関東バス沿革。1932年、関東乗合自動車からスタート。1936年、原町田自動車を合併。1945年、進運自動車・昭和自動車商会・中野乗合自動車の3社を吸収合併。
万歳自動車・小金井自動車・山之手自動車を合わせたのが中野乗合自動車なんよ。その中の万歳自動車(のちに甲州街道乗合自動車)は、新宿三丁目~代々幡を開業させて多磨霊園まで伸ばしました。代々幡は斎場。多磨霊園はお墓。
盛り場の新宿三丁目で出た水子。斎場の代々幡で燃やして。多磨霊園のお墓で供養。「万歳」から「甲州」「口臭」。
お墓を立てて。風車やお饅頭を添えて。どうして供養したと思うのですか?。
万年生きる世界観から千年生きる神話の世界観に落ちて。百年生きる「今」に人間像がいます。
大きな臍帯血が中央線快速。中野駅は06のお鼻。満州国を作った関東軍。同じ「関東」印がマン臭の結びなおしとなります。臭=臭。大=犬(戌)。
原町田地区は関東バスのメインから外れた飛び地。右上が中央線快速。青丸が多磨霊園。赤丸が「町田」と「小野路」。
いろいろあって神奈川中央交通に譲渡。原町田が移りました。
神奈川県は九州竜の恥丘。秘密の三角地帯です。バスはお風呂。原町田は多摩ニュータウンの裏側なので「裏たま」。お股をごしごし洗う。
関東乗合自動車本体の経営は厳しい物でした。1938年には東京横浜電鉄に株式を譲渡して系列会社になりました。
ひとあし先に東横系列になった中仙道乗合自動車(国際バス)と本社が統合されます。池袋に国際バスと関東バスが同じ屋根の下に同居。国債と関東軍の野心的な相部屋が池袋だったのよ。意図をひいたのは支配者層ですね。
国際の国債。金縛り印から外れたのが「うら玉」「玉すじ」なのさ。