昭和回帰 バリケイト伊東 今、日本では昭和時代をなつかしむ雰囲気が広がってる。昭和の芸能歌謡を聞きたがったり、昭和家電を欲しがったりする。どのような趣向を好のもうと自由だが、私には少し、違和感を感じる。時間は前に進んでるのだ。時間を過去に戻そうとするような雰囲気にはなじめない。今の日本、閉塞と虚構の中で、先が見えない。将来に漠然とした不安を感じてる人が多いのだ。昭和の勢いのあった時代にあこがれるのは、心理的な安心を得たいという裏返しの心理の表れでもあるのだ。それに加えて、この雰囲気を利用したい商業主義に、日本人は踊らされてる。昭和歌謡のCDや、昭和時代に作られた映画のDVDを買わされてる。テレビでも昭和歌謡の番組が放送されてる。資本主義では需要のあるところ、供給があるのだ。昭和を扱ったビジネスが流行するのだ。しかし、今の流行も永遠には続かない。30年後にはそんな時代もあったなと、思い出されるぐらいの過去の記憶になってしまうのだ。人間の生活時間より、宇宙時間のほうがとてつもなく長い。人間界のはやり、すたれなど微々たるもんだ。屁みたいなもんだ。一瞬の出来事だ。悪口を書いてるのではない。分析してるだけだ。今の昭和回帰を楽しんでください。
歴史の証人 バリケイト伊東 昨日、2018年4月27日は世界史に刻まれる日になった。世界中で10憶人ぐらいがテレビで南北首脳会談を見たのではないか。見た人は歴史の証人になった。会談は成功したと言っていいだろう。私は、今、さわやかな気持ちだ。憎しみを超えて、人は許しあえるのだ。愛せるのだ。戦争になるのではないかと思われていた国の首脳が、満面の笑みを浮かべてハグするなんて、誰も1年前まで想像しなかったであろう。休戦が終戦になったのだ。キム委員長も文大統領も歴史の重みを自覚して会談に臨んだ。戦争をしたくない、悲劇を繰り返したくないは、共通の思いであろう。一番焦点の朝鮮半島の非核化が世界に向けて、発信された。具体的にどのようにするのか、いつまでに完了するのかはわからない。細かい事はどうでもいい。朝鮮半島の緊張が解かれ、悲劇的民族の歴史と運命が劇的に変わろうとしてるのだ。永続的な民族の宥和と友好の基礎が作られようとしてるのだ。宥和と友好の流れの中から日本人拉致被害者の帰国も可能になるであろう。世界から戦争の芽がひとつでもなくなるのは、人類の願いだ。この会談の成功はトランプとの会談につながる。次はトランプとキムの満面の笑みのハグが見られるかもしれない。1ケ月以内に行われるだろう会談の成功を祈る。人間、まだまだ捨てたもんではない。人は憎しみ以上に人を愛せるのだ。愛の力は偉大だ。世界から戦争がなくなり、世界が平和で満たされるように祈る。
南北首脳会談 バリケイト伊東 今、北朝鮮と韓国の首脳の歴史的会談が行われてる。世界が注目している。私もテレビを見ている。世界はどんどん変化してゆくのだ。日本の低レベルの政治抗争に比べると、世界の政治動向は、歴史を刻む実感に満ちてる。日本は増々世界の流れから遅れてゆく。日本はこの会談にも、これから行われるトランプとの会談にもからんでない。外野の外におかれてしまってる。安部は外交でも内政でも成果をあげられない。安部の事や、低レベルな日本政治を語るのは、ばかばかしくなってくる。日本の政治家よ!己の器の小ささに気づくべきだ。会談が成功する事を祈る。朝鮮半島の悲劇的な歴史、運命が劇的に変わろうとしているのだ。朝鮮半島から戦争の惨禍の危険性が消えようとしてるのだ。人間の歴史とは戦争の歴史でもあるのだ。東アジアから戦争の恐怖、悲惨がなくなれば、多くの国々と多くの人に多くの幸福をもたらすのだ。今日の会談は、トランプの会談につながってゆく。絶対に成功させなければならない。世界から戦争をなくし、平和に満ちた世界を実現させなければならない。
いよいよ解散か バリケイト伊東 もしかしたら、もしかだ。衆議院が解散かもしれない。安部が解散の選択もあると、本音をもらした。早ければ連休明けにも踏み切るかもしれない。解散のカードを見せて、野党を恫喝してるのであろう。安部はかなり追い込まれてるようだ。やけくそな心境であろう。支持率は低下してるし、野党のネチネチした攻撃に嫌気がさしてるのであろう。支持率低下とは言え、野党に風が吹いてるわけではない。選挙は、自民党がほんの少しの差で勝つのではないか。結果がすべてだ。勝てれば、また、総裁、総理になれる。今、直面している問題はちゃらにして、なにもなかったように政権運営するのだろう。なぜ、政治が、今のようなどぶ沼になってしまったのか、安部はわかってない。すべて、安部の独裁政治に起因してるのだ。安部が腐敗、悪臭、忖度、隠蔽の原因なのだ。どぶ沼をきれいにするには、安部が政界から去ってくれればいいのだ。元をきれいにしないと良くならない。国民は政治には関心を示さない。連休にどこに遊びに行くかが関心だ。日本の政治はどうなるのだ。日本には、食事も満足に食べれない子供がいるのだぞ。その他にも、日本には多くの人間としての尊厳を得られてない人間がいるのだ。くだらないぐちゃぐちゃな政治劇をやめて、政治は彼らを救わなければならない。
美人のうんこ バリケイト伊東 今日も地球は回り続けてる。宇宙もあり続けてる。しかし、人間界の生き様は混とん、悲惨、膨大な罪の積み重ねだ。人間とは何者なのだ。神が人間を誕生させたのには、それなりの理由があるであろう。今のところ、理由も存在意義も見い出せない。絶望的な気分だが、死ぬまで人間として生きてゆかなければならない。前置きが長くなったが、人間は誰でも生きてれば、ケツの穴からうんこをたれるのだ。ハリウッド女優のような美人でも、天皇でも、安部総理でも、ホームレスのおじさんでもうんこをする。人間は皆、平等だ。職業、能力、収入が違ったって人間としては、平等なのだ。最近、階級だとか、身分の固定化みたいな雰囲気が日本社会に作られつつあるようだ。貧困家庭の子供が大人になると、また貧困になる。貧困の連鎖が問題になってる。戦後、平等思想が満載した日本国憲法の元で身分や階級幻想はなくなった。奴隷のように大地主に縛られていた小作農民は、農地解放で自分の農地を持てるようになった。皇室も天皇の直系以外男爵だ、子爵などの貴族は廃止された。学校でも平等思想を浸透させる努力がなされた。今では誰もが、ブランド品を持てる。戦前では庶民が高級ブランド品を持ったりすると、身分違いだなんて言われた。今ではそんな事を言う人はいないであろう。まだまだ、日本の平等観は健全だ。しかし、生活が苦しく先が見えない人々にとって、生涯、苦しいまま人生を終えるのではないかと、不安になってしまってる。インドのカーストみたいな身分の不条理を感じてるようだ。とてつもない大金持ちがいる反面、その日の食べ物にも事欠く人々がいるのだ。生活状況は、日本では固定化された身分から来るものではない。収入が低くても、人間としては同じ、平等なのだ。その事をしっかりと心に言いきかせることだ。負い目を感じる事はない。人間、誰でもケツの穴からうんこをたれるのだ。美人も、権力者でも、天皇でもうんこをするのだ。人間はみな、平等だ。