魂の弱い者には美を求めることができない、というのが『金閣寺』の結論だ
三島由紀夫
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三島由紀夫が執行草舟さんに直接語った言葉。
魂の強い者のみが美を求めることができる。
本当かどうか知らんけど、美を志向する者はノブレス・オブリージュを感じていい。
便乗5段活用。
最も積極的で、最も醜いのが火事場泥棒。
- 火事場泥棒
- フリーライダー
- 便乗
- 日和見主義
- 風見鶏
反家庭連合の方々にも、この「火事場泥棒」的な振る舞いをしている方がいらっしゃいますね、、、
反家庭連合の「被害者」が誰も顔を出さないのは、この火事場泥棒・フリーライダー的な便乗に、負い目・引け目を感じているからだと思う。含羞のなせるわざ。
顔出しして被害を訴えるほど、面の皮が厚くない。
ネオ霊感弁連さんが、それぞれの被害者を代理して単独で訴訟をすればいいのに、それをあえてせず、「集団交渉」の「調停」をしており、2年くらい経っても、証拠を何一つ出さない。
弁護士がたっくさん付いているのに、証拠を裁判所に何一つ出せないってことは、「被害」が本当はないんじゃないか、って法律的な推定が働きます。
どうなることやら。
家庭連合の「被害者」の顔が見えない。小川さゆりや橋田幸夫氏はいなくなったし。
家庭連合の「加害者」の顔も見えない。田中会長の顔は加害者に見えない。
被害者も加害者も顔が見えない。それが家庭連合問題です。
魚谷鈍器本に書いてあった。
韓国人は:
- 決して割り勘しない
- 人前で洟をかむことを失礼だと思っている
そうです。
欧米人なんか、人前で、すっごい大きい音を立てて洟をかみますよね、、、
いろんな文化があるんですね。
横浜市泉区に、ぽっかり、緑の丸の、深谷通信所跡地ってのがある。
日本海軍→在日米軍が、電波障害の無いように、真ん丸に緑にくり抜いたように、保存してきた。
つい10年前の、2014年に、アメリカから日本に返還された。
航空地図を見ていたら、見つけた。
横浜で育ったけど、初めて知りました。
単に、悪い人を排除する「キャンセルカルチャー」ではない。
当時は悪くなかったのに、後々になって、「あれは悪かった」という、遡及して、悪者にする、
「遡及キャンセルカルチャー」
が広がっている。
例1
小川榮太郎さんがFacebookで書いていた、「(元SMAP中居くんが)示談でお金を払ったのに攻撃されるのはおかしい」
全文はこちら
例2
家庭連合が示談でお金を払ったのに、その支払った金額までを「被害額」として攻撃されるのはおかしい。たしか今も文科省はそういう立場だ。
※ 法律的には、示談金は「解決金」。
喧嘩両成敗とまでは言えないにしても、どっちが悪いとかあえて言わず、早期解決のためにこれでお互い我慢しましょうね、っていう無色透明のお金。
例3
だいぶ昔ですが、グレーゾーン金利が、後になって違法となり、過払金請求がビジネスになった。


シティグループは「日本にはルールがないからビジネスできない」的に非難して、日本から撤退。


※ この山口周さんの本に書いていました。美意識がない。
遡及キャンセルカルチャーがこれ以上広がらぬことを祈る。
袴田事件で、無罪の心証を抱いたものの、死刑判決を書かされた熊本典道は、佐賀の男。
- 頑固で、
- 見栄っ張りで、
- 正義心が強くって、
- 人の上に立っていないと気が済まない。
- 思い通りにならないとすぐ怒る。
って形容をされている。
愚父も佐賀で育った。
だから私にもその血を引く部分がありそうだなと思ったので、自戒と備忘のために記しておく。
Facebookで小川 榮太郎さんがすごいいいことを書いていた。
おそらく、示談で9000万円を払ったのに攻撃されている中居くんのことを念頭に置いている。
~~~以下引用~~~
私の素朴な常識を言うなら示談というのは金でトラブルを解決するという事だ。それはなかったことになる。なかったことになるということは、なかったという事である。
それが実はあったとなったら示談という概念が成立しない。それなら金を受け取らずに告発するしかない。
金は受け取った、法的に示談が成立した、しかし金を払った側が社会的に扼殺されるという話が成立してしまったならば、今後日本社会は猛烈な嚙みつき合いでトラブルを解決する時代になるという事だ。
噛みつき合いになると分っていれば金と社会的パワーを持つ側は新しい自己防衛を図るだろう。
それは新しい次元のより陰湿な暴力による自己保身になる。
私のようにパワーと無縁の人間にはそれこそ無縁の話だが、金で黙らせる示談が信じられない社会になるとパワーのある側は新しい保身手段を必ずすぐ考えると思うよ。
弱者の側に望ましくない手段をね。
最初から示談に応じないというならいいんですよ。しかし約束して払った金の力が意味ないとなったら、より道徳的になるのでなくより狡猾で残酷になるでしょう。
残念ながら人間はそうしたものです。
こんなことを書く私はバカなのだが、書かずにより狡猾になる事をただちに考えている一群の人達がいる。
人間の悪は、私のような素朴な人間からは想像が付かないほど根深く陰湿で巨大である。
~~~引用終わり~~~
さすが小川さん。付け加えることはない。
昨晩、数兆円企業の役員さんから教わったこと。
学生は、カンニングしてはいけない。
社会人は、逆。
社会人になったら、周りの助けを借りないといけない。
この発想の転換をしないといけない。
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なるほど。その通り。
「応援される人になろう」って岩瀬大輔さんがライフネット社長時に言っていました。
成長とか自立とは、人の助けを借りることができること。
女は愛嬌。男も愛嬌。
社会人、特に若手は、気に入られてナンボである。
上司、同僚、後輩、取引先から気に入られることで、出世することができる。
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鉄鋼王・アンドリュー・カーネギーの墓碑銘に「己より優れしものを集めし者ここに眠る」ってのがある。
ってよく聞く話ですが、これはドラッカーのデマだったんですね。
デマだけどよくできた英語 ↓
「Here lies one who knew how to get around him men who were cleverer than himself.」
ドラッカーのデマだった、というサイト
入浴中の日本人の溺死ってのは、年間2万人くらい、交通事故の3倍もあるんですね。
寒い冬にいきなり暑い風呂に入ることで、血圧が上がって、脳卒中とか心筋梗塞になるのかな。
気をつけよう、、、
車が故障して(サスペンション折れた)やや今私ブルーなんですが、ま、故障が原因で死ななかっただけラッキーだったとする。
消費社会が日本をヨコにした。
と、執行草舟さんが仰ってました。
年末に彼のオフィスでそんな話を伺った。
ヨコ、というのは、欲であって、世俗であって、物質文明。
タテで表される、精神、崇高、哲学、宗教あたりとの対比。
1971年、54年前、日本に初めてのマクドナルドが銀座に。
1974年、51年前、日本に初めてのセブンイレブンが豊洲に。
この辺から、日本は変わった。
タテからヨコになった。
精神から物質になった。
宗教・哲学が廃れ、世俗・肉体、肉欲、欲望に負ける世の中になった。
なるほどそうだろう。
私が生まれたのが1974年だから、その時代の、タテからヨコへの変化はもちろん体感できない。
でも執行草舟さんは74歳だから、ちょうど二十歳の頃に、銀座にマクドナルドができた。
その時代の東京を生きてきて、「二十歳のころのマクドナルドが日本を変えた」とおっしゃっていた。
三島由紀夫が死んだのが昭和45年だから1970年。
三島はちょうどいいときに死んだんですね。
三島だけに、「あぁ、時代が終わった」ってのが分かっていたんですかね。
1970年とか1971年あたりってのは、それなりにエポックメイキング(画期的)な年だったんですね。
横井庄一がグアムから帰ってきたのは1972年。
小野田寛郎がルバング島から帰ってきたのは1974年。
この2人が帰ってきて、文字通り戦争が終わった。
そして、タテが終わった。精神の時代が終わった。
ヨコの時代になった。世俗が勝つ。物質が勝つ。
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執行草舟さんにこの話を訊いたのが2週間前。
今これをようやくブログにしている。
私の中で文章化できるほど咀嚼・腹落ちするのに2週間かかったということだろうか。
単に多忙であったからだけではあるまい。
2週間前は優先順位が低かったけど、今、やはりこれは書き残しておかねばならない、と優先順位が上がってきたということかな。
(ブログネタは常に20個とかもっとGoogle Keepに書き溜めていて、その時時の優先順位と気分で、ネタを選んでいます)
安倍さん暗殺から2年半。
家庭連合問題が喧(かまびすし)くなった。
ただ、この家庭連合問題で、「顔を出している被害者」は、1人もいない。
橋田達夫、小川さゆり、、、みんな消えていった。
反駁されてシュンとなって、ジ・エンド。
「社会問題」とされたり、宗教法人解散!とかなってますが、、、
2年半経って、顔を出して被害を訴える人が誰1人としていない。
これがこの問題の本質。
社会問題なんか、ないんです。
代理人の霊感弁連が、キャンペーンしているだけなんです。
こちら(キャンペーン一覧)
それを政府攻撃でネタになる、おいしい、と思ったメディアが食いついただけの話。
被害者がほんとうにいるのでしょうか。
投資で失敗したりして、手元不如意になって、時流に乗って「信仰辞めた金返せ」請求をしている「被害者」はいらっしゃるけど。
信仰していたときの献金は法律的に返金するお金ではない。家庭連合はATMではない。
社会問題にしている割には、顔出し被害者が1人もいない。
いや、元家庭連合として差別されるから、とか、家庭連合の人から攻撃されるのが怖いから、とかで、顔出ししないことを正当化せんとする意見があるのは知っている。
でも橋田達夫氏と小川さゆり氏は顔を出しました。
だから「構造的に、絶対に顔を出せない」ってわけではないんです。
顔出しをした勇気のある人もいたんです。
でも今。
顔出しをする勇気のある被害者が1人もいない。
これが家庭連合問題の本質の一つです。
ヒヤリハットの法則(1:29:300の法則)ってのは、中学生とか小学生でも知ってるんですね。
私の執筆原稿?かなんかでこの法則を見た長男と次男が、「それ、学校で教わった」みたいに話してきた。
へえ。
私の時代はそんな子どもの頃から教わらなかったはず、、、
世間のこの法則に対するリテラシーを知りました。