鈴木エイト氏が、「宗教って、基本的に思考停止」って言っている。
ひっどいもんだと思いますが、じゃあ私にとって「宗教」とは何かを考えてみる。
端的には、「宗教」って、「世俗」の対比。
だから、世俗的ではないものを私は「宗教的」と考えている。
私は無「宗教」ですが、「宗教的」であることには価値を認める。認めるどころか、大きく評価する。
要するに「論語と算盤」のバランス。
世俗は、算盤。ゼニカネ。金儲け。俗物。利己的。醜い。
一方、宗教/宗教的は、要するにその反対。論語。儒教。利他的。武士は食わねど高楊枝。美しい。
もう少し踏み込めば、世俗的ってのは、近視眼的。5年単位くらいでしか考えない。
宗教的ってのは、長期的。50年、500年、1000年の長い単位で考える。「自分の一生が終わった後」のことを考える。
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伊勢神宮を見た西行が、謳った:
なにごとのおわしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる
これって、「宗教」ではないけど、とっても「宗教的」。
神なのか、天なのか、GODなのか、知らないけれども、でも、なんとなく、かたじけない、畏れ多い、敬いたい、と思う。
人智を超えた存在を信じる。それを造物主と呼ぼうか、サムシング・グレートと呼ぼうか、何であってもいい。
世界と、宇宙と、生命と、自然と、人生の、妙遠さ。深淵さ。尊さ。有難さ。
それを感じるのが、宗教であり、宗教的である、ってことだと思う。
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鈴木エイトさんが、西行の、
なにごとのおわしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる
をどう解釈されるのか。
お伺いしたいものである。
※ 想定回答:
「どうでもいいです。ご自由にお受け取りください。はい、以上です。」