説明をしたが、その説明の殆どは若手の会計責任者からだった。
聞くところでは、若手の人は社長と同郷で、工場内部で働いている人も郷里からの人と言う。
此処までは、なんの問題なく進んだが、社長と常務の話が耳に入ってきた。
常務、「社長12時になりましたが、昼食はどうしますか。」「注文していいですか。」「寿司にしますか・そばにしますか。」ここまで、社長無言で返事せす。

「大手金融機関出の70才代の常務が昼食の準備の一つも出来ない。」
これでは、職人気質の残っている私がここに再就職しても、お先真っ暗だで上手くいかないなと見た。

私の結論「丁寧にお断りした。」

二つ目の再就職の話

この話は、私より5才年上の先輩からだ。
実は(先輩)10年も勤め草臥れたから、お前俺の後をやってくれないかとうものだった。
同じ勤め先に居た先輩の時代の定年年齢は55才だったから、10年勤めたいうことは、現在65才という事だ。
先輩が定年後再就職したのは、取引先の紹介で、日本橋地区の呉服商協同組合での事務局長ということだった。
肩書きは良いが「早く言えば雑用かかりだよ」と言う。

暫らく日数を貰い考えた。

下町が住まいの私が、交通機関を3つほど乗り継いで、満員電車やバスで通うのは、これからの年令を考えると、体力的にも、精神的にも堪えられないぞ。

どうみても、この再就職の話は長続きしないものと考えられる。
先輩に「丁寧にお断りの電話をいれた。」

次の再就職の話

この再就職の話は、職場の友人からの紹介があったものだ。
中小企業のスーパーだが、港区に3店舗を持ち経営している。自分の友達が経営者なのだが、「事務の面倒を見てもらっていた人が病気になり欠勤している。」ので、誰か安心して任される後任をさがしている。と言うものだ。

おいおい、日本橋の再就職の話も、通勤が大変なのに、更にその先の地区の港区。

勘弁してくれ。
と言う訳で「お断りした。」

こんな、定年後の再就職の話は、職場を勇退する直前と直後にあった話だ。
一つは、パソコンが操作できるということが、あるのかなあ。
二つ目、真面目に欠勤もせずに40年間勤めた実績なのかな。

いずれにしても、当面の生活費は「年金と失業給付」の二つでやりくりできる。
私の考えでは、定年時にまだ今後「住宅ローンの返済がある。」というのでは、こんなにのんびりと構えていられないなと思うが。
幸いわが家は自己所有で借金もないので、大丈夫。

もう一つは、定年退職したら、今まで行けなかった観光地に夫婦で長距離ドライブの計画を二つ温めていたこともある。

《D.夫婦で行きそこねたドライブ旅行の実施》

60才で勇退して暫らくの間はぶらぶらとなにをするでもなく家で過ごした。
こんな生活をかねてからしてみたいと考えていたのが実現し満足している。

たまに、平日に釣り仲間を誘って「へら鮒釣り」に出かけ、混雑している日曜日しか出来なかった空いた釣り場に何処でも自由に入れる優越感に浸る。
家にいる時は、夕飯の買い物に行く家内の荷物持ちのため、自家用車を運転して動向する。
時代も変わって、スーパーで「肉・魚・野菜・調味料など」なんでも揃う。
つくづく時が流れて、便利な時代が来たことを実感する。毎回行くスーパーの中に大型電気屋さんの支店が出ているので、家内と別行動で電気屋さんに行く。電機製品も時代が流れていて、便利なものが出ている。目の保養だ。

さて、夫婦二人でのドライブ旅行、二題はつぎのようなものだ。
スケジュールだけ提示するので中身は想像して見てください。勿論予定表は地図を見て、距離を計算し、宿泊場所を決める。
これで、よしと成ったら「宿の予約」だ。日程は平日で4泊5日とする。これらの手配は全て私が一人でやる。

その一 東北旅行(男鹿半島を中心にして)

一日目 東京(午前4時30分出発・東北自動車道)---盛岡(到着11時)---雫石(御所ダム見学)---田沢湖着---乳頭温温泉郷を見学---田沢湖に戻る。---田沢湖畔(泊)

二日目 田沢湖---湖畔の乙女の像を見学---角館武家屋敷見学---秋田市内・城など見学---男鹿半島・大道崎で夕日を見学---男鹿温泉(泊)

3日目 男鹿温泉---寒風山見学---八郎潟干拓地周辺見学---孔雀け窪見学---大道崎の夕日を見学---男鹿温泉(泊)

四日目 男鹿温泉---秋田市内通過---日本海側国道を南下---鳥海山の五合目まで登る---山を下り---陸の松島(地名を忘れた)見学---酒田を通過---新潟県に入り海岸沿いに走る---笹川流れを見学---村上市内で(おみこしの山車会館見学)---荒川沿いの高瀬温泉(泊)

五っ日目 高瀬温泉---胎内見学---新発田城跡見学---阿賀野川沿いに進み---会津喜多方---会津若松城見学---猪苗代---郡山から・東北自動車道---東京

こんなものかな。なぜ男鹿半島なのかの説明をしておくと。半年前に北海道の「礼文島・利尻島」めぐりに行ったときに、「利尻島で見た夕日」がものすごく素晴らしく、凄いの一言だった。
ガイドの説明では、「本州北部の夕日の名所は・男鹿は半島の大道崎です。」と言う説明が忘れられず頭にこびりついていたから。
運転手は私一人だから、こんなことは定年退職後でなければ出来やしないよ。ああ・草臥れた。

そのニ 北陸旅行(金沢を中心に)

東北旅行と同じ書き方をしても、参考にならないとおもうので、大まかにスケジュウールを書きます。

東北の遠征ドライブの半年後のことです。
こんども、4泊5日の日程で出掛けました。

関東自動車道---長岡ジャンクションから----北陸自動車道---金沢市内見学---粟津温泉(二泊)

富山---白川の合掌---御母ダム(石積みの古いダム)---下呂温泉(二泊)
高山市内見学---恵那から中央自動車道===東京

主な目的は、金沢市外の安宅の関・白川郷・御母ダム(日本初期の石積みダム)などです。
もう少し細かく説明すれば、穴場の見学地もありますが、さすが草臥れました。
そうそう、金沢市内の穴場を一つだけ記載しておきますと、市内を西に1Kmほどの所にある「忍者寺が狙いです。」文字通り寺の中が迷路になっていて、今にも「忍者が刀を構えて飛び出してくる雰囲気です。」なぜこんな寺を作ったのかは、貴方が見学した時の楽しみにしておきます。

また、次回にします。