松田洋子のアトリエ絵リアル

松田洋子(マツダヨウコ)の絵画創作活動軌跡 ~ときどきポエムも登場します~☆⇒「麻生洋乃のライティング詩リアル」で検索

絵と詩のコラボレーション(3) <吉原幸子の詩とともに>

2012-02-29 23:28:02 | 美術

鳥よ                                吉原幸子(よしはらさちこ)1932~

                                   東京生まれ。東大仏文卒。劇団四季で主役も演じたことがあり、    
                                   朗読その他音声を用いての詩の表現に意欲的。『歴程』同人。
                                   女性詩誌『ラ・メール』を新川和江とともに創刊・編集。愛することの
                                   意味を切々と問い、うたいかける。詩集『幼年連禱』他。
                                                                         ★『鳥よ』=「夜間飛行」(昭和53年)より

うつくしいことばだった

〈タッチ・エンド・ゴー〉

着陸し そして離陸する

とどまらずに

 

タッチせよ 小さな飛行場に

地球の肌に その土に 木々に 光る海に

子供たちの笑ひ声に

幸せに似た朝に

タッチせよ 生のすべてに

旋回し 急降下し いくたびも―

エンド・ゴーせよ

皮膚ひきはがしつつ

ふり返らずに

 

あたたかい巣をあとにする

永遠の〝流れ者〟のやうに

 

触れよ そして

とどまらず ゆけ

夕日のなかに

 


絵と詩のコラボレーション(2) <谷川俊太郎の詩とともに>

2012-02-28 23:45:29 | 美術

二十億光年の孤独                            谷川俊太郎(1931~)

                                        東京生まれ。父は哲学者谷川徹三。
                                        豊玉高校卒。21歳のとき、第一詩集「二十億光年の孤独」を刊行。
                                        戦後詩の輝かしい新人の出現だった。音やデザインや映像の世界
                                        にも活躍。「ことばあそびうた」など大量の詩集の他、マザーグース
                                        の翻訳などでも活躍。★二十億光年の孤独(昭和27年刊より)

人類は小さな球の上で

眠り起きそして働き

ときどき火星に仲間を欲しがつたりする

 

火星人は小さな球の上で

何をしてるか 僕は知らない

(或はネリリし キルルし ハララしているか)

しかしときどき地球に仲間を欲しがつたりする

それはまつたくたしかなことだ

 

万有引力とは

ひき合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる

それ故みんなはもとめ合う

 

宇宙はどんどん膨んでゆく

それ故みんなは不安である

 

二十億光年の孤独に

僕は思わずくしやみをした

 

                                   

 

 

 


<絵と詩のコラボレーション(1)> 茨木のり子の詩とともに

2012-02-27 14:37:00 | 美術

 

わたしが一番きれいだったとき             茨木のり子(1926~)

                                            大阪生まれ。東邦大薬学部卒。
                                            『詩学』に同じく投稿していた川崎洋と同人誌『櫂』を創刊。
                                            『櫂』にはのち谷川俊太郎・大岡信らが参加。
                                            戦後、詩の世界に凛とした女性の声を響かせた最初の詩人として
                                            注目された。詩集「対話」「寸志」他。
                                            ★『わたしが一番きれいだったとき』=「見えない配達夫」(昭和33年)より。

わたしが一番きれいだったとき

街々はがらがら崩れていって

とんでもないところから

青空なんかが見えたりした

 

わたしが一番きれいだったとき

まわりの人達が沢山死んだ

工場で 海で 名もない島で

わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

 

わたしが一番きれいだったとき

だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった

男たちは挙手の礼しか知らなくて

きれいな眼差だけを残し皆発っていった

 

わたしが一番きれいだったとき

わたしの頭はからっぽで

わたしの心はかたくなで

手足ばかりが栗色に光った

 

わたしが一番きれいだったとき

わたしの国は戦争で負けた

そんな馬鹿なことってあるものか

ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

 

わたしが一番きれいだったとき

ラジオからジャズが溢れた

禁煙を破ったときのようにくらくらしながら

わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

 

わたしが一番きれいだったとき

わたしはとてもふしあわせ

わたしはとてもとんちんかん

わたしはめっぽうさびしかった

 

だから決めた できれば長生きすることに

年とってから凄く美しい絵を描いた

フランスのルオー爺さんのように

                   ね


新年冬のパリ 観光スポットにて「パチリ!」

2012-02-18 23:37:24 | 美術

● オペラ座の前でちゃっかりすわり ♪~

 

 

● 向こうはルーヴル、冬のひなたぼっこ ぬくぬく 水鳥もたのしげ ♪~

 

 

● モンマルトル~ ミュージアムの前、なんかイイ感じ なじんでない?

 

 

● ノートルダム大聖堂 1月はまだクリスマスの飾りが残り、大聖堂はデコレーションケーキみたいです ♪~

 

 

● エッフェル塔 パリに足を踏み入れた最初の観光地 夜が明けてきたところ ♪~

 

● 朝だよー ♪~ 朝焼けがきれい ♪~

 

● 凱旋門 すっかり明るくなった 寝不足だけど、まずはピース ♪~

 

● モン・サン・ミシェル 掌に建物ごと乗せちゃうポーズが定番だとのことで ♪~

 

 

 


新年冬のパリ旅行~世界遺産「モン・サン・ミシェルとその湾」

2012-02-17 22:46:08 | 美術

新年冬のパリ旅行~世界遺産「モン・サン・ミシェルとその湾」

海に浮かぶ神秘の修道院・・・・・・潮の干満で表情を変える海上のピラミッド!

ノルマンディー地方の海に浮かぶ小島の中心に壮大な修道院、モン・サン・ミシェルが屹立しています。古くから聖地として多くの巡礼者が訪れてきました。

708年、アヴランシュの司教オベールが大天使ミカエルから「この島に聖堂を建てよ」というお告げを受けたことに始まっています。

建築物の主要部はゴシック様式ですが、内部はさまざまな中世の建築様式が混ざり合って構成されています。修道院聖堂の身廊部は創建時の姿をよくとどめていて、ノルマンディ・ロマネスク建築の代表例となっています。内陣は、1523年の完成でゴシック様式です。

モン・サン・ミシェルは「聖ミカエルの島」を意味しています。


新年冬のパリ「美術館を歩く」(10)ポンピドゥー・センター外観をたのしむ

2012-02-14 10:16:56 | 美術

ポンピドゥー・センター外観をたのしむ

 

 

 

ポンピドゥー・センター(Centre Pompidou)は、フランスの首都・パリ4区(セーヌ川右岸)にある総合文化施設で、正式名称はジョルジュ・ポンピドゥ国立美術文化センター(サントル・ナシヨナル・ダール・エ・ド・キュルチュール・ジョルジュ・ポンピドゥ、Centre National d'Art et de Culture Georges Pompidou)という。レンゾ・ピアノリチャード・ロジャースが設計し、1977年開館。名前は、フランス第五共和政の第2代大統領で、現代芸術の擁護者でもありこの施設を発案したジョルジュ・ポンピドゥーにちなんでいる。様々な形態の同時代の芸術(現代美術現代音楽ダンス映画など)のための拠点をパリ中心部に設けようとの意図から計画されたセンターである。

ポンピドゥー・センターには国立近代美術館、産業創造センター、音響音楽研究所IRCAM、公共図書館が入っている(IRCAMは組織としてはポンピドゥー・センターが管轄するが、建物はポンピドゥー・センターの中ではなく、その南隣にあるストラヴィンスキー池の地下に存在する)。

2010年、フランス北東部の都市メス(Metz)に分館としてポンピドゥー・センター・メスが開館。設計は、日本人建築家坂茂とフランス人建築家Jean de Gastinesのグループが手掛けた。


案内ちらしができました! 第45回かわさき市美術展

2012-02-13 15:45:27 | 美術

● 私の作品: 題名『帰還』  P100号 <奨励賞受賞>

★今回私が出品する作品は、小惑星探知機「はやぶさ」が小惑星「イトカワ」に向け、7年間(60億km、2592日)宇宙の旅をし、2010年6月13日、流星となって地球に帰ってきたドキュメントと、2011年3月11日に起きた東日本大震災 の2つの出来事から強いイマジュネーションを与えられ、制作したものです。


新年冬のパリ 美術館を歩く (9) 『ルーブル美術館』

2012-02-13 11:10:05 | 美術

新年冬のパリ 美術館を歩く 『ルーブル美術館』

 

 

 

● ルーヴルはもとは中世の城塞であり、その後王宮となり、今では美術館という変身を遂げている。その後、増築、改築も行われ、近年は中庭に巨大なガラスのピラミッドを見せています。

● 現在、ルーヴルには古代エジプト、古代オリエント、ギリシャ・ローマ・エトルリアの古代三部門と、絵画、彫刻、工芸、素描、版画という四部門、計七部門があり、職員総数は1200人に及んでいます。

● このように内容も所蔵作品も膨大な美術館である。初めてのルーヴル美術館の見学には、館内を大きく流れに沿って移動し、案内してくれ、特に名高い作品にはエピソードを交えたわかりやすい解説をしてくれる現地の日本人ガイドがイヤホン音声案内を使って、私たちのグループについてくれたのは、たいへんありがたかったです。

● ブログをごらんのみなさまも、ルーヴル美術館館内を当日実際にたどったわたしの眼とともに、スライドショーを見ながらルーヴルのほんの一こまですが、観てください。

● 初めてルーヴルを訪れたこの日、よいきっかけをもったと思いました。次は、自分のペースで、もっと日程に余裕をもちながら二度目のルーヴルを観たいなと、これからは新たな楽しみにしたいと思います。


新年冬のパリ 「美術館を歩く」 (8) オランジュリー美術館

2012-02-12 13:41:13 | 美術

● オランジュリー美術館は、モネの連作「睡蓮」を礼拝堂のような展示室で鑑賞できます。

  弧を描いた壁面に展示された「睡蓮」は、圧巻です。

  ほかに、ルノワール、シスレー、セザンヌ、ゴーガン、アンリ・ルソーなどの作品が堪能できました。

  ここは、オルセー美術館と同様、撮影禁止となっています。

● オランジュリー美術館の入り口

 

● 美術館入り口前にあるロダンの「接吻」

 

● 美術館の側面(セーヌ川寄)

 

● オランジュリー美術館は、2006年に大改装が終了し、展示スペースも拡張され、生まれ変わりました。


第45回 かわさき市美術展 (公募展)

2012-02-11 11:19:36 | 美術

かわさき市美術展に出品し、作品を発表し始めてから今回で10回目を数えます。

10年前には、まず入選しないと展示されないわけで、入選できるかどうかの審査結果を、どきどきしながら待ったものでした。

もうひとつは、大きな展示場で自分の作品を発表できる嬉しさと恥ずかしさが混在していました。

10年前の会場は川崎駅前の「アートガーデンかわさき」でした。一度、川崎市高等学校総合美術展(名称は正確でないかも?)をその会場で見たときに、このようなりっぱな会場で作品を展示できたらいいなと心から思いました。

その後、市美術展に入選し、その願いがかないました。初入選の作品のサイズはF30号でした。ほかの出品者の作品で眼を見張るものには、100号サイズのものが多かったと思います。次回は100号で挑戦しようと、すぐ思いました。

翌年、2回目の入選を100号で果たしました。涙がでるほど嬉しかったです。制作中、2ヶ月あまり肩を痛めて腕が肩より上に上がらなくなりました。100号という大作を、相当の時間をかけて仕上げる中での不自由。仕事もしているので制作時間は週に2日ほどです。痛み止めを飲んでも湿布をしても、なかなかよくなりませんでした。涙が出る痛さをこらえて筆を握り、完成させたのが渋谷のスクランブル交差点を駅構内から見た風景に、自分の心象をこめて描いた「リアルタイム-ちいさな背中たち」でした。この作品は会場の真ん中の、たいへんよい場所に展示されました。

ところが、規定の最高サイズの100号で描いたと思った自分の作品よりさらに大きな作品がいくつも展示されていたので、おやと思いました。100号サイズにはSサイズも含み、Sサイズが一番大きなサイズだったのです。そこで、次の年には初めてのS100号に挑戦。これが、集合住宅(団地サイズ)のわが家の中から外に運べる最大のサイズであることを知りました。この作品は市美術展初めての入賞作品(奨励賞)となりました。

以後、100号の作品を出品し続け、第43回展から会場は「川崎市市民ミュージアム」に変わりました。この展示会場は、さらに立派なところです。43回展は前年の奨励賞に続き、奨励賞を受賞し、市民ミュージアムの平面展示会場のいちばん目立つ場所に展示されました。

そして前回の第44回展では平面部門の特選をいただき、やはり前回と同じ場所に展示していただき、ありがたかったです。

仕事をもっているなどの理由で、公募団体などに入会はしておらず、かわさき市美術展は、わたしにとって展示していただける機会をもてることでも、とても大きな存在でした。10年来、この市美術展により自分のレベルもアップし、大きな勉強になっています。

今回、記念すべき10回目の出品になります。これは、本格的に私の絵画制作・発表が始まってから10年という歴史にもなりました。

今年は画業10年を記念して11月に個展を開催することになっています。

第45回かわさき市美術展のご案内を次のように掲載します。みなさまのご高覧をお待ちしています。

☆ 私の作品は、タイトル: 『帰還』  サイズはP100号です♪

 

 


第3回川崎デッサン会展 展示風景

2012-02-10 10:53:11 | 美術

第3回川崎デッサン会展 展示風景(2月8日に終了しました)

はじめてフォトチャンネルを作ってみました。

展示作品がスライドショーでも見ることができます。

⇒三角部分をクリックしてごらんください。拡大したいときは、右端の四方⇒マークをクリックします。

厳寒の時期お忙しい中、ご参観いただいた方々、ありがとうございました。