子育て・私流

子供を三人育て、孫も五人になった。
男親の私がどのように考え、子供や孫に接してきたかを書く。

目の付け方(私のやり方)結婚準備 その10

2009年06月16日 | 我が家のつれづれ
嫁さん側えの御挨拶も済み、いよいよ「新所帯」の準備である。

 A.土地を用意し。
 B.家を建てる。
 C.結婚式。
 D.新婚旅行
 E.新婚家庭の家計管理

これだけの事を、自分一人でやり遂げる必要があるのだ。

《先立つものものは金銭だ》

前にも書いたが、我が家からは「経済的な援助は一線も望めない」
幸い20才から28才までは、親の家庭に「寝る場所、食べ物、風呂、洗濯など身の回りの事は甘えて」生活してきた。

独立して世帯を構えるとして、自分一人でやり抜くことといえば当然であると言える。

さて、私は20才でサラリーマンに親父のもとから独立した。
25才までは、「夜間大學に通学」して、昼間は勤めて、夜間は大學生と言う生活。
学費、書籍代、通学交通費などその他の費用総て自分の給料で始末してきた。

《金銭を蓄える》

親に迷惑をかけずに、独立してやり抜くには、「金銭を蓄えて行くことは当然だ。」
しかし、人間頭ではわかっているが、実際に実行するということは難しいことだ。

夜間大學を卒業した年令が25才、金があったら遊ぶことに一番楽しい年代であろう。
事実、私と同じ年代の仲間は、ダンスだ、マージャンだ、パチンコだと遊び回っている。
まだ、家庭を持つなど考えもしない年令。

いや、この時代には「男子の結婚適齢期は25才」である。
何時嫁さんを迎えても可笑しくない年令である。
 
 A.まず、土地さがしだ。
   当時は、結婚するには「家を建てる」と言う時代だ。

   出来るだけ、住み慣れた私の実家の近くが、親も兄貴達もいて便利であると、
   都内の私の実家近くを盛んに探したが、私一人の財力では、小さな家でも建てられる面積が求められないことが判った。

   同僚などのケースをみると、都心から離れて30キロ範囲なら予算の範囲で賄えると言うことが判った。
  
   或る日、嫁さんになる家で、義父に言われた。「土地探しは進んでいるかね。」
   私「それが、私の実家書くの土地を探していますが、とても手が届きません、」
    「仮に、土地が手に入ったとしても、家を建てる資金が残りませんので、考えあぐねています。」と正直にお話した。
    
    断わっておきますがね、こういうやり取りですと、「私が義父側に資金援助の期待を持っていると思われますが、私も男だ。」
    仮に義父から援助の話が出ても「私は断わるつもりだから、またそういう覚悟を示すことが重要である。」
    我が家の手前もあるからな。「私一人でやり遂げる覚悟」

    数日して、義父にまた夕飯に来いと誘われた。
    義父「土地探しに苦労しているそうだな。」
    私 「はいと、これまでの土地探しの経緯と資金との関係をお話した。」

    義父「それなら、こういう風にしたらどうかね、」
      「同じ都内でも、河を二つ超えたところの土地なら、今探している土地面積の二倍の土地が手に入るが、どうかね。」
      「ここには、我が家の分工場もあり、次男が住んでいるから、多少面倒も見てもらえると思うから。」

      「一度私と一緒に身に言って見ようかね、」
      「有難うございます、ぜひお願いします、」と言うことで、日時を打ち合わせてでかけることになった。
      「河を二つ渡るということは、隅田川と荒川(放水路)である。」

ここなら、土地(借地)を倍借りても、「小さな家を建てる資金が私の手元に多少のこる。」
この土地は、地元でも名の通った寺の土地で、売ることは出来ないので「借地」でという。
その分、面積の割りに土地の取得代金は少なくて済んだ。
正直言うと、借りられた土地は予定の半分の資金で「土地面積は34坪(1030平米)」である。

次は「小さいながら、家の建築である。」


目の付け方(金銭管理)結婚の準備 その9

2009年06月10日 | 我が家のつれづれ
私は28才「結婚が目の前にぶらさがっていた。」
20才でサラリーマンに転職して、勤めながら「夜間大學に通い」25才で卒業する。
中学生から、高校生、大學生と通算9年間夜間学校に通ったことになる。

同じ職場の同年は、マージャン・パチンコ・ダンスなどの遊びのキヤリアを積んでおり、
その仲間から私が「マージャンに誘われた」が、4年間の差が埋められずに、上がり方がわからずに、一つも勝てない。
結局終わった後での「全員の食事代」を私が負担する嵌めに。

ダンスも同じで「ダンスのステップがわからない」これもダメ。

やっと仲間と一緒に出来るのは、「パチンコ」ぐらい。
当時のパチンコは、「親指で一つひとつ弾くやつである」

《逆に金の懸かる遊びには無縁》
私の性格は、遊び事でも負けず嫌いだ。
パチンコを例に取れば、「勝てば辞められず」「負ければまた取り返したくなる」

誰でもおなじらしいが、ギャンブルについては、そこそこにして、次のハイキングの計画作りに励む。

《交際相手の父親によばむる》

或る日、交際相手の家に「夕飯を食べに来い」とよばれた。
どうも、二人の付き合いがわかって、私の身辺調査を内緒てでしてきたようだ。

本来なら、私のほうから、先に「ご挨拶に伺うのが筋だが」
我が家の、「親父は職人育ちで、ろくな挨拶も出来ない人である。」

こんな我が家の家庭内部も調べてあるようである。
後で聞いた話であるが、我が家の近所に彼女の家の同業者の人が居て何事もお見通しになっている様子。

《相手の家庭に数回呼ばれて夕飯をご馳走になる》

数回呼ばれて「夕飯をご馳走になるうちに」「結婚の話になる」
「結婚の準備はどのように、かんがえているのかね」と。

「何処に家を作るのか」
「子供は何人ほしいのか」

「本来その前に、貴方の家から、結婚の申し込みをしないとまずいぞ」
など、だんだん具体的な話になってくる。

当時は、男として「一つの家族の家を構える」というのが多かった。
私も我が家の近くにと思い土地を探すが。私の予算よりかなり高くて手が出ない。

《結婚資金は我が家の親に一銭も頼れない》

 A.土地を用意し。
 B.家を建てる。
 C.結婚式の場所を借りて式を上げる。
 D.新婚旅行。
 E.新婚家庭の家計管理の仕組みを作る。

少なくとも、以上のことを、自分ひとりでやり遂げることになるのだ。
遊んではいられないぞ。

私が我が家で、この話を親父にしたら、数日後に親戚筋の叔父さんを仲立ちに、相手の家に、ご挨拶をしてもらえることになった。

これで、結婚の準備が具体的に進むことになった。
さて、これからが大変。上記のA--Eのお膳立てである。

目の付け方(私の金銭管理) その8

2009年06月07日 | 我が家のつれづれ
私も28才になった。
昭和33年(1958)のことである。

当時の結婚年齢としは、この年28才では「晩婚」である。
同じ職場内に勤めている、女子職員が何かと気になるようになった。

ハイキング、海水浴などを私が計画する場合、必ず何人かの女子職員の中にいて参加している。
よけいなこともいわすせに、会計・料理など、頼まれたことはやってくれる。
私より5才年下である。

もう一人、気になる私より2才年下の女子職員がいて、彼女は確り者で何事も先頭でやってくれる。
彼女もいいなと思うようになった。

《当時の結婚事情》

 A.当時は、職場内での男女交際はご法度である。
 B.もし仮に、交際が判ると、男か女のどちらかが、退職または・ほかの店舗に転勤になる。
 C.結婚のための交際でも、どちらかが退職する雰囲気がある。
 D.女子職員は、「寿退職」と言って、結婚後も勤めていることはまずない。
 E.基本的に、結婚後の女子は、「専業主婦」というのが世間常識である。

《結婚を決めた》

私は、5才年下の同じ職場の女子職員を「ハイキングの帰り道に映画にさそったら。」、「ハイ」と返事をもらえた。
こんなことで、その後数回「映画に誘う」「二人きりでのハイキングにもOKが出た」

こんな、出会いから、「我が家での私の立場を話し」「彼女の家庭内の出来事を聞く」
「彼女は、4人兄弟姉妹の末っ子であると言う。」

彼女の家庭は、「中小企業で従業員も10数人いる様子。」
戦後の復興期のため、仕事も沢山あり、家庭も裕福なようだ」
これに比べ、「我が家は、数段見劣りする家庭だ。」

彼女の親御さんに判ったら「OKが出るか??不安である。」
「親御さんのOKが出るまでは、清く正しくが一番である。」と自分に言い聞かせる。
「お互い、まだ手も握らないで我慢している。」
当時の男女交際は、こんなものが普通だったのだょ。


目の付け方(私の金銭管理)結婚の準備 その7

2009年06月03日 | 我が家のつれづれ
話は私の25才の時代に戻る。
昭和30念(1955)の時の話である。
私がやっと「夜間大學を卒業」したのだ。

「さあこれからは、十分に遊べるぞ。」
稼いだ給料と賞与は、自分の裁量でどうにでも使える。
なんに使っても、親も兄弟も文句を言えない。言われない立場だ。

《自分の年を考えると結婚年齢だ》

中学・新制高校・夜間大學と通算すると、9年間。
15才から25才まで働きながら生活してきたのだ。

この時代の結婚年齢は、男子は25~6才が普通なのだ。
女子は23~4才である。

《私の周りでの若者の遊び》
私と同じ年代の周りの若者の遊びを2~3上げると次のようなもだった。
 A.パチンコ
 B.ダンス
 C.マージャン
 D.キヤバレー
 E.ハイキング
 F.海水浴

考えてみると、A(パチンコ)からDの(キヤバレー)までの遊び事はしたことがない。
同じ年代の若者で少し金銭に余裕のある人は、A.パチンコも、B.ダンスも、C.マージャンも面白いぞ。
今度連れて行くから、一緒に行こうという。
特にD.のキヤバレー遊びが女の子もいて、金がかかるが最高だぞ。と言う。

《私の今の立場》
25才の、この時には既にお袋も亡くなっていない。
親父は、神経痛で兄貴二人に仕事を譲って引退していて、我が家での実権がない。

自分の事は、自分で始末していくしかない。
自分の年令を考え、先を見ると「周りの仲間と同じ遊びをしている余裕はない。」
せいぜい遊べるのは、E.F.のハイキングと海水浴ぐらいしかない。

他人は他人。私は私の道を行くしかない。

《私の金銭管理》
勤め人の私としては、親の援助・助成が一つも受けられないと言う情況である。
自立して家計を作って行くしかないのだ。

まず、目の前に浮かぶのが、遊んでいては結婚も出来ないと言うことである。
では、現在具体的に付き合っている彼女が居るということでもない。
しかし、この時代には「男子の25才は結婚適齢期である。」

いざ結婚と言うことになれば。
 A.土地を用意し。
 B.家を建てる。
 C.結婚式。

 D.新婚旅行。
 E.新婚家庭の家計管理

自立するといえば、こんなお膳立てになるだろう。
遊んでいて「お金を使える立場でないぞ」