SAMMYのみちくさ日記

「気まま」に「みちくさ」しながら、ありのまんま思ったことを無精者が書いてるブログです(^_^)v

松尾大社さんへ。

2021年10月28日 | Michi-kusa
洛西の総氏神《松尾大社》さんへ。
日々無事に過ごさせてもらっていることへのご挨拶に行ってきました。

七五三詣でのファミリー多し!
着物姿の子供の手を引く両親の姿。
映像を撮るのも大変そう(笑)
履きなれないんだろうな(笑)
草履が脱げて、階段に放置(笑)

おでこに赤の文字の赤ちゃん。
お母さんに抱っこされて眠ってる(笑)

境内は、めでたい(^_^)

社務所前に書かれた《今月のことば》は!

『一樹百穫(いちじゅひゃっかく)』
意味がわからんので、調べました。

→人材を育てることは、大きな利益をもたらすことのたとえ。また、大計を成し遂げるには、人材を育成しなければならないというたとえ。

松尾さんは、みておられるのかな(^^;

今月も松尾さんから何かしらをいただいて帰るのでした!ありがとうございました!

ベース。里帰り(笑)

2021年10月27日 | Michi-kusa
僕の音楽の相棒であるベースをメンテナンス。約2年ぶりの里帰りとなります。

里帰り先というのは、滋賀県大津にある《Altero Custom Guitars(アルテロ・カスタム・ギターズ)》というギター工房です。

このギター工房で、プロトタイプ(製品の原型又は試作品)として作られました。
なので、シリアルナンバーは、ゼロ番。
楽器店で、このベースを持った瞬間。
“コイツだ”と思ったですよね!

目の前でメンテナンスをしてもらう相棒をしばらく見ていました。
“これでいかがですか?”とメンテが終わった相棒を手にした。
その具合を確かめる。
いい具合!“ありがとうございます!”

やっぱり。
気が合うヤツです(^_^)v

大津市坂本をぷらり。

2021年10月19日 | Michi-kusa
穴太衆(あのうしゅう)の石垣。
それを見たさに大津市坂本へ。

以前、日吉大社へ来たことがあるけど、石垣の他にも坂本をもっと巡りたいなぁ~(笑)ってことで、観光案内所で情報収集!

坂本をぷらりする前に(笑)
腹ごしらえ(^_^)v
観光案内所の前にあったお蕎麦屋さん《日吉そば》へ。日吉大社へ来た時に、気になっていたお蕎麦屋さんでした。
そのたたずまいは、歴史を感じます。
店内はこんな感じ。
何となくやけど、蕎麦をもとめて、参拝者や旅人?で賑わっている風景を感じさせるものがありました。
この席で蕎麦をすすりたい気持ちもありながら、勇気がいりそうな席(笑)


メニューに!
「古代」の文字?!
こういうの・・・弱い(笑)
しっかり。
古代そば(ゆば、おろし生姜入り)を注文しました。

そして、ざるそば。
こちらのお蕎麦。美味しいです!
おろし生姜が入ったお蕎麦を初めて食べました(^_^)これが、めちゃくちゃうまし!
一味を加えると、さらにうまし!
お汁全部飲み干して、身体がポカポカ~。
お店の方と話をさせてもらい、古代そばは、こちらのオリジナルメニューとのこと。店舗の歴史にもふれることができたし、また、お蕎麦。食べに来たいです。
ごちそうさまでした!

さぁー。出発!
行き先は《西教寺》に決定。
見たかった穴太衆の石垣は、お店の駐車場に向かう途中に、すでにありました!
つまり、至るところにあるってことでした(笑)

ちなみに、日吉そばの駐車場は、5台停められます。

天台宗真盛宗の総本山、西教寺にやってきました!
駐車場にある境内案内図。
かなり広いなー(^^;

西教寺は、聖徳太子の創建といわれ、境内には豪荘な本堂や伏見城遺構といわれる客殿、小堀遠州作の庭園、明智光秀公一族や妻煕子の墓などがあります。
目の前にある総門は、明智光秀公寄進による坂本城城門を移築したものです。

同じ坂本にある日吉大社は、猿を神の使いとして「神猿(まさる)」と呼んでいたように、こちらでも猿を護猿(まもりざる)と呼んでいるようです。

瓦に眼をやると、色々な格好をしたお猿さんを観ることができました(^_^)

勅使門へと繋がるゆるやかな上り参道。
参道の左右に並ぶ複数の坊に石垣。
穴太衆のものなんだろうな。

宗祖大師殿の唐門。立派な彫刻、そして、ここからの琵琶湖の眺めは非常に良かったです。ちなみに、唐門には麒麟が2頭いました。

この三羽雀は、寺紋なんだろうな。
そして、気になることが。
それは、瓦に刻まれている山号が2つあるってこと。
ひとつは、「大窪山」
そして、もうひとつは「戒光山」

「大窪山」は、推古天皇の618年に号をたまわりと境内にある看板に書かれていて、総門の瓦にも刻まれていた。現在は、「戒光山」ということなのだろうか?
本堂は、見ごたえがありました!
堂内は、薄暗くて彫刻が見えにくかったんですが、扉の隙間から太陽の光が堂内を照らした時に、彫刻の素晴らしさを目の当たりにしました。来て良かったです!
有料ですが、一字写経をやってみたくなって浮かんだ一文字を書きました

客殿、庭園など見所満載の西教寺。
紅葉の季節もきっと綺麗なんだろうなと思いました。

ちなみに、西教寺は、2021年10月15日に公開された映画「燃えよ剣」のロケ地のひとつです。滋賀県ロケ地MAPより。

いいぷらりができました(^_^)v

亀岡 菩提山 穴太寺をぷらり。

2021年10月16日 | Michi-kusa
亀岡にある《穴太寺(あなおうじ)》に行ってきました。
創建は、寺伝によると慶雲2年(705)、文武天皇の勅願により大伴古麿によって、薬師如来を御本尊に安置し建立されたと伝えられているそうです。
駐車代は500円でした。
駐車場を出て、真っ直ぐ。
街道の突き当たりにお寺は、ありました。交通量も多くて、仁王門前は街道がカーブになっているので特に注意です(^^;
たたずまいに歴史を感じる。

阿吽の仁王さん。胸の彫り物が花柄に見えるのは僕だけ?(笑)
表情とのギャップがちょっとおもしろい☆
仁王門をくぐると正面に、本堂が見られました。

右手には、鐘楼(1759年建立)。

左手には、多宝塔(1804年再建)。

本堂(1735年再建)へ進みましょう!


“京都から来ました。お邪魔させてもらいます”と手を合わす。

見上げると3つの気になるもの発見!
なんだコレ?
線香台に刻まれたこの梅鉢紋が、寺紋なんだろうな。

さぁーて!涅槃像を拝見させてもらいましょう。本堂と庭園の拝観をセットにして、500円でした。

木の感触を足で感じながら渡り廊下を通っていく。堂内は撮影禁止です。

なので、パンフレットより《釈迦如来大涅槃像》を抜粋しました。
おーー!寝てはる!
布団が掛けられていて、ほんと寝てる感じ(笑)そして、思った以上に大きく、確かに大涅槃像でした。
それでは、失礼して・・・。
布団をめくり上げて、自分の病の箇所と同じ尊像の部分を撫で撫でして、自分の体をさすりまくった(笑)良くなりますように。
ツヤツヤと光沢のあるその木肌は、これまで多くの人に撫で撫でされてきた証。そして、その表情は、人の心を静かに、穏やかにさせるには十分過ぎるものでした。寝像の寝相も良かったですよ(笑)拝見させてもらえて、良かったです!

縁側に座って、ゆっくりと穴太寺庭園を眺める。程よい広さの庭園から多宝塔が見えるものいい感じでした。



日差しが池に反射して簾の波打つ様が、綺麗だったので動画を撮ってみました。

最後に気になったものを掲載しておきます(笑)

亀岡の古刹《穴太寺》
大涅槃像・庭園。オススメです!

京都 蹴上をぷらり。

2021年10月13日 | Michi-kusa
南禅寺から水路に沿って歩を進めました。行き止まりまで、とりあえず行ってみよう!という気持ちで(笑)

それがですね~。
行き止まりではなかったんです(笑)
視界が開けました(^_^)
何やら施設を発見!
「関西電力」の文字。
ここが蹴上発電所なのかな?
眼下には、市内に向かって、かなりデカイ!長い!配管があった。蹴上発電所送水鉄管というものらしい。

施設を通り抜けると広場に到着。
滝のような・・・何とも落ち着く流れ。
こんな光景が、こんなところにあったんですね(^_^)
あれ?ここ蹴上?
行き止まりと思って歩いてきましたが、蹴上のインクラインまで続いていました。
ひとつ学びました(笑)

田邊朔郎の像を発見!
わが国土木技術の黎明(れいめい)期を開拓した偉大な先覚者であると同時に、近代都市京都の基礎をつくった人物とのこと。
世界で二番目の水力発電をこの蹴上の地に実現し、産業動力源とするとともにわが国初の路面電車を京都に走らせた方だと紹介されていました。


蹴上船溜にあったこの木造船(三十石船)は、明治23年に竣工した琵琶湖疎水で使用されていた運輸船を復元したもの。

当時は、船ごとインクライン(傾斜鉄道)の台車に載せて、高低差の大きい(約36m)蹴上船溜と南禅寺船溜までの間の坂を昇降させていました。


降った先は、正面に動物園が位置する南禅寺船溜でした。

この船溜は、インクラインの順番待ちをしている船の溜まり場だったようです。

そして、写真の右側にある噴水は、琵琶湖疎水の水が使われていて、電気の力を一切使わず、管の中に自然に生じる圧力を利用して吹き上がってます。

今度は、ゆっくりと琵琶湖疎水記念館で当時のことを知りたいと思います。

僕は「インクライン」っていう言葉の響きを頭の片隅にずっと持ち続けてきました。
小学校?中学校?で習ったのか?来たことがあるのか?その記憶もなく、響きだけが残っていたんです。ようやくこの地に来られました(^_^)v

今回の南禅寺から蹴上までのぷらり。
実際に歩いて、見て、京都の一部を知ることができました。
明治から昭和にかけては、琵琶湖疎水を通航する運輸船により、滋賀と京都の物資(米・薪炭・醤油・酒など)の物流が盛んに行われていたらしいです。また、この疎水工事により殉職された方々のことも忘れてはならないことだと思いました。

まだまだ知らないことが多い観光地京都。

次は、どこにしようかな?
あっ!これも追記しておきます!

京都は滋賀へ毎年2億3000万円の「琵琶湖疎水感謝金」が支払われていることも知ったのでした(笑)

長文を読んでいただき、ありがとうございましたm(_ _)m