4月22日にたま駅長が心不全で亡くなりました。
去年の4月の撮影ですが、すでにかなり痩せて来ており、元気が無いように見えました。
でもカメラの方に目線を合わせてくれました。
在りし日のたま 15歳になったばかりの頃です。 2014年4月に撮影
鉄道会社を立て直したのですから、すごい駅長さんでした。
たま駅長が勤めていた「貴志駅」
合掌
和歌山電鐵のホームページ http://www.wakayama-dentetsu.co.jp/
葬儀の案内
4月22日にたま駅長が心不全で亡くなりました。
去年の4月の撮影ですが、すでにかなり痩せて来ており、元気が無いように見えました。
でもカメラの方に目線を合わせてくれました。
在りし日のたま 15歳になったばかりの頃です。 2014年4月に撮影
鉄道会社を立て直したのですから、すごい駅長さんでした。
たま駅長が勤めていた「貴志駅」
合掌
和歌山電鐵のホームページ http://www.wakayama-dentetsu.co.jp/
葬儀の案内
ほわっとパーフェクト・リバティ
昭和ノスタルジック1
正面の住宅と右側のアパート風の建物。いいね~。
今は使われていないようです。
明治?大正?
かなり古そうです。懐かしさを感じます。
今回はこの家が一番気に入りました。
屋根を支えるつっかえ棒!!その下の用水石桶?窓の格子がいいですね~、ガラスも古そうでした。
向田坂と呼ばれている坂。
風雲急を告げる!
寺内町にも根性花がありました。名前はわかりません。
根性花アップ
白い壁が青空に映える
連なる屋根が綺麗です。
ちょっと煽ってみました。
不思議な感覚・・・・
なんかお城みたいです。
道標
その説明とそれを撮る私の影
白壁、板塀、木格子(きごうし)、虫籠窓 (むしこまど)、雨蓋瓦、煙だしの越屋根
これらが見事に調和した江戸時代のお寺と商家の町並み。
建築年代が江戸時代中期から昭和の始めまで少しずつ異なり、それぞれの町家は個性的な表情を今に伝えています。
大阪府の南東部・南河内に位置する、富田林(とんだばやし)の旧市街-寺内町(じないまち)は言わば 「旧家の生きた博物館」 です。
今度の休日にぶらり散歩でお訪ねになってみませんか?(富田林市ホームページ) の
言葉に誘われて行って来ました、富田林市寺内町(じないまち)です。
近鉄『富田林駅』
台風が接近しているのか、天気が非常に不安定で小雨、曇り、晴天の繰り返しが滞在時間2時の間ずっと続きました。
ここは前回の近江八幡の近江商人の住まいとはまた違った風情があり、江戸時代から昭和初期に建てられた
建物物が181棟あります。
富田林駅から近いので(5分くらい)真夏に歩かない限り疲れることは少ないかもしれません。
平日は観光局も少なく、休憩所やカフェもガラガラ状態です。
観光案内を貰った案内所
PL教団のシンボル!結構迫力あります。
寺内町とは(ホームページより)
1558年(永禄元年)、興正寺門跡証秀上人によって創建された興正寺別院を中心とした寺内町として誕生し、
商売の盛んな在郷街として発展しました。
現在も創建当時の六筋七町の町割りや、重要文化財旧杉山家住宅、
仲村家住宅など往時の繁栄を偲ぶ重厚な町家が数多く残されています。
また、大阪府内で唯一の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
苔むしています。
保存状態がよく、市をあげて大切にしている様子が良くわかります。
ごみひとつ落ちていません。
登録商標の文字が・・・
木口家住宅:非公開 1753年(宝暦3年)
木綿問屋さんでした。
旧 田中家住宅:公開 国指定有形文化財
建築年代:明治25年
由来
江戸後期に当地に移ったと伝えられる田中家は、幕末、明治期には素封家(明治44年「大阪府河内和泉資産家一覧」)
に数えられる名家でした。
平成16年(2004年)に富田林市に寄贈され、改修を経て2012年5月より一般公開されています。
建物の特徴
主屋、乾蔵、巽蔵等主要部分は。明治25年に建築されたもので、門戸を構え南北両側に前栽を整えるなど、
邸宅風の近代和風住宅としての特色があります。
続く
八幡掘に沿って、写真のあるように広くはないが小道が続いていて、瓦博物館の少し先で行き止まりになっています。
お客さんがいないので、船頭さんも見当たりません。
前方に中学生の旅行団体?写真の上部にある橋の所で写真撮影、グループになっている生徒が来るたびにギャーギャー騒いで
引率の先生が写真撮影、しばらく独占状態、渡りたくても渡れない観光客が写真撮影が終わるのを待っている。
この先生、人を待たしているのに、『すみません』の一言もありません。これじゃ生徒もマナー悪くなりますよね。非常識な女教師です。
急にプーさんが登場してきましたが、今まで忘れていました。
古そうな瓦の前でパチリンコ。
プー、出て来すぎです。
ここにも
八幡掘りを出て街に戻りました。
いきなり古い民家です。昔は何かのお店屋さんでしょうね。散髪屋さん?写真屋さん?そんな感じがしました。
プーの右側の家は100年以上の歴史がある近江商人のお屋敷です。
近江兄弟社の寮だった建物です。これもヴォーリズです。
昔の郵便局です。
八幡教会
青空に映えます!
すいません。
鐘が縦に3連?
古い民家と教会、なかなかええです。
カラオケ『マンボ』です。
とってもチャーミングな名前だったので、思わず撮りました。
今度来た時、歌いに行こうかな。
現役バリバリのショッピングセンター、何でも揃っています。マンボはこのお店の経営みたいです。
おまけ:瓦博物館の前にあった古そうな鬼瓦、ちょっと写真加工をしました。なかなかの迫力です。
東大寺にあったのとはぜんぜん違います。どちらも迫力満点ですが、八幡のは動物的かな?
八幡神社の石灯籠、白黒で。
電車約2時間45分、徒歩3時間のミニ旅行でした。
観光案内所で貰った観光地図の道順どおりに歩きました。
ほとんど建物には入らず3時間で一回りです。記念館やら資料館に入ると+2時間でしょうね。
行きたかったのですが、ここからびわ湖畔に抜けたところが風景で有名な観光名所だそうです。
昼食は近江牛の牛丼、普通の牛丼の肉とは厚さと匂いが違いました。
近江八幡の続きです。
古い看板がありました。
さて誰でしょう?回答は一番下。
郵便ポストも現役です。
まあこれは観光地にはまだ多いかもです。
八幡掘にとうちゃこです。
平日なので観光客が少なく、船が一隻も見られません。ちょっと残念でした。
手漕ぎ船、動力船いろいろあるようです。
灯篭祭りがもうすぐとの事、堀沿いに結構多く飾り付けられていました。
八幡堀に白い壁が映えます。
白雲館
(はくうんかん)
明治10年に八幡東学校として建築された白雲館は、当時のお金6千円で設立されたもので、貴重な擬洋風建造物です。
近江商人が子どもの教育充実を図るためその費用の殆どが寄付で賄われました。
現在は観光案内所が設けられ観光情報の提供や、お土産や特産品も展示販売されています。(近江八幡ホームページより)
日牟禮八幡宮
(ひむれはちまんぐう)
古くからこの神社は八幡商人の信仰を集め、左義長、八幡まつりは全国的に有名です。
社宝にはベトナムまでその活躍場を求めた八幡商人の代表格西村太郎右衛門が奉納した「安南渡海船額」をはじめ、重要文化財が多数あります。
近江商人に愛された日牟禮八幡宮、商売の神様でしょうか?
(答え浪花千恵子 なにはちえこさん)漢字あってるかな?
休みを利用して久しぶりの写真撮影旅行です。9月12日の天気はとても良かったです。
今日の機材はK5Ⅱs+α6000、17-50F2.8の標準ズームと30F2.8の2本です。
近江商人
近江商人(おうみしょうにん、おうみあきんど)または江州商人(ごうしゅうしょうにん)、
江商(ごうしょう)は、主に鎌倉時代から昭和時代(特に戦前期)にかけて活動した
近江国・滋賀県出身の商人。
大坂商人・伊勢商人と並ぶ日本三大商人の一つである。
現在でも俗に、滋賀県出身の企業家を近江商人と呼ぶことがある。
通常、近江国外に進出して活動した商人のことを近江商人と言い、
活動地域が近江国内に限定される商人は「地商い」と呼ばれて区別された。wikiより
近江八万駅(ここだけスマホの写真です。)
JR近江八幡駅から、北側(琵琶湖方面)に歩いて25分、近江商人ゆかりの商家が並ぶ町並みに到着します。
バスなら5分ですが、せっかくなので歩きました。
八幡小学校
創立141年の歴史ある学校 ネオルネッサンス調校舎が特徴、860人の生徒がいるそうです。
たねや近江八幡店(本店?)
大蔵省から『行くんだったら買ってきて。』と頼まれた有名な和菓子屋さんです。
取り敢えず、定番の栗饅頭と最中のセットを購入。
これを箱に詰めてもらった。
お店の前に石像、お饅頭を持っています。プーと記念撮影。
池田町洋館街
まずは池田町洋館街を訪ねる。ヴォーリズさん設計の建物が多くあります。
大正時代にアメリカンハウスのモデル住宅として建てられたそうです。
関西にヴォーリズさんの住宅は多くありますね。私のブログでも過去何軒か紹介しています。
新町通りの資料館
警察も横にありました。
ご覧のとおり快晴です。もう少し気温が低ければ最高でした。
新町通りには近江商人ゆかりの商家が数多く立ち並んでいます。
ここを真直ぐ行くと観光名所の八幡堀です。
森 五郎兵衞 邸 (初代もり ごろうべえ)生年不明 - 元禄16年2月17日(1703年4月2日))は、江戸時代中期の近江商人。
後に八幡御三家の一つと言われた森五郎兵衛家の創始者で、屋号は『近江屋』、金三商事株式会社の遠祖。wikiより
平日なので観光客もまばらでした。
つづく
タマ(1999年4月29日 - )
は和歌山県紀の川市の和歌山電鐵貴志川線貴志駅において駅長を務めている雌の三毛猫である。
2007年1月5日に和歌山電鐵から正式に駅長に任命されたことで話題を呼んだ。
その主な業務は「客招き」である。任期はなく終身雇用であり、
報酬は年俸としてのキャットフード1年分である。
乗客数の増加・観光へのアピールへの功績から、同社からは「スーパー駅長」
(後に「ウルトラ駅長」に昇進)「和歌山電鐵社長代理」の肩書きを、
和歌山県からは「和歌山県勲功爵(わかやま で ナイト)」
「和歌山県観光招き大明神」などの称号を与えられている。
たまは同駅の売店である小山商店(こやましょうてん)の飼い猫である。(wikiより)
駅舎は猫型をしています。
ホーム なかなか雰囲気が良いです。
タマ駅長 女の子 年を重ね寝ている事が多くなった。昨日が誕生日でした。
がんばって、長生きしてね!
売店
タマグッズでいっぱいです。思わず買っちゃいそうですね。
貴志川鉄道のおもちゃ電車がホームに入って来ました。
これに乗って、ニタマ駅長のいる伊太祈曽駅に出発です。
こちらが本日検査中のタマ電車
こちらは車庫にいたイチゴ電車
ほとんど無人駅ですね。
10~15分で伊太祈曽駅にとうちゃこ
ニタマ
2012年1月5日、駅長就任5周年記念式典において、新たに三毛猫「ニタマ」に対して
「貴志駅長代行兼伊太祈曽駅長」に任命する辞令が交付された。
ニタマは仔猫だった前年春頃に、両備グループの地元である岡山市内の国道沿いで
交通事故に遭いそうになっていたところを保護され、三毛猫という縁から和歌山電鐵の親会社
である岡山電気軌道に譲られ、そこで人好きな性格をかわれて駅長見習いに抜擢された。
ニタマという名前は「たまに似た二番目の駅長猫」という意味が込められている。
土曜日、日曜日、祝日などタマが貴志駅を休む時には「貴志駅長代理」を務めることになる。
同年2月18日には伊太祈曽駅にも猫用駅長室が作られて平日(水、木は除く)はそこで勤務する。
なお、たまの「ウルトラ駅長」昇進に伴い、ニタマが「スーパー駅長」の地位を引き継いで昇進している。
和歌山電鐵が属する両備グループでは、たまやニタマ以外にも両備ホールディングス内の
両備トランスポートカンパニーにおいて、安全管理夜回り役として「トランス」と「ポート」
の2頭の猫が任命されている。
2頭には2009年2月に事故を激減させた功績により安全管理部門トップランナー賞が贈られた。
トランスが世を去ったため現在はポートのみが安全管理夜回り役となっている。(wiきより)
昭和初期の駅舎、こちらも良いですね~♪
レンタサイクルもあります。
ニタマ駅長、こちらは若くてまだまだ元気です。ちょっと太り気味です。
伊太祁曽神社(いたきそじんじゃ)
駅から歩く事数分でとうちゃこしました。
和歌山県和歌山市にある神社。旧称は山東宮。式内社(名神大社)、
紀伊国一宮。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
御祭神の五十猛命は素盞鳴尊の御子神様で、『日本書紀』には父神の命を受けて日本国土に木種を播き青山と成した植樹神と記されている。
このことから「木の神」として慕われ、木の神様の住む国ということでこの地は「木の国」と呼ばれ、
やがて「紀伊国」と成った。
また、家や船は木材より作られたことから、家屋の神、浮宝(船)の神としても慕われている。(wikiより)
御神木:雷が落ちて現在の御姿になりました。
来年の干支が飾ってありました。電気ソーの彫刻との事、すばらしい!
新緑が映えます。
完:高野山特集全編ご覧いただいた皆様ありがとうございました。
今回の調査旅行は和歌山県 商工観光労働部 観光振興課 観光交流課 JATA 各受け入れ施設の
全面ご協力を得て催行されました。
とても勉強・参考になりました。今後も和歌山県の良さを発信して行きたいと思います。
PENTAX K-5Ⅱs + TAMRON 16-50mm F2.8
粉河寺
門前町から大門をくぐりさらに中門をくぐると、本堂が一段高いところで翼を広げています。
この粉河寺は、宝亀元年(770)の創建で、西国第3番札所でもあります。鳥羽僧正による
粉河寺縁起絵巻(国宝)が残されていて、観世音の化身がもともとここに霊地を開いたとされています。
見所として、国指定名勝である枯山水の粉河寺庭園、重要文化財の本堂、大門、中門、千手堂があります。(市観光協会)
大門
ちちははの
恵みも深き粉河寺
仏のちかひ
たのもしの身や
川が流れる境内
この日はポカポカ快晴でした。高野の御山とは雲泥の差です。
蓮の花型の手水舎、凄いバランス(足クロス)で写真を撮る女の子
国宝級の庭園
桃山時代の庭で、国指定名勝であります。
弥勒菩薩に見える庭石
灯籠と本堂(重文)
マリーナシティ
和歌山マリーナシティは、遊びが詰まったリゾートアイランド。
テーマパークで遊んだり、市場でお土産を買ったり、釣りも楽しめちゃう!
遊び疲れたら、海の見える天然温泉や、リゾートホテルでゆったりくつろいで!
その他にも、海や和歌山に関わる施設がいっぱいあるよ。
和歌山を観光して遊ぶなら、マリーナシティへおいでよ!!(マリーナシティホームページより)
ポルトヨーロッパ
遊園地
黒潮市場
平日で時間も早かったので、人もまばらです。
イルカと遊べる施設もありました。4匹のイルカさんがいます。
目細っそ~
回転しています。
お客も避けて通るくらい、がっちり真剣に撮影中のカメラマン
PENTAX K-5Ⅱs + TAMRON 17-50mm F2.8
宿坊
遍照光院(へんじょうこういん)は、天長9年(西暦832年)11月に弘法大師によって創建されました。
金剛峯寺に属する別格本山で、白河上皇が高野山参りの度に御在所とされた由緒のある寺院です。
とっても立派な門です。
門を支える力持ち
彫刻が凄い
本殿入り口の天井
本殿の廊下
夕食(精進料理)
三の膳までありました。ボリューム満点、こんにゃくのお刺身が美味でした。
お蕎麦は期待しましたが、麺が塩辛く私は食べられませんでした。
他の方は完食していたので私の舌がおかしいのか?でも塩分効かせすぎです。
「当院の料理の特徴は、ボリュームたっぷり、手間をかけて丁寧に作りながらもあまり飾り立てる
ことをしない男精進です」と高山執事。素材の味わい、旬の彩りあふれる精進料理がお膳に並びます。
朝食(精進料理)
がんもどきおいしかったです。
白河上皇が滞在されたというお部屋で阿字観体験、なんだかよく理解できずに終了。
密教について高山執事さんのお話がとても楽しくて、興味深く聞かせていただきました。
部屋の写真を忘れておりました。普通の旅館と変わりません。10畳一間の二人部屋でした。
洗面所・ウォシュレットのトイレ付きで、綺麗なお部屋でした。
**************
生身供(06:00~)
弘法大師は今も生身のまま高野山奥の院御廟にて深い禅定に入られているため、
朝と昼に2回の食事をされます。
この御膳のことを生身供(しょうじんぐ)とよび、一般の方々へのおもてなしと何ら変わらない料理をしつらえます。
カメラはスマホに変わります。結構早足なのでぶれまくりです。
弘法大師の朝食を運ぶ僧侶
一番後ろのお坊さんが先頭へ、駆けだした、何があったの?
全速力です。
ここからは御大師様の御廟の在るところで撮影禁止、何が起こったのかは書けませんが、お坊さんも人の子です。(^^
PENTAXK-5Ⅱs + TAMRON 16-50mm F2.8、SCL22