いい。
無理はせよ、無茶するな、ってのが。
このバランスを取るためには、
無茶しない程度に無理をする
のではなく、
たまに無茶してしまう程度に無理をする
のがいいってのも。
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この「無茶しない程度の無理」ってのは、
- Comfort ゾーン
- Strech ゾーン
- Dangerゾーン
の区別と同じ。
1番のベストは、2Strechゾーンと、3Dangerゾーンの境目をウロウロすること。
決して「3Dangerゾーンに行かぬよう2Strechゾーンにいる」のではダメ。
「たまに3Dangerゾーンに行っちゃう」くらいがちょうどいい。
「無茶苦茶にならない程度の無茶をしてでも、無理をせよ」ってのが、私のボキャブラリーだとしっくりきます。
戦前のカリスマ哲学者、三木清。
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いまだに彼の『人生論ノート』は売れている。
たしかアドラー心理学の岸見一郎さんがイチオシ。
そんなカリスマ三木清も、若いところは俗っぽいところがあったそうな。
人間的なエピソードに親近感。
私もまだまだ脈がありそうだ。
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三木清は、これだけを知っておけばいいのでは。
人間は、軽蔑されたと感じるときに最もよく怒る。
だから自信のある者は決して怒らない。
決して怒らない人格を30年くらい目指しています。
しばしば怒っちゃうけど、、
修行が足りません!
二子玉の紀伊國屋@高島屋の、一番いいところに、中村天風コーナー。
おそらく大谷翔平の影響。
私も大学生の時に読んで、
怒らず、恐れず、悲しまず、
あたりを暗唱していました。
本物は色褪せない。
人間は死んでからが勝負。
天爵を求めん。
私の本を引用してくれた小池明男さんも、いい企業文化を創るためには、結局、知行合一という原点に立ち戻ることだ、という。
いいね。
陽明学徒の私は、照れ臭さからあまり知行合一とは言ってこなかったけど、これからは遠慮なく知行合一ということにしようかな。
知行合一を公言する人に悪い人はいない。
小池明男という東電出身で、カルチャー変革エヴァンジェリストをしている方の最新刊で、私の『インテグリティ』を引用していただきました。
ドラッカーの隣に。
ドラッカーに負けずに頑張る。
ちなみにドラッカーもインテグリティ大好きでした。
福沢諭吉の『丁丑公論』は、丁丑すなわち明治10(1877)年に、西南戦争に斃れた西郷隆盛を弁護したもの。
発表は24年後の明治34(1901)年。
福沢諭吉はこれを発表する気はなく忘れていたらしいが、結果的には、24年間、隠して、世論が落ち着いたころに発表した。世論に配慮して、西郷が攻撃されているときには発表しなかった。
硬骨の士の福沢諭吉でも、「世間に配慮して24年間待った」例として記録される。時流を見るに巧みだった福沢の世渡りの上手さを示す論考。
~~~以下ウィキを引用~~~
政府が西郷の官位を剥奪した途端、新聞が一斉に非難を始めたことに対して、
「新聞記者は政府の飼犬に似たり」
と述べて、新聞の論調が誹謗中傷の一色になったことと、それに迎合する世論に対して反論する。
そして、本文において、
「そもそも西郷は生涯に政府の顛覆を企てたること二度にして、初には成りて後には敗したる者なり」
すなわち
「西郷は生涯に政府の転覆を2度企てて、最初の明治維新は成功し、2度目の西南戦争では失敗した者である」として、西郷を明治維新の功労者であって忠臣として賞賛し、同時に西南戦争の首謀者であって逆賊として非難することは、ダブルスタンダードであるとする
~~~引用終わり~~~
今の新聞世論にも参考になる。ダブルスタンダードはいけませんね。
昨日の伊藤塾同窓会まこと会で、元フジアナの菊間千乃弁護士がお勧めしていた本。
ポチった。
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あと、彼女が仰っていた中で、
真剣にやるけど深刻にならない
っての、いいなと思いました。
いつも心にユーモアを。
一打ち合わせ一笑い
をモットーにされているみたいな感じでした。
ボスの松尾翼(たすく)さん(ポール・マッカトニーとかの弁護をした国際弁護士)をとても尊敬されているようでした。松尾先生は去年あたりに94歳でお亡くなりになったようです。
松尾先生の素晴らしさについては別稿で。
『三原脩の昭和35年』は『スラムダンク』である
私の長男の1番の愛読書が、『三原脩の昭和35年』。付箋をたくさん、、
三原脩監督のもとで、大洋ホエールズが最下位から優勝し、翌年最下位になった。その儚い栄光の昭和35(1960)年を書いたもの。そこから38年、1998年まで大洋ホエールズ(横浜ベイスターズ)は優勝から遠ざかった。
湘南生まれ横浜育ちの私は横浜ファンであり、小学生時代には大洋ホエールズ友の会に入っていた。遠藤やユタカの活躍に胸を熱くした。
そんな私がベイの前身大洋について興味を持つのは当然のこと。でも私の息子たち(いずれもベイファン)まで、昭和35年に興味を持つのは、なぞ。
自分が生まれる50年前の話を、、、(私でいえば昭和を通り越して大正14年に興味を持つみたいな感じ)。
その長男の愛読書『三原脩の昭和35年』を、次男小6も読み出した。
なぜだ。
なぜそんなレトロな本が、令和の息子たちに訴求力があるのか。。
分かった。
スラムダンクだ。
三原脩の昭和35年は、スラムダンクに似ている。
- 弱小チームが勝利する
- 個性を輝かして
- 監督も個性的(放任主義的)
- 接戦を制して(昭和35年日本シリーズはいずれも1点差勝利)
- その輝きは儚い(大洋は翌年最下位、湘北も山王に勝利後惨敗)
って5点において、三原脩の昭和35年とスラムダンクは似ている。
だから、スラムダンクを好きな方は(たくさんいますね)、この『三原脩の昭和35年』はきっと気に入っていただけるはずである。
セルバンテス『ドン・キホーテ』。
歴史的には、最初はユーモア・諧謔小説みたいに軽く扱われた。
でもドストエフスキーが激賞して以来、世界最高の文学的に、格が上がった。
以下はドストエフスキー評。ウィキから。
「人間の魂の最も深い、最も不思議な一面が、人の心の洞察者である偉大な詩人によって、ここに見事にえぐり出されている」
「人類の天才によって作られたあらゆる書物の中で、最も偉大で最ももの悲しいこの書物」
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このドストエフスキーがフックとなって、
「史上最高の文学百選」で1位を取ったりしています。
今読み進めています。たしかに諧謔小説的にも楽しめる。
私が尊敬する経営者の佐藤航陽さんの最新刊。
コロナ→テレワークで、お互い不干渉、そして不感症になった。
それだけに、「自分を自分で律するストイックさ」が要求されるようになった。
また、どうでもいい人と接することの耐性がなくなった。ダメなやつに関わっていることのストレスが大きくなった。
自分は自分。他人は他人。
そんな寛容さも、より、要求されるようになった。
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そんなびっくりする考えではないですが、一理あるので、取り急ぎ備忘のため。
愛する者を喪ったとき、最も読むべきはこの若松英輔の『亡き者たちの訪れ』ではないか。

先立つというのは、最も深い愛の営み。

遺された者は、死への恐怖から解放され、孤独になることはないから。

内村鑑三の弟子筋で東大教授の矢内原忠雄が妻に先立たれ、
妻が召されたのは、
我を力強く活かせるため
と言う。

先立つというのは、最も深い愛の営み。

遺された者は、死への恐怖から解放され、孤独になることはないから。

妻を喪っている若松さんならでは。
マイナーな道、異端の道、人がしないことをするのは危険。
ナルシシズム、負のヒロイズム、僻み根性になるから。
日の当たらぬところを歩いてきて、安倍事件後にいきなり日なたに出てきた鈴木エイト氏に当てはまるような気もする。
白スーツを着ている私にも当てはまるような気がする。
拳拳服膺したい言葉。
色川武大『うらおもて人生録』に書いてあるらしい。
この色川さんの有名な『うらおもて』、有名なだけあって、なんだか忘れられない。
読んだのは25年くらい前で、それ以後に人生論めいたものは何十冊も読んできたはずですが。
色川『うらおもて』と読むか読まぬかで、人情の機微と、人生の悲哀に対する心の襞の数は、たしかに違ってくる。