今朝22日、明日へのことば元マラソンランナー寺澤徹氏の言葉を途中後半から聞いた。
多くの主要マラソンに優勝し、昭和37年(1962年)の朝日国際マラソンに日本最高記録(2時間16分18.4秒)、翌38年(1963年)の別府大分毎日マラソンでは、アベベ・ビキラの世界最高記録を上回る2時間15分15秒8で優勝した。
1964年東京オリンピックには、円谷幸吉(3位)、君原健二(8位)と共に出場したが、15位と失意の結果に終った。一時は現役引退も考えたが、20分を目標に走ることを決意したという。その年の朝日国際マラソンで2時間14分48.2秒の日本最高記録で優勝。その後も日本のトップ選手として活躍した。自己ベストは、1965年6月のポリテクニック・ハリアーズ・マラソン(ウィンザーマラソン)で記録した2時間13分41秒。30才であり、このとき同時に出場した重松森雄が2時間12分00秒の世界最高記録で優勝している。
東京生まれだが、福井県で育ったため、長いマラソン人生を送れたのは市民の中に飛び込んだからで、今年福井県でのマラソン大会へ5㎞の部に市民と一緒に走るという素晴らしい人生のトークであった。
多くの主要マラソンに優勝し、昭和37年(1962年)の朝日国際マラソンに日本最高記録(2時間16分18.4秒)、翌38年(1963年)の別府大分毎日マラソンでは、アベベ・ビキラの世界最高記録を上回る2時間15分15秒8で優勝した。
1964年東京オリンピックには、円谷幸吉(3位)、君原健二(8位)と共に出場したが、15位と失意の結果に終った。一時は現役引退も考えたが、20分を目標に走ることを決意したという。その年の朝日国際マラソンで2時間14分48.2秒の日本最高記録で優勝。その後も日本のトップ選手として活躍した。自己ベストは、1965年6月のポリテクニック・ハリアーズ・マラソン(ウィンザーマラソン)で記録した2時間13分41秒。30才であり、このとき同時に出場した重松森雄が2時間12分00秒の世界最高記録で優勝している。
東京生まれだが、福井県で育ったため、長いマラソン人生を送れたのは市民の中に飛び込んだからで、今年福井県でのマラソン大会へ5㎞の部に市民と一緒に走るという素晴らしい人生のトークであった。