命への欲望が引き起こしたSTAP細胞騒動

2015年01月30日 | 日記
 STAP細胞騒動を問うと題して、『生命科学の欲望と倫理』の著者で、長年生命倫理の研究と政策議論に関わってきた島(ぬでしま)次郎さんが新聞紙上でこの問題の本質を分析しています。

島さんがSTAP細胞研究の騒動を見ていて感じたのは、社会に対して再生医療に役立つといった点が強調され過ぎていないかということでした。

再生医療に役立つというのは医療技術の開発であって、生命科学の本筋ではない。STAP細胞の件でいえば、「なぜ細胞が初期化されたのか」につながるという点が科学の本筋。再生医療の新しいスターが登場したとの期待が過熱し、その科学の本筋が見失われたことが、今回の騒動の一番の基だった、というのがぬで島さんの考えです。

iPS細胞研究にもいえることだと思います。

私は今gaccoの「よくわかる!iPS細胞」という講義ををWEB上で受けていますが、中心となっているのは、どのように再生医療に役立てることができるか、ということです。iPS細胞研究所の最重要課題であり、様々な病気に苦しむ人が多く、最も関心のあるところだと思います。
私は科学オンチですし、勉強そのものが苦手なので、長い間どうして細胞が単純に分裂して同じものが増えるだけではなく、まったく別の細胞を作り出すことができるのか謎でした。今も謎です。DNAとかはいくら本を読んでもちゃんと理解できません。細胞の初期化についても、なぜそうなるのかはわかりません。理解できないんです。

ぬで島さんは、生命科学では「科学する欲望」に対して、長生きしたい、健康でありたいといった命をめぐる欲望が研究に強い影響を与え、その本質を歪めかねないと警告しています。

出生前診断などにもいえることだと思います。

「科学する欲望」とは、生命や物質、世界の仕組みを解明したいという欲望で、人間の本質のひとつだとぬで島さんは考えています。

ぬで島さんの記事から10年程前に読んだイギリスの作家アレックス・シアラーの『世界でたったひとりの子』という本を思い出しました。

人類は科学を克服し、200歳くらいの寿命を手に入れます。死ぬ直前まで健康でいられる薬も開発され、病気や介護などの問題からも解放されました。

40歳を過ぎると老化防止薬を飲むことが許されるのです。夢のような近未来です。

ただし、人々が長寿を手に入れた代わりに、この世に生まれてくる人がいなくなってしまったのです。子どもはきわめて稀な存在となり、主人公のタリンは大人たちの家庭に出向き、子どものひと時を提供する仕事に従事させられています。数少ない子どもは、大人にならないよう「永遠のこども」手術を受けさせられたりするのです。

作者のシアラーは主人公タリンを通して痛烈な批判をしています。

人間には割り当てられた命の長さがあり、それ以上はほんのおまけ。

善意の人間たちや独りよがりの慈善家たちは、あれやこれや賞をもらって、ノーベル賞を取ってたいそう得意になっている。

死亡率も減ったが出生率も落ちた。知ったかぶりに自惚れや、善意の連中に対するこっぴどいしっぺ返し。

良かれと思ってしたことが最悪の結果をもたらす。逆に悪意を持ってしたことが偶然にも良い結果に結びついてしまう。あるいは考えていたよりもずっと悪くなってしまう。誰に想像がつくだろうか?

科学の発展により、人間が外から腐っていくことは食い止められるが、内からの腐敗は直せない。

生きるのには飽きたが、死ぬのは怖い、に効く薬はない。

この物語では、永遠のような時間のなかで多くの人がガラスのような虚ろな目をして、死ぬまでの時間を空費している。

病気や老化から解放された人々が、ろう人形のように虚ろに過ごしている世界。

科学が目指すのはこんな世界なのだろうか。
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