祈りとは、懇願することではない。begすることではない。他力本願ではいけない。
祈りとは、対話。神との対話。天との対話。askすること。
実際、祈りprayerの語源を遡ると、askって意味がある。チャネリングして、神と対話する。イエスの出現によって「擬人化」されたキリスト教において、この対話はやりやすくなったらしい。
イエスやGodを「父」と考えて、身近に置くから。父との対話。新井奥邃も神を父母てきな表現をしていた。
祈りとは、対話すること。
そう考えたら、祈りのハードルが下がるような気がする。
- この生き方でいいのだろうか
- 今日はこれでよかったのだろうか
- あのクライアントにあのことを連絡しないのでいいのだろうか
- 家族に対する態度はこれでいいのだろうか
- 明日の仕事の準備はこれで十分なんだろうか
これらの「お尋ね(ask)」がみんな、「祈り」になるのかな。
こう考えると、祈りのある人生というのは、実りのある人生になりそうだ。
Rejoyce always.Pray continually.Give thanks in all circumstances.
私の好きな1 Thessalonians 5:16-18(テサロニケ人への手紙1の5章)。
邦訳は:
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。
これらを守っていれば、いい人生になりそうですね。
森信三の「絶対必然即絶対最善」も、このテサロニケ人への手紙にヒントを得ているかもですね。
森信三の師匠の新井奥邃は、明治を代表するクリスチャンでしたし。