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川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

追悼 鍵山秀三郎氏

2025年03月05日 | 人物
イエローハット創業者、掃除道で有名な鍵山秀三郎さんが、1月2日に91歳で亡くなっていらっしゃった。

彼の本はほとんど読んだはず。また読み返すかな。

合掌🙏

最新の致知から。
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鈴木エイト氏は「ブーメランプロバイダー」

2025年03月01日 | 人物
鈴木エイト氏は「ほぼ」常に「ブーメランプロバイダー」なんです。天に唾する男なんです。

彼が口を開いたら「どうやったらブーメランをぶっ込めるか」を考えましょう。彼の論理で彼の首を締めるのです。

これを英語でLet him shoot himself in the foot と言います。自分の拳銃で自分の足を撃つバカです。

これが「議論の極意」です。

 関連Xポスト こちら
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小川さゆりはまだ活動を辞めていない

2025年02月27日 | 人物
小川さゆりは離婚したそうですが、まだ活動を辞めていない。

本当に「小川さゆり」としての活動をやめるなら、Twitter (X)アカウントを削除するだろう。

Xアカウントを残していると言うことは、「反家庭連合のヒロイン」としての小川さゆりとしての活動を続けるということ。

そういう意思表示をしているということ。批判は覚悟されたい。

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米倉誠一郎・野中郁次郎・ヘーゲル

2025年02月25日 | 人物
先日、「変態磁石」と私が呼んで慕っている、米倉誠一郎さん こちら のCIS・元気塾同窓会に出てきました。

私は世界元気塾・中竹塾出身。この御縁でコーチング資格まで取りました。

米倉誠一郎さんに、私の持論をぶつけてきました。

野中郁次郎さんがSECI(セキ)モデルとか難しいこと言ってますが、あれって「気づきを財産に変える」ってことですよね。暗黙知を形式知に、って意味で。

米倉誠一郎さんの答えはシンプル。「そういうことだよ、その通りだよ」と。

 ※ アタマのいい人は長いことを言わない

ついでに、米倉さんから、彼が直接の薫陶を受けた野中郁次郎さんのエピソードも教えてもらいました。

「おい、米倉、ヘーゲルはすごいな。読んでも全然分からん。オレはヘーゲルを目指す」


だって、、、

の、野中先生、、、とても難しいこと書いていらっしゃったのは、ヘーゲルを目指していらっしゃったのですね、、
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「変態磁石」米倉誠一郎

2025年02月25日 | 人物
米倉誠一郎教授の周りには、変態が集まる。いい意味の、変態。

Crazyと言われることを厭わぬ者。

ジョージ・バーナード・ショーが言うUnreasonable man. 

合理的な人間は、自分を世界に適応させる。
非合理的な人間は、自分に世界を適応させようと粘る。
あらゆる進歩はこの「非合理的な人間」に頼っているのだ。 

The reasonable man adapts himself to the world.
The unreasonable one persists in trying to adapt the world to himself. 
Therefore, all progress depends on the unreasonable man.

George Bernard Shaw
 
____________

先日、米倉誠一郎さんが頑張っている、CISとか元気塾の同窓会があって、改めて米倉さんの人徳を感じました。

変態磁石、米倉誠一郎さん。これからもますますご活躍を!
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出口王仁三郎、文鮮明、深見東州

2025年02月25日 | 人物
出口王仁三郎や大本のことを学び直している。

 
端的には、国家から宗教迫害を受けていた大本が、治安維持法違反で潰されそうになったときに、「無罪」という勇気ある判決を書いた、高野綱雄裁判長のことを知りたくて。

熱心な浄土真宗の信者だったそうな。裁判官個人の信念や資質が、判決に影響することはある。家庭連合の解散命令に関する、鈴木謙也裁判長はいかに。

さて。

戦前の昭和10年に、物理的に、官憲によって破壊された、大本。その中高の祖・出口王仁三郎は、なかなかの人物。

絵を書いたり、陶芸の作品や、書を残したり。一番インパクトあるのは、和歌? 何万首もの和歌を詠んだ。

調べると、15万首。15万って、、、


 
その多才っぷり、なんだか見覚えあるな、、って思ったら、深見東州。ワールドメイトの。

オペラからギャグまで。「ミサイルからラーメン屋まで」の伊藤忠みたい。


深見東州は現代の王仁三郎っぽい。

両者を並び称する人は、やっぱりいる。こちら

____________

コングロマリット経営に異才を発揮した文鮮明もこの系列だろうか。

釣りも上手だったそうで。他に何に多才だったのか、、 ご存じの方は教えて下さい。
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仲正昌樹教授の櫻井義秀氏への批判

2025年02月25日 | 人物
仲正昌樹教授の、魚谷俊輔さんの『反証 統一教会』へのコメントがBitter Winterに出ました。


中でもインパクトある発言を2つ抜粋:


■ 「彼(櫻井義秀氏)は、統一教会批判を目的として、それに都合の良い材料だけ集めている」

■ (櫻井義秀氏は)「自分と同じ大学教員という立場の人間(仲正昌樹教授)から話を聞いておいて、自分の主張に合わないからといって無視すると、面倒そうなので最初から(仲正教授を)避けたのではないか」


櫻井義秀氏はこれをどう受け取るか。

櫻井義秀氏は、基本的に、反家庭連合で「文鮮明地獄に堕ちろ!」とシュプレヒコールをする霊感弁連からしか、話を聞いていません。

現役信者の話を全く聞いていない。

____________

自己啓発セミナーの取材をするのに、1回とか数回受けて、興味を失い、それ以上受けなくなった人の話ばっかり聴いてもね、、、

10回20回受けて、「この講義、素晴らしいよ」って言っている人の話も聴かないと、、、

退学者の話だけ聞いていても、その学校のことは分からない。
退職者の話だけ聞いていても、その会社のことは分からない。

櫻井義秀氏がやっているのは、そういう、「退学者」「退職者」の話しか聞かずに、その学校とか会社を論じること。

櫻井義秀氏のこういう偏頗性と党派性が広く知られんことを。
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ガンディの禁欲

2025年02月23日 | 人物
執筆原稿から抜粋

____________

本書のテーマである「正しさと美しさ」の文脈ではインドのガンディは欠かせない人物です。

ガンディは弁護士出身ですが、社会を変えるためには自分を変えねばならぬと考え、欲望を極限まで抑えることに挑戦しました。その自分の禁欲的な姿が説得力を持つと信じていました。

具体的には、食欲、性欲、睡眠欲、所有欲を極限まで削りました。

◆ 食欲を抑えてあの痩せぎすの姿になりました。

◆ 37歳で妻との性交を絶ち、晩年には自分の性欲が失くなったことを試すために若い女性と同衾して寝るという変な実験をしています。

そのためガンディをロリコン呼ばわりする人もいます。

◆ 睡眠時間も極限まで削り、朝2時ころに起きて10キロの散歩をすることを日課にしていました。

◆ 所有欲も削ぎ落とし、死後に残したのはメガネ・杖・時計・食器(木製お椀とスプーン2本)・服(着る綿布2枚とサンダル2足)以外は3冊の聖典のみでした。

文字どおり、無所有・無一文で死んだのです(ちなみにこれは足尾鉱毒事件の田中正造そっくりです)。

~~~引用終わり~~~

私もガンディのように無所有無一文で死のうかなぁ。日暮れて道遠し。


 
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渋沢栄一ってどんな人

2025年02月23日 | 人物
執筆中の原稿から抜粋:

渋沢栄一の『論語と算盤』から何を我々は学べるのでしょうか。

まずは2024年から発行された新紙幣の顔・渋沢栄一その人を振り返ってみましょう。

どんな人

渋沢栄一は、みずほ銀行、日本郵船、東京海上日動、その他名だたる日本の企業500社の創設に関わり、「日本資本主義の父」と言われています。

経営学者P.ドラッカーも渋沢栄一を激賞し、「経営の『社会的責任』について論じた人物の中で、渋沢栄一の右に出る者を知らない」とまで言っています(『マネジメント』、1978年)。

慈善家としても知られ、600の公益事業に関わりました。最晩年には国際平和に尽力し、2度もノーベル平和賞の候補になりました。

渋沢栄一は自己顕示欲が強かったのか、韓国併合時に一度お札の顔になりました。ですからお札になるのは今回で二度目です。

人物像

渋沢栄一の生まれは高杉晋作の1年後、伊藤博文の1年前です。幕末の志士の中のやや若手世代です。

一万円札の渋沢栄一の肖像は、解像度が低いせいか老けたお猿さんっぽく見えますが、若い頃の彼はとてもハンサムでした。

甥で養子にした渋沢平九郎が「最もイケメンの幕末の志士」と言われています。

平九郎の苦み渋った眼光は「男でも惚れる」凄みを持っていますので、検索してご覧になってください。

平九郎は戊辰戦争で渋沢の代りになるように戦死しました。渋沢栄一はフランス留学中で戊辰戦争を経験していません。

渋沢栄一の従兄・渋沢成一郎は、上野戦争で知られる彰義隊の隊長でした。目黒の八芳園を造り、その美しい日本庭園は今でも国賓級の要人との会食で利用されます。

渋沢の身長は153センチであり、当時でもやや短躯でした。山椒は小粒でもピリリと辛いのです。

生まれ育った埼玉の深谷と、晩年に住んだ東京北区の王子に渋沢栄一の記念館があります。史跡巡りをするにはまずはこれらがお勧めです。

玄孫の澁澤健さんが、サステイナブルな金融業の展開を通じて渋沢栄一の遺志を継いでいます。

士農工商すべてを経験

渋沢栄一の人生の最大の特徴は、「士農工商」を全部経験したことです。

渋沢は、大きな家に住む豪農として生まれ、生家で青色の原料になる藍を工夫して製造し、「農」と「工」を経験しました。

1863年、攘夷のための「横浜居留地焼き討ち」を実現直前まで計画するなど、テロを厭わぬ血の滾った志士でした。幕末に最後の将軍・一橋慶喜の家臣になり、正式に武「士」になりました。

その後フランスに留学し、明治初年の帰国後に大蔵省に勤めて官僚になりましたが、明治4年に辞めて実業家になり、「商」人になりました。

このように、士農工商を全部経験したからこそ、人情の機微に通じ、多様な人を巻き込む人間力を身に付けました。

欧州留学

渋沢を渋沢たらしめたのは、欧州経験でしょう。戊辰戦争の直前、27歳のときに2年弱、フランスなど6か国に留学し、最も初期に欧州留学をした日本人の1人となりました。行くときは和服に丁髷でしたが、帰国時には洋装洋髪です。

留学の数年前には攘夷を叫ぶ志士でしたが、帰国時に惚れたフランス女性を連れて帰ろうとして振られるなど、下半身にはだらしないところがあり、これは死ぬまで治りませんでした。

建白魔

渋沢栄一にはバイタリティがあり、若い頃は3日間徹夜をしても平気でした。

欧州経験のある渋沢には明治政府の頑迷固陋さが歯がゆかったのでしょう、大蔵省時代には2週間に1本の建白書を提出し、「建白魔」の異名をとりました。

最晩年には世界平和のために何度も渡米しました。飛行機ではなく船で行くため何日もかかるでしょうが、4回目の最後の訪米時は81歳でした。

大正時代の81歳は、今の100歳に相当するのではないでしょうか。92歳で大往生を遂げました。

徳川慶喜への忠誠

渋沢は、20代で数年仕えただけの最後の将軍・徳川慶喜を生涯尊敬し、忠誠を尽くしました。20年かけて徳川慶喜の伝記『徳川慶喜公伝』を作ったほどです。

渋沢がなぜ慶喜に惚れこんだのかというと、慶喜が一切言い訳をしなかったからです。

毀誉褒貶の多い慶喜ですが、特に「戊辰戦争時に大阪城から逃げた」ことは、将軍の振る舞いとして今でも強く非難されています。

しかし、慶喜は一生、一切、弁解をしませんでした。逃亡の是非はともかく、何らの弁解をせずに生涯沈黙を守ったことは評価するに値します。

その武士道的人間性に感動した渋沢栄一は、自らが編纂した慶喜の伝記の中で、かつての主君を「大いなる犠牲的観念、偉大な精神がある、偉大なる人格だ」と手放しで礼賛しています。

沈黙を貫いて静かに余生を過ごした徳川慶喜を、渋沢は侍としてのロールモデルにしていました。

実業家になってからの渋沢栄一を悪く言う人がいないのも、慶喜由来の言い訳しない人格が寄与していたに違いありません。

ライバル・岩崎弥太郎

三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎と渋沢栄一はほぼ同世代です。

両者を比較して、「弥太郎は財閥を作ったけど、渋沢栄一は私利のために財閥を作らなかった」と渋沢を美化する向きもあります。

たしかにそういう側面もありますが、歴史的事実としては渋沢財閥は存在し、戦後にGHQから財閥指定も受けています。

渋沢が大財閥を作らなかったのは、子育てに失敗したからともいえます。

外では論語や商業道徳を説いていながら、私生活ではお妾さんと同居し、多くの婚外子がいました。

長男の篤二はそんな言行不一致の父親を見てグレた遊び人になり、渋沢から廃嫡されました。相続権の否定です。

当時の価値観に鑑みて女性関係に寛容になりたいものの、篤二廃嫡はやはり渋沢の汚点ではないでしょうか。

当時でも福沢諭吉のように一切女性問題を起こさない潔癖で理想的な家庭人もいました。

なお、「岩崎四代」として知られる三菱財閥の草創期のトップ(弥之助、弥太郎、小弥太、久弥)は、子育てと事業承継に成功しました。

子どもには貧乏させ、留学させ、そして財閥トップを50歳前後で次世代に譲ったのです。岩崎家は家庭教育で渋沢家に勝ったといえます。

渋沢が女性問題を起こさずに篤二が立派に育っていれば、渋沢財閥が三菱を凌いでいたかもしれません。
 
以上、渋沢栄一の人生について簡単に述べました。次は、『論語と算盤』についてです。

~~~引用終わり~~~

続きはおってまたシェア差し上げます!

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イジりブロガー鈴木エイト氏の「ほぼ」発言に見られる貧困性

2025年02月22日 | 人物
後藤徹さんに敗訴したイジりブロガー鈴木エイト氏の「ほぼ」を集めたい。

  1. ほぼ勝訴
  2. ほぼ世界日報
  3. ほぼ引きこもり 

今のところこの3つ。

やや日刊カルト新聞主筆だから、「やや◯◯」だともっと出てくるんだろう。

ために彼は「ほぼジャーナリスト」と揶揄されている。

エイト氏の「ほぼ」の多用は、彼の姿勢と限界を表す。

「ほぼ◯◯」とレッテル貼り・クラスター分け・印象批判しかできない。

「デブ」「バカ」しか語彙がない小学生と変わらない。

エイト氏には語彙とロジックが決定的に貧困なのだ。

次の「ほぼ◯◯」に期待しましょう。

主夫を「ほぼ保母」とか。
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大本事件で無罪判決を書いた高野綱雄裁判長

2025年02月21日 | 人物
戦中の、国家神道華やかなりし頃、大本事件が起こった。

大本教が、治安維持法に違反すると。本部は政府・官憲により打ち壊された。物理的に破壊された。

そのせいで大本はいまは小さい。生長の家とか

その大本に、政府と世間の波に抗して、無罪判決を言い渡した、リベラルで、勇気ある裁判長が、高野綱雄裁判長。

~~~以下ウィキから引用~~~

1942年(昭和17年)7月31日、高野綱雄裁判長は判決文の中で「大本は宇宙観・神観・人生観等理路整然たる教義を持つ宗教である」として、治安維持法関係全員無罪の判決を言い渡した。

検察の調書の信頼性が低いことも判決文で指摘された。

本判決を下した高野について、土井一夫(陪席判事)は「高野裁判長はいい裁判長でした。公平だし、名利にとらわれなかった」と回想した。

高野の下で長く書記をつとめた豊田真三は「高野さんは立派な方でした。あんな方は一寸ないでしょう。あれだけ世間でやかましかった事件を無罪にしたのには、勇気がいります」とも述懐している。

また田村千代一(陪席判事)は「予審調書を読んだとき、どの調書もまったく同じことで、これはおかしいと思った」とまずはじめに疑問をいだいた 

~~~引用終わり~~~

この、「どの調書もまったく同じことで、これはおかしい」ってのは、先日、家庭連合の福本弁護士が報告した、解散命令請求の、文科省が出した証拠(陳述書)と一緒ですね。

 こちら(福本弁護士報告書)

最新のSunday世界日報で、この高野綱雄裁判長が、浄土真宗の熱心な信仰者だったと記載されている。

信仰の力でしょうか。

信仰は勇気を生む。

信仰は、健康的な無常観を生むから。

現世・世俗を、精神より、軽く見るから。

信仰が勇気を生むさまについては、三浦綾子『塩狩峠』一冊を読めば十分だろう。

 
天は見ている。

家庭連合の解散命令請求を裁く、鈴木謙也裁判長にも、高野綱雄裁判長のような、勇気を期待します。
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内村鑑三『後世への最大遺物』は34歳

2025年02月21日 | 人物
内村肝臓が、「勇ましく交渉なる生涯」を説いたのは、彼がまだ34歳の時。

わ、若い。

さすが内村鑑三。さらに尊敬しました。

勇ましく高尚なる生涯以上に優れた価値観は、ない。




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教育の目的とは

2025年02月20日 | 人物
内村鑑三で私が最も好きなのは、米国留学中の、ダニーとのエピソード。

精神障害者?不良者?更生施設みたいなところで働いていた内村鑑三が、中でも手に負えないダニーに手を焼いた。

ダニーを打擲せんと思ったけど、安息日の日曜にそれをしたくない。

そこで内村は、自ら断食してダニーの更生を期した。

内村は悪くない、ダニーが悪い、でもなぜ内村が?

その不合理な美しさが、ダニーを回心させ、長じてダニーは内村の親友となった。

内村の一途で頑固でピュアなところの片鱗が窺えるエピソード。

確か愛の鬼才・西村久蔵にも似たようなエピソードがあったような、、、



内村といえば戦闘的で攻撃的、とばかり思いがちですが、このダニーとのエピソードはとても内省的で思索的。

内村は宗教を説く者ではなかった。

宗教を実践する者であった。

若松英輔さんのこの内村鑑三本は、紙で読んだけど電子で読み返している。

さすが若松さんの切り口、再読なのに発見が多い。



教育に従事する者は、すべからくこの内村とダニーとのエピソードを知ってほしい。


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鈴木エイト氏の暴言まとめ

2025年02月18日 | 人物
鈴木エイト氏の、家庭連合信者らに対する暴言 まとめ

  • ダニ
  • ゴキブリ以下の連中
  • 低脳
  • 幼稚脳
  • 精神疾患者
  • 基地外
  • 必要なのは精神科での治療
  • アホ
  • 殴り込んだことがあり
  • 哀れな奴
  • バカ
  • コンクリの塊結わえ付けて東京湾に沈める

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小林秀雄の「魂」

2025年02月15日 | 人物
自己はどんなにたくさんの自己でないものから成り立っているか。

本当に内的なものを知った人の眼には、どれほど莫大なものが外的なものと映るか。

それがおそらく魂という言葉の意味だ

小林秀雄


 
肉体も、能力も、過去も、経験も、体験も、それは「自己」そのものではなく、外的なもの。

それらを取っ払った、ほんとうの「内的」なもの。

それを小林秀雄は魂と考えていた。

難しい本から小林本人の言葉を取り急ぎ抜粋。
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