子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

老人とパソコン 3 初めてのパソコン動かない

2008年02月03日 | 職人からサラリーマンに
昭和63年(1988)私が58才窓際族になった時の話である。

窓際族になって、特に指定さた仕事も持たず、上司からの指示も特別なかった。
ただ、業務全体を見ながら職場全体の指導と改善に心がけてもらいたいと担当常務から言われていた。
今までとは違い「窓際族は時間がたっぷりある。」何かテーマを持って取り組んでいないと、頭も体もボケてしまうと思った。

それまでは、仕事で「ワープロ」を3年半ほど毎日のように操作していたので、窓際族になったこの際に「パソコン」をと軽い気持ちで勉強する気になっていた。

ところが、初めての「パソコン」に取り組んだのはいいが「ワープロ」とは大違いで「パソコン」の電源を入れるだけでも大変。

いざ、画面が現われてもどうしていいのかチンぷんかんふん。
これはダメだ。「ワープロ」を操作するようなわけには行かない。勉強の仕方を変えなければ拙いぞ。

そこで、日曜日に大手の本屋さんに行って「パソコンの手引き初歩本」を買ってきて勉強することにした。

こんなことで、下記が私が「パソコン」の勉強を独学で、3か月を勉強のため費やした結果である。


前回は、こんなことを書いてきた。その本による勉強結果の概要は次の通りである。
 1.桁(縦の行)
 2.行(横の行)この二つの画面上の位置が「表計算ソフト」では大切なのだという事。
 3.四則計算(+・-・×・÷)を使って命令をかければ「パソコンが計算」してくれる。
 4.索引(多くのデータの中から、同じデータを探して画面上に表示してくれる。)
 5.時系列・データーの取り込み。
  (パソコンを上手に使う前提として、データーを、年次・日別・時間別・
               そのたを集めてパソコンに入力しておく。)
 6.統計(棒・円・線)などにして画面に表示してくれる。
 7.判断する。(パソコンに判断する機能があること。IFを活用し判断させる。)
 8.以上が10日間かけて勉強アウトラインである。
   と、前回のまとめで書いた・

《再びパソコンに取り組む》

 1.さて、前回よりも「パソコン」に対する理解もかなり進んだので、
    何とかスムースに進むものと期待をこめて「パソコン」の電源をいれた。
 2.しかし、そうは簡単ではなかった。「パソコン」の画面を見てまずは「四則計算」
   をやって見ることにした。
 3.例題として。数値を1から10まで(桁・縦の行)に入力し、合計の計算をさせた。
 4.パソコンのテキストによると、合計の外に(平均値・最小値・最大値)も命令をかければ表示されるとある。

 5.私の頭の中では、こんなことは「簡単」だの思いでパソコンに向かうが、画面は何の反応も示さない。
 6.数値の入れる場所(桁)が拙いのか。
 7.命令のかけかたが悪いのか。
 8.私には、判断できない。パソコンに馬鹿にされたまま今日一日が終わる。
 9.自分の机に戻って、「手引き」を開いて見るが原因となる箇所が見つからない。

《パソコンに馬鹿にされる。》
 うーん。何とかパソコンが動いてくれないかの希望も虚しく力なく帰宅する。
     頭の中は、「まつ白」これでは素直に寝られない。
   寝ながら、「あれかな・これかな」と考えるが、ヒントらしきものが浮かびあがらない。

 《諺・下手な考え休むに似たり。》

(よい考えも浮かばないのに、いくら時間をかけて考えても無駄なことで、休んでいるのと同じで時間の浪費でしかないということ。碁や将棋で下手な者の長考をからかって言う言葉。)

もう少し、勉強が足りない。「なにくそ」と思っても、《諺》通りである。

《さらにパソコンの教材を買い込む》

   「下手な考え休むに似たり」では、拙いぞ。

どんな方法で打開するか。このフロアーには「パソコン」が解かっていて教えてもらえる人が一人も居ない。
だから、独学で勉強するときめたのではないのかよ。今更愚痴を言っても始まらないよ。 
次の日曜日、都心の大手本屋にむかって「パソコン」の本を探しに再度出掛け、四冊ほど買ってきて、さらに勉強することにした。
 買ってきた「パソコン」の本は次のようなものだ。言っておくが本代金は経費でなく常に自費でまかなうことにしている。
 自費で、自分の所有物なら、①本に書き込みをしても、②アンダーラインしても、○場面によってはそのページを破りとってもいいからだ。
こんなふうに考えて買えば、一万円も使えばかなりの本が買えるぞ。本代はケチるなが私のやり方だ。

 1.「表計算の実務」(表計算ソフトを使っての計算事例の説明)
 2.「統計の取り方」(表計算ソフトをつかって統計資料の作り方)
 3.「表計算とIF命令」(表計算ソフトを使っての分岐命令)
 4.「できる・インターネット」(今回使うわけではないが、少し首を突っ込むため)

 以上の四冊を買って来て再度勉強することにした。
先に買った本を加えると「表計算」の教材は、四冊となる。

そこで、最初に「表計算の実務」の本を最初に勉強することにした。
私の勉強法は、先にも使ったが、「パソコン」の電源を入れずに本に取り掛かることだ。
この方法で「実務」の本を一週間かけて読み勉強した。

さて、「パソコン」の電源が入ってソフトが上手く動くか。
この話は次回にする。

老人とパソコン 2 初めてのパソコン 窓際族

2008年02月01日 | 職人からサラリーマンに
昭和63年(1988)私が窓際族になった58才の時のはなしである。

《窓際族のパソコン

 1.パソコンを操作し始めて、1か月が経過した。
 2.電源が入るようになって、画面を見て何とか動かそうと試みるが「表計算ソフト1・2・3」はびくとも反応しない。

 3.何だこれは、と私は思うが「ワープロ」と違って「習うより・馴れろ」ということには行かないらしい。
 4.どうも、「ワープロ」より、何十倍も難しい様子だ。
 5.このフロアーには、パソコンが解る者が誰も居ないので独り独学でやるしかない。
 6.毎日、出勤して直ぐにパソコンの電源を入れ操作するが、その先にどうしても進まない。

 7.これは、私の心違いだ。「習うより・馴れろ」で何とか操作してきた「ワープロ」の過去の成果を、
               かなぐり捨てて行くしかない。
 8.一つは、誰か所内のパソコンの解る者に頼み教えを請う。
 9.二つ目、機械類は教えてもらった時には動くが、教える人が居なくなるとダメになり、元に戻ってしまう。
      「表計算 1・2・3の手引き」で、独学するか。 
10.「うーん。」と考える。ここの所3日ほどパソコンの電源も入れていない。
   電源を入れても、その先の方法が見えないのだ。

11.職人の家庭で育った私だ。当時の親父は何も教えようとしなかった。
   私が聞いても、先輩の仕事振りを良くみていて「自分で考えろ。」だ。
12.職人からサラリーマンになった20才台の時に、職場の仲間を誘って経験した「ハイキング計画」を思い出していた。
  A,日曜日に職場の若い仲間を誘い「ハイキング」をしたものだ。
  B.まず、登山したい場所の書籍を買ってきて勉強し。
  C.同行希望の仲間の体力を考えて、目的地を決め。
  D.時刻表で、行きと帰りり列車の時刻を調べ。
  E.1/5万分の地図を買ってきて、その地図の等高線で、登りの厳しさ調べ。
  F.集合場所を決め。
  G.集合時刻を知らせ。
  H.帰宅予定時間を言う。
  I.一人当たりの費用。予算を知らす。
  K.服装・履物・水筒・雨具などの注意をする。
  J.この行事が終わった時の仲間の「笑い顔」と、「また行こうね」の言葉が私へのご褒美だった。
    

13.なんだ、パソコンで躊躇している。「若い時のバイタリテーをもう一度使え。」と私の心が叫ぶ。
14.自分自身で切り開いて「頑張れ」。
15.よし、決めた。自分ひとりでやるぞと。

16.明日から10日間は、「パソコン」の電源をいれすに、「表計算 1・2・3 の手引き」で勉強すると決めた。
17.早速その準備のため、兼ねて買っておいた「手引き」を出勤して早々に開いた。
18.前にも言ったが、私は英語は不得てである。
   (14才の中学時代に戦争が激しくなり英語の時間はあったが、英語の先生が戦地に徴兵されていて居らず教えてもらえなかったのだ。)
   
19.「手引き」の1ぺーじから読み始めるが、パソコン用語が英語で出てくると、私の頭が空(から)回転する。
20.我慢して、先に読み進む。
21.しかし、どうしてもパソコン用語が引っかかって仕舞う。
22.中学生時代の英語の勉強が50年も経った今響いてくる。
23.その教課(勉強)を覚える時期というものがあり、私は戦争のために英語を教えてもらえなかった。
   その幼年期が「憎いとも思う」が、そんなことは今更悔やんでも仕方がないことだ。
     親父の言葉を借りれば「教えてもらわなかった。」ばかやろー。
        そんなの言い訳だ「自分・自身でやる気になれば、道は開けるものだ。」
24.{頑張れ・がんばれ}、の声が私の心に響く。

25.よし、「こうしよう。」英語の部分で解からない所は、「記号として覚える」と言うことにしょう。
26.一々、英語の用語で抵抗していては、ダメだ。その部分は「色鉛筆でアンダーライン」を引いて先に行くことにした。
27.しかし、辛い(ツライ)解からないまま先にすすむことが。
28.やっと、自分自身に言い聞かせて、「手引き」をめくる。
29.こんなやり方をしながら、「手引き」をめくっているうちに、
     最初の頃のぺージで解からなかったパソコン用語が一部分「こういうことかな」と思えるようになってきた。

30.「手引き」を一通り読み終えた。
31.だが、これで「パソコンの電源」をいれても上手く動く自信がない。
32.ここまで、くるのにすでに”8日”たっていた。勉強の予定は、あと”2日”だ。
33.「下手な鉄砲も数打てばあたる。」で、電顕を入れて操作を始める誘惑に。
34.だめ・ダメ。だめだよ。こんな情況ではダメだよ。

《再度の勉強》
35.{手引き」の中に、色鉛筆でアンダー・ラインを入れて置いた部分を中心に、再度「手引き」を勉強することにした。
36.最初に勉強した時より、「かなり内容がわかってきたような気がする。」

《勉強の成果》
   
   私が勉強した、「表計算ソフト-1・2・3・」の成果を整理すると次のとおりだ。
 1,桁(縦の行)
 2.行(横の行)この二つの位置が「表計算ソフト」では大切なのだと言う事。
 3.四則計算(+ - × ÷ )を命令すれば「パソコンが演算」してくれる。
 4.索引(多くのデータから、同じコードのものを瞬時に探しだす機能。)
 5.時系列(パソコンを上手に使う前提として、データーを、年次・日別・時間別・そのた集めてパソコンに入力しておく。)
 6.統計(棒・円・線)などをグラフにする。
 7.判断させる(パソコンに判断させる。IF機能を使う。)

 8.以上、私が10日間かけて「手引き」を勉強した、アウトラインはこのようなものだった。
 9.まだまだ、パソコンには無限の知識が詰まっていると思う。
10.しかし、問題は「実務上でどのように使うのか、使ったら効果が出るか。」
11.そうは、簡単にはお前には「使えない」よの、声がパソコンが言っている。

 さて、次回は「ソフトの研究」   

うまくいったぞ 11 年寄りのパソコン その2

2008年01月11日 | 職人からサラリーマンに
前回の項目で、私が54才、1984(昭和59年)の時に職場にワープロが配置されることになった。

 1.我が職場は、監査チームで40代3人、50代4人の7人で構成されている中年代のグループだった。
 2.この、7人の中年チームは、最初から「機械のことは何も判らない。」と逃げ腰だ。
 3.私は、「何事も、やってみなくては、判らないる」と常に思っていたから、これはチャンスだと考えた。
 4.企業が勤務時間中に、「新しい勉強をさせてくれるのだから。」と言うのが私の考えだ。

 5.この辺の、「私自身の取り組みに対する、心意気と準備状況は前項に書いた。」
   私は毎朝10分、10日間程、「コピーしたキーホード」の練習用紙で指の練習をしだ。
 6.結局、7人のチームで研修が終わって「ワープロの操作をしようとする者は7人中、3人だけだった。」

《研修終了後間もなくワープロが職場に配置される。》
 喜んでワープロ(文書作成機)を使うのは、私が一番先だ。

 1.ワープロが配置されて喜んだ私の狙いは、
   実は「私は、文章を書く字が下手で手紙も今までろくに書いたことが無かった。」のだ。
   このワープロで、「字の下手な私が救われる。」との思いが先に立つ。
 2.プロッピーという、記憶カードを各自に一枚づつ渡されて、操作した内容が記録され、
   中途で操作をを中断しても、またその後を継続して作業が出来るのも気にいった。
 3.プロピ゜ーは、自分で管理するので、操作内容を他人に知られることも無く便利だった。

 4.しかし、最初からすらすらと文書が打てたわけではない。かな文字を「漢字変換」する作業がまた大変。
   貴社・記者・汽車・帰社・喜捨 「きしゃ」とかな文字を打ち込んだだけで、
   変換キーで。4っも・5っも「漢字の文字が現われる。」
   うっかりしていると「貴社ますますご繁栄のことお喜び申し上げます。」が。
            「記者ますますご繁栄のことお喜び申し上げます。」貴社が記者となってしまう。
 5.こんなことなら、「手書きでかけば、そんな不始末は発生しない。」
   機械不信派はますます機械に触ろうとしない。
 6.たしかに、「キーボードの操作もおぼつかない」彼らにしてみれば
   「手書きの方が仕事が早く間違いがない。」と考えている。

 7.そのうち、私も「ワープロの操作に馴れてきて。」
   「会議の開催案内」なども作成出来るようになってきた。
 8.これで便利なのは、「一つの形式文書があれば。」その文書形式を利用して、
   他の作業が直ぐに出来ることだった。
 9.たとえば、「会議の開催案内」などは、前の文書を利用し、
   日時・会議項目・参集者・等を差し替えるだけで、比較的に早く作成出来る。

10.ワープロで、最も便利だと思ったことは、「会議録の作成」だった。
   手書きと比べて、「他の原稿をベースにして、新しいものを作る」と言うふうにすると、
   その作成時間はものすごく早く出来上る。
   こうなると、手書きでやっている人はお手上げだ。

11.「会議録」などはワープロの領域だ。
   打ち込んで出来上がった原稿を印刷にかけて、「再点検」していると必ずと言ってよいほど、
   原稿が一部不足していて、「ここの所はこう表現すべきだった。」とか、
   「ここの所は、カットすべき」だとか気が付く場合が多い。
12.これが「手書き原稿となると、手直しするには、頭から書き直ししなくてはならない。」
   項目の追加、削除は機械作業(ワープロ)の大きなメリットであることがわかる。

13.現実に、6か月も経つと「手書き派の書類作りは」「ワープロ派に敵わないようになった。」

《いよいよパソコンか》

 1.ここまでくれば、「パソコン」だと思っていたが、年寄りグループでは「パソコン」は無理だという。
 2.どんな風に無理なのか、各部内と現場を探ってみたら、なるほどと思う節あり。

 3.パソコンに内臓されている「ソフト」の種類と内容の複雑さが全然違うのだ。
 4.「表計算ソフトは=1・2・3」と言うソフトだそうで、「年寄りには扱いきれない」と言うのだ。
 5.「表計算ソフトは、その後進歩して」、「エクセルと言うソフトに変わっている。」と言う。
 6.このパソコンは、文書作成ソフトも搭載されているので、それも覚える必要があると言う。

 7.年寄りにはパソコンは「無理・ムリ」の一言で全然相手にしてもらえない。
 8.仕方がない。せめて「ワープロ」を当面使いこなすしか方法が見つからない。
 
 《人事異動》

 1.老人7人組のトップが定年退職となり、40代の人も一人移動になることになった。
 2.過去のケースでは、ここのトップは現場経験豊富な年長者が配属されてくることが多いので、
   あの人か、こちらの人が来るのか噂が飛び交い数日すぎた。

 3.当時の職場の定年は、58才である。それでも最近55才定年から3才伸びて58才になったばかりなのだ。
 4.トップは、大學卒である人のことがほとんどなので、
      グループNO2の私(定時制高校卒)には話は廻ってこ無いことがわかっているので、
        もっぱら「ワープロ」による作業に力をいれていた。

 5.しかし、暫らく日時が経過しても、我がチームのトップが決まってこない。
     トップが、確定しないと次の仕事に取り掛かれない。
 6.或る日、チーム所管の担当役員がやってきて、私が別室に呼ばれた。
   話の内容は、「普段の仕事振りも、業務の改善にも積極的な君に役員の指名が多かった。」のだと言う。 

 7.「他の担当役員も私に異論が無い。」ので君にこのチームのトップを委嘱する。
 8.これには、私も参った。
   いま取り組んでいる「ワープロの組みあげもあり、
         それに加えて部長会などの仕事が加わったら、お手上げだ。」

 9.それに、定時制の卒業者でトップになったのは、他の職場の人一人だけだ。
       担当役員に言った。「現在ワープロに手を取られていて、私に時間の余裕が無い。」
   また「高卒者のトップは前例が一人だけで内部昇格ではムリでしょう。」
10.担当役員が言う。「ワープロは他の者に任せろ。」
           「仕事と会議は私がパック・アップするから、トップをやれ。」
   こんどは、命令調だ。

11.「分かりました。」と言うより仕方が無い。
12.私の心中は、「チームのナンバー2の位置付けのほうが今の仕事がやり易い。」
13.内部昇格ては、全体の統制が難しい。特別威張るつもりはないが、私の素性が分かっているのでね。

14.「まあ、淡々とやるか。」と思うのみ。
15.私の心のなかで、「現在の担当業務の改善・合理化をパソコンを使ってやってみたい夢が持ちあがる。」

《なかなかパソコンの話に行きつかないよ》

タイトルは「年寄りのパソコン その2」だのによ。
まだ、ワープロの段階で話が前に進まない。ごめんなさい。タイトルを期待して待っていた人々さん。

しかし、このワープロのオペレーションが、パソコンの入力で大きな働きがあるのです。
 1.まず、キーボードの操作と文字配列が分かってくる。
 2.指先の動きも、左右の手でやらないと、スムースに動かないことが分かる。
 3.最初に電源を入れることさえ、機械を操作してみないと分からないのが年寄りだ。

 4.キーボードの何処から始めるのかが分からないのだから。
 5.少し馴れてきて、機械から「ぴー」と警戒音が出ただけで、驚いて手を引いてしまうのだ。
 6.機械はそうは簡単に「壊れない」よと言っても、壊れたらどおしょう。とおろおろする。  

まず、我々年配者は「英語入力が不得手で、キーボードに手を触れることを躊躇する。」
 「日本語入力だけでも出来ていれば、英文字入力は27文字だ。」
 「多少は苦労するが何とかなるよ。」

    
 いよいよ。パソコンに取り組む。           

うまくいったぞ 10 年寄りのパソコン 

2008年01月06日 | 職人からサラリーマンに
今年の年賀状のコメントに「若い時と変わらぬ新しい事ブログへの挑戦、そのバイタリテーは何処から来るのでしょうか。素晴らしい人生ですね。今年もどうぞお元気で。」と前項の《年賀状その2》として書きました。

今回は、我が家の正月風景を書こうと思っていましたが、次回に回して、年賀状のコメント「年寄りのパソコンへの挑戦」物語を先に書こうと思います。

 1.私の「心意気・やる気の源泉」なにを思ってパソコンに挑戦しようとしたか。

 2.そのやりかた。どんな風に取り組んだか。

 3.ブログに行き着くまで。

の3っに分けて書くことにした。

《私の心意気・やる気の源泉》

  《その1.パソコンに挑戦の心意気》
 1.人(他人)が出来たことなら、自分にも出来ないことはないと常に自分に言い聞かせている。
 2.何事もやってみなければ、取り組んでみな見なければ結果はわからない。逃げずに取り組めの心意気。
 
 3.こんな考え方をしたのも、幼年時代の家庭生活によることが起因していると思う。
               仕事は、「先輩のやり方を見て覚えろ」の意気込みでやる。
 4.私のブログの項目を参照に読み返してください。
   A.項目64「土方職人のダジャレ」
   B.項目71「近所の職業1と2」近所の仕事のやり方を見ているのが好きだった。
   C.項目93「新支店長のやり方 4,5,」
   D.項目97「現金間違いの防止 3.4.」
  この辺の記事にヒントがあるのかとおもいます。

 5.一言で言えば「職人気質」が生まれ育った家庭生活と親父の職業気質で培われていたのかと思う。
 6.仕事は、最初からの準備が大切だ。ダメ・ムリが先に来たのでは、何事も成功しないよ。
   
    《その2.ワープロに取り組む》
 ○ 1.パソコンに取り組むまでの経緯「最初はワープロ」

  A.私が54才の時(昭和59年)だった。私は中小金融機関に勤めて34年が経過していたときのことである。
  B.私の職場グループは、40才代3人、50代4人、合計7人で構成されている職場の監査軍団だった。
               当時の私は、そのグループのナンバー2の位置に居た。
  C.或る日、このグループに一台「ワープロ」を配置し、研修を一人2時間づつ実施するとの通知がきた。
  D.通知と共に「ワープロのキーボード」の練習用紙が添付されてきた。
               コピーして全員に配布するようにと書いてある。

  E.後日、各人の研修の時間割が指定され配布された。これを見ると研修まで2週間15日ほどある。
  F.グループ7人全員、「こんな機械触ったこともない。研修してもむだだよ。」と騒いでいる。
  G.私は、心することあり「内々に研修のための準備をする。」ことにした。

  H.その準備は、こうだ。毎朝やや早めに出勤し、10分程机の上に「キーボード用紙」を広げて「ジーと見つめる。」

  I.「キーボトの配列」が、なぜこのように並んでいるのか訳が分からない。
  J.我々の年代は「いろはにほへと」で教育されてきた年代だよ。
                   キーボード用紙を眺めて見ても、どうしていいのかわからない。
  K.私は、2日ほど眺めていたが、少しだけ「取り掛かる糸口が見つかった。」
  L.それは、「いろはにほへと」でなく「アイウエオカキクケコ」で取り組むことだった。

  M.もう一つのポイントは、「両手でキーボードを打つ。」でないと上手く「キーが捌けない。」ということだった。
               それは、「小文字を打つ場合にシフトキー」を押さえたままにして、
       「かな文字をもう一つの手の指で打つ動作が必要」だと分かったからだ。

  N.ここまでくれば、「後は練習有るのみ。」と思ったが、まだ「準備不足だった。」
  O.まだ、私の頭の中で「何でキーボードの文字配列がこんなにメチャクサなんだ。」と怒っているからだ。
  P.日本人が使いやすいような「日本向けの文字配列にして売り出すべきだ。」と思うからだ。
  
  Q.私一人が怒ってみても「キーボードの文字配列は変わらない。」
       我が心をなだめて、毎朝10分の課題を自分で定めて「両手でコピーしたキーボード用紙」に向かって、
       新聞の一面の文字を打ち込むが、少しも捗らない。

  R.周りの同僚を見ると、右手の人指し指一本で、「キーボード」の練習している者2人。
  S.あとの残りの4人は「最初から諦めムード」で、関心がない振りをしている。

  T.私は、3日間ほど「キーボードの打ち込み練習」をしてみたが、
    「かな文字を探すだけで、時間と労力を使うのみ」で、サッパリ進歩しない。

  V.私個人が指定されている、「研修日まで残す日数が10日」となった。
  W.これでは、自分自身が情けない。「まだ、準備が足りない」
    「自宅への帰り道。風呂に入りながら。夕食しながら。布団の中で。どうする。」と自分に問いかける。

  X.はたと、気がついた。「キーボードの練習用紙に、あいうえお。を色分けして見よう」と思いついた。
  Y.翌朝、勤め先の近くの文房具屋で「12色の色鉛筆」を買い込んでから出勤した。
  
  Z.赤は「あ行」、青は「か行」、緑は「さ行」と「キーボードの練習用紙上にグループ毎に色を付けた。」
    もう、お解りですね、

    「これで、キーボードのタッチもかなりスムースになった。」

   「ぬふあうえおやゆよわほへ        「あうえお
      たていすかんなにらせ           い」「か
        ちとしはきくまのりれけむ           きく   け
          つさそひこみもねるめろ」          こ」
     
    「練習用キーホード上に、色をつけて見てください」

    2.「ワープロの研修」が始まった。
      先生は、中年の女性講師だ。

  A.まずわがチームの、トップが2時間の研修場所に出向いた。
  B.次の生徒は私だ。トップが研修場所から出できたので「どうでしたか」と聴いてみた。
    「全然分からないよ。」の返事である。
    「そうだろうな、事前の勉強と準備を一つもやっていなかったからな」と私は思ったが、黙って研修室に入った。
 
  C.私は、研修室に入って直ぐに「この点に疑問を持っているのだが、どうしてですか。」
    と「日本語の、かなもじ の並べ順がバラバラなのかを聞いた。」     
  D.講師の先生の返事はこうだった。
    「ワープロやパソコンは、欧米から発達してきたもので、
    当初のタイプライターの文字配列になったままに日本に持ち込まれた。」そうですの返事。

  E.「この文字配列のまま、日本でJIS登録されている。」と聞いています、と言われた。
  F.なるほど、「事務機械の後進国としては仕方がないのか。」と私は納得。    
  G.それより、研修が先だ。
    「よろしくお願いします。」の私の声で研修が始まる。生徒一人に先生一人だ。「気が抜けない。」
  H.研修のアウトラインは次のようなものだった。
    ア・「会議の召集通知」を作るというもの。
    イ・まず、昭和00年00月00日を打って、右寄せする。
      昭和を打つ場合の小文字が問題だ。
      「しょうわ」の文字での、「シフトを押しながら ょ を打つ」が出来ないと、文字変換しても昭和にならない。
    ウ。後で聞いた話しだが、一人2時間の中で、わが7人のチームは、
      どの辺まで出来たと聞いら、昭和止まりだった。

    エ・話を戻して、私は小文字のセットにやや戸惑ったが、何とかつぎへ進む。
    オ・出来たら「そっくり右へシフトするる」
    カ・昭和の下に「自分の氏名」を打って、右シフト。
    キ・「会議の表題」を打って、センタリング。その際アンダーラインを引く。
    ク・ついで、「記」を、センタリング。
    ケ・1.を左シフトして、会議の日時を打つ。
    
 私は、2時間の研修で、ここまで「ワープロの研修」が進んだ。
 講師の先生曰く「今までに、ワープロやパソコンを扱ったことがあるのですか。」
 私の返事「いいえ、今日始めてワープロという機械を触らせてもらいました。」
 
 「自慢話をしたくて、この話を書いたのではありませんよ。」 
 「職場で給料を貰いながら、勤務時間中に新しい知識を教えてもらえる、
          こんなチャンスは滅多にないからね。」というのが私の考え方だ。
 「このワープロを私は3年間使った。」「日本語入力は何も問題なく打てるようになる。」

    コ・当然に、わが7人チームに「ワープロが一台配置された。」
    サ・「ワープロ」を一番使うのは、私。
    シ・ついで、ワープロがいじれるのは、後二人だけだ。

 老人のやる、パソコンはこんな準備が要るのだよな。

 さて、ワープロから、次はパソコンへの取り組みだ。

うまくいったぞ 9 年賀(年寄り)のぼやき 

2008年01月03日 | 職人からサラリーマンに
平成20年に成りました。新年明けましておめでとうございます。
150枚ほどの年賀状を整理していたら、新年早々に50年前の大學時代の学友からの年賀状が眼についた。

年賀状の裏面にびっしりと、「現代の世情をぼやく文章で埋めつくされている。」家内や私の子供達に読めよと言って、その年賀状を渡したら、「この正月に読んでいられないよ。」と返されてしまいました。

私は昭和5年生まれで現在77才ですから、同年代の学友のぼやきも分かり同感でした。
彼は、大學を卒業後地元群馬県高崎市の女子高校の先生を長く勤めていた人です。
《年賀状その1》
彼の年賀状(原文のまま)
「謹んで新年のお喜びを申し上げ皆様のご健勝とご多幸を祈念いたします。
以前私が勤めていた女子高では、卒業式に必ず歌う〔仰げば尊し〕その中に〔身を立て名を上げやよ励めよ〕という節があります。
〔身を立て名を上げ〕ということは誰からも慕われ、信頼、尊敬され教養豊かで人間性に富んだ立派な人格者になって名を上げるのが名誉であるということで、決して金持ちになるということではないと思います。金のことを声を大にして言うことは何となくはばかれるという気風がありました。
 しかし、今の日本は〔高度経済成長時代、物で栄え、そして今、心で滅びるという。〕アメリカ的資本主義経済のグローバル化、IT化、によつて拝金主義がはびこり無規律、無節操な社会になってしまいました。
 親が子を、子が親を殺害、自殺者も年間三万人を数え、企業による談合、税金の無駄使い、詐欺、横領、偽装表示等の汚職、不祥事の数々は枯れ野に放つ野火の如く日々蔓延の一途を辿り、まさに今の日本社会は崩壊寸前の危機に直面しております。今のこの日本、とても精神性の高い文化国家とは言えない世の中です。
 こんな時代だからこそ自分自身を偽ることなく、ごく当たり前の平凡な毎日の幸せな生活に感謝して誠実に生きていきたい、そんな思いの今日この頃です。
 平成二十年(2008年)元旦」

 自分のペンで縦書きで年賀ハガキにびっしり書いてきました。

ああ、草臥れた。葉書の裏面にこれだけ書くのも大変だが、これを読み、ブログに書き込む私の努力もまた大変だよ。

貴方が、こんな「年賀状」を貰ったらどう思いますか。
「読みやしないよ。」と言うのみですかね。
でもね、年寄りの寝言と言わず、少なからず「日本の行く末」を心配している年寄りが少なからずいるのだと言うことを忘れないで下さい。

どうも、昭和初年一桁代生まれで、幼時に戦争に巻き込まれ、勉強もままならず、食べるものにも事欠く時代に生き。
戦後は、仕事一筋に、日本の復興に尽くしてきた、「年寄りのぼやき」だ。もう「命ち短し恋せよ〔老人〕乙女」の年令だ。

「年寄りの愚痴にも一理の念あり、勘弁してくれな。」

《諺を一つ・衣食足って礼節を知る》
   (人は着るものや食べるものに不自由しなくなって始めて、道徳心が高まって礼節や節度をわきまえるようになるというたとえ。)

《年賀状その2》
 今度の年賀状は、同じ職場に居た私より一回り(12才)若い(若いと言っても定年者だ)者からだ。

 「若い時と変わらぬ新しい事ブログへの挑戦、そのバイタリテーはどこから来るのでしょうか。素晴らしい人生ですね。今年もどうぞお元気で。」

《年賀状その3》
 この人は、私より5才年下の同じ職場に居た人からの年賀状の注記です。

 「年賀状にブログを書いていて、項目数103.文字数26満になりました。読んでみてください。」
 「と記載されていましたが、私はパソコンの知識もなく、インターネットも分かりませんので残念ながら読むことが出来ません。」

まあ、我々の70才台の年代では仕方のないことですかね。


《訃報が多くなる。》

この年令になると「訃報」が届くことが多くなる。年賀状も迂闊には出せなくなってきた。今年だけでもその数10通あまりだ。

 次は、我が家の新年会です。

うまくいつたぞ 仕事 8 怒れば負けよ 2

2007年12月25日 | 職人からサラリーマンに
《中間管理者よ・怒ったら、自分が負けよ》で、怒ることが発生したら、その場で直ぐに怒るのではなく。

  《3分待て、3時間待て、3日間待て》

といって、管理者は自分の感情のままに「怒りを人に直ぐに打ちつけても」問題の解決に結びつくはずも無く、かえって問題を複雑にしてこじらせてしまう。

管理者よ。まず、心落ち着け《3分間待て》この間に《だだなのどどいつ》を頭のなで唸れと前項で申し上げた。

「この話は何だ。」と言う方は、前項「怒れば負けよ 1}をみていただいてから、私と一緒に考えましょう。

 1.3分待て
   怒るのを、3分待つて、で頭のなかでその怒られた内容と原因を考えたが纏まらなかったら。
  次の3時間待てに進んで、さらに「だだなのどどいつ」を唸れと言った。

 2.3時間待て
   午前中に発生した問題なら、3時間過ぎた午後の時間まで待って。
      その間に「だだなのどどいつ」を再度唸れ。
   ここまでくれば、自分としてはかなり冷静に考えられるようになってきているはずだ。
   
 3 3日間待て
   3日経ってもまだ、管理者たる自分の感情が納まらない。
   それなら立派だ。「旦那の都々逸」も十分に唸っただろうから、さぞかしその対策と処理方法は十分出来ただろう。

   え?・まだ、「怒ったままだ」
   馬鹿な。3日間も経っても、対策も出来ずに、自分の感情をなだめられない人間は管理者として失格だ。
   企業では、そんな管理者に払う給料は持ち合わせていないぞ。
  
 4.大体此処までくれば、自分は「なにに怒っていた」のか、半分位は「けろっと忘れているものだ。」
   あの場で、「直ぐに怒らないでよかった。」というのが本音だろう。

  まだ、ここまで来てもまだ「怒るっている」
 
 それなら、「説得力ある内容」と「その解決方法」と「話出すタイミング」を、考え揃えられたか。
   3日間も過ぎているのだぞ。まだ「考えが固まっていない???}それでも怒りは静まらない。

 このままでは、「お前は管理者失格だ」お前は将来が無いぞ。

 《それでは、私と一緒にその対策と方法を少し考えよう》

  {二度教えて、一度叱れ」が対策の一つと前項で言った。

       これを、《キーワードにして、整理分類しよう。》

 1.二度教えて(教えてだけでは範囲が狭いので、少し広げて考えよう)
   怒る相手に話す場合、先ず二度教えてからだ。まず教える内容を吟味しよう。

   教える。誉める、諭す、役にたった事、上手くいった成功談などを取り上げて。話を広げてみよう。
  ア・職場勤務でのほめ言葉を二回
  イ・相手の仕事振りでよい点を二回

  ウ・健康管理をよくしている話を二回
  エ・過去の成功者の話二題
   
  オ・出勤が誰より早い苦労話、
  カ・欠勤が少ない勤務態度

 2.叱る
   ここも、範囲を広げて考えよう

  ア・諭す
  イ・注意する

  ウ・宥める
  エ・過去にダメだった話

  オ・叱る
  カ・徹底的に怒る

  キ・過去の同じような失敗
  ク・上司が恥じを書いた話

 3.{二度教えて、一度叱れ」だつた。

  この教える項目と叱る項目の自分の考えを「少なくとも 5っづつ足してくれ」
  他人の作った項目では、迫力が不足するからな。

  教える項目も、組み合わせを上手に考えれば、40~50の話が出来る筈だ。

 それでは、また次回に

うまくいつたぞ 仕事 7 怒れば負けよ 1

2007年12月14日 | 職人からサラリーマンに
中間管理者に物申す。

《怒れば、自分が負けだよ》

中間管理者でよくやる行動で、直ぐに怒るという者(人間)がいる。

「バカヤロ、なんてことしてくれるんだ。」と、その場で自分の感情を爆発させて部下(嫁)を叱る。
こういう人は家庭でも(嫁に対して)自分の心の押さえが聴かずに直ぐに怒る。

なにが起きたかのかは知らないが、よく考えもしないで、自分の立場がないと感情を縛発させる。
部下や家庭の嫁が、怒ったそのことで、その行動なり言動を反省するか。したことがあるか。
またまた、「怒り虫」が、また一人騒いでいる。位が落ちだろう。

では、同じ感情を自分より上の者(上司)に直ぐにぶっつけられるだろうか。
時として、こういう人(中間管理者)は、「部下には強いが、上司には弱い者が多いのではないだろうか。」

《中間管理者よ・怒ったら、自分が負けだよ》

そこで、私がやって来た流儀をご披露して参考に呈することにしよう。

   《 3分待て・ 3時間待て・ 3日間待て 》

中間管理者は、上から指示命令が一方的に来て、それを自分の部下に伝えて素早く実践しなければならない立場にある。
しかし、部下も自分の仕事を抱えて精一杯に仕事をしていて余裕などない。

上司と部下の真ん中に挟まれて「毎日いらいらしている。」中間管理者。これでは身体に良い訳が無いよ。

こんな、情況にあるときにトラブルでも発生してみろ、一気に「怒りが暴発する」

 1.3分待て。

   管理者たる者、トラブルの内容をよく調べるでもなく「すぐ怒るのはまずいぞ。」
   まず3分間は待て。「旦那の都々逸」(だだなのどどいつ)を3分間頭の中で唱えて整理してからにしろ。
   怒るのはその後だ。 
   
   ア・(だ)このトラブルは、だれが原因で発生したのか。
   イ・(だ)その担当者の先にも関係者が居ないのか。一人の問題か。
   ウ・(な)なぜ、このようなトラブルが発生したのか、再発か新規か。
     (の)      チヨット休憩してください
   エ・(ど)何処の場所でのトラブルが。
   オ・(ど)どのような情況でトラブルが発生したのか。
        人か・機械か・システムか・内部か・外部か。
   カ・(いつ)何時のことか?。今日のことか?、以前の問題か?。

   結論・3分間で、「だだなのどどいつ」が頭の中で整理できなかったら、今怒るのは控えろ。

   結局は、たいしたことではない場合が多い。
       中間管理者の一人よがりの感情の暴発だ。
          この場面で部下を怒っても、何の効果も見込めないよ。
             部下は、またまた始まったよ。で馬鹿話にされるだけだ。
   3分間、頭の中で考えても、考えが纏まらない時はここでおしまいに。

   まだ、割り切れない時には、次の3時間待てに進んで更に考えよう。

 2.3時間待て。

   ア・「だだなのどどいつ」の整理を頭の中で整理している内に、これは3分ではムリだよ。と思ったら。
   イ・3時間後にしろ。
     午前中の出来事なら、都々逸を唸りながら頭の整理を付けて、午後に担当者を呼んで注意話をしろ。
     この場合、先に怒るな・二度教えてからだ。
          そこで、二度教える内容を考えてからにしろよ。
   ウ・「二度教えて・一度叱れ」が、トラブル解決と合わせて部下教育の原則だ。
   エ・部下をただ怒るだけでは、中間管理者として失格だ。

   オ・このトラブルを契機に部下と一緒になって、同じ間違いが発生しないようにすることが管理者の任務だ。
   カ・職場でトラブルが発生したら、管理者として、よい経験ができるチャンスだと思え。
   ク・管理者よ。トラブルを契機にして、上司からも部下からも信頼し頼れる立場を作れ。
   ケ・そのためにも、トラブルから逃げるな。

   コ・このトラブルが解決するまで、しつこく喰らいつき追いかけろ。
   サ・上司は一生懸命にトラブルを解決しようと部下と向き合っている貴方の姿をよく見ているものだから。

   シ・それでも、旦那の都々逸での考えが纏まらないなら、「3日間待て」の次の項目に進め。
   ス・このへんまでくると、何を私は怒っていたのだろうか、となることがよくある。
     すぐに怒らないでよかったと言うことになることが多くある。

    《諺・言いたい事は明日言え》
 (思ったことをその場ですぐ言わないで、よく考えたうえで言えば失敗することはないということ。)
 (腹をたてたり興奮したりしているとき、感情のままに言いいたいことを言うと、後で悔やむことになるという戒め。)
 3.3日間待て

   ア・3日経ってから、もう一度前のトラブルの解決のため「旦那の都々逸」を唸っていた自分を振り返れ。
   イ・まだ、「だんなのどどいつ」が振り切れずに、3日経っても頭の隅で唸っているか。
   ウ・だとしたら、立派だ。もう少しだ。
  
   エ・このトラブルの解決は自分の手で仕上げようと決心を固めろ。
   オ・しかし、無勝手・無策流では問題は解決しないぞ。

   カ・何処がトラブル解決の核心かを身極めろ。
     人か・システムか・規定か・上司か・金銭か。
   キ・何時・誰に・何を・何処で・と、もう一度「旦那の都々逸」を唸り考えを纏めてから取り掛かれ。

   ク・でもな、大体3日も経つと、あのトラブルはなんだったのだろう。
   ケ・と忘れているし。思い出せないこともある。
   コ・私の経験では、時間が問題を解決するということが50%位ある。

   サ・だとしたら、これで終わりは不味いよ。
   シ・中間管理者としては、このトラブルの社内関係者に聴いてみろ。
   ス・終わりにしても、問題ないか。問いただせ。

   セ・社会保険庁の五千万不突合事件を思い出せ。かなり後になってから大変な仕事として残らないか。
   ソ・始めに、真面目に、後の人のために、労をいとわずに、今やるべきことなら管理者として逃げずに直ぐやれ。
   ナ・逃げずにやったか。解決してから終了としたか。後で負担にならないな。

 4.待っも問題は解決しない。

   ア・3分待て、3時間待て、3日間待て、と待てば解決すると受け取っては困る。
   イ・トラブルの発生には、直ぐに問題解決に乗り出さなければならないことのほうが多い。
   ウ・私が心配して書いているのは、ろくな調べも・考えもしなく
              直ぐに当事者の部下を叱る管理者が居ることだ。
   エ・「マッチ・ポンプ」管理者と言って、部下をただ叱る。自己満足しているだけのぐうたら管理者だ。
   オ・こんな管理者と一緒に仕事している部下は「またまた始まった」と思うのみ。
   カ・カッカと怒っている管理者は、
      上司に「再びこんなことがないように十分叱っておきましたから。」
         と報告していることだろう。
   キ・中間管理者は部下に責任転嫁をして、問題が解決してたと錯覚した最悪な管理者だ。
   ク・こんな、管理者を上司に持った部下は悲劇だ。逃げようにも逃げ道がない。
   ケ・何れ、ぐうたら管理者は仕事がろくに出来ないので、転勤・配属替えまで待つかしかない。
   コ・私が心配しているのは、こんな管理者になってほしくないという一言を言いたいから。

  では、諺を一つ《うかうか三十きよろきよろ四十》
     (三十代をうかうか過ごしてしまい、四十代になって身の振り方も定まらずに慌てふためく意で、
      まことに歳月は過ぎやすく、これといった事もしないうちに人生が過ぎてしまうことをいったもの)
   
   
 5.最近の新聞から「水清ければ」
  
   日経 07-12-20 夕刊「波音」から
  「史上最低のお役所、社会保険庁にも良心的な年金官僚はいるそうだ。どんな腐敗した組織にも、志のある人はいる。
   ただ、多くの権力者は廉潔の士を嫌う。大抵は出世街道か外される、くすぶる。
  (孔子家語)に〔水清ければ魚棲まず〕とある。人間性を突いて、説得力がある。思うに凡人は、この言葉が大好きだ。
   ことに、社会保険庁の官僚たちは信奉者に違いない。
   本来、清廉であるべき官庁は、〔寄らば大樹〕の典型で、〔泣く子と地頭にかなわない〕組織。
   大人の分別と訳知り顔のうちに、魚だって棲まないドブと化し、国家不信という沼に流れ込んだ。」
   
 《諺の1・水清ければ魚棲まず》
     (水があまりにも清く澄んでいると魚が棲みつかないように、
          人間もあまり潔癖過ぎると、けむたがれて人が寄ってこないというたとえ)

 《諺の2・泣く子と地頭には勝たれぬ》
     (聞き分けなく泣く子と、権力をもっている地頭には、道理を言っても勝ち目はないの意から、
          力の強い者には、無理を言われても従うほかないということのたとえ)

   では、また次回に 

  

うまくいったぞ 仕事 6 お茶と接待の反省点 3

2007年12月10日 | 職人からサラリーマンに
前回、新任管理者の自分と常務・部長の3人で、都心の大手企業を訪問したことを書きました。

この記事をお読みいただけましたか。
さて、読んでいただいて、どんな点に注意が集まったでしょうか。少し”個条書き”にしてみてください。

貴女が書いている間「豊臣秀吉」が小僧時代にした、お茶いれの有名な話をしてみますね。
《たかがお茶、されどお茶》
 関白秀吉の幼時のときの話です。
「羽柴秀吉と名乗って、農家上がりの秀吉が、寺の子坊主をしていた時の事です。」
「織田信長が鷹狩の途中に、従者を従えた信長が秀吉の勤先の寺に馬を乗り入れ、”喉が渇いた茶を所望”と飛び込んできました。
 秀吉は、驚きながら手速くお茶の準備をして武将にお茶を差し出します。

 ア・最初のお茶は、”大きな器でぬるめのお茶を”差し出すのです。

    あーあ、うまい。もう一服と武将が言いました。

    秀吉は、今度は
 イ・”小さな器で熱い濃い目のお茶を”差し出します。
    話はここまでです。
 
武将は、”人を見る眼が冴えていて”この男は使えると見込み、自分の家来に取り上げます。
秀吉は、これを契機に城持ち武将”豊臣秀吉”となり”関白秀吉”と出世して”天下人”になるのです。

”たかがお茶、されどお茶”の意味がお解かりでしょうか。

《マナーのおさらい》

さて、私なりに書かれた内容を分析し「マナーと接待のやり方」を列記してみますので、貴女の箇条書きしたリストと付け合せてみてください。
当社から出向いたのは、常務と部長と新任管理者の私の三人。

 1.タクシーを上司と一緒に乗るときの車内の座席位置。
   常務を先に乗せて、座席は運転手の後ろ後部座席、続いて部長を手前の後部座席に。

   新任管理者は二人が乗り終わるまで車の後部のドアを外で押さえる。
   上司二人が乗り終わったら、自分はタクシーの前部座席に座る。

 2.訪問先のビルに着いたら、ビルの入り口のドアを自分が先に入って中でドア空け手で抑えて上司二人を迎えいれる。
   ロビーに入ったら、直ぐにエレベーターのところに行きボタンをセットする。
 
 3.エレベーターには、先に入って開くボタンを押して上司二人の乗るのを確認する。
   当然に、一般客がお待ちなら、上司より先にお乗せするよう心がける。
   降りる階にきたら、上司二人を先に降ろして自分は最後に出る。
   一般客の方が同じ階で降りられるときには、一般客の方を優先すること。

 4.受付には、自分が先に行く。
   初めての訪問で様子が判らないときや、お会いする人により(相手の方が当方より上の方など)の時は、
   受付を常務にお願いしても差し支えないだろう。
   通常受付で名詞を要求されるので臨機応変に。

 5.ローカを歩く時、応接間に入る時、応接室に案内されている時、自分は何時も最後尾に従う。

 6.応接室で座る時の位置は、常務が一番奥、ついで部長、そして自分。
   上司二人が着席するまでは、自分は座らないで立って待っていること。

 7.相手先の専務さんがお見えになったら、席から立ち上がり、こちらからさきに、ご挨拶すること。
   今回の様に、専務さんから先に挨拶されて仕舞った時には、お詫びする。

 8.初対面の場合は、こちらから先に名詞交換を行う。
   相手に名詞を渡す時は、偉い人から順に渡すこと。
   手が空いているといって、平同士で先に名詞交換はまずいぞ。誰でもいいわけではないそ順番を守れ。

 9.お茶が入ったら、配布する順番をよく観察しておけ。
   どの順番で配って行ったか。特にこのお茶で相手の地位・位が分かるぞ。

10.お茶を先に手をつけるな。当方の常務が手をつけてからにしろ。

   (戦国時代の昔は、毒見と言って平役が最初にのんで、毒の入っていないことを確かめたがな。)
   お茶碗に絵柄が有る場合は、お茶に口をつける前にさの絵柄をよく鑑賞しろ。
   絵柄の話から、話題が広がることもある。

11.お茶碗の底に切れ目が入っているものがあるが。
     わざわざつけてあるのだ。昔の武家時代の名残だ。
       (なせなのか研究してくれ。ヒントは山口県の萩焼に良く見られる。)

12.この件は、言わなかったが「お茶椀の中のお茶が均等になっているか。」
   それとなく、確認しろ。

   当社での応接間では、たまに濃いものと、碓氷ものとがあったぞ。
   訪問先の秘書がお茶を入れるのをそれとなくみていると、
   茶椀を並べて急須から、順に回して注ぎ、均等になるように注いでいるぞ。

13.茶托にお茶碗をのせたままで注ぐようなことはしていなぞ。
   当然に、茶托にお湯が零れているようなことはない。

14.お茶を注いだ茶碗の底を布巾で拭いて、お盆に並べ。
   茶托は別にして応接間に運び、応接間で茶托にお茶椀とセットしてから配布している。
   優雅な振る舞いだ。
   
15.しかし、残念だったのは「かすかな香料の匂いがお茶に混ざっていたこと。」だ。

16.これだけ記録していれば、当社に帰ってから、何時か開催かれる「勉強会にでも披露できよう。」

17.帰りのタクシーの中の話は、時間を置いた上記の勉強会のときでもいいと思う。

《この項目の中での間違いや納得できない部分は訂正し、勉強会ででも実技してみてください。》
   実演した方が分かり易く、全員に周知できると思うがどうでしょうか。

   最後に言っておくが、新任管理者たる”自分”は特別「お茶の勉強」をした事はない。
   「他人の振り見て、我が振り直せ」でやって来ただけだ。

諺1.《二度教えて一度叱れ》
       (子供に対する教育の心得をいったもので、失敗しながら成長するものだという事)

      諺2.《泣く子と地頭と政府には勝てない》
                 本当は《泣く子と地頭には勝たれぬ》だが。
最近のニユースで、都税3,000億円を地方へ委譲することで、石原都知事が諺を利用して言った言葉だ。
(”政府”と言う文字が追加されている)

    今回はここまで。   

うまくいったぞ 仕事 5 お茶入れの改善 2

2007年12月08日 | 職人からサラリーマンに
或る日、部長から明日「常務とお前(私)と3人で大手取引先を訪問するから身だしなみに気おつけて出勤して来い。」と言われた。

《大手企業訪問》

翌日、課長一人を留守番役に残して、タクシーで3人は都心の大手企業に向かった。
さて第一問です。「新人管理者の貴方はタクシーのどの位置に座りましたか。」
「答えは後ほど」???。

タクシーの中で、大手企業でお会いするお相手は、「実権のある専務さん。」だと車の中で聞かされた。

タクシーは、下町から都心に向かって走る。やがて大きなビルが立ち並ぶ場所を走るようになる。
常務がタクシーの運転手さんに「その先で止めてください。」と指示した。
降り立った場所は、30階もあろうと思われる大きなビルの前だ。

タクシーに乗った座席位置の答え「常務は後部座席の運転手の後ろの席、部長がその手前隣。私は前席の運転手の隣」
当然に降りる時のタクシー代は、私が立替て支払う。

さて、これで(私)新管理者の取った行為(座席)は合っているでしょうか。

《大手企業の応接間》

タクシーを降りた私は歩道からビルを見上げる、高いくて・デカイビルだ。圧倒される。
ビルの入口を入ると、そのロビーがまたバカ広い。私がうろうろしていると常務が先にエレベターの方向に向かう。慌ててその後を私も追う。

常務を先頭にエレベターに乗って、部長が常務に「12階でいいのでしょうか。」と確認してから12階のボタンを押す。

エレベーターを12階で降りると、ロビーに二人の若い女性社員の受付がある。
受付カウンターの後ろ壁には、金文字の大きな会社の名前の立派な看板が架かっていた。

常務が受付に名詞を出して、専務さんに面会を求める。
受付嬢が「少々お待ち下さいませ。」と言って構内電話を掛けている。

電話を終わり「どうもお待たせしました。どうぞこちらえ。」と先導してローカを奥へ向かう。
「役員応接間」の看板の架かった、豪華なドアを開けて「こちらです。」と言い奥にむかい「00様です。」と声をかける。

連絡が入ってると見えて、奥から妙齢な女性が見えて「いらっしゃいませ、お待ちしていました。」「どうぞこちらえ。」と言って応接席に案内される。

我々3人を応接席のドアから見て奥側の席に案内する。
「ただいま、専務が見えますので暫らくお待ち下さい。」と言って部屋の隅でお茶の支度を始めた。

役員秘書と思われる中年女性の立ち振る舞いも優雅で、良家の出らしく服装も化粧も一見女優さんと見違えるようだ。

ドアが開いて「やあ暫らく、いらっしゃい。」の声で専務さんが部下二人を従えて応接間に見える。
専務さんという人は大変ざっくばらんらしく、席に着くなり名詞を出して部下の二人の自己紹介を始めた。

当方の常務が「すいません、こちらから先に自己紹介すべきなのに、遅れて申し訳ありません。」

専務さん「まあまあ、堅苦しいことは言わずにお互い忙しい身でしょうから話を進めましょう。」の合図で早速商談が始まる。

《応接間のお茶の接待》

「粗茶でございます。」の声で、中年の女性秘書が当方の常務から我々三人に順にお茶を出す。

こちら側が終わって、専務側三人にも商談の邪魔にならないように、静かにお茶を置いていく。

女優にも見違える秘書の方が奥に下がる。常務がお茶椀を手にして「お茶を飲むのを見届けて」部長と私もお茶をご馳走になる。

さすがと思われる「美味しいお茶だ。」
私は 「相当値段が張っているものと思いながら飲む」
しかし「良い香りのお茶に混じって、別の匂いが混じっている気がした。」  

《帰りのタクシーの中》

常務が我々二人に向かって「今日はどうも大変ご苦労さんでした。」の声。
部長が、「流石に立派な応接間での接待でした。」と応じる。
    「それにしても、秘書の女性は美人でしかもお淑やかで、衣装や化粧といい立ち振る舞いが一流でしたね。」
    「女優さんかと思いましたよ」の賛辞。

暫らくこんな話をしながら、下町の当社に向かいタクシーが走る。

私は「お茶の味に混じって、他の香料の匂いが気になった話をしたいと思っていた。」
この場で話をして置かなければ、チャンスが無いと覚悟を決めてタクシーの中で聞いてみた。
「折角の美味しいお茶が勿体無いよ。お茶葉が可愛いそうだよな。」と私は思う。

部長に、「応接間で頂いたお茶ですが、お茶の香りに混じって、少し違う香料の匂いが混じっていたと感じたのですが。部長はその匂いを感じましたか??。」
部長「そうだな、秘書のつけている香水の匂いが少しお茶に纏わりついていたな。」の返事。

常務が私に向かい、「ところでな、取引先から、わが社のお茶が以前より、最近美味しくなったと言われたよ。」の声。

《湯茶の入れ方と接待》

「たかがお茶、されどお茶」
外部から見えたお客様は、応接間のお茶の接待を通してわが社の心の奥を見ているのだなと感じる。

今回のお茶の話も時期を見て当社の女子社員に早速話をしようと思ったが、
待てよと思い、少しの間私の心の奥に仕舞い込むことにした。
早く話をしたいが、直ぐの話では相手企業の名前も分かっていることだし不味いので。

”当社のお茶がほめられた話と””お茶に香料の匂いが混じる話”は日数を置いてから当社の女子社員に話すことにした。

こんな事を書いていたら、次のような新聞記事が眼に飛び込んできた。
    《日本経済新聞・07/11/24の プラス1》

《香りのマナー TOPで点検》のタイトルでの記事の要約を記して参考に。

 1.香りは、好みの差が大きい。
  「様々な人と接する接客業や、香りが商品の重要要素になっている食品業界などては、仕事中は香水の使用を禁止してる企業もある。」
 
中略
 2.香りを選択したら。次は付け方。
  「一般に香水と呼ばれるものは、製造過程でアルコールに溶かす香料の割合で四種類に大別される。」割合が多い順に。
  
  ア・(バルフアン)
  イ。(オードバルフアン)
  ウ。(オードトワレ)
  エ・(オーデコロン)

香料が強いと、持続時間や香りの広がる範囲が大きい。
仏事や病院へお見舞いに行くときには、香水は邪魔になる。

《場面別・香水を付けるときの注意点》

 A.一般の職場
   ○ さわやかな香りを軽くつける。
   ○ 朝付けたら、原則付け直さない。
   × 大量に付けて、香りを振りまく。
   △ 濃く、主張しすぎる香り。
   △ 販売などの接客、周囲の状況や会社の方針に従う。

 B.取引先と合う
   × 初対面の人がいる商談に、濃い香り。
   × 食品業界など余計な香りを好まない相手との商談。
   ○ 勝負どころのプレゼンテーションのとき。(自分を落ち着かせる)
   ○ 汗のにおいを抑えるさわやかなもの。
   ○ 何度も会っている人との商談。

 C.食事の場面
   × 料理の味や香りを妨げそうなとき。
   × 個室で食事をするとき。
   ○ 相手に気づかれない程度に、さわやかな香りを付けて行く。
   ○ オーデコロンなど香料の薄いものを使う。
   ○ パーティなど華やかな宴出がゆるされている。

以上、新聞記事の一部を紹介しました。記事にはまだまだ参考になる記載が残っていますので、ぜひお読み下さい。








うまくいったぞ 仕事 4 お茶入れの改善 1

2007年12月03日 | 職人からサラリーマンに
新任管理者として、職場の改善事項をどのように取り上げるか、その方法を幾つか挙げげた。
新任ま管理者として、まず成功事例として実績を残していけば、この先新任管理者としての仕事がやりずくなる。

前項で、「新任管理者として、新しい職場に転勤赴任したら、その職場の”良い点”と”気になる点”を合計で18個記録しろ。」と言った。

人間は直ぐに楽なほうに同化し安住してしまうものだからだ。
「俺は違う」「俺は新管理者になったのだから」な。

その程度の覚悟だけで、半年も過ぎてみろ、”良い点”も”気になる点”もすっかり何処かえ消えてなくなり、「何か問題点があったはずだが」と思い出そうとしても思い出せないぞ。

赴任した直後の気になる問題点を、6か月経った現在、もう忘れているとしたら管理者としての資格がない。
もう、忘れてて「これでよしとする、」としていないか。
こんな奴は”ダメ管理者”だ。
”給料泥棒”だぞ。

「家庭を安定させよう。」「企業を繁栄させよう。」「日本を誇れる国にしよう。」の意気込みで”新管理者”としての仕事をやってくれ。


「管理者としての大きな任務は、職場の改善・合理化が課せられた任務だ。」
赴任した、直後に感じた職場で直感したものを記録して置くことで、改善や合理化の芽が掴めるから。

記録して置いた、18個の項目を大事に机の奥にしまいこみ、タイミングと時機を見計らって少しづつ引っ張り出すのだ。

最初の項目は、成功事例にしておかないと職場で後々やりずらい。

いきなり大見得を切って難しい問題に取り組むと、「今までも数人の管理者が取り組んで来たが上手く定着しなかった問題なのに。」と周りから批判がのこるだけになってしまうからだ。

やさしいと思った改善項目も「言うは易く、行うは難し。」だからな。

またまた、年寄りの愚痴で始まってしまった。
でもな、サラリーマン生活を最後の定年まで40年間一生懸命やって来て、

「家庭を安定させ。」(自力で家を建て子供3人と孫5人を育て)
「企業を繁栄させた。」(自信がある)
「日本を誇れる国にしよう。」(戦後まもなく、食べるものや着るものも
               何も無い国の日本で真面目に働いてきたのだから)

《私がやった職場の改善》の2《接客の仕方が気になる》の続き。

 F.《お茶の入れ方が気になる》

  1.仕事の改善点の上司の根回しを済ませ、多少の予算を要する点も了解をもらった。
  2.一番古参の女子社員に説明し協力を求めた。
  3.次席の女子社員にも協力をもとめて了解された。

  4.実際にお茶汲みしてくれる新人女子社員にも説明した。
  5.実際の指導・教育は、古参の女子社員二人に任せたが、私も立ち会った。
  6.改善の成果は、私がPR役をつとめて、その成果は部長と女子社員のものとすることにした。

 ここまで、前回書いた。

《準備その2》買い物。

 私がした、準備に本を3冊買う。
内緒で本屋で自費で「お茶に関する書籍を3冊買って家で勉強することにした。」

 「美味しいお茶の入れ方」
 「座敷の礼儀作法」
 「接客の基本」

 こんな本でいいかなとおもいながら、3冊買って家で読んだが難しいということが解った。
 ただ、「お茶の温度」とか、「お客様にお茶を出す順番」「お茶の種類で湯の温度を変える」
などと言うことが解かった。
 なにせ、”気になる点”にお茶の入れ方を選択したのはいいが、私自信なにも解っていないのだから。

《お茶道具の買い物》

いろいろ、準備しながら女子社員と話しをしていたら「お茶道具が不足している」と言うことがわかった。
予め、部長に予算を貰っていたので、「お茶道具の買い物」をすることにした。

「だななのどどいつ」(旦那の都々逸)を胸の奥で唱えながら考える。

 1.買い物には、私と誰れにする??(古参の女子二人でいいかなと)
 2.何時行くか(仕事時間中でもいいか、帰り道でかを考える)
 3.買い物は、何にと、何を買うのか(女子に聞くことにした)

 4.買い物の予算はいくら持っていけば足りるか
 5.何処に行けば希望する買い物が揃うのか
 6.買い物リストを作るべきか

 買い物に行く前に、以上のことについて私から提案し女子社員と会議した。

 《お茶道具の買い物のリスト》

 1.茶のみ茶碗2種類、Ⅰダースづつ。表と裏のない総柄のもの。
                 壊れたり、欠けたりしたときの予備を含む。
   やや、小さめのもの (お客様に最初に入れるお茶碗)
   すこし、大きめのもの(二回目に入れるお茶碗)
   
 2.急須も2種類、
   小さなもの(最初のお茶を入れるときに使う)
   大きなもの(番茶などの時に使うと言う)
 3.茶托も一ダース買う。

 4.コップも一ダース買う。コースターも含めて。
 5.お茶も二種類買う。

 6.補助椅子4個(此処では買えないので別の店で買うことにした。)
 7.6.と一緒に、小さな茶だなを買うことにした。
   (お客様専用の張り紙をして、やたらと使わせないことにした。)

 8.さらに、お茶道具を応接間に運ぶ「車付きキャスター」も買うことにした 。
 9.これで、終わったかと思ったら、最後にポットを一つ買ってほしいという。
   (現在なら電気湯沸し器だろうが、当時はポットしか無かった。)

 《コミニュケーションがよくなる》

 なんといっても、新人管理者の私と古参の女子社員との間の意思疎通が十分できるようになって、相互理解が進んだことはいうまでも無い。
「私の懐で、昼食をご馳走したくらいのお釣は十分私も十分貰った。」

 お茶を入れてくれる、新人の女子社員の教育と指導も私が黙っていても積極的にやってくれるようになった。
男子の私が、「接客とお茶の入れ方」で成功した後は、一般事務の「改善・合理化」についてもやりやすくなったことを申し添えよう。

お客様の茶托にお茶がこぼれているようなことは無くなった。

それでは、また次回に。とここまで書いたが、お茶の件で「まだ言い足りないことが2~3ある。」ことに気がついた。
なんのことでしょうか。貴女も考えておいて下さい。   
 
  




うまくいったぞ 仕事 3 管理者初心をカードに 3

2007年11月30日 | 職人からサラリーマンに
新しく管理者になった者の心構えを、前回くどくどと書いた。

「こんな、偉そうなことを書くお前は、ではどのようにしたのだよ。」

そうだよな「言うは易く、行うは難し」と諺にもあるからな。
     諺(口で言うだけならだれにもやさしいが、それを実行するとなると難しいものだという教え。)

《私がやった職場の改善》

 E.新管理者となってから、私がやった職場の改善の実例を書いて参考にしよう。

  ア・まず、新職場に配属されて、”良い点”と”気になる点”をカードに18個書きとめた、
    このことは前回にかいたので言うまでも無い。

  イ・このカードの中で、”気になる”カードを披露するとこんな風だ。
    1.整理整頓が悪い。
      これについての、カード3枚     
      A.机の上の整理が悪い。     (管理者の誰も言わないのか。)
      B.書庫の整理が悪い。      (棚が不足しているのか。)
      C.台所が汚い。         (女子社員もこれで平気なのか。)
     
    2.接客の仕方が気になる。
      A.応接室のお客様の席次。    (室内の机椅子の配置が悪い。) 
      B.お茶を出す順番。       (どのような順で出すのか解っていない。)
      C.お茶椀の扱い。        (茶たくに、お茶がこぼれている。)
     
    3.仕事。
      A.部室内での職員の呼び方。   (00さん、00チャン。00君。などばらばら。)
      B.仕事の指示が統一されていない。(あるときは部長が直接。あるときは課長からの指示。 
                        それも言うことの内容が違う。)
      C.残業が多い。         (残業を多くしている者が仕事を良くやっているの認識が蔓延。)

さて、此処までカードに書いたら、()かつこ内のことがらについて。
さらに、「どうしてか、」「なにが気になったか。」をABCの項目について、さらに3枚のカード書く。

ここまで出来たら、ほぼ準備完了。

だだな、言い出す「順番」「タイミング」を慎重にする必要がある。
新任管理者だ、最初からの失敗は不味い。
まずは、うまくいって「職場全体から喜ばれる。」
          「職員もよかったという。」
          「お客様からも喜ばれる。」
と、3者が喜ぶと言われるような内容のあるものを最初に選択しよう。難しいよな。
それも、新管理者が言い出しても文句のこない仕事内容のもので。

これなら、誰からも文句は出ない。「そんなの、ないよ。」と言うかも知れないが。何事も、「自分自身の得点を稼ぐためにやるのではない。」の覚悟でだ。躊躇するな。

《残業が多い》を選択したらどうなる。

 例えば、3.仕事  C.残業が多い

 を選択したとする。この項目は簡単そうに見えても一筋縄ではないぞ。
この項目に対する「基礎知識」が必要だ。

 ア・自社の「就業規則」を読んだことがあるか。残業についてどのように書かれているか。
 イ。「労働基準法」の勉強をしたことがあるか。
 ウ・地域の「最低賃金」が何円と定められているか知っているか。残業時の賃金倍率を知っているか。
   (今国会で、最低賃金1,000円の討議をしているぞ。)
 エ・労働災害に対する知識が多少でもあるか。
 オ・「労働基準監督署」が何処にあるか知っているか。電話番号は。
 カ・社内労働組合が今まで「残業問題」で過去にどのような対応をとってきたか知っているか。

以上、この残業問題は「新任管理者にとっては少々ムリだよ。」もう少し先にしたら。

しかし、新管理者として、その存在感を示す必要があり「黙って座っているだけでは済まされない。」

《2.接客の仕方が気になる》
      そこで
    2.接客の仕方が気になる。を取り上げることにした。
      A.応接室のお客様の席次。 
                   ア・応接室の配置が悪い。
                    (ドアに近い位置にお客様が座りがちな配置になっている。)
                    (本来ドア寄りは、当社側の席なのに、お客様を奥側に案内しずらい。) 
                   イ・補助椅子が準備されていない。
                    (お客様の人数が多いときに座る椅子がない。)
                   ウ・灰皿が直ぐにお出しするようになっていない。
                    (最近はタバコ禁止という応接室もあるが。)
                    (タバコ禁止ならドアの外の何処で吸えるのかを決めておく必要がある。)

      B.お茶を出す順番。
                   ア・どのような順番でお茶を出すのか教育されていない。
                    (会社側の者に先にお茶を配る職員がいる。)
                    (上司に一番先に出す職員もいる。)
                   イ・茶托にお茶がこぼれている。
                    (茶托の中にお茶がこぼれていて、茶碗を持ち飲めない。)
                    (茶托の水で書類を濡らしてしまう。)
                   エ・お茶がぬるい。
                    (ぬるいお茶で、当社の品位が疑われる)
                    (商談が上手くいかない。お客様に不快な顔をされる。)
                   オ・お茶の色が均等でない。
                    (お茶を注ぐときの気配りが不足している。)

      C.お茶碗の扱い。
                   ア・お茶碗がばらばらで統一されていない。
                    (お客様がなぜそれぞれに違う茶碗なのか疑いの目で見る。)
                    (自分達だけ美味いお茶をのんでいるのかなと疑われる。)
                   イ・お茶碗の柄と向き。
                    (お茶碗に美しい絵柄がある場合には、
                     絵柄を見せるように、お客様側に向けて配置すること。)
                   ウ・欠け茶碗は禁止せよ。
                    (商談に見えたお客様に欠け茶碗は失礼だ。)  
                    (欠け茶碗でお茶を出したら、商売が上手くいく訳がない。)
   
さて、「だななにどどいつ」を唸りながらカードを12枚書いて、並べたたぞ。

「新米管理者の腕の見せ所だ。」だがな、慌てるな。
「根回しと、十分な準備がいる。」
「初めての”改善”だ。」

 1.まず、上司に世間話をしながら、「接客の仕方」の改善点を説明して協力を求める。
   多少の予算がいる(補助椅子・お茶碗の買い替え等)の了解を求めておく。
 2.上司の理解と協力がもらえたら、今度は「古参の女子社員」を説得する。

 3.出来れば、古参の女子社員の「次席の女子社員」にも協力を求めよう。
 4.実行部隊員は、通常新しい女子社員と思われるので、根回しがすすんだら、
   新人にも良く説明し指導する必要がある。

 5.新人の指導は、古参の女子二人に頼み、私も立ち会う。
 6.改善の成果は、上司と女子社員に差し上げる約束をしてから進める。

《新聞の記事》

 この原稿を書いていたら、07-11-30日の読売新聞夕刊の一面「よみうり寸評」に次のような言葉が出ていたので参考に紹介する。

 「国に諌める臣あればその国必ずやすく、
                  家に諌める子あればその家必ずただし。」

《昔の部下の女子職員の話》
 
 40年振りで法事で会う機会があった、昔の新入女子社員が言った言葉だ。

 「私が18才で高校を卒業して就職して一番勉強になり、役だったのは、接客時のお茶の出し方です。今でも役にたっています。」と言われた。  

うまくいったぞ 仕事 2 新管理者の心得 2

2007年11月28日 | 職人からサラリーマンに
新管理者として、新しい職場に転任した。

こんな時のキーワードは、”3つ”と前項「うまくいつたぞ 仕事 1」として書き出した。

 A.名前を3回使え
 
   新しいお客様との面談には、お客様の名前を3回以上使え。
   お名前を早く覚えることで商談もスムースにいくぞ。
   難しいお名前の時には、正直にお聞きしてしまえ。

 B.新管理者として、新しい職場での印象を18個書け。
   ”良い点”  を    大きい項目を3個 これを分解してさらに3個 合計9個書く。
   ”気になる点”も同じに 大きい項目を3個 これを分解してさらに3個 合計9個書く。
   全部で18個だ。

 C.このカードを整理していくのに、「だななのどどいつ」(旦那の都々逸)5w1H を使え。

前項を要約するとこんなことを書いた。

 今回は、どんな風に使うのか、その一部を披露してみようと思う。

 D.《新管理者に向けて》

   まず、私の基本的な考え方を、新管理者に向けて 2^3書いて置く。

   ア・職場では、”へらへら””お世辞たらたら””うまい話””上司の悪口”話をしながら
     摺りよってくる者がいるが、その手に乗るなよ。

   イ・ろくな事はないぞ。特に役員や上司の悪口に乗って「そうだな」とでも言ってみろ。
     今度の新管理者は、役員・上司の悪口を触れまわす。と言うことになる。

   ウ・管理者は、孤独なものなのだ。
     配下の者と同化するな。
     仲良くしてはいけないといってはいない。
     仕事を楽なほうに新管理者を引き込む算段が常に働くものだ。

   エ・この辺の、けじめをはっきりしておく覚悟が大切と言っているのだ。
     「悪貨は良貨を駆逐する。」と前回に書いた。  
     人は、難しいこと大変なことから、逃げてやさしいこと楽なほうに行くものだ。
     管理者として、この楽なグループに落ちたら、貴方の将来は無いぞ。家族もろとも地獄だ。
     
   オ・前回も言ったか、新しい地位を貰い・手当ても増えて・新しい机に座り続けるには、
     管理者の仕事は、なま易しいことでは続かないものだ。

   カ・配下の不始末は、自分の不始末だとして「真っ先に問題の処理に当たれ」
     トラブルの場面で、逃げ出してしまう管理者もいるが。こんな管理者は「以後信用するな」

   キ・仕事で不始末が発生したら、仕事を「改善するチャンス」だ。
     管理者が真っ先に出ていき「問題の処理に当たれ」こういう管理者ならば信用できるぞ。

   ク・このトラブルに、職場の「改善のヒント」がある。
     この後で、「これを契機に次回から仕事のやり方を次の様に変える」と改善案を示せば、
     反対も少なくスムースに進むぞ。
   
   ケ・これが、出来た管理者は上司からも部下からも信頼を勝ち得られるポイントだ。
     (私が勤めた職場での上司は、海軍で駆逐艦に乗船していた将校だった人で。
      普段は何もいわずに私に任せていたが、私の職場でお客様とトラブルでごたごたしていたら、
      真っ先に飛び込んでこられ、私と一緒に解決に当たってもらえた。)

   コ・これが、「本当の管理者」の姿だ。管理者のやる「重要な仕事」なのだ。
     当然にこの上司は役員になられたが、私はこの人の仕事振りに惚れたのは、言うまでもない。

   サ・管理者が常に看視して見るポイントは、「組織に甘えや弛み」が出ていないか。
     この「甘え・弛み」を、管理者が放置していると次々と、これを良いことに「集団基準」が低下する。

   シ・一度この病気にかかった組織は、少しの努力では病気は回復しないよ。
     最後は、組織全体が腐って、まず「倒産の憂き目」をみることになるぞ。

   ス・管理者のもっとも大切な仕事の一つが「甘え・弛み」に対する管理・監督だ。

   セ・管理者は「表面でつくろうな」
         「実直な仕事振りで成果を出せ」

   ソ・管理者は「仕事の、仕組みや、制度を作る。作れる立場にいる、」組織の期待が大きいのだ。

   ナ・何事も「やってみなければ、成果は出ない」グズグスするな。
     やらねばならない仕事に出会ったならば、チャンスだ。
     どのような手順でやるかには、時間をかけて「だだなのどどいつ」を唸れ。

   ニ・「誰かがやるだろうと思うな」手を出せる人は管理者のお前しか居ないのだからな。

   ノ・「俺は管理者なんかになりたくない」弱音を吐くな。
     こんなことは、誰にも言うな。居酒屋で仲間に言うな。家庭でも言うな。
     一人心静かに、「頑張るのみ」だぞ。

   タ・ 家庭を良くしよう。会社を繁栄させよう。日本を良くしよう。
     これが、給料を貰い「家族を養っていくための源と心得て」頑張ろう。


   どうも、くどく管理者についての私見を書いたが、この中で一つでも貴方のために役立つものがあれば嬉しい。
   40年間のサラリーマン生活を得て、年金生活者77才になった年寄りの独り言だ、気に障ったら勘弁しろよ。

   では、次回にまたな。     
    

秋の紅葉の季節に 田舎の結婚式二題

2007年11月11日 | 職人からサラリーマンに
昭和33年、私の27才の時のことです。

 A.結婚式 その1 (栃木県・真岡)

職場で何時もハイキングや登山で同行していた友人が結婚することになったと言う。嫁さんは地元の人だそうだ。

結婚式は実家でするので、支店長と貴方二人で出席してもらえないかと誘いがあった。
友人の実家は、栃木県の真岡在だ。

結婚式は、たしか日曜日だったと記憶している。支店長と上野駅で待ち合わせし、午前11時の結婚式の時間に間に合うように東京を出かけた。

東北本線の小山駅で水戸線に乗り換え、さらに下館駅から真岡線に乗り継ぐ。
車窓から見える景色は田園風景が見渡す限り広がるのみ。

指定されたローカル線の駅で降り、駅前から親戚の人が迎えに来ていてた車で彼の実家まで送ってもらう。

実家は、大きな住まいで田舎作りだ。
入り口から入ると広い土間があり、私達はその土間を通って奥の座敷に通された。

座敷から見る庭には農機具小屋もあり、広くていかにも農家という風情。
かなりの時間が経つが、友人と嫁さんが現れる様子がない。
座敷には、お客様が私達二人の外に10人ほどいるが、東京から来た二人には話しかける話題も無い。

お腹も空いてくるが、目の前にはお茶と茶菓子が少し有るのみ。お茶菓子に手を出すのもみっともないので我慢する。

暫らくすると、庭先が騒がしくなり車が何台も庭先に入ってきた。
新郎と新婦の到着だ。

私達二人と共に座敷にいたお客様が靴を履いて庭先に出て、新婚夫婦を出迎える。

庭先に家族やお客様全員が揃うと、新郎と新婦が車から降りてくる。
新郎が先に玄関を入り、家の中で新婦を待ち受ける。

新婦は、玄関に入る際に「蓑を肩に・すげ笠を頭にかざして」、火打ち石を打ち鳴らす親戚の脇を擦り抜けて、急いで家に入る。
(この辺が当時田舎でやる結婚式の見せ場かと私は思いながら見ていた。)

奥の座敷に私達が戻り、新郎新婦のご挨拶が当然にこの座視であるものと思って待っているが、一向にその気配がない。

どうやら、床の間のある座敷に新郎と新婦が座り、親戚の紹介が一組毎に呼び出されて紹介が行われているという。
(ははあん、この辺が当地の習慣か。)

我々のいる座敷にも、酒肴が出されたが。まだ、新郎・新婦への紹介が続いているとのことで、お客様の座敷には姿を見せない。

東京から来た我々二人は、どうしていいのか、もぞもぞするばかりで落ち着かない。(東京の結婚式ではこんなことはないぞ。と思うが仕方がない。)

酒も魚もなんとなく進まない。新郎・新婦の挨拶も無いうちでは、膝も崩せず。
そのうち、同じ座敷にいたお客様が一組づづ呼び出されて、奥座敷に向かう。

座敷に帰ってきた、お客様に聞くと新郎・新婦に紹介されて、こちらの側と、この家とのお付き合いの内容を仲人から新婦に話しているとのことだ。

東京から来た私達二人は、最後まで奥座敷に呼ばれることがなかった。

そのうち、新婦が普段着の着物姿に着替えて、我々のいる座敷に現れ、仲人と一緒にお客様に酒の酌をして廻る。新郎は座敷には現れない。

最後に、仲人から「目出度く結婚の儀式も終了しまた。大変有難うございました。」の挨拶でお披らきになる。


帰りの東京に向かう汽車の中で、支店長と私は田舎の結婚式のやり方に不平を言ったが仕方が無い。
《真岡の結婚式の経緯》
  彼が、職場に出勤してきてから、私が彼の家の結婚式のやり方の疑問点を聞くと、彼はこう応えた。

 1.実家での(田舎)結婚式は、私(彼)も初めてなのでどのように進行するのか解らなかった。(彼・ごめんなさい。)
 2.結婚式は、家と家との関係が優先らしく、
   前日に花嫁側の家で一回結婚式が行われ、当家の親戚の殆どの人が出席していたと言う。
 3.新婦との初夜も嫁さん側で済ませたという。(変なところで惚気るな。)
 4.仲人は、新郎側と新婦側に二人づづ、それぞれおり、新婦側での結婚式には新郎側の親戚も参列して行われ。

 5.翌日に、新郎側の仲人が新婦を引き取って、新郎と一緒に新郎の実家に入る。
 6.この際、新婦側の親・兄弟・親戚・嫁側の仲人等は、付いてこないのだという。
 7.文字どおり、新婦一人が新郎宅に嫁入りするということが、この地方の結婚式の形式のようだ。


 B.結婚式 その2 (群馬県・松井田)

 私と彼は、夜間大學時代の友人で、彼は大學を卒業したら実家に帰って高校の先生になるのだという。

 実は、夜間大學の選択科目で3科目ほど教室で一緒になった。
 或る日、大學からの帰り道で彼と一緒になり、乗り物(都電)の停留所までの道をお喋りしながら6分ほど並んで歩いた。

 こんな関係が何回か続いているうちに、彼が田舎の家から出て、東京に下宿しており、その実家と言うのが「群馬県の松井田町」だという。

私が登山が趣味だと言うと、彼の実家のすぐ近くが「妙義山」で。秋の妙義の紅葉も見事だぞと言う。
次の休日に泊まりで家に来て「妙義山」に一緒に登ろうと誘われた。
土曜日に、上野駅で彼と待ち合わせて、信越線で高崎の先の「松井田駅」に着く。

松井田町と言う所は、「中仙道の宿場町」で、「碓氷峠をて経て軽井沢町」えの登り口である。

私が松井田町に行った時には、「信越線が碓氷峠を登り軽井沢駅に経るには、蒸気機関車を横川駅でもう一台増連結し二連結で、「レールの中にあるアブト式というギアを噛んで列車が登っていくいく方式」であった。

上野駅で待ち合わせした彼が「英字新聞」を抱えていたので聞いたら、「家に帰る為にかっこつけているだけだよ。」と言うので、そういうものかと気に留めてもいなかった。

松井駅の改札を出たところで、若い女性が二人待っていた。
彼が嬉しそうに「暫らく」の挨拶をしている。

英語新聞を抱えて実家に帰ってきた訳がこれだなと「ピーン」と来た。

暫らくして、私に二人の女性を紹介した。一人は小柄な人で、もう一人は大柄で小太りだ。
私が見る目で、年令は22~23才だ。

女性に晩熟(馴れない)の私はどのように返事していいのか解らずにいた。
列車の中でも、松井田駅に女性が見えているという話は全然なかったのだから。

やおら、彼が「妙義山」に一緒に登ろうと言って誘った地元の知り合いだと言う。
なにか、どちらかが「彼の彼女」らしいと思ったのだが、そんな詮索しては失礼と思い、その件には触れないことにした。

その足で、彼の実家に寄り、登山には不要な荷物を預けて、早速「妙義山の登山口の妙義神社」に向かった。
妙義山には、クサリ場もあって、嶺道を登り下りしながら進む。紅葉もすばらしく映えて、楽しい山歩きだった。
二人の女性も地元の山で何度も登っているらしく、男子が面倒を見るという場面も無かった。

彼の実家は、昔の中仙道に面しての通り道にあり、旅籠「昔の旅館」をやっていたのだが、今はやっていないという。
表通りから見ても、かなり大きな建物である。彼が泊まれというのがよく解る。

実は、これが彼の結婚の伏線であるということが、間もなくわかる。

 年を越えて、3月に大學卒業のため学校に行くと、彼が待っていて「ちょつと、お願いがあるのだが。」と言う。
 「お金でも貸してくれと言うのか」と思いやや身構えていたら、彼が「実は、過日妙義山の登山で一緒した、彼女との結婚が決まった。」と言う。

 私は、瞬間的に、二人の女性のどちらの人かな--?と考えた。
 「背の大きい女性かな。背の小さい方の女性かな。」
そんなことは、彼に今すぐには質問出来ないから、どちらの女性かを自分で想像することにした。

 彼が「結婚式に参列・出てくれないか。」と言うのが、学校で私を待っていた本題だった。
 彼曰く、東京に4年間も下宿して夜間大學に通い、友人の一人も出来なかったでは、親の前で言えないと言うのだ。
 特に、結婚式に呼べるような友人が一人も居なかったというわけにはいかない。
田舎(地方)では、こんな習慣が根強く、隣近所や親戚にも後々まで言われてしまうと正直だ。

《松井田の結婚式》

 群馬県の松井田町での結婚式に参列した。
昔は旅館を結っていたという、大きな建物だ。大広間も立派で広い。

式も淡々と進み「宴会が始った。」
お嫁さんが、お色直しをして宴会場に現われて招待客一人ひとりにお酌して廻る。
私の近くに廻ってきたので、それとなく「二人の女性のどちらかな」と見ていた。

花嫁衣裳を外した人は、松井田駅にいた「小柄な女性」だった。

《私の醜態の発生》
宴会が進んで、私が酒が飲めるという事が解って、宴会場に居た、仲人や親戚・知人が代わる替わる、私にお酌にくる。

今夜も泊まれと言われていた、こともあり、「松井田町の地酒がとても美味しいですね」などお世辞を言いながら、遠慮なくご馳走になる。

結果は「酔いつぶれて、布団に寝ていた自分がいた。」

午前3時頃と思うが、小便がしたくて眼をさまし布団の中からのろのろと立ち上がり便所を探す。

寝ていた場所は、二階で表通りに面した広い日本間である。
もう一組布団がひいてあり、一つの布団に二人寝ている。

小便が先だ。終わって直ぐにまた布団に潜ぐりこむ。
午前5時頃再び眼をさます。外もやや明るくなっている。隣の布団を見てびっくり。
二人で寝ていた、布団が金襴緞子というような、豪華な布団だ。

一瞬しまったと思った。「隣の布団は、新婚夫婦」だ。
私は、その新婚夫婦の奥上手の布団の同じ部屋に寝かされていたのだ。

  《田舎・松井田の結婚式の失態》
いくら田舎でも、新婚夫婦と同じ部屋に寝かせるとは思わなかった。
酔いつぶれた私も悪いが、昔旅館の建物だよ、別の部屋もあろうにと思うが、後の祭り。

彼とは、「現在でも年賀状のやり取りがあるが」その後は、恥ずかしくて誘いがあっても彼の家に行けない情けない自分がいる。」

《碓氷峠のアブと式線路》追記 
この原稿を書き終わった2日後の、平成19年11月17日の読売新聞・夕刊に「信越線・碓氷峠のアブト式」の話が掲載されていましたので、参考に追記します。

「国鉄のOBとともに鉄道を辿る」(碓氷峠交流記念財団主催)旧信越線の廃線跡横川--軽井沢間約4.8Kmを歩くツアー。

《その要約》この区間は、長野新幹線が開業する1997年までの104年間、群馬県の高崎と新潟県の直江津を結ぶ列車が通っていました。
(中略)線路面にギザギザ形のラックレールが埋め込まれています。
横川--軽井沢間はわずか11.2キロですが、標高差は553メートルもあって、列車は急勾配の碓氷峠を越えなければいけませんでした。
このため、路線の中央にラックレールを敷き、車体下に取り付けた歯車とかみ合わせて走らせる登山鉄道用の「アブと式」を採用-----(攻略)とあります。

《私の50年前の記憶もそうは間違いが無かったことに嬉しく思いました。》

私の娯楽 ”夏から秋” の遊び

2007年11月05日 | 職人からサラリーマンに
私が20才から、29才までの独身時代の娯楽(遊び)です。

 前文にも書きましたが、我が家は貧しくて、子沢山の家庭に私は四男坊で生まれました。
私が何かするにも、親・兄弟のすね(金銭)をかじるような家庭ではありませんでしたので、自分の事は自分で決めてするというのが若い頃からの生活習慣でした。

学業も自分でやりくりし、勤め先も、夜間大学も自分で決めました。
勿論学費や書籍代、交通費、娯楽(遊び)なども、すべて自分の給料の範囲内でするしかありません。

ここに、書いている年代は、昭和25年(1950)から昭和34年の約10年間の私の遊び事です。
当然に、世間の状況は現在と違い何事も未開発な時代です。

”東京タワーが”、昭和33に建設中とありますから、その時代背景が想像できますでしょうか。

交通機関は、JR(旧国電)か私鉄。都内は都バスか都電。地下鉄は浅草から渋谷までの一系統のみです。
都電は都内一面に路線があり、一回乗車券を買えば乗換え自由でしたので、都内の用事は出来る限り都電を使いました。

私の住む家の近くを、三ノ輪橋から早稲田まで走っていた都電にはよく乗り利用しました。
今は廃線になっていますが、この都電は王子駅から分岐し赤羽駅までの路線もあったのです。

どこに出掛けるにも、自家用車など持っている家庭は殆どありませんから、近所は徒歩か自転車です。
4~5Kmの距離の所は徒歩で行くのが殆どです。

戦後間もなくの表通りには、馬車(馬に曳かせる)がぽこぽこと荷物を積んで通り。都バスは黒い煙を出しながら背中に木炭を燃料にした釜を載せていた木炭車でした。

考えてみると、食べ物も少ない時代によく遠くまで歩いたなあと思います。

こんな時代の若い者たちの”娯楽(遊び)”です。


 A.”夏のキヤンプ”

  ア・毎年、夏の季節に職場の若い職員を中心に「キヤンプ」を計画します。
  イ・春先からの「ハイキング」の延長みたいな形ですが、
    飯盒炊飯などして「キヤンブ場」で一晩泊るというのが味噌です。

  ウ・この行事は、職場の人だけで行います。
  エ・外部の人が入っての泊まりで問題があっては不味いという配慮からです。
  オ・職員の中で、男子4人と女子4人、計8人て毎年計画します。

  カ・「バンガロー」を二棟借りるのが前提ですから。
  キ・当時の「バンガロー」は一棟、畳みで4畳程度しかなく、女子用と男子用に分けて別々に使うための人数制限です。
    当時の「バンガロー」には、電気もなく、事務所に風呂もありません。
    事務所から、毛布を人数分借りて、マキを買う程度です。
    水道もありませんから、食事の準備は「小川のせせらぎ」でやります。
    近くを流れる「小川には、綺麗な水が流れていたものです。」
  
  ク・行き先は、その都度替えますが、「丹沢の宮が瀬」「富士五湖の精進湖」などが、メインでした。
    現在では、「宮が瀬」はダムの底に、「精進湖」は廃止されてありません。
  ケ・当時の「キヤンプ」は、夜食と朝食の二食を自分達で作るわけですが。
    この食材や、お米、鍋・釜・飯盒などすべて、東京から持っていくのでその準備が大変でした。
  コ・職場での、仕事が終了した夜に、出かける数日前から、何を誰が持っていくかなど取り決めが大変です。
  
  サ・旅行の日時や、集合時間、行程、バンガローの予約、電車の時刻などの取り決めは、私の担当です。
  シ・食材は、年配の女子職員に任せ、参加する女子職員4人で決めさせます。
  ス・夜食は、「カレー・ライス」と言うのが定番です。
  セ・朝食は、味噌汁に御新香程度ですませます。
  ソ。昼食は、梅干入りの「おにぎり」一人に二個づつ。
 
   ・現地でのカレーの準備は、4人の女子に任せます。
   ・ジャガイモの皮をナイフでうまく剥けない女子もいて、料理係りは大騒ぎしています。
   
   ・飯盒(はんごう)での、ご飯つくりは男の仕事。
   ・主として私が担当。私は小学生の時から自宅の釜でやっていましたので得意です。

   ・「始め、ちよちよろ、中ぱっぱ、お仙泣いても、蓋(ふた)取るな。」
   ・と言うのが、ご飯を焚くときに、私が母親から言われた、諺です。

   ・「一筆計上、お仙泣かすな、馬肥やせ。」短い手紙の代表例として現在に受け注がれている話です。
   ・徳川時代の武士が戦場から、我が家の妻に自分の無事を知らせるとともに、
       子供に対する配慮と、家畜の馬にも配慮するようにとの、一番短い手紙と言われています。
   ・この諺をもじって、ご飯を焚く例え話としたものと思います。

   ・飯盒の蓋から蒸気が吹き出すようになっても、我慢がまん、蓋を取らない。
   ・飯盒から蒸気が出なくなったてから、少し時間を置いて、
      飯盒を上から薪でトントンと叩くと、鈍い音になったら出来上がり。
   ・まだ、蓋を取ってはいけませんよ。飯盒を火から下ろして、飯盒をそっくり裏返しします。
   ・裏返したまま、約15分我慢。よく蒸らすのがコツです。
   ・これで飯盒での、美味いご飯が出来上がるのです。


  ナ・翌日は、近くの山に「ハイキング」して、東京に早めに戻ります。

  ニ・こんな些細なことでも、東京から出かけて、仲間と仲良く遊んでくるという行事は、大変ですが楽しいものですよ。
  ヌ・でも、「キヤンプ」行事を計画し、無事に終了するのは大変ですよ。

   ・まず事前に、列車と電車・バス等の時刻を調べ、登山案内を書籍店で買うと同時に、
   ・登山する付近の1/5万分の等高線の地図を買って自宅で調べて置く。

   ・出発当日の待ち合わせ場所と時刻、事前に鉄道駅を下見して、
         参加者全員に駅の何処で何時に待ち合わせるかを決めて知らせる。
   ・翌日は仕事ですから、東京に戻る時刻が遅くならないような時間割りにする。
   ・当日の食料や料理道具の事前点検。
   ・服装や履物、雨具、水筒の再点検。
   ・会計係りを決め。各自会計に00円を預けさせる。
   
   ・まだまだ、言い足りない点が沢山ありますが、まずこの程度で。
   ・結局、職人上がりの自分としては、職人根性がむらムラと湧き上がり、計画し準備することが楽しい性分なのです。

  ネ・今年、もう一回「キヤンプ」をやろうといわれるが、計画する側としては、今年はもう手が出ません。
  ノ・でも、「キヤンプ」のお陰で、その後の職場での雰囲気が良好に成るのが目に見えるようになります。


 さて、次の行事は「秋の紅葉」です。

 

新支店長の下での 出納業務運営 その7 14

2007年09月28日 | 職人からサラリーマンに
昭和29年(1954)の時の話です。

 A.最近の新聞記事では、平成19年9月(2007)現在でも。
   大手の官営の金融機関が、古参の女子職員でも、「3日に1回は、現金が合わない。」とありました。
   それも、文明の利器「オートキヤッシャーや自動処理機を使っていながら」、という記事が載っていました。

 B.現金を扱っている機関では、金融機関のみならず、一般企業や官省庁を含め。
   お客様が信用される「第一歩は、現金の扱いに間違いが無いということ。」でないでしょうか。
 C.信用は、文字通り「現金が正しく合っている、ここが出発点です。」
   担当者が詐取したり、誤魔化すなどは、監獄行きです。

 D.出納業務は、その最前線で「お客様の信用を勝ち取っている気迫で毎日の仕事をすべきです。」
 E.私共の職場では6人が、新支店長から出納の仕事を任され。
   その任についている限り、一銭の違算もありません。

 F.もし当日の「現金の締め上げ時に、現金総額が合わない場合は、内部にいる職員全員を残して、精査します。」
 G.、お客様との信用を築くための、第一歩の「最低基準」ですから。

 
 《私の出納業務のやり方》

 A.出納業務に携わるチーム6人の編成と配置は、前回かきました。
 B.しかし、6人の性格や考え方は、それぞれです。
   
 C.少し詳しく分析して、私は配置を先輩の責任者と違うものにしました。

 D.まず、入金担当の3人の役割分担を次の様にしました。

  ア。窓口の左側に中堅の女子職員を据えました。
    この人は、お喋り好きで、今までは隣の新人女子職員と、仕事をしながら何時でもお喋りしていました。
    また、お客様への愛想はいいが、仕事の注意力が散漫の性癖があります。

  イ。窓口の真ん中は、一番信頼できる女子職員を座らせて、入金窓口3人のチーフに指名しました。
    アの女子職員がお喋りしても取り合わないように、責任者の私と打ち合わせを済ませました。

  ウ。一番若手の女子職員は、一番右の席に座らせて、専らチーフの補助者として用いながら。
    出納の仕事をチーフから教えさせる事にする。

  エ。お店にお客様が見えたら、一番左の女子職員に出来るだけ受付させる。
    窓口が込み合ったら、仕事の分量を見ながら、チーフも窓口の仕事を引受けて、
    簡単な仕事と思うものは、右隣の新人職員に仕事を回す。
    この辺の3人の窓口の仕事配分は、真ん中の女子職員にまかせる。

  オ。勿論窓口でのお喋りは、当然に全面禁止とする。
 
  カ・入金窓口係りの、毎日一番最初の仕事は営業係が前日集金して来た、金銭の入金処理から始まるのです。
    この作業で、各人の手元に、小銭や紙幣が準備されて、当日の窓口入金事務がはじめられます。

  キ・お気づきでしょうが、入金窓口係りの3人は、「手持ち現金0円」から仕事が始まっています。
    当日の現金照合では、0円からの始まりが大切なのですから。

    《再勘》

 E.言いい忘れましたが、当時の出納業務は「出納業務は再勘制度」と言って。
   入金窓口で勘定整理したものは、後ろの席の責任者(私に)回して、正しいかどうかを再度調べてもらいます。
   OKなら、後方の預金係りや貸付係りに、責任者から通帳と入金伝票が回付され処理されます。
   現金類(現金と手形・小切手)は、責任者の手元に残ります。
 F.この仕組みを、我々は「再勘制度」と言っています。
   通常は、これを職場内で「再勘」と言います。

    《単勘》

 G.現在では、「オートキヤッシヤー」などの出納業務も機械化されましたので。
   。出納業務は「単勘制度」と言うものに現代は移り変わってきています。
   ・後方の、責任者に回して再度の調べをしいないのが、この制度です。

 H.この「単勘」制度の方が現金間違いが少なくなる現象があります。
  ・「自分一人で完結させなくてはなりませんので、札束の数え方にも熱がはいります。」
  ・「勘定を間違えば、自分自信で処理したものであることが、歴然ですから。」
  。「責任は、自分にすべて降りかかり、戻ってきます。」
 
 I.当然に「単勘」は、事務処理も早くなり、お客様の待ち時間も短縮されます。
 J.出納業務を経験した、私もこの「単勘」制度に賛成です。
 K.ただ、その分「責任が重くのしかかりますから」手当ての増額などでの配慮を要すると、私は考えます。


  《支払窓口の経験》

私が新支店長から出納係りに任命され、6か月間の見習期間を経て、出納係りの責任者になれと言われた訳けですが。
いきなり、経験が無いものが責任者と言うのも不味い。

まして、まだ前任者よりも30才も若い。
そこで、出納業務の中でも「事故や間違いの発生しやすい。」「支払窓口の仕事から」経験していくという事になりました。
勿論、この「支払窓口」の仕事をもし間違えるようなことがあれば、新支店長の言う「出納の責任者」は失格で取り消しです。

《支払窓口の仕事・私流》

 A.支払窓口の資金は、予め今日の支払予定総額を責任者と打ち合わせて、
   朝一番に一回目の資金の、その50%程度を責任者から纏めて受け取って置きます。

 B.このためのには、2~3月前の同じ日付けのデーターを先ず調べ、
   さらに前日の支払状況を勘案して、今日の支払予定総額を定めます。

 C.今日の支払総額予定に従って。
  ア・千円の札束を、 総額00万円  (00束)一束10万円
  イ・五百円の札束を、総額00万円  (00束)一束 5万円
  
  ウ・百円の硬貨を、 総額00千円  (00本)一本 5000円 
  エ・五十円の硬貨を、総額00円   (00本)一本 2500円
  オ・ 五円の硬貨を 総額00円   (00本)一本  250円
  カ・一円の硬貨を  総額00円   (00本)一本   50円 
 
 D.以上の金種は、朝一番で出納元方(責任者)から纏めて受け取るわけです。
   「この際のポイントは、札なら束のものを受け取る。」
   「小銭類は、一筒の物で何本と言うふうに受け取る。」
   「硬貨なら、筒状のもので受け取る。」

  ここが、「間違えを発生させない、大切なポイントですからね。」

 E.勿論、出納元方(責任者)とは、金種別に書いた伝票で受け渡しをして置きます。
   このため、元方との伝票には、「端数の金額は書いてはありませんよ。」

 F.さて、話は細かくなりますが。支払の準備作業です。
  ア・千円の札束10万円を3つほどバラにする。
  イ・バラにする時には、必ず百枚であったかどうか確認してください。
  ウ・二束の千円札は、10枚毎に折り目で折り返し、一万円の束をふ20個作る。
  エ・さらに、もう一つの束は、50枚の2つに分けて、5万円を二つ作っておきます。

 G.今度は硬貨です。この硬貨が一番間違えやすい貨幣ですので特に注意します。
  ア・百円硬貨の紙筒を崩して、机の上に10枚づつにして縦にして置きます。
    当然に5個の山があります。
    10枚数えて机の上に置いたら、後は高さで背くらべしながら、残りの40枚を並べていきます。
  イ・以下、別の金種の硬貨も同じに、机の上に10枚づつして縦にして並べます。
 H.硬貨類は、一つの皿の中にごちゃ・ごちゃにして扱うと間違いが出やすいですから注意。
 I.ます、現金管理にはこんな知恵が有効なのです。
   ぜひ、お試し下さい。

 《私の出納経験2年6か月》
 
 前任の責任者は、年配者でもあり、割と雑なやり方でしたから、冒頭で書いた古参女子が3日に一度は間違いがあるようでした。

 私の場合、出納業務を2年6か月の間で、間違いを一度もありませんでしたので、念のため。
 これが私の自慢です。