生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

生物多様性と現代社会/里山という視点

2010年10月20日 15時46分37秒 | 生態学
2010年10月20日-4
生物多様性と現代社会/里山という視点

 著者自身の現地調査や自然保護運動体験をふまえた、盛りだくさんにもかかわらず、問題の要点をおさえた書。

 生物多様性とは、生物種数の多さだけを言うのではなく、(生物学的概念としては)「長い歴史のなかで変化しながら、互いにつながりをもって生きているさまざまな生物と、それらを支える環境からなる全体」を示すという。さらに拡げた概念としては、「人も含めたさまざまな生き物のつながりとそれらを支える環境からなる全体」を示すだろう、とある。生物〔体〕間の「つながり」が、生物多様性を説明する鍵語だと言う。

 第2章の最初は、里山。そういえば、最も早くに里山に注目した人たちの成果である、田端英雄(編著)『里山の自然』は、Amazon.co.jpで見ると、「中古品4点¥ 1,562より」となっていた。第2版は(いつ)出るのだろうか? その後の総括は書かれるのだろうか?

 
[K]
小島望.2010.9.〈図説〉生物多様性と現代社会:「生命の環」30の物語.
244pp.農山漁村文化協会.[ISBN:9784540092992] [1,900円+] [R20101018-k]

[T]
田端英雄(編著).1997.5.里山の自然.199pp.保育社.

のしてんてん、(あるいは)心、の世界

2010年10月20日 14時41分26秒 | 美術/絵画
2010年10月20日-3
のしてんてん、(あるいは)心、の世界

 ハッピーアート、という興味深いCG画のある、のしてんてん(心を分解した構成要素を自立させたということ?)氏の場所 site(ネット上の住所)。
http://blog.goo.ne.jp/nositen10

 詩または詩のような言葉が、光発出的絵画に添えられている。
 なんとなく、や、闇の中で、を見てわかるように、どのような効果の画面にする場合には、このような構成方法(文法)を使うということが確立されているようで、さらに独自の美的感性が全体を制御して作られるのではないか、と感じた。
 少し歩き回ると、

  「「デッサンとは人の心と直結した行為=描写である」、私はまずこのようにデッサンという言葉を定義付ける。」

とあった。

 のしてんてん、さんの作品集は、
http://www.eonet.ne.jp/~nositenten/

 「阪南市山中渓に国際的な現代美術の根拠地 銀の峰GaleryNIKA 誕生」、とか、「WEB美術館(みんなで作る美術館) 参加募集中」とある。
 WEB美術館参加要項の6には、「参加者が増えれば、ネット上に巨大な美術館が出来ることになります。 また、これを共有することで互いのHPがより幅広い芸術空間を持って成長することが出来、作家同士のつながりが期待されます」とある。

 CASOでの現代美術10展:
http://www.cwo.zaq.ne.jp/caso/lib/090512gendai10.htm

 
 鉛筆一本(n本?)で、どのようなものが可能なのか、きわめて興味深い。実物を見なければ。


 銀の峰GaleryNIKA(阪和線の山中渓[やまなかだに]駅下車。大阪から約90分弱):
http://nositen.mikosi.com/gallerry%20nik.htm

== -- == -- ==
(脱線)
 視覚は光を通じて成立する。テレビやパソコンの液晶画面で見る画像は、光という形態のエネルギーが加えられているものを見ていることになる。
 カンヴァスや紙といった支持体上に描かれた絵画は多くの場合、反射光を利用するものである。もちろん、背後、あるいはかつ、前方や側方から、光ダイオードなどを使って光を加えるという工夫をすることができる。


彦坂尚嘉氏の芸術おしゃべり

2010年10月20日 11時43分21秒 | 美術/絵画
2010年10月20日-2
彦坂尚嘉氏の芸術おしゃべり

 耳で覚える!芸術百次元
http://geijyutu100jigen.blog.so-net.ne.jp/2010-10-20-7
で、彦坂尚嘉氏の芸術おしゃべり、の一つ、

彦坂ゼミvol.10[ クレメント・グリーンバーグを読む/3_4 ] [彦坂ゼミ講義] [19分09秒MP3形式(4.7MB)]

を聞くことができる。

http://hikosaka.blog.so-net.ne.jp/archive/20090116
では彦坂尚嘉氏は、ストライプや抽象などをめぐって書き、

  「……ジャスパーの方は原始平面の絵画です。
絵画面が不透明な物質的な面であって、
行き止まりの平面性を持っているのです。
その絵画はデザインであり、ペンキ絵なのです。

日本の現代美術の多くが、《第6次元》のペンキ絵でしかない」

と言う。また、

  「良い芸術か、ニセの芸術であるかを、見分ける眼がなければ、
良い作品を作る事は出来ません。ジャスパーは、ニセの芸術作品です。」

と言う。様々な用語が出てくるが、どこ、あるいはどの本を読めばよいのだろうか。
 行き止まりの平面性を持っていれば、ニセの芸術作品あることの必要条件なのか、十分条件なのか。「その絵画はデザインであり、ペンキ絵なのです」における、デザインとはどういう意味なのか、あるいは具体的にどのような判定基準であるのか。
 なんにせよ、挑発的であり、面白い。(あるとすれば)その体系や、次元の定義とかを手っ取り早く知りたいのだが。そのうち、本として出るのだろうか。

 
 たとえば、気体分子ギャラリーで、
http://kitaibunshi.shop-pro.jp/?pid=23978519
に、「キッチュと抽象の統合/ラブラドールAの1」という版画作品らしいのが入札できるようになっている。そして、『アートの格付け』という欄がある。
 《想像界》または《象徴界》または《現実界》のいずれの眼でも、《真性の芸術》だとか、記載してある。《透視画面》なるものが、オプティカル・イリュージョンならば【A級美術】なのか。
 
 彦坂尚嘉(2008.6)の144頁からの「閉じられた円環の彼方は」は、具体美術についてであり、161頁からは白髪一雄について触れている。


[H]
彦坂尚嘉.2008.6.彦坂尚嘉のエクリチュ-ルーー日本現代美術家の思考ーー.v+599pp.三和書籍.[ISBN 9784862510402 / 6,400円+税].

 
 (それにしても、山下和也.2010.1.オートポイエーシス論入門、はどこに隠れているのか?)

隠れ物質を巡る思考断片

2010年10月20日 01時12分56秒 | 生命生物生活哲学
2010年10月20日-1
隠れ物質を巡る思考断片

 或る機能[function]を、機構[mechanism]によって説明するとは、どういうことか。
 われわれが観測できるのは、機構をもつシステムが作動している状態や過程であって、機構は仮構するしかないのか。
 隠れ物質[暗黒物質 dark matter]において、機構が観測されるのか。
 エーテルは別名だったとして、復活するのか?
 Willhelm Reichのorgon。
 人体の経絡と経穴。電気抵抗。
 思考に反応できるコンピュータ。

 自己同一性の維持は、物質構成として同一の場合にあり得る(思考的標準)が、物質代謝を伴って行なわれる場合もある。形態的同一性。
 プロセスでの同一性。
 自己同一性の「自己」とはなにか。自己複製の自己なんて、あり得ない。それは形相を指しているのか。ならばそれは、自己ではなく、外部に存在する。
 類似物は、自己または自己同一ではない。