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安田義定ゆかりの甲斐国「牧ノ荘」を辿る!①山梨市牧丘は日本の里100選!18-09

2018-09-01 | 山梨、魅力の里山歩き!

日本の里100選」に選ばれた「牧丘」・・・!

その穏やかな里には、往古の眠れる歴史ロマンがあった!

今号より「山梨市牧丘町」を尋ねて歴史ロマンを辿ってみます。

あの勇将安田義定が所領していた「牧ノ荘」の名残を辿って見る!

往古、牧ノ荘の中心にあった中牧の「安田義定の要害城跡、小田野山」

小田野山の城下に、今に伝わる安田義定開基の荘厳の「妙高山普門寺」!

往古、あの安田義定が山梨市牧丘町西保下「小田野山」に要害城を築いた!

※写真は昭和初期の中牧村郷土史に掲載された「小田野山城下の風景」 


のような写真を見ただけでも・・・、

「牧丘」には、いたる所に歴史ロマンを感じ風景があります。

しかし、それは現在の風景写真だけでは語れない、奥深いもの

を感じますので、いつもながら画像より文章が主になりますが

自習NOTEを積み重ねるつもりで、一部抜粋して紹介します。 

平安時代末期~鎌倉時代初期、あの牛若丸こと源義経とともに、 

”天下の副将軍”を称されて、源平合戦で平家を打倒した強者。

鎌倉幕府開府に貢献した「安田義定」は 「牧ノ荘」の所領を背景

にした勇将であった。しかし、軍力恐れた 源頼朝に疎まれて

無念にも、自刃したこともあり、現在では殆ど忘れられている。

山梨県の地元では、現在、「武田信玄」は英雄として有名だが、

地元への貢献があまり伝えられないのか!?日本国平定の天下

将軍として鎌倉幕府開府に貢献した実力者としては惹かれる。

その「安田義定」が所領した「牧ノ荘」と安田義定のゆかりに焦点

を置いて、「牧ノ荘」の中心、現在の山梨市牧丘町を尋ねます! 

そこで、往古「安田義定」が所領したと云われる「牧ノ荘」

の中核であったと云う名を伝えて現在も活きる「牧丘町」は

”日本の里100選「牧丘町」”として選ばれている!

”その美しい歴史ロマンを尋ね”て、これよりシリーズで

ブログ紹介してみたいと思っています。

また、しばらくは、長編シリーズとして続けることになる

でしょうが、こつこつと辿って見たいと思いますので、

お付き合い下さい。

「牧丘」には随分以前から興味を惹かれ、地元を知り尽くした

方に既に頂戴した基礎資料や「甲斐史」に造形が深く、「安田

義定の菩提寺」と云われる「高橋山放光寺」の清雲俊元先生

書かれた「甲斐源氏安田義定」他諸資料についてもジックリ

予習した上で、改めて教えを乞いと思っています。

これから一歩、一歩、牧丘の里へ踏み出して、古老や古刹など、

物知りの方を訪ねて、自習の範囲ですが「YS記自習NOTE」

として学びまとめてみたいと思っています。寛容にお願いします。

ブログも前号までの「大蔵経寺山南麓に眠る古代甲斐国の

歴史ロマンを辿る」YS記自習NOTEは、3~4年の踏査・

取材を含めて自習した中でつれづれなるままに要点を抜粋し

ブログ発信をしてきましたが、その抜粋ブログだけでも、

序章~12章、最終章まで1年も続きました。

自習NOTEは、専門家との議論やさらなるご教授は残る

ものの、一応、一段落としました。特に大蔵経寺井上住職

には感謝以外の言葉もなく、大変お世話になりました。


 今年は、異常気象どころではなく、暑すぎてデスクワークが

多くなっています。自由人の過ごし方として「晴耕雨読」と

云う言葉の意味を理解し、自ずと身についてきたところです。

今や健康管理を合わせて「晴耕雨読」の日常に「猛暑中はクー

ラー下でPCワーク」を加えて、”日々是好日”としています。

これから、アクセス不便な山梨の里山を自転車で走るか、一歩、

一歩山登りの如く歩いて、これから取材を始めたいと思います。


もし、「安田義定ゆかりの牧ノ荘を辿る」と題して、その研究テーマに造形が深く、

詳しい方がおれれたら、ぜひご教授下さい。

もし、おしかけYS記NOTE自習生が現地へ勉強に訪れましたら、ご寛容にご教授を!


 牧丘」は、山梨甲州市に移住して以来、もっとも惹かれている里の一つ。

※昨年サーバーを引っ越したため、旧バージョンは見にくい画面だと思いますが、

2013年7月号「47)日本の里100選「牧丘」乙女高原にレンゲツツジが彩る初夏!」

が最初で、この時は通称杣口筋を紹介し、窪平から杣口筋を上り、中牧神社を

経て・・・・、古刹雲峰寺、金桜神社、金桜神社旧蹟、乙女湖、大弛峠から金峯山

を望むところまでを詳しく紹介しました。

2012年3月号「牧丘の竹林に福寿草が咲いた!甲州に春が来た!」

2016年12月号「牧丘に何故「足利尊氏と二階堂道蘊の宝篋印塔が並ぶのか!?」

2017年2月「牧丘城古寺に建つ二階堂道蘊と足利尊氏の宝篋印塔の石塔二基

~続編」

2017年8月号「山梨、戦国の古道「秩父裏街道」と「鈴懸の関」跡」などありますが、

それほど興味深いところでもあるのです。

※もしお時間があればですが、バックナンバーを開いて見て下さい。

特に以前から、あの勇将安田義定が領していた「牧ノ荘」の名を活かして「牧丘町」

が生まれ、合併して「山梨市」になった際も「山梨市牧丘町OO」としてその歴史的

名称を残しているので、とても響きが良く、今も・・・惹かれている。

最初の取材をした時に、暖かい人とのふれあいや想い出があるも杣口(そまぐち)

筋を歩いて上る時に、安田義定ゆかりの地が多い「塩平筋」が気になったままで

あったが、このテーマ課題は史料を収集しながら時間を要するので中断していた。

その間、石和の「大蔵経寺山南麓に眠る古代甲斐国の歴史ロマンを辿る」ために、

あしかけ3~4年を要してしまい、

ようやく「牧丘」の自習ができることになった次第。とてもワクワクしています。

塩平筋に残る「勇将安田義定の歴史ロマンを始め、牧丘の魅力再発見」のつもり

で、歩いて見たいと思っています。

今号は序章の前の~まえがき~のようになりましたが、これから頑張って見ます

ので、来月号よりまた、気の長いお付き合いを願います。


                                                                                   



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