「歴史の回想」

人生は旅・歴史は時間の旅。川村一彦。

「梶原景時の群像」アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALKER電子書」

2020-02-18 17:34:43 | 温故知新
「梶原景時の群像」アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALKER電子書」
梶原景時(?~1200年)鎌倉前期の武士。父は鎌倉景清。通称平三。1180年(治承4)の石橋山の戦で平氏方に属しながら源頼朝を救い、再起した頼朝に従臣。翌年侍所所司となる。1183年(寿永2)頼朝の命を受けて上総御権介平広常を謀殺。1184年(元暦元)源義経らと上洛し源義仲を討ち、平氏追討ののための西海を転戦、播磨・美作総追補使に任じられた。1185年(文治元)屋島攻撃の際義経と対立し、頼朝に讒訴して失脚させた。弁舌巧みで京都的教養を持つ景時は頼朝に重用され、御家人統制にあたったが、官僚的性格と憲性欲から御家人の反感を買った。1199年(正治元)頼朝の没後組織された「十三人宿老会議」の構成員になり、御家人六十六人から弾劾を受けて失脚、1200年正月再起を期して上洛の途中駿河国狐埼で在地武士とかっせんし一族とともに敗死した。

「北条義時の群像」アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALKER電子書」

2020-02-18 07:25:01 | 温故知新

「北条義時の群像」アマゾン電子書籍紹介。BOOK★WALKER電子書」
北条義時(1163年~71224年)鎌倉幕府。二代執権1205年(元久2)~1224年(元仁元)在職。父は北条時政、母は伊東祐親の妹。江馬小四郎と称す。1180年(治承4)8月、源頼朝の挙兵に参加。石橋山の戦で兄宗時戦死して、嫡子の地位を得る。1184年(元暦元)源範頼軍に従って西国に遠征、翌年正月豊後国芦谷浦の合戦で功を頼朝から賞された。1189年(文治5)奥州合戦に従軍。この頃より頼朝の信任を得、頼朝の死後1199年(正治元)十三人宿老会議の一員となる。1203年(建仁3)9月比企氏の乱では幕府軍を指揮し、直後に仁田忠常を追討する。1205年(元久2)には父の命で畠山忠重を滅ぼしたが、7月には継母牧の方の陰謀を未然に防ぎ、姉政子とともに父夫妻を伊豆に流して執権に就任した。執権政治を強化し大豪族抑圧政策をとり、1213年(建保元)には泉親衡の乱に続き和田義盛の乱を招いたが、これに勝利し侍所別当を兼任。従四位下右京権大夫から陸奥守となる。1219年(承久元)正月第三代将軍実朝を暗殺の黒幕とする説もある。その後頼朝政治を墨守して後鳥羽上皇と対立し承久の乱を招くが、これも圧勝し京都に六波羅探題を設置し、幕府の管理下に置き、全国的政権となった。