◎テルの日常:ちょっと行動範囲を広げてみよう
かかりつけの医師・猪狩先生の診察日、世田谷区成城と調布市入間町の狭間のイカリクリニック、往復タクシーを使っていたが、片道をバス・電車・バスで、成城学園前駅までバスで出る、西口の降車場
小田急の改札も久しぶり、PASMOの入れ方・タッチを忘れてしまった、エレベーター乗り場はどこだ、行き先を間違えるなよ、新百合方面だよ、やっと地下のホームにたどり着いた、狛江は各駅停車しか止まらないよ、電車に乗るのは何年振り?、まごつくな、何とか座れた、狛江に着いた、エレベーターはどこだ?、トイレを探そう、どこだ?、よし、狛江の改札を出ることができた、北口の駅前でイベントをやっていて人が固まっている、実に歩きずらいどうもウクライナの支援らしい
狛江市役所のホームページから:ウクライナ×こまえ 気持ちつなぐDAY(チャリティーイベント)
戦禍のウクライナから狛江市へ避難され、市の支援を受けた方から「あなたにボルシチを振る舞いたい」と感謝の言葉をいただきました。
私たちは、その想いに心を寄せ、気持ちをつなぐ。今、地域ぐるみで支援と協力の輪が広がっています。
ウクライナに対する理解を深め、平和を希求する狛江市民の強い気持ちを、チャリティーイベントを通じてウクライナに届けます。
武蔵境南口行きのバス停を見つけベンチに座れた、バスに乗りスマホのメモに打ち込んでいる、薬局で待っている時、仁丹時代の同期の小池さんから電話があった。仲間が三人いて三人会と称してたまに飲み会をやっている。一番元気だった岡住さん(現役の旋盤工)が病気で苦しんでいる。前回電話したら苦しそうだったので電話するのを遠慮している。今日あたり電話してみよう、今、調布駅通過、駅前が混雑、安全に家に帰れた、女房がびっくり、いい経験であり自信につながる、LEO君の先生が来てくれ注射と点滴をしてくれ
◎テルの哀悼:仲間が死んだ
上で書いた仁丹時代の同期の岡住さんが3月24日に亡くなったという。享年76歳。虫の知らせで携帯に電話をしたら奥さんんが出た。実は・・・ということで亡くなったことを知った。新型コロナの感染拡大の時期でもあり身内で葬儀を済ませたという。1964年4月、仁丹テルモ製造第四課に配属され、プラスチックの射出成形で岡住・小池と仲間となった。特に12時間の夜勤の変則勤務は応えた。「やってられないよ!」と三人とも退社。三人会と称して懇親を続けた。岡住は航空自衛隊に、小池は八王子市役所に。その後岡住は旋盤のプロとして病気になるまで現場にいた。小池は北野町会の町会長。
写真は2017年11月に立川の居酒屋でのもの。向かって右が岡住。一番髪の毛があったのに・・・。今思うと亡くなる2日前に電話をした。声が掠れ話すのも辛そうだったので電話を切った。それが最後になってしまった。言葉にならない。涙がこぼれている。辛い。ご冥福をお祈りします。