堂蓮記<北海道富良野成田山布部不動堂>

毎月の『御心言』と不定期の『祈願講釈』と徒然なるままの箴言・戯言・読書感想等・北の大地の坊主富良野生活記。

復修・如是我語壱番死苦状

2010-07-27 00:23:02 | 日記
『此処に我は是の如く語りき壱番死苦を唱え読み想い行いに裏付け付随復修し具える。

死ぬ、死なせる、死なれる。
此の中より生まれ出る苦しみ執着に、己身内仲間内其他有り。

衣食住、生活、仕事、社会、人生に絶望不安疑問在り。

死ぬ事の苦しみ辛さ悲しみに始まり、此世物事人自然の中で、我唯一人死ぬ孤独恐怖絶望焦燥苦悩苦痛に心身を乱され苛まれ迷わされ憑かれ、生きて来た証全て失う苦しみ辛さ悲しみ、全ての人々に忘れ去られる苦しみ辛さ悲しみ、誰にも愛される事無く死なねばならぬ苦しみ辛さ悲しみ、死ぬ事が楽だと思い追い込まれる程の苦しみ辛さ悲しみ、是等の苦しみ辛さ悲しみに乱され苛まれ迷わされ憑かれたならば、己身内仲間内其他の苦を抜き楽を与える事甚だ困難重々至極の事也。

心身への過激過剰苛烈過負荷による苦痛苦悩悶絶無限大絶え間無く果てし無く続く止む事終わる事の無い苦しみ辛さ悲しみに孤独な魂を喰われる事恐ろしき事也。

寿命で死ぬ事、病で死ぬ事、殺され死ぬ事、自ら死ぬ事、事故で死ぬ事、死ぬ事其物、何れにせよ己身内仲間内其他に及ぼす事其影響甚大也。

心身への打撃軽減、過負荷軽量化、重量減量化、激痛緩和、実践実行する手立て手段の一つに医術有り、愛有り、友情有り、信頼有り、最初最後に仏の法と教えと道在り。

仏の法に心の眼を覚まし、智慧を教え受け授けられ与えられ、慈悲の心芽生え道を歩む事、有り難き事此上無く尊き事と成る。

即ち死中死際死後に己身内仲間内其他、抜苦与楽涅槃寂情へと至る生きる道生かす道と成る。

南無仏、南無仏、南無仏。

州堂 南無 』