凡そ、八年前にも此の切通しには訪れています。当然ながら何の変化もありませんが、鎌倉時代を垣間見る様にも思えます。
朝夷奈切通しは仁治二年(西暦1241年)三代執権・北条泰時の命により、鎌倉と六浦を結び切り拓かれ、此処は物流・軍事・文化の面でも重要な役割を果たしていたとの事です。此の切通しは現在、七つ在る切通しの中で最も長いものです。
(此の記事は、八年前の別ブログに準じて記載しました。)
三郎の滝
十二社神社方面より切通しの入り口に小さな滝があり、此の滝は切通しを拓いたと云われる、朝夷奈三郎義秀の名に因み付けられたとの事です。
道幅の広い切通し
他の切通しは軍事面からでしょうか道も狭く勾配もきついのに対し、此処は物流面よりでしょうか道幅が広く感じました。・・・・・私の思いなので定かではありません。
サイクリング自転車の人に出会いました。
段差のある道。
此の段差が拓かれた当初よりのものか、長い年月に依るものか判りませんが、此の雰囲気が気に入っています。
地蔵碑
碑の一部が欠落して居りますが地の方に伺った所、《延宝三年十月十五日死・浄誉向入改修碑》と刻まれているとの事で、延宝三年は西暦1675年に当りますので、今年で341年前の地蔵碑の様です。
地境標
地蔵碑の近くや、数箇所に見受けられました。
石に彫られているのは鎌倉市の市章の様で、上部には赤の十字が彫られていました。
地蔵碑を通り過ぎ、振り返り一枚。
磨崖仏?
此れも地の人の話では、何時ごろ誰が彫ったか不明との事です。
暫く進むと、右に入る熊野神社への細い道が続きます。
熊野神社
神社の在る所は鎌倉の鬼門に当たるとの事で、神社が創建された様です。
元の道に戻り、切通しそのものです。
石地蔵・道祖神
史跡出口辺りに数体が並んで居りますが、此れも何時頃よりのものか不明の様です。
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