東海道川崎宿は、今年で400年との事です。
江戸時代、川崎宿でも御多分に洩れず『飯盛旅籠』が在ったとの事です。
飯盛旅籠は飯盛女を置く旅籠で、実質は遊郭でありました。
飯盛女は近郊より売られてきた女で、多くは身体を壊し亡くなり、墓にも入れぬ者が多かったとの事です。
其の様な女性達の供養塔が大正の初期、川崎貸座敷組合に依り宗三寺の片隅に建てられたとの事です。
其の供養塔の台座には、当時の遊郭楼の名が刻まれているとの事です。
又、左側の供養塚は川崎今昔会に依り、昭和63年に建てられたとの事です。
貸座敷組合に依る供養塔
台座に刻まれた遊郭楼の名
川崎今昔会に依る供養塚