森信三が説いた、絶対必然即絶対最善。「最善観」と言われる。
何があっても、それは必然で、最善だと思うこと。
円覚寺の横田南嶺さんも推している。こちら
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明日明後日の、家庭連合信者への講演ネタを考えて、時事ネタを取り入れて、自民党総裁戦、袴田事件、新紙幣の渋沢栄一、、、
この辺を自分なりにつなげて(connecting the dots)いくうちに、結局、森信三が言う「絶対必然即絶対最善」に行き着いた。
古今東西のいろんな価値観があるけど、この「なにがあっても必然で、何があっても最善」に勝る価値観はなさそうだ。
こういう「とことん前向き」って感じの「こじつけ力」。英語でも:
Life is 10% how we make it and 90% how we take it(人生は、どう作るかが1割で、9割はどう捉えるか)
って言われる。
アランの言うとおり、
悲観主義は気分で、楽観主義は意志
なんですね。
言い換えると、絶対必然即絶対最善ってのは、「やせ我慢」ですね。
中島敦『李陵』で、蘇武が片意地張ったやせ我慢をした。運命を笑殺した。そこにカッコよさ、美しさがあった。
笑殺ってのもやせ我慢ですね。
美しく、カッコよくあるためには、何かにやせ我慢していることが必要そうだ。
よし、「今、何にやせ我慢してますか?」って問いを立ててみよう。
私は何にやせ我慢しているだろう、、、 もっとやせ我慢しよう。