前回は、長男と長女・次女 3人が同時に進学した話を書いた。
それから、3年経った。
子供達の状況はこうだ。
長男 21才 大学3年生 大学は4年制だから、卒業まてはあと1年ある。
長女 18才 私立女子高校 今年卒業だ。進学するのか就職するのか、本人の考えが、まだ纏まらない。
次女 15才 区立中学卒業し、高校へ進学の予定だが、偏差値とかというのがあって、選択肢が少ない様子。
進学予定高校に迷うということは偏差値がそう高くないのだ。
さて、今回は、長女と次女の問題が中心だ。
まず、長女だ。夕飯が終わって。
私 長女に向かって「おい、高校を卒業したらどのようにするのだ??」
長女の返事 (うーん、どうしょうかな。まだ、迷っているんだ。)
私 長女に言う 「女子短期大学に進学して、あと2年勉強したら。就職するにしてもそのほうが有利じゃないの。」
長女の返事 (まだ勉強するの。やだな、もう沢山だょ。)
私 長女に言う 「じあ、就職するとしたら、どういう仕事(業種)がいいの??」
長女の返事 (友達は、証券会社が良いと言うんだ。)
私 長女に言う 「就職というのはな、友達と何時までも一緒にと言う訳にはいかないのた゜ょ。自分が一人で生きるという「独り立ち」するつもり
いなと、 だめなんだよ。 まあ、よく考えておけよ。」
ということで、今日は、この程度でお終いにする。
この当時は、女子が短期大学に進むということは、「お嬢様学校に2年間遊びに行く。」という風潮が強く、世間では娘に花を持たすようなところがあった。
私の腹の中 一つ目は 「どちらかと言うと、就職してくれて(一般社会に早く揉まれる)社会勉強をして、両親から(巣離れ)独立し、立派な成人に
なって貰ったほうがよい。」
二つ目は、「散々我が家の財政を傷めつけられたので、(金銭)の回復期間がほしい、また、(次女が今年高校に進学だぞ。)と思ってい
ること。」
三つ目は、「我が家でのこのこされて(お嬢さん学校で)この先また2年間も遊ばれたのでは叶わない。」
四つ目は、「まあしかし、娘自身が希望して(花嫁学校)女子短期大学に進みたいと強く言うなら、その希望をかなえてやってもいいかな
とも思う。」
さあ、娘がどんな答えを私に持ってくるか、興味しんしんだ。
数日経って、娘が「お父さん、ちょっといい。と話しかけてきた。」
私 「さあ、来たぞ。どんな結論を持ち出すのかと、身構える。」
娘 「私はねえ、早く社会に出たいの。それで、いい。」
私 「なるほど、それも一つの選択だね。だとしたら、どんな職業を狙うの。」
娘 「友達は証券会社に行くと言うから、私は金融機関がいいと思っているの。これでどう。」
私 「ところで、金融機関と言ってもいろいろ沢山ある種類があるよ。どんなところを狙うの。」
娘 「実はね、学校に人事採用の募集案内が沢山きているの。狙いはねえ、通勤に時間がかからず便利で近いところ。それと都心でなく、
あまり服装に気を使わないですむ勤務先。もう一つは、同じ学校から数人入社しそうなところ。」
私 「よく研究しているな、と感心する。母さんちょつと来て、娘が金融機関に就職すると言ってきたのだが、どうかね。」
「まあ、この娘なら(商工会議所のソロバン一級・暗算も一級)だから、まず就職するに際して有利なこと間違えないと思ってい
る。」
「それでは、その線で学校ともよく連絡を取り合い、金融機関で就職活動をして見なさい。」と就職を承諾した。
《私の穴場 五月》
前回の原稿「子育て・私流 12 長女の進学」の末尾で《上杉祭り》の記事が中途でしたので、ここに追記します。
さらに、《熊祭り》についても、一つも書き進んでいませんので書いてみます。
《上杉祭り》の続き
友人と「おにぎりとワンカップでの、昼食」で、祭りの始まりを待つ。
土手上の観客席に向かって「大きなスピーカーが、合戦の擬音を響かせていて、友人との会話もよく聞こえない。」
市長の挨拶が始まる。
左手から、70~80人の武将姿の「上杉勢」が姿を現す。中に乗馬姿の大将と思われる、立派な兜をかぶった武士が五人ほどいる。
右手から、50~60人の「武田勢」と思われる武将が姿を現す。
「左右の大型スピーカーから、(馬のいなき、多勢な武士の足音、武将のときの声)が一段と大きく響き、会場の雰囲気を盛り上げる。」
「映画のロケ場面を見ているような錯覚に陥る。」
左手の、上杉勢の「総大将の軍扇がサさあーと揚がった。」合戦の始まりである。
40~50分、やや小一時間の合戦で、戦いの終末がくる。「武田勢の大将が10人ほどの怪我を負った武士とともに、よろよろと自陣地にひきあげる。」
戦いは、上杉勢の勝ったときのこえ「エイエイオー・エイエイオー」で終わる。
私の感想「双方の武将しも素人の集団なので、合戦に迫力がなくいまいちだ。」
もう一つ、友人の後日談「武田勢の武士団の人集めが大変で、負けると判っているので武田武士をやってくれる人がいない。仕方なく最近は、公的機関・役所・金融機関などに割当てでお願いしている。」と裏話をしてくれた。
当日は、雄心宅に泊めてもらい、米沢馬の「すき焼き」をご馳走になる。
なぜ、「すき焼き」のことを書いたかのか、というと鍋に入れる手順が東京と違うのだ。
東京での「すき焼き」やり方は、鍋にまず下味を造り、ついで「肉」をいれる、その上に野菜などを入れて行く。
米沢では、「肉」を入れる場面が最後で、下汁の上に野菜を入れ、最後ら「肉」を入れて造るのだ。
「所変われば品変わる」の諺がここでも生きるのか。
「なぜ、肉を入れる手順が前後するのか、ご馳走になって食べている時に聞くのもまずいと考えて聞きずまい。」誰か教えて???。
次回は、《熊祭り》もまだ書いていないので、これを含めて。
就職か進学か その2 です。
それから、3年経った。
子供達の状況はこうだ。
長男 21才 大学3年生 大学は4年制だから、卒業まてはあと1年ある。
長女 18才 私立女子高校 今年卒業だ。進学するのか就職するのか、本人の考えが、まだ纏まらない。
次女 15才 区立中学卒業し、高校へ進学の予定だが、偏差値とかというのがあって、選択肢が少ない様子。
進学予定高校に迷うということは偏差値がそう高くないのだ。
さて、今回は、長女と次女の問題が中心だ。
まず、長女だ。夕飯が終わって。
私 長女に向かって「おい、高校を卒業したらどのようにするのだ??」
長女の返事 (うーん、どうしょうかな。まだ、迷っているんだ。)
私 長女に言う 「女子短期大学に進学して、あと2年勉強したら。就職するにしてもそのほうが有利じゃないの。」
長女の返事 (まだ勉強するの。やだな、もう沢山だょ。)
私 長女に言う 「じあ、就職するとしたら、どういう仕事(業種)がいいの??」
長女の返事 (友達は、証券会社が良いと言うんだ。)
私 長女に言う 「就職というのはな、友達と何時までも一緒にと言う訳にはいかないのた゜ょ。自分が一人で生きるという「独り立ち」するつもり
いなと、 だめなんだよ。 まあ、よく考えておけよ。」
ということで、今日は、この程度でお終いにする。
この当時は、女子が短期大学に進むということは、「お嬢様学校に2年間遊びに行く。」という風潮が強く、世間では娘に花を持たすようなところがあった。
私の腹の中 一つ目は 「どちらかと言うと、就職してくれて(一般社会に早く揉まれる)社会勉強をして、両親から(巣離れ)独立し、立派な成人に
なって貰ったほうがよい。」
二つ目は、「散々我が家の財政を傷めつけられたので、(金銭)の回復期間がほしい、また、(次女が今年高校に進学だぞ。)と思ってい
ること。」
三つ目は、「我が家でのこのこされて(お嬢さん学校で)この先また2年間も遊ばれたのでは叶わない。」
四つ目は、「まあしかし、娘自身が希望して(花嫁学校)女子短期大学に進みたいと強く言うなら、その希望をかなえてやってもいいかな
とも思う。」
さあ、娘がどんな答えを私に持ってくるか、興味しんしんだ。
数日経って、娘が「お父さん、ちょっといい。と話しかけてきた。」
私 「さあ、来たぞ。どんな結論を持ち出すのかと、身構える。」
娘 「私はねえ、早く社会に出たいの。それで、いい。」
私 「なるほど、それも一つの選択だね。だとしたら、どんな職業を狙うの。」
娘 「友達は証券会社に行くと言うから、私は金融機関がいいと思っているの。これでどう。」
私 「ところで、金融機関と言ってもいろいろ沢山ある種類があるよ。どんなところを狙うの。」
娘 「実はね、学校に人事採用の募集案内が沢山きているの。狙いはねえ、通勤に時間がかからず便利で近いところ。それと都心でなく、
あまり服装に気を使わないですむ勤務先。もう一つは、同じ学校から数人入社しそうなところ。」
私 「よく研究しているな、と感心する。母さんちょつと来て、娘が金融機関に就職すると言ってきたのだが、どうかね。」
「まあ、この娘なら(商工会議所のソロバン一級・暗算も一級)だから、まず就職するに際して有利なこと間違えないと思ってい
る。」
「それでは、その線で学校ともよく連絡を取り合い、金融機関で就職活動をして見なさい。」と就職を承諾した。
《私の穴場 五月》
前回の原稿「子育て・私流 12 長女の進学」の末尾で《上杉祭り》の記事が中途でしたので、ここに追記します。
さらに、《熊祭り》についても、一つも書き進んでいませんので書いてみます。
《上杉祭り》の続き
友人と「おにぎりとワンカップでの、昼食」で、祭りの始まりを待つ。
土手上の観客席に向かって「大きなスピーカーが、合戦の擬音を響かせていて、友人との会話もよく聞こえない。」
市長の挨拶が始まる。
左手から、70~80人の武将姿の「上杉勢」が姿を現す。中に乗馬姿の大将と思われる、立派な兜をかぶった武士が五人ほどいる。
右手から、50~60人の「武田勢」と思われる武将が姿を現す。
「左右の大型スピーカーから、(馬のいなき、多勢な武士の足音、武将のときの声)が一段と大きく響き、会場の雰囲気を盛り上げる。」
「映画のロケ場面を見ているような錯覚に陥る。」
左手の、上杉勢の「総大将の軍扇がサさあーと揚がった。」合戦の始まりである。
40~50分、やや小一時間の合戦で、戦いの終末がくる。「武田勢の大将が10人ほどの怪我を負った武士とともに、よろよろと自陣地にひきあげる。」
戦いは、上杉勢の勝ったときのこえ「エイエイオー・エイエイオー」で終わる。
私の感想「双方の武将しも素人の集団なので、合戦に迫力がなくいまいちだ。」
もう一つ、友人の後日談「武田勢の武士団の人集めが大変で、負けると判っているので武田武士をやってくれる人がいない。仕方なく最近は、公的機関・役所・金融機関などに割当てでお願いしている。」と裏話をしてくれた。
当日は、雄心宅に泊めてもらい、米沢馬の「すき焼き」をご馳走になる。
なぜ、「すき焼き」のことを書いたかのか、というと鍋に入れる手順が東京と違うのだ。
東京での「すき焼き」やり方は、鍋にまず下味を造り、ついで「肉」をいれる、その上に野菜などを入れて行く。
米沢では、「肉」を入れる場面が最後で、下汁の上に野菜を入れ、最後ら「肉」を入れて造るのだ。
「所変われば品変わる」の諺がここでも生きるのか。
「なぜ、肉を入れる手順が前後するのか、ご馳走になって食べている時に聞くのもまずいと考えて聞きずまい。」誰か教えて???。
次回は、《熊祭り》もまだ書いていないので、これを含めて。
就職か進学か その2 です。