自責すると幸せになれる。
他責すると幸せになれない。
こう言えるようだ。
日本語の「自責」とか「責任」っていう言葉は、ちょっと重いんですが、、、
英語だとresponsible 。自分の行動、言動、人生に、responsible であること。
これが、精神衛生のために、大事。自己肯定感を高めるために、大事。
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人生の幸せの秘訣は、
- 変えられるものを変える勇気
- 変えられないものを受け入れる度量
- その両者を区別する智慧
の3つを手に入れること。これはラインホールド・ニーバーの祈りで表されている。 こちら
自分の人生にresponsible であるってことは、この2の「変えられないものを受け入れる」ことにだいぶ近い。変えられないものにぐちゃぐちゃ言わない。
そういう宿命だと受け止める。
天宿命
人運命
天が命を宿し、
人が命を運(めぐ)らす。
男に生まれたこと。日本に生まれたこと。この時代に生まれたこと。
そういう「変えられないこと」にぐちゃぐちゃ言わない。引き受ける。
それがresponsible のニュアンス。
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先日受けたコーチングでも、「相手が悪い!」と責めるのではなくて、相手の立場に立って、「2%の真実」を探すワークを教わった。
泥棒にも三分の理。悪人にも2%の真実。ダメ人間にも2%の正当化。
自分も2%は悪かったと思ってみる。人間関係は鏡ですし。
そして、その2%を、ぐぐっと、100%にまで広げちゃう。どうせ、悪いやつは治らない。相手のことはコントロールできない。相手の人生まで責任持てない。
我々が責任持てるのは、自分の言動と、自分の人生だけ。だから、その「2%の真実」を100%受け入れちゃう。
他山の石とする。成長の糧にする。自分が反省するいい機会になった、と思い込む。
これが、人生にresponsibleである、という態度。
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有史以来、たぶんみんなやってきた。
カトリックの「告解」(自分の落ち度を吐き出すこと)も、このたぐい。自分が悪かったんだ、自分にも反省すべき点があったんだ、と表現することで、より、他責せず、自責する。
自分にresponsible になる。それが「告解」の積極的な意義でもある。
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なお、カトリックでは告解というけど、懺悔とは言わないんですね。意味は変わらないようですが。
告解は、英語で、confession または penance のようです。
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後記: 論語でも、「君子はこれを己に求め、小人はこれを人に求む」と言って、「何でも自責しろ」と言っている。 こちら