昔はメダカをサラダボールで飼っていたのですが、最後の1匹が死んでからはニャンコ(ファンちゃん)の水のみ場だけになっていました。
水飲み場が先で、メダカは後から飼い始めました。
パパさんの「出汁が出てお水が美味しくなるよ。」の一言からです。
そんな訳ないんだけれど、メダカがいた方が見た目にも良いです。
我が家にメダカの分校が出来たのは昨年の春です。
本校はHちゃん宅にある大きな瓶です。
本校は最初10匹のメダカからスタートしました。
その生徒達は卵を次々に産み、Hちゃんがその卵をかえして生徒を増やしました。
その内の6匹が我が家の分校にやって来たのです。
一番大きな1匹(校長先生)は、ストレス(分校の狭さ)で2ヶ月位して死にました。
後の5匹(2匹のメスと3匹のオス)は若いから元気に暮らし、7月には卵を産みました。
(メダカは水温が25度を越すと卵を産むそうです。)
その卵を別棟に移してやり、おちびさんが生まれるのを助けてやります。
(分校に置いておくと大人のメダカが稚魚を食べちゃうのです。)
1週間位すると小さな小さな(目しか分からない2mm位)稚魚が生まれます。
最初は14匹位生まれたのですが、小さいのでお水を替える時にいなくなったり、死んだりしてなかなか育ちませんでした。
それでも何度か繰り返すうちに無事に育ったのが7匹です。
↑は左が分校(サラダボール)で右が別棟の保育施設(ガラスビン)です。
今は分校に2匹の上級生と5匹の先生(本校から来たメダカ)が生活しています。
別棟では5匹の下級生がいたのですが、今日1匹が死んでいました。
(原因不明の死です。)
上級生は昨年の7月生まれで、下級生は9月下旬生まれです。
何度もそれ以外に卵を産みましたが、きりが無いので最後は自然に任せました。
(自然に任せるとやはり稚魚は生まれませんでした。)
冬の間は底に置いてある竹炭に隠れて出て来なかったのでほとんど姿が見えませんでした。
「タニシを飼ってるの?」
と、言われた事もありました。
(タニシは藻を食べて水の汚れをきれいにしてくれるので一緒に入れています。
竹炭も同じ理由で入れています。)
でも、春はここにも来ていました。
メダカ達は気持ちよさそうに泳いでいます。
休校だったメダカの分校は一足先に新学期を迎えたようです。
(別棟はもう少し休校らしいです。おちびちゃん達だから仕方ないですね。)
↑これは お・ま・け。
ネコ(陶器の置物)のこづかいさんです。
今は知らないけれど、昔の学校にはこづかいさんがいました。
何気に生徒達を見守っていてくれたりしたのです。
私の時のこづかいさんは優しいおじさんでした。
メダカの分校の校舎はこれ以上大きく出来ないのでもっか思案中です。
大き過ぎると本来の目的(ファンちゃんの水飲み場)が困難になります。
別棟を増やすのは場所的に限界があります。
(なんせ分校ですから敷地が狭いのです。)
でも、何とかしなくっちゃまた死を見る事になりそうです。
(メダカは水槽の広さに比例して生きれる数が決まるそうです。
狭いと生きていけないメダカが出るそうです。)
教訓:魚も冬は行動をひかえて底でおとなしくしている事は知っていました。
外が春を迎えると、しっかり春をキャッチして行動開始しました。
室内の水槽は暖房で水温もほとんど冬と差がないのに...。
魚の生態の不思議を知りました。