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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

救いは取り消されないのか 第20回

2015年05月05日 | 日記

ところで、「一度救われたら永遠に救われる」という立場を主張する人々が、よく親と子の関係をたとえにして、自分たちの立場を説明することがあります。「私の子供は私の家族として生まれて来たのだから、常に私の子供である。彼らは私の家に生まれてきた以上、親子の関係をなくすことは出来ない。子供が従順であっても、不従順であっても、それにかかわらず常に私の子供であることには変わりがない」。

この説明はもっともなものですが、重大な点を一つ見逃しています。問題は、子供が病気で死んだり、家出をしたあげく、家に帰ることもなく死んでしまうことがあるということです。その時には、親子の関係も断たれてしまいます。子供が死ぬことなく健康で生きられるようにするために、医者や親は様々な健康原則や生活上の注意をします。しかし、もし子供が病気になって食事を食べなくなったら、その子は死ぬことになります。同じようにイエス様は、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない」(ヨハネ6:53)と言われました。

 

今や私たちは、最終的な救いのためには、継続的な従順が必要であることについて、明確に理解することができました。パウロは「あなたがたは知らないのか。あなたがた自身が、だれかの僕になって服従するなら、あなたがたは自分の服従するその者の僕であって、死に至る罪の僕ともなり、あるいは、義にいたる従順の僕ともなるのである」(ローマ6:16)と言いました。人がキリストに従わないことを選び、自我の思いとサタンに従うようになる時、その人はサタンの僕に属することになります。「子たちよ。だれにも惑わされてはならない。彼が義人であると同様に、義を行う者は義人である。罪を犯す者は、悪魔から出た者である。悪魔は初めから罪を犯しているからである。神の子が現れたのは、悪魔のわざを滅ぼしてしまうためである」(Ⅰヨハネ3:7,8)。