先日こんなメールがあった。
境北小学校の5・6年担任だった中原信夫先生が4月12日(土曜日)に亡くなられました。
俺の率直な感想。
デカくて馬力のある先生だった。
若いから、時には暴走する。
あの時代が要請した先生だった気がする。
熱心だった。
版画集・詩集などを手づくりした。
私は、当時照れ屋だったため、フォークダンスで女のコと手を組むのが嫌だった。「こら!」と先生に怒られた。こわいんだ、迫力があって。
跳び箱、自由回転など体育にも力を入れていた。みんな、出来ないながら必死に取り組んでいた。
中原先生が卒業生に本を贈ってくれた時の添え書き
2005年(平成17年)3月25日 卒業生のみなさんヘ
中原信夫
境北小学校に勤めていた私は、学校がなくなって、ずっと根無し草のような、心もとない気持ちですごしてきました。きっと皆さんも同じ思いではないかと推察しております。
そこで皆さんとともに、「こんな学習をしてきたのだ」という記録を残しておきたいという思いに駆られて本を出すことにしました。
また、昨年は長崎の少年の幼児投げ捨て事件や佐世保の同級生殺人事件など、犯罪の低年齢化現象がありました。さらに親の子殺しや誘拐など、子供が被害者になる事件も多発しております。
これらの報道を聞くたびに、私はいてもたってもいられない焦燥を覚えました。私はこれらを防ぐには、子供を取り巻く環境の整備に意を尽くすことは勿論のこと、子ども自身がもっとたくましく変わることが必要ではないかと考えております。体を鍛え、知性を磨き、感性を高めて危機に対する予知能力を旺盛にすることが大切であると思っております。そこで、かつて私が皆さんとともに実践してきた教育活動を紹介して、「表現活動」や「人間関係の在り方」や「能力開発」等を枝差して、現職の先生方の役に立つならば、と考えた次第です。
本当はもっとたくさんの資料があり、多くの皆さんの活躍を書きたかったのですが、紙数の関係でできませんでした。
この本に名前が出ている人も、出ていない人も、ごめんなさい。
もう一つは、同窓会を開いたお礼の文書。
2005年(平成17年)7月4日
熱射病にでもなりそうな暑い日が急にやってきました。先日は九年振りのクラス会を開いて戴いて有難うございました。皆さんの顔を見ていたら六年生の頃の顔が彷彿と浮かび上がってきて、懐かしくかつ嬉しくなりました。考えてみると皆さんも還暦を迎えられたのですね。
終戦直後の食糧不足の時代を赤ん坊で過ごし物心つく頃に朝鮮戦争があり、小学生の頃は、砂川基地闘争などがあり、落ち着かない世祖がしばらく続きました。そんな中で流行した歌が、「ケセラーセラー」だったように記憶しております。
思い出すものは、どれもこれも懐かしいものばかりです。これから先も、がんばってください。また 第二の人生を歩まれる人も、気持ちを新たに生き抜いてください。私もまだ負けない気概で頑張ります。
乱文ですが、お礼とさせていただきます。
(平成17年 2005年 6月18日 新宿車屋での同窓会の集合写真)