丈夫玉砕、甎全(センゼン)を愧ず
西郷の最も有名な漢詩(幾たびか辛酸を、、児孫のために美田を買わず)の、あまり取り上げられない一節。
成敗がどうであろうと、玉砕覚悟で。
西郷が陽明学に傾倒していたことを示す一節。
ちなみに同時期に、これも陽明学徒・長岡藩家老河井継之助が全く同じことを言っている。
瓦全(ガゼン。上のセンゼンと同じ。酔生夢死で為すことなく生きること)は意気ある男児の恥ずるところ、よろしく公論を百年の後に俟って玉砕せんのみ。
この玉砕精神で、北越戦争や、西南戦争で、多数の死者が出た。
だから功罪はある。陽明学は危険だ。
さて、「敬天愛人」を自らの思想とした大西郷が、なぜみっともない(結果になった)西南戦争を起こしたのか?
- 死地を探した(ある意味、自殺だった)
- 武士の死場所を与えた
- 本当に明治政府に怒っていた
- 本気で戦った(けど能無しだった)
- 病気だった(睾丸の病気が脳に回っていた?)
など、いろんな解釈がある。
でも、この「丈夫玉砕、甎全(センゼン)を愧ず」からすると、
このまま新政府に侮辱されるのでは武士の名折れ、成敗は度外視して玉砕したる
って覚悟・意地・片意地が垣間見える。
「敬天愛人の信奉者の西郷がなぜ西南戦争を起こし、そして、なぜ西南戦争でかつての知略を発揮できなかったのか」ってのは、日本人の永遠のテーマ。司馬遼太郎でさえ、結局『翔ぶが如く』で書き切れなかった? 『西郷どん』で林真理子がどう書いたのかは知らない。
遠藤周作も『最後の殉教者』で西郷について触れている? キリスト者の立場から。これは読まないといけない。
※ 確認したら、触れていませんでした。
鹿児島出身の海音寺潮五郎がどう書いたかも調べ直さないと、、、 調べることが多すぎだ。。。
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こちら https://yosiffic.com/hca/095_sego-don_to_seisho.pdf のサイトはよく調べて書けています、ご参考に!
※ 冒頭画像は、沖永良部の、西郷隆盛記念館。
中山先生にとっては、よくお知りだとは思いますが、西南の役前後の西郷の注目される言動を取りあげると、
西郷は西南の役の時、一切の指揮をとらなかったと言われます。そして西郷の考え、人柄を最も知る大久保は、西郷がこの西南の役に加わっていることを最初は全く信じなかったと言われます。
こういうことを支持するわけないと。
現実、弾薬掠奪事件の経緯を聞いた西郷は、
「ちょしもたー」(しまった)
といい、
「汝どま、弾薬に何の用があっちゅうとか!ないごて、追盗っせえ!(お前たちは弾薬に何の用があるのか!どうして盗んだのか!)」
と怒った件は有名です。そして西郷は、
「今般政府へ尋問の筋有之」
と上京届を出し、鹿児島を出立しています。
つまり、西郷自身は一切戦っていない、戦っている集団のみこしに祭り上げられており、そして担がれた責任を最後まで取って、従容と自刃しています。
このような言動と行動から、私は「尋問の筋」というのが一般的には、自身に対する暗殺計画の仕儀であると言われていますが、
私はそうではないと思っています。
このような混乱を招いて、様々な暗闘と策略が入り混じり、波乱が続発する事態を招いている新政府に対しての問責、問いただしではなかったのか?
自分を担いでいる者達を引き連れ、どう進むのか?とその考えと覚悟を問いたかったのではないかと思います。
西郷の最後が満足したのかしなかったのかは判りませんが、しかし、新政府の考えと考えは受け取ったのでしょう。
従容と自刃したのはそれが理由だと思います。
>新政府の考えと考えは受け取ったのでしょう。
は、
「新政府の覚悟と考えは受け取ったのでしょう」
に訂正です。
あと付け加えるなら、西郷は自責の念に駆られていたのではないかと思います。
討幕をし、新しい日本のかたちを作り、主導した者として、この新政府の体たらくとそれを防げなかった自分の責任。
これを痛感していたのではないかと推測しています。
これに加えて例え自分の意に反しても、レベルが低くても自分を慕い、それに命を掛けてくれる者達への深い愛情。
これが相まってあのような言動と行動に繋がったのではないかと推測しています。
私の感想としては、西郷の最後は立派な大丈夫の大往生と感じています。
>自分を担いでいる者達を引き連れ、どう進むのか?とその考えと覚悟を問いたかったのではないかと思います。
かなり口足らずですね。
新政府の有様の結果である、自分を担いでいる者達を引き連れて、その結果を新政府の目の前に突きつけて、
「さぁ、どうするのだ?」
と新政府にその考えと覚悟を問い質したかった・・・という意味です。
家庭連合の信徒でもあるので、そういう意味でも感謝しています。
月に一度、街頭演説をしていますが、中山先生のブログをかなり参考にさせて頂いています。
いつの日かお会いできるのを、楽しみにしています。