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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

救いは取り消されないのか 第26回

2015年05月11日 | 日記

サタンとその手下たちによって、救いからふるい落とされないで、そのお方の内に留まる方法は、そのお方のみ言葉に聞き従う事です。神様は、檻の中にいる羊を盗もうと、機会を狙っている敵から守って下さるのであって、羊の檻の主人であられるキリストに、これ以上従わないと決心して檻の外に出てしまった不従順な羊たちを保護すると言っておられるのではありません。檻の中にいる羊を、誰も父なる神様のみ手から奪い去ることはできませんが、彼らは、いつでも自ら天のお父様の保護の外へ飛び出して行くことが可能です。

神様は、決してご自分に従う人たちから、選択の自由を奪われることはありません。罪人にはいつでも、神様が賜物として与えてくださる救いを受け入れることも、拒むことも、自由に選択できます。

 

もし背教が不可能であるならば、背教の危険について警告している聖書の数々のみ言葉は、全く無用のものとなってしまいます。もし人の滅亡が不可能なのであれば、なぜ聖霊や、パウロやペテロあるいはその他の使徒たちは、永遠の滅びについてあれほど熱心に警告と勧告を与えたのでしょうか?かりに、一度受けた救いが永遠に保証されるものであるなら、悪魔はクリスチャンたちを誘惑して信仰を捨てるように努力することなど何の意味もないことですから、そのようなことに時間を費やしたりは決してしないでしょう。しかし私たちは、サタンが聖徒たちに、キリストに従わないようにさらに熱心に働いている事実を、体験として十分に知っているはずです。

 

今や私たちは、救いが過去や現在の一度だけの公約によって、永遠に取り消されることはなくなるという教えが誤りであると言う結論を下す時が来ました。救いを受けるということは、神様が着せて下さる義と分け与えて下さる義を、絶えず受け続けていくクリスチャンの生涯の経験です。それは、永遠の命の源泉であるキリストとの、継続的で生き生きとした関係によってしか、現実のものとなっていきません。

救いの問題を、聖書的に完全に理解するためには、救いを過去、現在、未来の、三つの時制の中で注意して調べて見なければなりません。救いは過去に起きて、現在に起きていて、未来にも継続するべきものです。