私の子供は 3人 男 女 女 です。
私 現在76才 現在年金生活 (元サラリーマン)
家内 71才 専業主婦
長男 45才 大卒サラリーマン (子供一人。男 7才)
長女 42才 専業主婦 (子供二人・男17才 女15才)
次女 38才 専業主婦 (子供二人・男13才 女 8才)
このように、書き出すとかなり我が家の概要が判ると思いますが。
先ずは、孫の話は後にすることにして、私の三人の子供が幼いときのやり取りを
書いてみます。
子供の喧嘩(けんか) 1
長男9才 長女6才 次女3才 のときの話から。
私は40才
子供の年齢差が3つ違いで、上の子供が少し物事が解り始めて、長女が生まれるというように、三人の子供がそろって上手く成長し始めた。
「私が家にかえるなり、母親が子供に向かって怒っている。ためじゃないの小さ
い子をいじめて、仲良く遊んであげなくてはと長男にいっている。お父さん、長男が下の子を泣かしているので、お父さんも叱ってという。」
どんなことで兄妹で喧嘩しているのかわからないのに、父親の私が母親と一緒に私が長男は怒るのはまずい。
「私の腹の中」
長男に向かって、母親の立場を立てて一応長男を呼んで、一緒に仲良く遊びなさいと一応は言っておく。
しかし、私はまてよ。長男がほんとに下の子を泣かせたのかと考える。背広を脱いで座卓の前で新聞を読みながら、三人の子供の遊びをそおーっとみていると、
一番下の末娘は、自分の遊びの番がこない、早くやりたいので泣いて母親に言いつける様子だ。末っ子の甘えと私は見た。
また、母親が長男に向かって怒っている。
ほとんど、毎日こんなことの繰り返し。新聞もろくに読んでいられない。
「このようなときの、私のやり方の ①。」
① 新聞を投げ出し、おーい風呂に入るぞと。いっせいに子供を呼んで三人一緒に風呂に。
風呂場では、湯船の中で「風船」などを膨らませ、湯の中に沈めてボカーンと風船が水面に飛び出す様を二三回やってみせる。
三人の子供も私にもやらせて・やらせてとせがむ。この場は長男に任せて私は洗い場へ出て自分の身体を洗う。
次いで、子供の一人を捕まえて身体を洗ってやって、湯船に入れる、というより放り込む。子供にとっては、こんな仕草も面白いらしく喜んでいる。
あと二人を洗って湯船に、さらに身体を拭いてやって部屋に送り出す。
風船一つで、三日間・三回の風呂場遊びが出来る。
一つ目は、風船に空気をいれ膨らませて、浴槽に沈めて「ボーカン」とする、既にお話した。
二つ目は、翌日の風呂場では、風船にお湯を入れて「噴水」をやる。浴槽から風船の頭をだして、「ビュー」と吹き出す。
三っ目は、「水鉄砲」風船にヌルイ水を入れて、子供と水鉄砲ごっこをする。
何のことはない、子供が危なくないように男親として注意しながら風呂場で遊んでやるだけのことだ。
「このようなときの、私のやり方の ②」
② 新聞を投げ出し、おーい飲み物を買いにいくぞと。いっせいに子供を呼んで、三人一緒に近所の酒屋に。
酒屋で、サイダー・コーラ・ジュウス なにを買う。買うものは子供に任せる。ただし、買うのはせいぜい二本。昭和45年当時は、自動販売機などはない時。
パパ、コーラとサイダーでいい。ダメ「同じものを二本」にして。
本来なら三人のすきなものを一本づつ買ってやればよいものを、同じものを二本買う。
③ なぜ、同じもの二本か。
「分配に」工夫あり。家に帰ってから「三人にどう分配する。」と訊く。
三人で頻りに相談している。「栓をぬいて順番に回して飲む。」これでいい。と私に訊く。
それでは、誰が一番多く飲んだかわからないよ。口が大きい人のほうが沢山飲めることになるよ、と私。
年齢の真ん中である長女が。「こういうのはどう。コップを三個並べてそこに平均になるように注ぐ。」なるほどと、私も納得。
コップを三個並べてみて、この方法もやや問題がある。我が家の台所から持ってきて並べたコップが不ぞろいで多少大小がある。
まあこれでやってみるかと私。
コップに注ぐのは、言い出した長女。コップの表面が同じになるように注ぐ。
私から見て、どうしても分量に差異があるので、このコップにはもう少し入れてやればと助言。
さて、どれにする。三人がそれぞれ狙いをさだめている。
ジャンケンで順番を決めるのが一番いいかもと。長男。
ジャンケンポン。末娘が一番になる。
私は末娘の手先をみている。、これにする。取ったのは。小さなコップで水平が多く見えるもの。
「私の腹の中、2}
なんと、手間暇時間を賭けてと思うだろうが、台所で夕飯の準備をしている母親への時間稼ぎ。
もう一つは、子供同士のコミニュケーションと知恵比べ。
最後は、私への答え探し。「こんなことで子供がすくすくよい子に成長するか。」
もう一つ、子供をなだめる私の秘策がある。
それは、「だつこする」ということ。「私のやり方 ③ 」
子供達が五月蝿く騒いでいるときに、末っ子の名を呼んで「私の膝に座らせてだつこ」してやる。
この様子を見て、真ん中の長女が駆け寄ってくる。「読んでいる夕刊をかたずけて、長女にもう一つの膝を貸す。」
遊びが一人になった長男が「いいーな」と言うような顔をして近寄ってくる。
ほら「いらっしゃい」と私が末っ子の膝を少し空けて、そこえ長男を誘う。恥ずかしそうに長男も私の膝に乗ってくる。
これで、五月蝿く騒いでいて、母親に叱られていた子供達も少しの間静かになる。
末っ子が、もぞもぞ「私の膝から立ち上がろうと動く」早く先にいって、さっきやっていた遊びの続きを一人でやってみるようす。
長女もまた、もぞもぞと動こうとする。
この時の、私の作戦は二人を捕まえたまま膝の上から離さない。もちろん本気で捕まえているわけではない。
こんな、やり取りを数分してから膝から、子供三人を解放してやる。
「約十分くらいだろうか。三人の子供と身体を密着させだっこした時間が、一番三人の子供と気持ちが通うように思う。」
母親と父親の二人が、同時に「喧嘩している内容もわからずに。」怒ってしまっては、子供の逃げ場がない。「ここが父親としての知恵のだしどころだと感じる。」
父親として、どうしても叱る場合は、その日でなく、翌日か翌々日に「母親がなんで怒っていたのかを良く確かめ、長男を含めて子供三人同時に言い聞かせるのが、私流のやり方。」
次回は、子供のお年玉。
私 現在76才 現在年金生活 (元サラリーマン)
家内 71才 専業主婦
長男 45才 大卒サラリーマン (子供一人。男 7才)
長女 42才 専業主婦 (子供二人・男17才 女15才)
次女 38才 専業主婦 (子供二人・男13才 女 8才)
このように、書き出すとかなり我が家の概要が判ると思いますが。
先ずは、孫の話は後にすることにして、私の三人の子供が幼いときのやり取りを
書いてみます。
子供の喧嘩(けんか) 1
長男9才 長女6才 次女3才 のときの話から。
私は40才
子供の年齢差が3つ違いで、上の子供が少し物事が解り始めて、長女が生まれるというように、三人の子供がそろって上手く成長し始めた。
「私が家にかえるなり、母親が子供に向かって怒っている。ためじゃないの小さ
い子をいじめて、仲良く遊んであげなくてはと長男にいっている。お父さん、長男が下の子を泣かしているので、お父さんも叱ってという。」
どんなことで兄妹で喧嘩しているのかわからないのに、父親の私が母親と一緒に私が長男は怒るのはまずい。
「私の腹の中」
長男に向かって、母親の立場を立てて一応長男を呼んで、一緒に仲良く遊びなさいと一応は言っておく。
しかし、私はまてよ。長男がほんとに下の子を泣かせたのかと考える。背広を脱いで座卓の前で新聞を読みながら、三人の子供の遊びをそおーっとみていると、
一番下の末娘は、自分の遊びの番がこない、早くやりたいので泣いて母親に言いつける様子だ。末っ子の甘えと私は見た。
また、母親が長男に向かって怒っている。
ほとんど、毎日こんなことの繰り返し。新聞もろくに読んでいられない。
「このようなときの、私のやり方の ①。」
① 新聞を投げ出し、おーい風呂に入るぞと。いっせいに子供を呼んで三人一緒に風呂に。
風呂場では、湯船の中で「風船」などを膨らませ、湯の中に沈めてボカーンと風船が水面に飛び出す様を二三回やってみせる。
三人の子供も私にもやらせて・やらせてとせがむ。この場は長男に任せて私は洗い場へ出て自分の身体を洗う。
次いで、子供の一人を捕まえて身体を洗ってやって、湯船に入れる、というより放り込む。子供にとっては、こんな仕草も面白いらしく喜んでいる。
あと二人を洗って湯船に、さらに身体を拭いてやって部屋に送り出す。
風船一つで、三日間・三回の風呂場遊びが出来る。
一つ目は、風船に空気をいれ膨らませて、浴槽に沈めて「ボーカン」とする、既にお話した。
二つ目は、翌日の風呂場では、風船にお湯を入れて「噴水」をやる。浴槽から風船の頭をだして、「ビュー」と吹き出す。
三っ目は、「水鉄砲」風船にヌルイ水を入れて、子供と水鉄砲ごっこをする。
何のことはない、子供が危なくないように男親として注意しながら風呂場で遊んでやるだけのことだ。
「このようなときの、私のやり方の ②」
② 新聞を投げ出し、おーい飲み物を買いにいくぞと。いっせいに子供を呼んで、三人一緒に近所の酒屋に。
酒屋で、サイダー・コーラ・ジュウス なにを買う。買うものは子供に任せる。ただし、買うのはせいぜい二本。昭和45年当時は、自動販売機などはない時。
パパ、コーラとサイダーでいい。ダメ「同じものを二本」にして。
本来なら三人のすきなものを一本づつ買ってやればよいものを、同じものを二本買う。
③ なぜ、同じもの二本か。
「分配に」工夫あり。家に帰ってから「三人にどう分配する。」と訊く。
三人で頻りに相談している。「栓をぬいて順番に回して飲む。」これでいい。と私に訊く。
それでは、誰が一番多く飲んだかわからないよ。口が大きい人のほうが沢山飲めることになるよ、と私。
年齢の真ん中である長女が。「こういうのはどう。コップを三個並べてそこに平均になるように注ぐ。」なるほどと、私も納得。
コップを三個並べてみて、この方法もやや問題がある。我が家の台所から持ってきて並べたコップが不ぞろいで多少大小がある。
まあこれでやってみるかと私。
コップに注ぐのは、言い出した長女。コップの表面が同じになるように注ぐ。
私から見て、どうしても分量に差異があるので、このコップにはもう少し入れてやればと助言。
さて、どれにする。三人がそれぞれ狙いをさだめている。
ジャンケンで順番を決めるのが一番いいかもと。長男。
ジャンケンポン。末娘が一番になる。
私は末娘の手先をみている。、これにする。取ったのは。小さなコップで水平が多く見えるもの。
「私の腹の中、2}
なんと、手間暇時間を賭けてと思うだろうが、台所で夕飯の準備をしている母親への時間稼ぎ。
もう一つは、子供同士のコミニュケーションと知恵比べ。
最後は、私への答え探し。「こんなことで子供がすくすくよい子に成長するか。」
もう一つ、子供をなだめる私の秘策がある。
それは、「だつこする」ということ。「私のやり方 ③ 」
子供達が五月蝿く騒いでいるときに、末っ子の名を呼んで「私の膝に座らせてだつこ」してやる。
この様子を見て、真ん中の長女が駆け寄ってくる。「読んでいる夕刊をかたずけて、長女にもう一つの膝を貸す。」
遊びが一人になった長男が「いいーな」と言うような顔をして近寄ってくる。
ほら「いらっしゃい」と私が末っ子の膝を少し空けて、そこえ長男を誘う。恥ずかしそうに長男も私の膝に乗ってくる。
これで、五月蝿く騒いでいて、母親に叱られていた子供達も少しの間静かになる。
末っ子が、もぞもぞ「私の膝から立ち上がろうと動く」早く先にいって、さっきやっていた遊びの続きを一人でやってみるようす。
長女もまた、もぞもぞと動こうとする。
この時の、私の作戦は二人を捕まえたまま膝の上から離さない。もちろん本気で捕まえているわけではない。
こんな、やり取りを数分してから膝から、子供三人を解放してやる。
「約十分くらいだろうか。三人の子供と身体を密着させだっこした時間が、一番三人の子供と気持ちが通うように思う。」
母親と父親の二人が、同時に「喧嘩している内容もわからずに。」怒ってしまっては、子供の逃げ場がない。「ここが父親としての知恵のだしどころだと感じる。」
父親として、どうしても叱る場合は、その日でなく、翌日か翌々日に「母親がなんで怒っていたのかを良く確かめ、長男を含めて子供三人同時に言い聞かせるのが、私流のやり方。」
次回は、子供のお年玉。