家庭連合解散命令(東京地裁)に対する批判の続き。
昨日書いた(こちら)とおり、2009年コンプライアンス宣言後の改善が、評価されていない。
裁判所のロジックは:
- (献金等の)問題が「相当に根深い」
- だから「根本的な(本質的で実効性のある)対策」を取らねばダメ
- でも「根本的な対策」を取ってない
- だから問題が残存していると考えるのが「合理的」
- しかも問題は今も「なお看過できない程度」に残存
です(判決文93-94頁)。
この判決93-94頁が一番のツッコミどころだと思います。
まず、上記4の「問題が残存しているのが合理的」が怪しい。
推測なのか、、事実をかちっと認定したわけではないのか、、、
次に、百歩譲って、そういう「合理的」な推測が許されるとして、問題(判決の表現では「問題状況」。要するに家庭連合の悪いところ)の残存の程度。上記最後の5です。
裁判所のロジックは、残存の程度も、顕在化した&潜在的な被害申告があるので、今もなお看過できない程度に残存していると解するのが「相当」(94頁)
というもの。
この「潜在的な被害申告」部分を正確に引用すると、
被害申告が顕在化しない類型に該当するものが相当程度存在することが想定される
です。
顕在化した被害申告(家庭連合に対する請求)のみならず、顕在化していない、潜在的な被害が「相当程度」あることが「想定」されるという想像です。
こういう、「見えない被害」「隠れた被害」が日本中にあるだろうから、
現在においても、なお看過できない程度に(中山註:家庭連合の問題状況が)残存していると解するのが相当
というロジックです。
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この判決文93-94頁が、私には、最も「解散させたいための裁判所の作文」的に感じました。
つまり、あまり論理性がなく、結論先取り的に、感じました。
裁判所は、丁寧に、事実を認定するところです。特に宗教法人の解散命令においては、「憲法の保障する信教の自由の重要性に鑑み」て(この判決の102頁でもこの憲法の権利に言及しています)。
2009年コンプラ宣言後も、なお看過できない程度に家庭連合に問題が残存しているのか。
それを丁寧に「事実」認定すべきでした。
しかし。
鈴木謙也裁判長は、「事実認定」をせず、「想定認定」をしました。
潜在的な被害が相当程度あることが想定されるから、なお看過できない程度に家庭連合に問題が残存していると解するのが相当。
これが、コンプラ宣言後の家庭連合に対する、鈴木謙也裁判長の答案用紙です。
鈴木謙也裁判長の頭の中では、最初から結論が決まっていたと考えて間違いなさそうです。
ところで、家庭連合を解散することが、この裁判に関わる裁判官の本意なのでしょうか? なにがしかの問題を解決することが目的であって、その最善の方策が解散なのかを今一度考え直してみる必要があるのではないでしょうか? もちろん、全国弁連の目的は、解散であって問題解決ではありません。しかし、文科省ならびに裁判所の目的はそうではないはずです。今の日本の政府、裁判所、マスコミ、世論の状況は、いまだに2000年前イエスを殺せ、イエスを十字架につけよと言い募り、イエスを極刑に処したユダヤ民族のようです。