ブログ仙岩

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親離れと子離れ

2015-09-25 09:35:34 | エッセイ
明日が彼岸明け、今月5日に帰還した楢葉町の常磐線トンネルで一番長い上にある上繁岡地区での先祖墓参りの姿が放映されていた。ようやく先祖との絆が確かめられたようだ。

我妻も、毎日過去帳をめくりの先祖供養、そしてお祈りして絆を深めている。しかし、娘が来ると必ずコメを持たせる。子離れ出来ていない。

親離れと子離れ、どちらが難しいのだろう。天声人語に<どれだけの覚悟で言ったことなのか君は知らない「好きにしなさい」>今村こず枝。永田和宏氏の評は「なかなか怖い歌。一語に籠めた母親の覚悟と」。

事情を想像するしかないが、へその緒を再び切るような思いの一時が母親にあるのかもしれない。作家の森崎和江さんは「母性とは、抱く強さで放つもの」と書いている。

男親の私は、たまにしかわが子にメールしないが、妻は毎日やっている。母親の子離れは父の私には到底理解できないが、一般的に入学の付添いにしろ母親は昨今父親より熱心である。吉田松陰の辞世の歌にもあるように、「親思う心にまさる親心・・・」で、親の心子知らずは人生の順序として当然と思う。

アメリカにも「ヘリコプターペアレント」という言葉があり、頭上を旋回するヘリのように子を見守り、すぐ降りてきては指示や助け舟を出す親のことで、日本の大学生の親にも多いという。

へその緒つきの社会人が多くなっている今日、上司の叱り方一つにも注意が必要な時代である。ライオンはわが子を千尋の谷底に突き落とす諺が蘇える。