3月25日の、鈴木謙也裁判長の、家庭連合解散命令判決のロジックをおさらいしています。
記憶の限りですが:
- (家庭連合の)問題状況が「根深い」
- だから「抜本的」対策が必要
- でも「抜本的」ではなく、弥縫策しかしていない
- だから問題状況が残存している
- しかも「看過できない程度に」残存
- だから解散相当
ってロジックだった。
こうおさらいすると、以下の3つの基準が、曖昧。
- 1の「根深い」
- 3の「抜本的 ⇔ 弥縫策」
- 5の「看過できない程度」
私が一番問題だと思うのは、5の「看過できない程度」。ほとんど基準も判断要素も挙げず、唐突な認定だった。
1と3の「問題が根深いから抜本的対策が必要」は分かる。高校生でも書ける。
そして家庭連合について、それなりの量の霊感弁連に対する敗戦(そうは言っても60年で民法709条不法行為で負けたのは2件だけですが)から、「問題状況が根深いから抜本的対策が必要」と言うのは、百歩譲って、許せる。
そして、コンプライアンス宣言後の対処が甘いから、「抜本的」ではない、「弥縫策」しかしていない、と言うのも、千歩譲って、許せる。
解散するって判決を書くなら(結論をそう決めているなら)、私もそう書いたかもしれない。
しかし。
「看過できない程度に」残存しているって認定が、唐突というか性急すぎて、一番粗いと感じた。
端的には、2009年のコンプライアンス宣言後に開始された献金で、不法行為が認定されたのはたった1件1名しかないことなどを考えると、到底、「看過できない程度に問題状況が残存」とは思えない。
ここからは仮の話の思考実験ですが:
「看過できない程度に問題状況が残存していない」のだとすれば:
→「問題状況が根深くて、抜本的対策が必要で、でも抜本的対策をしていない」という判断の、どれかに間違いがあったのでは。
→つまり、以下3つのいずれかなのでは:
- 問題状況が根深くない
- 抜本的対策が必要ではない
- 抜本的対策をした(弥縫策ではない)
つまり鈴木謙也3・25地裁判決は、
- 問題状況が根深くないかもしれないのに「根深い」と認定
- 抜本的対策が必要ではないのに「必要」と認定
- 抜本的対策をしたのに「抜本的ではない、弥縫策だ」と認定
の3つのうちの、いずれかの過ちを犯している。
創設60年で刑事事件がゼロの家庭連合に対して、強引に解釈変更して民法不法行為も解散要件の「法令に違反」に入れちゃって、60年で民法709条で責任を負ったのが2件しかない団体を、さらに強引に解散させようと考えているので、こういう「論理のひずみ」が出てきちゃったのだと思います。