2010年10月19日-4
IPCCゲート後/生物学的タクソン(脱線)
近藤邦明氏のHP
http://env01.cool.ne.jp/index02.htm
に掲載されている、米国在住のH.M.博士による論文:
Climategate、IPCC-Gate後の世界 (2010/07/09)
(pdfとして入手できる)は、貴重である。内容は大変説得的であり、10頁で最近の動きまでが書かれていて、ありがたい。日本は食糧など貿易鎖国してもやっていけるようにもっていきたいと思うが、情報鎖国状態は打破すべきである。
ただ、CRUの「アリバイのように怪しげな補正の加えられたデータベース」の「信頼性はネス湖のネッシーといい勝負かもしれません」(8頁目)とあるが、比較にはならないと思う。ネッシーは怪しい例としてもちだしたのだと思うが、もし見つかったら、この文は意味をなさなくなる。
ネッシーと定義される生物体が見つかれば、存在したと確認される(見つからなければ、いないかもしれない(=いるかもしれない)、というだけ)(私見では、いるだろうから、そのうち確認されるだろう)。
一方、CRUの気温データベースは、測定方法や精度や「生の観測値」の補正など、作為的余地が沢山あるから、肯定的確認も否定的確認も困難。
ネッシーという語では、或る性質群をもった実在するかもしれない生物体たちを指すのに対して、気温は結局は構築体(われわれが仮構したもの)だからである。
なお、ネッシーとは _N-us n-us_というタクソン名を命名された分類カテゴリーに属する生物体だとした場合、_N-us n-us_というタクソンは、構築体である。タクソンが構築体(ここではクラス)であることは、分類作業とは、或る対象を或るカテゴリーに対応づける(=属させる)ということであるから、当然の帰結である。ただし、そのタクソン名はまた、或るシステムの名称でもあるとすることは可能である。しかしそのことは、そのシステムとはどういうものかとか、そのシステムは実在するのかどうかといったことに繋がるので、現段階では知らん顔するのが得策だと思う。もし、実在するシステムとして定式化できたとすれば、それは本質的に重要な作業であり、貴重である。
IPCCゲート後/生物学的タクソン(脱線)
近藤邦明氏のHP
http://env01.cool.ne.jp/index02.htm
に掲載されている、米国在住のH.M.博士による論文:
Climategate、IPCC-Gate後の世界 (2010/07/09)
(pdfとして入手できる)は、貴重である。内容は大変説得的であり、10頁で最近の動きまでが書かれていて、ありがたい。日本は食糧など貿易鎖国してもやっていけるようにもっていきたいと思うが、情報鎖国状態は打破すべきである。
ただ、CRUの「アリバイのように怪しげな補正の加えられたデータベース」の「信頼性はネス湖のネッシーといい勝負かもしれません」(8頁目)とあるが、比較にはならないと思う。ネッシーは怪しい例としてもちだしたのだと思うが、もし見つかったら、この文は意味をなさなくなる。
ネッシーと定義される生物体が見つかれば、存在したと確認される(見つからなければ、いないかもしれない(=いるかもしれない)、というだけ)(私見では、いるだろうから、そのうち確認されるだろう)。
一方、CRUの気温データベースは、測定方法や精度や「生の観測値」の補正など、作為的余地が沢山あるから、肯定的確認も否定的確認も困難。
ネッシーという語では、或る性質群をもった実在するかもしれない生物体たちを指すのに対して、気温は結局は構築体(われわれが仮構したもの)だからである。
なお、ネッシーとは _N-us n-us_というタクソン名を命名された分類カテゴリーに属する生物体だとした場合、_N-us n-us_というタクソンは、構築体である。タクソンが構築体(ここではクラス)であることは、分類作業とは、或る対象を或るカテゴリーに対応づける(=属させる)ということであるから、当然の帰結である。ただし、そのタクソン名はまた、或るシステムの名称でもあるとすることは可能である。しかしそのことは、そのシステムとはどういうものかとか、そのシステムは実在するのかどうかといったことに繋がるので、現段階では知らん顔するのが得策だと思う。もし、実在するシステムとして定式化できたとすれば、それは本質的に重要な作業であり、貴重である。