○危機的な状況か
朝の9時過ぎ、ちょっとした散歩。
気温23度、湿度91パーセント。
歩き始めの腰の痛さ。
腰痛を抱えたものには最悪の朝。
灰色の空を見ながらゆっくり歩こう。
小雨が降ってきた。
濡れると寒い。
暑くて死にそうから一転。
地獄と天国どころか、地獄の地獄だ。
まさに、変化に対応できる力を問われているようだ。体力・知力、そして気力。
厳しい時代になった。
○日航機事故から32年
日航機事故から32年という歳月が経った。私は全国定時制通信制軟式庭球大会の事務局員をしていた。泊まり込みで12日に大会が終わりホッとして車を運転していた。新宿を過ぎたころ、重大ニュースがラジオから流れてきました。群馬県の上野村らしいという情報。東電学園高等部(東京電力の企業内学校)のテニス部員の出身地で聞いたことがあった。近いけど一番不便なところだという生徒同士の話でしだった。私が39歳の働き盛りの頃のこと。お亡くなりのなった方々も悔しい思いでいっぱいだったと思う。心からお悔やみを申し上げます。
○惨状を前に、圧倒的な無力感 日航機事故と横山秀夫さん
http://digital.asahi.com/articles/ASK88530KK88UTIL020.html
「若い自衛官は仁王立ちしていた。/両手でしっかりと、小さな女の子を抱きかかえていた。赤い、トンボの髪飾り。青い、水玉のワンピース。小麦色の、細い右手が、だらりと垂れ下がっていた。/自衛官は天を仰いだ。/空はあんなに青いというのに。/雲はぽっかり浮かんでいるというのに。/鳥は囀(さえず)り、風は悠々と尾根を渡っていくというのに。/自衛官は地獄に目を落とした。/そのどこかにあるはずの、女の子の左手を探してあげねばならなかった――」
「自分の心の水準器」という言葉が心に染みこんだ。