今日は真剣な気持ちで書き始める。ペンが重い。いじめ、この言葉の響きは暗くて、つらさを感じる。日本中のいじめを受けてる生徒らのつらい顔が浮かぶ。今日から9月だ。夏休みを終えて、学校では新学期が始まる。いじめを受けてない普通の子供なら、楽しい夏休みの思い出をいっぱい持って新学期が始まる。しかし、いじめを受けてる子供は、憂鬱であろう。学校に行けば、いじめられるだから。そのつらさに自殺をする生徒がいるのだ。このいじめ問題、今までたくさんの生徒が日本中で自殺をしてるのに、解決の道筋が見えない。生徒が自殺してからでも、学校側は責任を認めたがらない。いじめをした生徒らは、ほとんどの場合、謝罪なんかしない。口を閉じてとぼけるのだ。日本だけでなく、世界中、アメリカでも、中国でも、アラブでも、EUでもいじめは起きてる。子供の世界からいじめはなくならない。あきらめてはいけない。なくすようにしなければならないのだ。子供に自殺されるのは、親にとっては耐え難いほどのショックだ。死んでから真相を知りたいと、あれやこれや動きまわったところで、死んだ子供は生き返らない。学校側はいじめの事実を認めたがらない。家庭に問題があったとか、責任回避だ。この無責任さと怠慢さが問題を深刻にし、いじめ被害者が減らない原因のひとつだ。一番悪いのは、いじめてる生徒なのだ。相手が死にたいほど苦しんでるのに、いじめをやめない。この鈍感さとサディスティックな感情は許しがたい。いじめをやめさせるには、大人の介入が必要だ。これだけいじめ、いじめ自殺が日本中で多発してるのだから、現場の教師はうちの学校でもいじめが起きてるのではないかと、神経をとがらせなければならない。親も自分の子供がいじめを受けてるかもしれない、もしかしたら、いじめの加害者になってるかもしれないと、気を配るべきなのだ。気づいたら、いじめ加害者の親は、子供にいじめをやめるように強く指導すべきなのだ。いじめ被害者の親は、子供を学校に行かせなければいいのだ。学校に行かなくても、勉強はできる。検定試験を受ければ、大学も行ける。死んでしまったら、二度と生き返る事はないのだから。現実的な対策として、子供がいじめられてるのを見つけたら、感じたら学校に強く抗議する。具体的にどんないじめをされたのか記録させる。いじめの現場の録音、録画させる。裁判になった時の証拠になる。日本中に相談員はいるが、相談員なんてさほど頼りにならない。いじめを受けてる子供や親は連帯と団結して、供に戦うべきだ。今やインターネットの時代なのだ。世論の99%はいじめは良くないと、思ってるのだ。支援者と供に戦うのだ。いじめをしている生徒の家の前や学校前で、数百人もの人間でデモ抗議するのだ。その様子をユウチューブにアップするのだ。おとなしくしてるから、いじめをする生徒はつけあがってくるのだ。学校側もいじめに対して、真剣に取り組むだろう。この程度の事は民主主義の社会では普通の事だ。子供を自殺させないためには、知恵をしぼらなければならない。一日でも早く悲惨ないじめを撲滅しなければならない。いじめ自殺した子供たちの無念の気持ちを、日本社会は真剣に感じなければならないのだ。十代であの世に旅立った子供達が天国で安らかに眠れるように祈ります。今度生まれ帰ったら、いじめのない社会で楽しく生きれるようにするのが、今、生きてる日本人の義務と責任だ。いじめを受けてる子供達よ、泣き寝入りするな。いじめをして楽しんでるくそ野郎は、おじさんが許さない。いじめはやめろ!いじめをやめないと、おじさんがお仕置きするぞ!