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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

救いは取り消されないのか 第22回

2015年05月07日 | 日記

6、枝は切り取られることがある

 

 

ローマ人への手紙11章で、パウロは血縁によるイスラエルの子孫の中で、多くの者が神のみ子を拒んで失われていくことについて論じています。彼はオリブの木を用いてたとえました。17節から20節によると、元木の枝はイスラエルの子らを意味しますが、彼らの不従順のゆえに切り取られてしまいました。その後、野生のオリブの枝がつがれますが、それは、異邦人からキリスト教に改宗した人々を表します。では、次の勧告を注意してみましょう。「もし神が元木の枝を惜しまなかったとすれば、あなたを惜しむようなことはないであろう。神の慈愛と峻厳とを見よ。神の峻厳は倒れた者たちに向けられ、神の慈愛は、もしあなたがその慈愛にとどまっているなら、あなたに向けられる。そうでないと、あなたも切り取られるであろう」(ローマ11:21、22)。

 

枝の安全は、全的に幹とつながっていることであることに注意してください。永遠の命に対する安全と保証は条件付きです。ペテロもこのようなパウロの考えに同意しています。「これらのものを備えていない者は、盲人であり、近視の者であり、自分の以前の罪がきよめられたことを忘れている者である。兄弟たちよ。それだから、ますます励んで、あなたがたの受けた召しと選びとを、確かなものとしなさい。そうすれば、決してあやまちに陥ることはない」(Ⅱペテロ1:9、10)。これは確実に、クリスチャンたちが恵みから離れていくことがあるという事実を指摘しています。

人が救われたと公然と話した後にも、キリストから離れるなら、滅ぼされることがあるという事実を教える聖書の最も重要な聖句は、ペテロの第二の手紙2章20~22節です。「彼らが、主また救主なるイエス・キリストを知ることにより、この世の汚れからのがれた後、またそれに巻き込まれて征服されるならば、彼らの後の状態は初めよりも、もっと悪くなる。義の道を心得ていながら、自分に授けられた聖なる戒めにそむくよりは、むしろ義の道を知らなかった方がよい。ことわざに、『犬は自分の吐いた物に帰り、豚は洗われても、また、どろの中にころがって行く』とあるが、彼らの身に起ったことは、そのとおりである」。この言葉が与えている教訓は余りにも明白です。