朝夷奈切通は、仁治二年(西暦1241年)三代執権・北条泰時の命に依り、鎌倉と六浦を結び切り拓かれました。
此れは、物流・軍事・文化の面でも重要な役割を果たしたとの事であります。
又、此の切通は七つ在る中でも現在、最も長い切通であります。
三郎の滝
十二社神社方面より、切通の入り口に小さな滝が在ります。
此れは、切通を拓いたと云われる、朝夷奈三郎義秀の名に因み付けられたとの事す。
滝を右手に眺め、進みます。
切通は、段差も在ります。
地蔵碑『淨誉向入供養塔』
地蔵碑の一部が欠落して居りますが、以前に地の方に伺ったところ、
《延宝三年十月十五日死 淨誉向入改修碑》と刻まれているとの事であります。
延宝三年は西暦1675年に当り、今年で347年前の供養塔と云う事になります。
再び、段差の在る切通。
摩崖仏
此れも地の人の話では、何時頃に誰が彫ったか不明との事でした。
私には、最も切通を感じさせる処です。
石地蔵・道祖神
史跡出口辺りに数体が並んでいますが、此れ等も何時頃よりのものか不明の様です。
熊野神社入り口
切通を戻り、熊野神社へと進みます。
熊野神社・鳥居と拝殿
此処は鎌倉の鬼門に当たるとの事で、神社が創建されたとの事です。
熊野神社・本殿