ブログ仙岩

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おらが街風景

2021-05-18 05:06:19 | 日記
物置同様に押し込まれた部屋から、肖像画や絵画を見ていると、街風景が見つかった。
3.11震災で避難した裏山雷神様の上り口から眺めた、震災前の海側の街風景であった。
屋根など大分変っているが、当時を思い出し、14:46立って居れない揺れに近くのラックにつかまり、妻を呼び寄せ抱きかかえた。
ようやく揺れが収まり、台所の冷蔵庫のドアや引き出しが開いて音が鳴り、閉めると音が止み、ブレーカーを下げて表に出た。
向かいの駐車場に避難した家族がしゃがんで俯いていた。
また、家に戻り、玄関はガラス戸が割れて入れないので、勝手口から入り、コートを羽織って、貴重品や携帯を以って、表に出ると、津波を心配して、駐車場にいた皆を誘って裏山に避難した。
15:15頃一本の津波が東山地区を襲い、見る見るうちに海水で屋根だけ見えるところに、自動車が北に流されていく。
我が家の前の道路は津波の海水で川になり、我が家はダメだと思った。
津波が引けて、ようやく正気になり、15:34携帯で海岸のようすを撮影1枚だけであった。
雨が降ってきたので、社に避難、区長が下りて避難高校へ通路を見に行って、海水で行けないと報告を受けた。
大分時間が過ぎて、我が家に戻り、毛布などもって、避難所へ、途中交差点で消防団員がまた津波が来るぞと叫んだので、また山に避難。
結果、津波は来なかったので、高校の体育館へ避難、何時も取り寄せているソバ屋から炊き出しの結びの差し入れがあった。
食べ始めると、生きていることを実感した。
ストーブで館内は暖かく、親戚の方が、食べ物の買い出しを少し頂き、隣ではいびきをかき始めた。
向きを変えて毛布にくるまり、眠ろうとしたが、なかなか眠れない・・・
いつの間にか、朝になっていた。風景画を見て思い出した一言である。