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川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

義家弘介さんの「顔つき」

2024年12月11日 | 人物
ヤンキー先生、義家弘介さん。前回の衆院選で落選。

5年前くらいにすれ違った時、どんよりとした暗い「顔つき」にびっくりした。政治家らしからぬ。

20年前にもてはやされていた時とは雲泥の差、月とスッポン。

体調を崩したのはその後のことかな、だから体調だけの話ではないと思う、その「顔つき」の変化。

人間の顔がこんなに変わるのか」を義家さんで最も感じた。

そのヒント、答えを求めてこの本を読みました。

名誉、地位、権力、カネ、、、

その辺が人の顔を大きく変えることがある。

それをしかと学びました。

一方、この本には、義家さんの周りで、名誉も受けず、地位も高くなく、権力側に立たず、お金もたいして持っていないけど、「スジを通す」人間が何人も出てくる。

その「スジを通す」人間が、逆に、義家さんの「変貌」ぶりを浮かび上がらせている。

人として何が美しいか。

そんなことを改めて考えさせられる本でした。




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新渡戸稲造と内村鑑三 (広田弘毅と吉田茂)

2024年12月08日 | 人物
執行草舟の本に、

  • 新渡戸稲造は人格者
  • 内村鑑三は狂気の人

って対比があった。

 

新渡戸稲造も札幌農学校時代とかは烈しい人でしたが、内村の狂気に比べると、聖人君子みたい。

人付き合いも上手かったのだろう、国際連盟事務次長なでなっているから。

その、「聖人君子的優等生」の新渡戸稲造は長じてお札になった。
でも、死後95年くらい経って、強い影響を残しているのは、圧倒的に「狂気」の内村鑑三。

お札になるという最高の栄誉を与えられ、栄達した新渡戸稲造。
でも、長く愛されるのは、エキセントリックな内村鑑三。

いい悪いではなく、「死後100年後に何を遺すか」という観点からは、面白い対比。札幌農学校同級生(2期生)は、いい題材を100年後の我々に提供してくれている。
____________

それと似ているのが、外務省入省同期の、広田弘毅と吉田茂。

トップ入省(首席)で外務次官になった広田は、外務省でほぼエリートコースを歩み、戦前に、首相にまで上り詰めた。

尖っていた吉田茂は、先輩に楯突いたりする世渡りの下手さがあって、中国勤務とかを経たりして、広田よりだいぶ出世が遅れた。

でも、その「戦前の明暗」は、戦後に真逆になった。

出世頭・広田弘毅は、文官唯一のA級戦犯となり、死刑。
ヤンチャな吉田茂は、戦後の名宰相として、歴史に刻まれる。

この広田と吉田の「出世デッドヒート」は、人間万事塞翁が馬・禍福は糾える縄の如しを地で行く好例。

 
100年後に、何がどう評価されるか、わからない。

されば我が道をゆくのみ。
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志なかりせば

2024年12月08日 | 人物
福井シンポジウムで1つ伝えるのを忘れました。

福井の偉人・橋本左内は、15歳で『啓発録』に

「志なき者は魂なき虫に同じ」

と書きました。

福井の皆さん、15歳の橋本左内に負けぬよう、高い志を持って頑張りましょう!




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アムンゼンの美しき死

2024年12月07日 | 人物
アムンゼンは美しく死んだ。

『アムンゼンとスコット』で有名なあのノルウェーのアムンゼンは、南極点到達から17年後、北極に飛行船で行こうとして、自分の業績を横取りしようとした元部下のイタリア人ノビレを救出するために、北極に行って死んだ。

ノビレは悪い奴だったようだけど、利害関係や感情を度外視して、アムンゼンは、人道的見地からの勇気を発揮した。

「救難信号を無視したら、自分は探検家ではなくなる」と言い遺して。
____________

アムンゼンは元部下を救うために北極に行って死んだのですか

ChatGPT

はい、ロアール・アムンゼン(Roald Amundsen)は、元部下であったイタリア人探検家ウンベルト・ノビレを救出するために、北極での捜索活動中に命を落としました。

背景

    1.    アムンゼンとノビレの関係
    •    ノビレは1926年にアムンゼンと共に、飛行船「ノルゲ号」で北極点到達を果たした仲間でした。
    •    その後、二人の関係は悪化し、別々に活動を行うようになりました。
    2.    ノビレの遭難
    •    1928年、ノビレが指揮する飛行船「イタリア号」が北極探検中に墜落しました。
    •    生存者は漂流し、国際的な救助活動が展開されました。

アムンゼンの救助活動

    •    アムンゼンはノビレと意見が対立していましたが、人道的見地から救助活動に参加することを決意しました。
    •    1928年6月18日、アムンゼンはフランス製の水上飛行機「ラタム47」で北極圏へ向かいました。

アムンゼンの最期

    •    アムンゼンが乗った飛行機は北極圏で消息を絶ちました。
    •    機体や遺体は見つかっておらず、飛行機が墜落して死亡したと推測されています。

ノビレの救助

    •    ノビレはその後、ソ連の砕氷船により救出されました。
    •    アムンゼンの救助活動が直接の成功につながったわけではありませんが、彼の行動は高く評価されています。

まとめ

アムンゼンは、個人的な対立を超えて人命救助を優先し、ノビレの救出を試みました。

その過程で命を落とすこととなりましたが、彼の行動は勇気と人道精神の象徴として歴史に刻まれています。

____________

なお、正式な発音はアムンセンですかね。でも我々の世代にはアムンゼンだなぁ。

リンカーンをリンカン、ルーズベルトをロウズベルトと発音するのが正解で、後者で表記することがあるけど、どういうわけかアムンゼンはまだアムンゼンの方がしっくりくる、、

次回以降はアムンセンにします! 以下の名著でも「アムンセン」なんですね、、

 
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小川さゆり去りゆきて1年

2024年12月07日 | 人物
小川さゆりがTwitterしなくなって一年。この一年半くらい、メディアには登場していないはず。

彼女の活動期間は1年か、長くて1年4か月。

親やその宗教を罵り、「私が正しいと思うならなら解散させて」会見をして、福田ますみさんに月刊誌で嘘を暴かれ、フェイドアウト。

無責任の誹りは免れないのかなあ。

彼女の今の状態はそれなりに知ってます。

何が人として美しいのか、を考えています。
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南天棒 ー明治の禅の高僧

2024年12月06日 | 人物
執行草舟さんの本で勧められていた、「南天棒」というあだ名を持つ明治の禅の高僧の本を借りた。

あいや、高僧ではなく、「傑僧」というサブタイトルが付いています。

偉人」と崇められる人の多くは、「傑物」でもあった。

日本奇人伝みたいなのに載った田中正造しかり。

人は皆、特に若い方は皆、まずは「傑物」たらんと志すべし。

ーーーーーー

その「傑僧」南天棒は、本名(僧名)は中原鄧州。山岡鉄舟と交わり、乃木希典や児玉源太郎の師匠筋。臨済宗。

私が禅に傾倒して30年。

禅は、何か人間の器を広げてくれる気がする。

禅は、バカになる (stay foolishでいる)ヒントを与えてくれる。

禅は、世俗ベッタリの俗物にならない磁力を与えてくれる。

禅は、世論や流行に流されない自分を作ることを手伝ってくれる。

独坐大雄峰。

これからも、朱に交わりて赤くならない自分を築いていきたい。



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柴五郎の何がすごいのか

2024年12月05日 | 人物
柴五郎といえば、石光真人の以下の本で有名。

 
  • 義和団の乱で、柴五郎が人間としてスゴかった。
  • それを見たイギリスが、日英同盟を結んだ。

簡単に言うと、こういう史実があった。春秋の筆法に近いかもですが、柴五郎に象徴される、日本人の精神性の高さとか、規律とか、インテグリティが、信頼された。

それが日英同盟とか日露戦争の勝利にも貢献した。

これをChatGPTでウラを取ろうと思って、調べてみました。

____________

柴五郎の何がすごいの?

ChatGPT:

柴五郎(しば ごろう、1860年6月21日生まれ)は、日本の陸軍軍人で、最終的に陸軍大将まで昇進しました。彼の卓越した功績は以下の通りです。

1. 義和団の乱における北京籠城戦での指揮

1900年、清国で義和団の乱が発生し、北京の各国公使館が包囲されました。当時、日本公使館付武官であった柴五郎中佐は、各国の兵士や義勇兵を指揮し、約2ヶ月にわたる籠城戦を戦い抜きました。彼の冷静で勇敢な指揮は、欧米諸国から高く評価され、世界的にその名が知られるようになりました。 
IFSA Japan

2. 日英同盟締結への貢献

北京籠城戦での活躍により、イギリスをはじめとする列強からの信頼を獲得した柴五郎は、その後の日英同盟締結において重要な役割を果たしました。彼の行動は、日本の国際的地位の向上に大きく寄与しました。 
戦国ヒストリー

3. 会津藩出身者としての異例の昇進

戊辰戦争で「朝敵」とされた会津藩出身でありながら、柴五郎は陸軍大将にまで昇進しました。当時、薩長派閥が強い中でのこの昇進は、彼の才能と努力の賜物であり、異例中の異例とされています。 
おときん

これらの功績により、柴五郎は日本のみならず世界からも称賛される人物となりました。

____________

東郷平八郎とか乃木希典より前に、こういう、日英同盟に結びつくような、立派な日本人がいました!


 
↑ が有名ですが、 ↓ の本の方がいいらしい。勢古浩爾さんから教わりました。

 
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中村哲さん命日(12月4日)

2024年12月05日 | 人物
昨日の4日は、アフガンの医師・中村哲さんの命日でした。

人の嫌がるところへ行け
人の嫌がることをせよ

という内村鑑三の言葉を愛した、敬虔なクリスチャンでした。

アフガンに中村さんが持っていった一冊は、内村鑑三の『後世への最大遺物』でした。


 
勇ましく、高尚なる生涯を遺しましょう。内村や中村さんみたいに。
____________

中村哲さん関連本は、どれもいいですが、以下がオススメです。

 
 
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1%の可能性があれば

2024年11月30日 | 人物
絶望は(田中)正造には似合わない。
1%の可能性があれば全力を尽くすのが正造の正義であった。

小松裕『田中正造 ー未来を紡ぐ思想人』 

____________

いいね。

1%の可能性があれば全力を尽くす。
どんなことにも、1%の可能性があれば全力を尽くす。

だからそれが田中正造の「主義」であった。
それが田中正造のやり方であった。

私もそうありたい。

 
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田中渓さんも超早起き

2024年11月29日 | 人物
本屋の平積みで見た、田中渓っていう、ハンサムな、投資家。たぶんお金持ち。

案の定、超早起きで、超たくさん運動している。トライアスロンはおろか、サハラマラソンまで。

朝3時半くらい起き、だそうです。

私みたい。

負けてられねえ。

私も頑張ります!




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松下幸之助の「新しい人間観の提唱」

2024年11月28日 | 人物
松下幸之助は、52年前の昭和47年、77歳のときに、「新しい人間観の提唱」をした。


そこには「まことに人間は崇高にして偉大な存在である」が2回書かれている。

「衆知」が3回、書かれている。

____________

幸之助は、9歳で丁稚(要するに口減らし)に出された。

だから小学校も出ていない。

そこから68年、いろいろ苦労して(戦後の財閥解体のときが一番辛かっただろう)、ついに、77歳にして、「新しい人間観」までを提唱するに至る。

無学でも、革命的な、「人間観の提唱」までできる。

68年、懸命に、真摯に、精一杯、生きてきたんでしょう。

酔生夢死で、カウチポテトで、自分の幸せとかを考えてこなかったんでしょう。

世のため人のため、を考えて、悩み、落ち込み、もがき、苦しんだんでしょう。

無学の幸之助が、77歳で「新しい人間観」を提唱した。

私はこれを諒とする。

____________

この「新しい人間観」には、エドモンド・バークとか、執行草舟が好きな、「崇高」の二文字が、2回、出てくる。

幸之助も、崇高を目指して、生きていたのでしょう。


 

 
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紀藤正樹弁護士は美しくない

2024年11月28日 | 人物
とにかく事あるごとに自著の宣伝をする紀藤正樹弁護士。

反対派にも「俺の本を読め。買え」と脅す紀藤正樹弁護士。


美しくない。

こうはなりたくない。

他山の石とさせていただきます。

いつもありがとうございます。
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広田弘毅は毎晩論語を読んでいた

2024年11月28日 | 人物
広田弘毅は毎晩論語を読んでいた。

と、執行草舟さんの本に出てきた。

 
広田は夥しいほどの書籍を読んだが一日の最後は常に論語に目を通すことが習慣だったという。

と、ネット情報にもある(佐々木常夫さんブログ)。

本当だろうか。ま、本当だということにしておきますか、こういういいエピソードは。

そして、執行草舟によれば、広田は、「自分が毎晩論語を読んでいた」ということを、決して人に語らなかったそうな。

「じゃあなんで80年後の我々がそのエピソードを知っているのか」ってツッコミが来そうですが。

これも、いいエピソードなので、そうなのだ(広田は論語読みを語らなかった)、ということにしておきましょう。

口で語ると教条主義になる。
背中で語れ。黙して実行せよ。

そう執行草舟は言う。

____________

この広田と論語のエピソードが、あの名作『落日燃ゆ』(城山三郎)に載っているかどうかは、ChatGPTとかで調べても、わからなかった。

いつか再読するかな、、、


 
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新聞は俗人の聖書

2024年11月28日 | 人物
新聞は俗人の聖書。

山本七平の父親の言葉。だから山本家では新聞を読まなかった。

新聞読むなら、聖書を読め。

それで山本七平は若い頃は聖書ばかり読んでいた。

大人になってから山本七平が新聞を読んだかどうかは知らない。

____________

もう一人出会った。

新聞を読まない人に。

執行草舟。

今でも新聞を読まないらしい。

「縦に生きる」人だから、新聞は、横。


新聞は、世俗。欲望。ゼニカネ。

新聞を読んでも、心躍る個人の精神は載っていない。

新聞を読んでも、崇高に近づけない。

崇高に近づくものだけに価値を認める執行草舟さんらしい。

お、俺も新聞を読むのをやめて、執行草舟さんみたいに、人類の英知が詰まった古典ばかりを読むかなぁ。


 
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鈴木エイト氏の定義する「正体隠し」

2024年11月27日 | 人物
鈴木エイト氏と米本和広氏のやり取りを記録する米本さんのブログ こちら に、鈴木エイト氏による「正体隠し」の概念が説明されていた。

~~~以下引用~~~
<エンドレスな高額献金や合同結婚、無償労働従事、詐欺勧誘や霊感商法等の経済活動、先祖解怨等についても全く伝えていない。

これが『正体隠し』でなくて何なのか>
~~~引用終わり~~~

開いた口が塞がらないというか、反論にも疲れる、、

「自分たちに関するデマ・悪評をみんな伝えないと正体隠しになる」というのが、鈴木エイト氏の考えだったようです。

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