松田洋子のアトリエ絵リアル

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日本近代文学館 夏の文学教室(8月4日)Ⅰ時間目:磯憲一郎

2012-08-07 14:35:06 | 文学

8月4日(土)、第49回日本近代文学館夏の文学教室(最終日)を受講しました。

6月から気にしていた講座です。購入せぬまま時が経ってしまいましたが、ラッキーなことに、8月4日の招待券(当日券2000円相当)が手に入りました。

この日はⅠ時間目:磯憲一郎、Ⅱ時間目は高橋源一郎、Ⅲ時間目は古井由吉でした。

今年のテーマは『文学・「土地」の力』です。

Ⅰ時間目のご紹介をします。

<磯憲一郎> ~小説を駆動する力~


 磯氏は、この教室の主催者側から「夢の話」を依頼されたといいます。
 そこで、「夢」は「土地」なのか? とご本人もはてなと思いながら、土地の話より夢の話を中心に、テーマに近づくという展開になりました。

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 夢というのは、その内容の中で、どんな荒唐無稽なことでも受け入れている。そしてリアルで具体的である。ということは、夢は小説の原形であり、 起源ではないかと思われる。
 小説は、書かれた一行を受け継いで次の一行にいく。一行の次に来る一行が、その前の一行が推進力になってできていく。小説ならではの現象といえ る。これは夢の中で自分がとらわれている力と同等なのではないか。予期しない現象をいかに起こしていくか? これは芸術のテーマでもある。

 カフカの「変身」(新潮社カフカ全集第1巻:川村二郎訳)を見てみよう。朝、グレーゴル・ザムザは自分が虫になっていることに気がつき、そのま ま自分が虫であることを受け入れてしま う。にもかかわらず、自分が選んでしまった仕事(生地のセールス)のグチを並べ立てる。寝過ごした自分が虫なのに、それでも出勤するためにまだで きていない仕事の準備を気にしたり、遅刻した自分が社長に叱られる覚悟をし、電車に乗ろうと考えている。そして、なかなか起きてこないグレーゴル を心配した家族は、ドアの外でグレーゴルがドアを開けようとがんばっている行動を励ます。
 (翻訳本で訳者が複数いる場合、その訳者が自分に合っているかというのも大事)

 こう見てみると「変身」は、必ずしも暗いテーマではなく、むしろ面白い明るい小説なのではないか。これは、毒虫になったことを主人公が受け入れ て、前に進もうとする話。一行が推進力になり、次の一行に進む。ここに小説の世界を広げるための強さがあるのではないか。(タモリがよく、「…… なわきゃないだろう!」というが、大げさなことやありえないことに対して、次の段階で受け入れるところに強さがあり、世界が広がる)

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 次に、ボルヘスの「南部」(集英社世界の文学:篠田一士訳)。これは短編で、全文のコピーが資料として配布されました。

「南部」のあらすじ~(以下)
  アルゼンチンの町中に住むフワン・ダールマンという市立図書館員が、アパートの階段で誰かが閉め忘れた扉の縁が原因で額に傷を負う。夜明けに 眠りから覚めるとすべてのものの風味が失せ、高熱が彼を襲う。彼は病院に運ばれ、敗血症の手術を受ける。幸い病状は回復し、まもなく予後のために 彼が所有する南部の農場に行くこととなる。しかし、乗った列車の車掌はなぜか正規の駅ではなく途中の見知らぬ停車場で彼を降すこととなると告げ る。彼は降りた駅で馬車を待つ間、ある店で食事をする。店主は病院の看護人とそっくりだ。なぜかダールマンの名前まで知っている。その店で彼は思 いもかけない展開で一人のよた者に決闘を挑まれる。
           
 店主が震える声で、ダールマンは武器を持っていない、といって反対した。このとき、思いがけないことが起こった。ダールマンが南部 ― 彼の南 部 ― の権化だと思った、恍惚とした老ガウチョが、隅から抜き身の匕首を足許に投げてよこしたのだ。ダールマンは匕首を拾う。

 「出かけようぜ」と相手が言った。彼らは外へ出た。ダールマンには希望がなかったとしても恐怖もなかった。ナイフの闘いで死ぬことは、敷居をま たぐとき、病院で針を指された最初の夜だったら、かれにとっては救い、喜び、祝祭になっただろうに、と彼は感じた。あのとき、もし自分が死を選ぶ か夢みることができたら、これこそ自分が選び夢みた死だっただろうにと思った。ダールマンはどう扱っていいかわからぬ匕首を握りしめながら、平原 へ出ていった。


 以上があらすじだが、ラストへなだれ込むこのスピード感を見ると、ここは強引で圧倒的な力に満ち満ちた場所といえる。
           
 はたしてこの思いがけない展開で決闘に赴く瞬間は、南部に向かう途中の病み上がりのダールマンに起こった現実の出来事なのか? 病院で高熱にう なされる中でのダールマンの見た夢だったのかもしれないという見方もできる。

 主人公のダールマンは、ボルヘス自身ともいえる。

 ボルヘスは自分の作品に非常に厳しい人だった。そして「南部」は読み応えのある作品。ここでは、小説の力がはたらいており、原理的にもつ小説を 駆動する力の起源は「夢」にあるのではないかと考える。

 芸術を考える上で掘り下げられるもの。それは「夢」に内在する力であり、それは芸術に内在する力でもあるのではないか。小説の本質に近づくもの ともいえる。


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 以上が、第Ⅰ時間目の大体の内容です。       
             
 ボルヘスの母方の家系も南アメリカの独立運動で勇名をはせた軍人を輩出した家系であり、市立図書館の事務員で『千夜一夜物語』を手放さないナ イーブで繊細なダールマンの南部への想いは、ボルヘスその人を象徴しているのかもしれません。
           
 ダールマンが向かおうとした南部の農場は、彼が信奉するインディオの槍に刺されて死んだ軍人だった母方の祖父の家を買い戻したものだ、という設 定がされています。
「南部」という濃密な時間と空間をもつ土地に帰し、しかしダールマンは永久にその、一度目指した土地には戻れないという予感が、わたしの中に大き く広がりましたが、ラスト描写は確かに衝撃的で強引、「南部」という土地のもつ力により、これも「変身」と同様、不幸な物語ではなく、むしろダー ルマンは幸福の中でこの物語と共に終わった気がします。

● 「変身」を読まれた方は多いと思いますが、これも訳を比べて読んでみると、行間から伝わるものが微妙に違ってくる面白さを味わうことができそうです。

● 「南部」は、すぐに読める短編です。出版社・訳者もいくつか出ています。ただし、文学全集の中の作品が手に入りやすいと思います。未読の方にはぜひお薦めしたい作品です。誰でも夢を見ることでしょう。「夢」ということを考えると、誰でもが入ってゆけそうな世界だと思います。