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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

霊的な心 第10回

2015年05月23日 | 日記

 

サタンの攻撃の手段

『詩篇』139篇3節4節をお読みします。「あなたはわが歩むをも、伏すをも探り出し、わがもろもろの道をことごとく知っておられます。私の舌に一言もないのに、主よ、あなたはことごとくそれを知られます」。

『歴代誌上』28章9節なんですけれども、「主はすべての心を探り、すべての思いを悟られる」と書かれています。神様は私たちの人生に何を望んでおられると思いますか?神様はある特定のことを私たちに望んでおられるのです。それを得られたら神様は私たちを救うことがお出来になるのです。もし私たちがそれを神様に捧げるならば、神様はそれを使ってイエス様のみかたちへと、私たちを形作ることがお出来になるのです。

すでに申し上げたことですけれど、私たちは品性の完成に向かっていても、イエス様と全く同じになるわけではありません。イエス様と同じくらい、全く同じくらいに親切な優しい心を持つようになるわけではありません。イエス様ほど愛情深い、あわれみ深い、情け深い者になるわけではありません。イエス様の表された謙遜に匹敵するような謙遜に達することはありません。しかし、イエス様の模範をまねる、模倣することができるようになるのです。そして、イエス様のご品性に似た者となることができるのです。

どうやってでしょうか。どうやって?知らないで誰かの品性をまねることが出来るでしょうか。ではどうやって、あることを知ることが出来るのでしょうか。どうやって、あるものを思いのうちに取り込むことができるのでしょうか。どうやってあるものを思い巡らして、理解に、悟りに至ることができるのでしょう。“思いによって”です。思い巡らすことによって、何かを取り込むことができます。思いで、「あそこにカメラがあるな」と認めるわけです。「あ、あの人が今僕の写真を撮っている」とか、そのカメラの機能とかそういったものを把握して、自分の思いで理解することができるのです。一瞬にして・・・。

私が目を閉じている時何が見えるでしょうか。そのカメラを、まだ思いにおいて見ることができます。そこに若いご夫婦が座っていらっしゃいます。彼らのことを知っています。彼らは私が間違っていなければ、新婚旅行をまだ楽しんでいる最中だと思います。まあ、新婚期間ということでしょうか。その新婚生活を満喫しておられると思います。口げんかなんかしませんよね。本当に幸福な時期だと思います。もう、あっという間に彼らのことを自分の中に取り込みます。どうして彼らを思いのうちに捕らえられるのでしょうか。思考によってです。そのように、私たちの思考、想像力を働かせて、神様を知るように努めなさいと神様は私たちに求めておられるのです。同時にサタンもまた、私たちの思いを通して自分の思いを吹き込もうとしています。